賢しい妖狐は春を愛する


 自室に戻った実巳を待っていたのは、親族たちの過酷な責め立てだった。

「当主、あの娘だけはいけませんよ! わたくしが許しませんから」

 今日も、豪奢な留袖姿を無駄に披露している母が子供のように癇癪を起している。
 背後では、父が地団駄を踏んでいた。

「あの娘は、あばら家に住む農家の娘だっていう話だぞ。そんな娘に跡取りを生ませたら、祓戸家が滅びる!」
「……はあ」

 説明すらできずに、溜息だけ吐いたら、父より更に後ろを陣取っていた祓戸家の長老連中が延々苦情を並べ始めた。

「まったく、あんな、色気も愛嬌もない娘の何がいいのだ。雅さんの方が断然いいだろう?」
「あんな野生児みたいな……」
「雅さんなら、当主殿のどんな要求も、応えてくれるぞ」

(次第に、下劣な方向に話題を持って行くのは、僕の忍耐力を試しているのか?)

 毎日、結界を補強していても、安心できない違和感。
 ずっと勘違いだと言い聞かせていたが、実巳はそれが徐々に大きくなっていることに気づいてしまった。

(何か異質なものが、屋敷の周辺にいるような……)

 その正体を掴みたくて、日頃まったく気にも留めなかった妻たちの修羅場に顔を出してみたら、実巳の懸念は、完全に当たっていた。
 小春という娘と顔を合わせた瞬間、火花が散るような鋭い妖力を感じたのだ。
 しかも、試しに小春を殴ろうとしたら、いくら力をこめても腕がまったく動かなかった。

 ――理由は一つしかなかった。

 小春が持っていた「()」。
 あれに、何者かが妖術をこめたのだ。

(妖術は妖怪にしか使えない。つまり、祓戸家の誰かが、裏山に封じた妖狐と繋がっているということだ)

 三百年分の結界だ。そう簡単に破ることはできないはずだが、しかし、万が一ということもある。

(実在すら疑っていた妖怪が、僕らを嘲笑うように暗躍していたんだ。慎重に策を練らなければならないのに)

 あの様子から、小春自身「妖狐」と接触しているという自覚はなさそうだが、人には裏の顔がある。
 裏庭で、すべてを明らかにして、小春を始末しても良かったのだが、彼女は妖術で護られているし、下手に動いて、不測の事態が起きた場合、腑抜けきった自分たちでは即応できない。
 だから、こうして一族だけで準備をする時間を設けたというのに……。

(こいつら、僕が小春を手籠めにでもすると思っていやがる)

「どうしたのです? 言いたいことがあるのでしたら、ちゃんと言ってみなさいな」

 母が困り顔で、的外れなことを言う。

「母……上」

(分からないんだな) 

 実巳の母は、祓戸の血を継いでいる。
 昔は視える人だったのに。

(もう視えないのか)

 霊力が枯れてしまったのだ。

「貴方達は信じないかもしれないが、僕はあの娘から妖気を感じている」
「妖気……。ははっ、それは穏やかではないのう」

 父がせせら笑っていた。

「面白いことを仰る。最近、お疲れなんじゃないかな。当主殿」
「そうじゃ。毎日お忙しいのだ。多少、おかしくもなるだろ。誰か良さそうな娘を繕って、数日、寝所で過ごされたらよろしい。儂たちが用意しよう」

 揃いの真っ白な髭を各々撫でながら、長老連中が下卑た笑いを振りまいた。
 実巳は立ち上がって、顔を真っ赤にして、怒鳴った。

「いい加減にしろ! 僕はおかしくなんか……」

 ……が。

(何……?)

 おかしい。
 くらくら……と、空間が回っている。
 倒れそうになる体を、実巳は必死に膝をついて支えた。
 歯を食いしばりながら、前を向く。
 ……すると。
 なぜか、その場にいる自分以外の人間の首が不自然に曲がっているように見えた。

「え?」

 幻覚か?
 有り得ないだろう。

 ――曲がる?
 ――首が……?

 とんでもない事態が起きているのだと、実感した時には、部屋にいた実巳以外の人間が、ぷつりと糸が切れた人形のように、前のめりに倒れていた。

「な……!?」

 今までの喧しさが嘘のように、辺りは森閑に包まれた。

「嘘……だろ?」

 一瞬の出来事だった。
 何者かが、首の骨をへし折って、祓戸家の重鎮たちの息の根を止めてしまったのだ。
 声が出ない。
 出そうにも、嗚咽しか漏れてこなかった。

「こんな……こんなことが」

 はあはあ、肩を上下させて、何とか呼吸をする。
 ガタッとわざと音を立てて、障子を開けたのは……。

「どうも。狡賢くて、冷酷な狐です」

 自己紹介をする妖怪だった。