◇
――何かがおかしい。
だけど、考えている時間もなく、物事が進んでいった。
由良さんの解散宣言の通り、実巳様の妻は全員実家に戻ることが決まった。
私も祖母ちゃんのところに、戻る予定ではあったのだけど……。
――家事をする人がいないと、困るみたいだから、少しだけ一緒に残って女中をしてくれない?
……と、先輩妻の多恵さんに頼まれてしまい、承諾してしまったのだ。
(だって、私が嘘言って、結納金を貰ったのは事実なわけだし)
ずっと、祓戸家に対して、後ろめたい気持ちを抱いていたのだ。
落ち着くまでの短期間、人助けができるのなら、それもいいだろう。
……けど。
やはり、由良さんは怒っていた。
(正論、図星。分かっているけどさ……)
――コレはない。
「だから、俺、言ってますよね? 結納金のことなんて、気にしなければいいって。それなのに、君は……」
「しつこいですよ。由良さん。毎日、そればかり」
顔を合わす度に、由良さんはくどくど訴えてくる。
今更、決まったことを、ひっくり返すわけにはいかないのだ。
それに……。
「もう私、働いちゃっているんですから」
私は普段通り、竹箒を使って、掃き掃除に励んでいた。
裏庭の桜の古木は、今まさに満開を迎えていて、桜の花弁が山のように降り積もっている。
由良さんは、しばらく祓戸家に逗留するらしく、今日も縁側の定位置でごろ寝をしながら、掃除中の私に茶々を入れてきた。
しかも、すっかり春めいてきたため、薄手の浴衣一枚だ。
他人の家なのに、寛ぎすぎだろう。
「俺が執念深いのは性分です。大体、お祖母様の病だって癒えたのに、君が無理して働くことはないんです」
「その件については、大変ありがたく、一生、由良さんに頭が上がらないと思っていますが……」
由良さんは、以前から、度々祖母ちゃんの見舞いに行ってくれていたらしい。
彼の献身的な看病のおかげで、祖母ちゃんはすっかり健康を取り戻したのだ。
(何でも、妖怪がここを襲撃した日も、由良さんは私の実家に行っていたせいで、出遅れたって話だし……)
……生き神様だ。
毎日、由良さんを拝んでも良いくらいだ。
「なら、さっさと辞めて……」
「でもね、由良さん。それとこれは話が別です。先日の妖怪の襲来で、皆怖がっちゃって、女中の成り手もいないんですよ。祓戸家の方々は家事ができないし、他の人も嫌がっているので……」
これは、雅さんのせいだ。
由良さんを目にした瞬間、失神してしまい、それ以来、まともな会話ができなくなってしまった。
それを目の当たりにした妻たちは一刻も早く、ここから出たいと考えるようになってしまったのだ。
「それに、由良さんだって、私のことばかり言いますけど、ここに居続けていいんですか?」
「別に、俺のことはどうでもいいんです。今まで、大変だった分、しっかり療養をとっているんですから。……監視も含めてね」
「監視?」
「あ、いや、妖怪のことです。退治をしたつもりですが、まだ、ちょっと油断できないので」
「そうなんですか」
三百年もの間、封印されていた妖怪。
狡猾で冷酷だとか、色々と聞かされていたけれど、私は一度もお目にかかることなく、退治されてしまった。
「その妖怪……。ちらっと遠巻きに、見てみたかったですね」
「危険な妖怪の顔を、君は見たいと?」
揶揄うような口調で、由良さんが言うので、私は真面目に答えた。
「だって、由良さん。結局、何も被害はなかったんですよ。人が殺されたわけでも、屋敷が破壊されたわけでもない。一体、妖怪が何をしたかったのか、謎です」
「まあ、奴にも愛でたい花があったんじゃないですか」
それはお前だと言わんばかりに、由良さんが私に向けて、熱い眼差しを向けてくる。
(何で?)
頬が熱い。
私は慌てて、顔を背けた。
「だったら、桜……かな? 綺麗ですものね。妖怪もお花見がしたかったのかも」
温かな風に、薄紅色の桜の花弁が、はらはら散っていた。
こんな有様では、掃除をしたところで、意味がないかもしれないが、キリが良いところまでと決めて、私は掃き続けた。
ようやく、地面が明らかになると……。
「わあ」
そこには、お日様色の花が咲いていた。
「由良さん。ここにも春の花が……。可愛いタンポポ。桜の花弁の下に隠れていたみたいです」
その場にしゃがんで、タンポポを観察していると、由良さんがひょいと庭先に下りてきた。
「あ、本当だ」
「ふふっ。タンポポって、全部食べられるんですよ。美味しそう。あっ、でも、綺麗に咲いているのに、食べちゃうのは可哀想かな?」
「……らしいな」
「はっ?」
「刹那の桜より、大地に根付く蒲公英……か」
「何のことです?」
私は顔だけ後ろに向けた。
きらきらと、陽光に照らされた桜木を背後に佇む由良さんは、息をのむほど妖艶だった。
「俺、好き……ですよ。はる……が」
「……?」
風が吹く。
それは、まるで告白のようだった。
(今、春って?)
しかし、問い返そうにも、障子戸の隙間から、じっと窺う実巳様の二つの眼が恐ろしくて、出来やしなかった。
「は、春!? そう、春はいいですよね。美味しいものが沢山採れますからね。私、雪辱の卵とこのタンポポを使って、何か作ります。由良さんには、ぜひ試食を……」
「くっくっくっ」
肩を揺らし、目に涙を浮かべて、由良さんが笑っている。
「由良さん?」
不思議だ。
一瞬、由良さんの頭に獣の耳がついているように見えてしまった。
彼が美形すぎて、私の目が人間として、処理できないのかもしれない。
「いいですよ。小春さん。すべて、君の望みのままに叶えましょう。そういう君を見ていることが、俺はこの上なく幸せなのだから……」
春爛漫の庭。
由良さんは、私の頭で煌めく簪を愛おしげに撫でると、額にそっと口づけたのだった。
【了】
――何かがおかしい。
だけど、考えている時間もなく、物事が進んでいった。
由良さんの解散宣言の通り、実巳様の妻は全員実家に戻ることが決まった。
私も祖母ちゃんのところに、戻る予定ではあったのだけど……。
――家事をする人がいないと、困るみたいだから、少しだけ一緒に残って女中をしてくれない?
……と、先輩妻の多恵さんに頼まれてしまい、承諾してしまったのだ。
(だって、私が嘘言って、結納金を貰ったのは事実なわけだし)
ずっと、祓戸家に対して、後ろめたい気持ちを抱いていたのだ。
落ち着くまでの短期間、人助けができるのなら、それもいいだろう。
……けど。
やはり、由良さんは怒っていた。
(正論、図星。分かっているけどさ……)
――コレはない。
「だから、俺、言ってますよね? 結納金のことなんて、気にしなければいいって。それなのに、君は……」
「しつこいですよ。由良さん。毎日、そればかり」
顔を合わす度に、由良さんはくどくど訴えてくる。
今更、決まったことを、ひっくり返すわけにはいかないのだ。
それに……。
「もう私、働いちゃっているんですから」
私は普段通り、竹箒を使って、掃き掃除に励んでいた。
裏庭の桜の古木は、今まさに満開を迎えていて、桜の花弁が山のように降り積もっている。
由良さんは、しばらく祓戸家に逗留するらしく、今日も縁側の定位置でごろ寝をしながら、掃除中の私に茶々を入れてきた。
しかも、すっかり春めいてきたため、薄手の浴衣一枚だ。
他人の家なのに、寛ぎすぎだろう。
「俺が執念深いのは性分です。大体、お祖母様の病だって癒えたのに、君が無理して働くことはないんです」
「その件については、大変ありがたく、一生、由良さんに頭が上がらないと思っていますが……」
由良さんは、以前から、度々祖母ちゃんの見舞いに行ってくれていたらしい。
彼の献身的な看病のおかげで、祖母ちゃんはすっかり健康を取り戻したのだ。
(何でも、妖怪がここを襲撃した日も、由良さんは私の実家に行っていたせいで、出遅れたって話だし……)
……生き神様だ。
毎日、由良さんを拝んでも良いくらいだ。
「なら、さっさと辞めて……」
「でもね、由良さん。それとこれは話が別です。先日の妖怪の襲来で、皆怖がっちゃって、女中の成り手もいないんですよ。祓戸家の方々は家事ができないし、他の人も嫌がっているので……」
これは、雅さんのせいだ。
由良さんを目にした瞬間、失神してしまい、それ以来、まともな会話ができなくなってしまった。
それを目の当たりにした妻たちは一刻も早く、ここから出たいと考えるようになってしまったのだ。
「それに、由良さんだって、私のことばかり言いますけど、ここに居続けていいんですか?」
「別に、俺のことはどうでもいいんです。今まで、大変だった分、しっかり療養をとっているんですから。……監視も含めてね」
「監視?」
「あ、いや、妖怪のことです。退治をしたつもりですが、まだ、ちょっと油断できないので」
「そうなんですか」
三百年もの間、封印されていた妖怪。
狡猾で冷酷だとか、色々と聞かされていたけれど、私は一度もお目にかかることなく、退治されてしまった。
「その妖怪……。ちらっと遠巻きに、見てみたかったですね」
「危険な妖怪の顔を、君は見たいと?」
揶揄うような口調で、由良さんが言うので、私は真面目に答えた。
「だって、由良さん。結局、何も被害はなかったんですよ。人が殺されたわけでも、屋敷が破壊されたわけでもない。一体、妖怪が何をしたかったのか、謎です」
「まあ、奴にも愛でたい花があったんじゃないですか」
それはお前だと言わんばかりに、由良さんが私に向けて、熱い眼差しを向けてくる。
(何で?)
頬が熱い。
私は慌てて、顔を背けた。
「だったら、桜……かな? 綺麗ですものね。妖怪もお花見がしたかったのかも」
温かな風に、薄紅色の桜の花弁が、はらはら散っていた。
こんな有様では、掃除をしたところで、意味がないかもしれないが、キリが良いところまでと決めて、私は掃き続けた。
ようやく、地面が明らかになると……。
「わあ」
そこには、お日様色の花が咲いていた。
「由良さん。ここにも春の花が……。可愛いタンポポ。桜の花弁の下に隠れていたみたいです」
その場にしゃがんで、タンポポを観察していると、由良さんがひょいと庭先に下りてきた。
「あ、本当だ」
「ふふっ。タンポポって、全部食べられるんですよ。美味しそう。あっ、でも、綺麗に咲いているのに、食べちゃうのは可哀想かな?」
「……らしいな」
「はっ?」
「刹那の桜より、大地に根付く蒲公英……か」
「何のことです?」
私は顔だけ後ろに向けた。
きらきらと、陽光に照らされた桜木を背後に佇む由良さんは、息をのむほど妖艶だった。
「俺、好き……ですよ。はる……が」
「……?」
風が吹く。
それは、まるで告白のようだった。
(今、春って?)
しかし、問い返そうにも、障子戸の隙間から、じっと窺う実巳様の二つの眼が恐ろしくて、出来やしなかった。
「は、春!? そう、春はいいですよね。美味しいものが沢山採れますからね。私、雪辱の卵とこのタンポポを使って、何か作ります。由良さんには、ぜひ試食を……」
「くっくっくっ」
肩を揺らし、目に涙を浮かべて、由良さんが笑っている。
「由良さん?」
不思議だ。
一瞬、由良さんの頭に獣の耳がついているように見えてしまった。
彼が美形すぎて、私の目が人間として、処理できないのかもしれない。
「いいですよ。小春さん。すべて、君の望みのままに叶えましょう。そういう君を見ていることが、俺はこの上なく幸せなのだから……」
春爛漫の庭。
由良さんは、私の頭で煌めく簪を愛おしげに撫でると、額にそっと口づけたのだった。
【了】



