◆
あのまま、外に逃げようとしたけれど、他の妻たちから様子を見て来いと言われて、尻を蹴られてしまった。
仕方なく、行けるところまでと、覚悟を決めて摺り足で前進していたら……。
「ん?」
ふと、赤いものが目に入った。
(あれは……?)
雅さんの着物の袖だ。
いつも、一際目立つ真っ赤なものを身につけているから、すぐに分かる。
「どうして、あんなところに落ちて……?」
ぼんやり眺めていた私は、ややしてから、ハッとなった。
(あれは、雅さんそのものだ)
「雅さん!」
息を切らして、駆け寄った。
だけど、まったく反応がない。
恐る恐る、抱き起してみたら、かくっと、首が傾いだ。
「いやあぁ!」
……死んでる。
(何で? 今まで生きて、私を罵っていたじゃない?)
先程まで、私はこの人のことを恨んでいた。
何が気に入らないのか知らないけど、どうして、私が八つ当たりされて、貶められなければならなかったのか……。
生きて報復することは叶わないだろうけど、死んだ私に呪われてしまえと、本気で思っていた。
けれど、今、目を見開いたまま、モノのように転がされている姿を見て、ぽたぽたと涙が溢れた。
どんな人だって、こんなふうに死んでいいはずがない。
泣きじゃくりながら、すぐ横の微かに開いている障子戸の中を覗くと……。
「……あ」
……いた。
(いてくれた)
私がよく知っている漆黒の後ろ姿が、そこにはあった。
「由良さんっ!」
腰を抜かして、床を這いながら、私は畳部屋に転がり込んだ。
「由良さん。ああ、良かった。大丈夫ですか!? お怪我はありませんか? 雅さんが……。もう何がなんだか、分からなくて。どうして、こんな?」
言いたいことがまとまらなくて、私は指先だけ彼に伸ばした。抱きつきたいけど、力が入らない。
由良さんは、少ししてから、ゆっくりと振り向いた。
「……ああ、小春さん。君の方こそ、大丈夫なんですか?」
颯爽とその場に片膝をついた由良さんは、こくこく頷いた私に、手を差し伸べてくれた。
いつもの帽子がない。
灰色の髪に、親しみやすい垂れ目。透き通った白い肌。見惚れてしまうような完璧な容姿をしていた。
言葉を失くしている私に、由良さんの方が頬を赤らめながら答えた。
「少々派手ですけど、やはり、盛装すると映えますね。小春さん。本当は俺が君を美しく飾り立てたかったんですが……。腹立つなあ」
――なぜ、今、その話題?
(私だって、由良さんの素顔が綺麗だって絶賛したいけど)
「もう! 由良さん、それどころじゃないんですって! 雅さんが死んで…」
「死んで?」
由良さんが、目をぱちくりさせている。
「あ?」
途端、室内で倒れていた長老、実巳様の両親が「いたたっ」と一斉に呻きながら、顔を上げた。
「ううっ?」
廊下では、今まで死んでいたはずの雅さんが身じろぎをしている。
「あ……れ?」
死んでいなかった?
(でも、確かに、息していなかったはず?)
気が抜けてしまって、よろめいた私の体を、素早く由良さんが支えてくれた。
「申し訳ない。怖い思いをさせてしまいました。でも、もう終わりましたから」
「終わったって?」
「実は……」
由良さんは、こほんと一つ咳払いをしてから、堰を切ったように語り始めた。
「祓戸家の結界が破れてしまって、裏山に封じられていたはずの妖怪が、屋敷に奇襲をかけてきたんです。君が視た恐ろしい出来事は、全部妖怪の仕業です。奴は幻術の使い手なので、この場にいた人たちを死んだように、見せかけたのですよ」
「そんな……ことが」
「……できてしまうんです。妖怪なんで」
(妖怪かあ)
今まで一度も見たことがないけれど、この家に嫁いできた身としては、その存在を否定はできない。
由良さんは、ばつが悪そうに、頭を下げた。
「無事に退治しましたが、今回のことは、すべて俺のせいです。本当に申し訳ありませんでした」
「何で、由良さんが謝るんです?」
「ああ、俺……国に仕える陰陽師なんですよ。怪しい気配があったこの村に派遣されたんです。今回は、そこの実巳様と力を合わせて、妖怪を滅することに成功したのです」
へえ……としか、私は声が出なかった。
あまりにも、現実離れしすぎていた。
「陰陽師? じゃあ、由良さんは、幸三さんの息子さんじゃなかったと?」
「はい。今回は徹底して、皆を欺く必要があったのです」
「そうだったのですか。それは……大変でしたね」
「……んなはずが!」
「わっ」
突然、幽鬼のように、由良さんの背後で実巳様が立ち上がったので、私は再び、後ろにひっくり返りそうになった。
それによって、一瞬、由良さんの瞳が金色に光ったような気がしたけど……。
(気のせい……かな?)
その後、由良さんが顔だけ実巳様の方を向いて、何事か囁くと、実巳様は今までの荒々しさが嘘のように、大人しくなってしまった。
「あー……。小春さん。実巳様のことは、大目に見てあげて下さい。彼、先程の凄まじい死闘で力を使い果たしてしまって、陰陽師として再起不能になってしまったんです」
「何だと?」
再び、実巳様が顔を真っ赤にして、こちらを睨んできたが……。
「お労しいことです。でも、事実ですから、仕方ありませんよね。ねえ、皆さん」
由良さんが私の肩越しに、実巳様のご両親を一瞥すると、彼らは壊れた人形のように、こくこくと頷く。
「そうよ。この上なく辛いことだけど、実巳には、もう能力がないのよ」
「認めたくないが、そこの陰陽師の言う通りだ」
「……だそうですよ。実巳様」
「貴様……。よくも、そんな」
……が、由良さんはまったく取り合わずに、私の震える手を優しく撫でながら、きっぱり告げたのだった。
「そういうことですから、これから、実巳様は普通に働くしかないのです。陰陽師の祓戸家は解散。……君は自由なんですよ。小春さん」
あのまま、外に逃げようとしたけれど、他の妻たちから様子を見て来いと言われて、尻を蹴られてしまった。
仕方なく、行けるところまでと、覚悟を決めて摺り足で前進していたら……。
「ん?」
ふと、赤いものが目に入った。
(あれは……?)
雅さんの着物の袖だ。
いつも、一際目立つ真っ赤なものを身につけているから、すぐに分かる。
「どうして、あんなところに落ちて……?」
ぼんやり眺めていた私は、ややしてから、ハッとなった。
(あれは、雅さんそのものだ)
「雅さん!」
息を切らして、駆け寄った。
だけど、まったく反応がない。
恐る恐る、抱き起してみたら、かくっと、首が傾いだ。
「いやあぁ!」
……死んでる。
(何で? 今まで生きて、私を罵っていたじゃない?)
先程まで、私はこの人のことを恨んでいた。
何が気に入らないのか知らないけど、どうして、私が八つ当たりされて、貶められなければならなかったのか……。
生きて報復することは叶わないだろうけど、死んだ私に呪われてしまえと、本気で思っていた。
けれど、今、目を見開いたまま、モノのように転がされている姿を見て、ぽたぽたと涙が溢れた。
どんな人だって、こんなふうに死んでいいはずがない。
泣きじゃくりながら、すぐ横の微かに開いている障子戸の中を覗くと……。
「……あ」
……いた。
(いてくれた)
私がよく知っている漆黒の後ろ姿が、そこにはあった。
「由良さんっ!」
腰を抜かして、床を這いながら、私は畳部屋に転がり込んだ。
「由良さん。ああ、良かった。大丈夫ですか!? お怪我はありませんか? 雅さんが……。もう何がなんだか、分からなくて。どうして、こんな?」
言いたいことがまとまらなくて、私は指先だけ彼に伸ばした。抱きつきたいけど、力が入らない。
由良さんは、少ししてから、ゆっくりと振り向いた。
「……ああ、小春さん。君の方こそ、大丈夫なんですか?」
颯爽とその場に片膝をついた由良さんは、こくこく頷いた私に、手を差し伸べてくれた。
いつもの帽子がない。
灰色の髪に、親しみやすい垂れ目。透き通った白い肌。見惚れてしまうような完璧な容姿をしていた。
言葉を失くしている私に、由良さんの方が頬を赤らめながら答えた。
「少々派手ですけど、やはり、盛装すると映えますね。小春さん。本当は俺が君を美しく飾り立てたかったんですが……。腹立つなあ」
――なぜ、今、その話題?
(私だって、由良さんの素顔が綺麗だって絶賛したいけど)
「もう! 由良さん、それどころじゃないんですって! 雅さんが死んで…」
「死んで?」
由良さんが、目をぱちくりさせている。
「あ?」
途端、室内で倒れていた長老、実巳様の両親が「いたたっ」と一斉に呻きながら、顔を上げた。
「ううっ?」
廊下では、今まで死んでいたはずの雅さんが身じろぎをしている。
「あ……れ?」
死んでいなかった?
(でも、確かに、息していなかったはず?)
気が抜けてしまって、よろめいた私の体を、素早く由良さんが支えてくれた。
「申し訳ない。怖い思いをさせてしまいました。でも、もう終わりましたから」
「終わったって?」
「実は……」
由良さんは、こほんと一つ咳払いをしてから、堰を切ったように語り始めた。
「祓戸家の結界が破れてしまって、裏山に封じられていたはずの妖怪が、屋敷に奇襲をかけてきたんです。君が視た恐ろしい出来事は、全部妖怪の仕業です。奴は幻術の使い手なので、この場にいた人たちを死んだように、見せかけたのですよ」
「そんな……ことが」
「……できてしまうんです。妖怪なんで」
(妖怪かあ)
今まで一度も見たことがないけれど、この家に嫁いできた身としては、その存在を否定はできない。
由良さんは、ばつが悪そうに、頭を下げた。
「無事に退治しましたが、今回のことは、すべて俺のせいです。本当に申し訳ありませんでした」
「何で、由良さんが謝るんです?」
「ああ、俺……国に仕える陰陽師なんですよ。怪しい気配があったこの村に派遣されたんです。今回は、そこの実巳様と力を合わせて、妖怪を滅することに成功したのです」
へえ……としか、私は声が出なかった。
あまりにも、現実離れしすぎていた。
「陰陽師? じゃあ、由良さんは、幸三さんの息子さんじゃなかったと?」
「はい。今回は徹底して、皆を欺く必要があったのです」
「そうだったのですか。それは……大変でしたね」
「……んなはずが!」
「わっ」
突然、幽鬼のように、由良さんの背後で実巳様が立ち上がったので、私は再び、後ろにひっくり返りそうになった。
それによって、一瞬、由良さんの瞳が金色に光ったような気がしたけど……。
(気のせい……かな?)
その後、由良さんが顔だけ実巳様の方を向いて、何事か囁くと、実巳様は今までの荒々しさが嘘のように、大人しくなってしまった。
「あー……。小春さん。実巳様のことは、大目に見てあげて下さい。彼、先程の凄まじい死闘で力を使い果たしてしまって、陰陽師として再起不能になってしまったんです」
「何だと?」
再び、実巳様が顔を真っ赤にして、こちらを睨んできたが……。
「お労しいことです。でも、事実ですから、仕方ありませんよね。ねえ、皆さん」
由良さんが私の肩越しに、実巳様のご両親を一瞥すると、彼らは壊れた人形のように、こくこくと頷く。
「そうよ。この上なく辛いことだけど、実巳には、もう能力がないのよ」
「認めたくないが、そこの陰陽師の言う通りだ」
「……だそうですよ。実巳様」
「貴様……。よくも、そんな」
……が、由良さんはまったく取り合わずに、私の震える手を優しく撫でながら、きっぱり告げたのだった。
「そういうことですから、これから、実巳様は普通に働くしかないのです。陰陽師の祓戸家は解散。……君は自由なんですよ。小春さん」



