賢しい妖狐は春を愛する


 実巳様を元気づけたいと願う、雅さんの気持ちは素晴らしい。
 私だって、雅さんの話を聞いただけだったら、純粋に、その健気な姿勢に涙を落としていたことだろう。

 だからこそ、町で出会った卵売りの行商さんは、雅さんの愛情に大層感動して、無料で卵を分けてくれたのだ。

「やった」

(まあ、あれは「祓戸家」の名前の力も、あっただろうけど)

 何にしても、良かった。

「ツイてたな」

 無事、お使いを果たした帰路。
 私は、達成感から浮かれていた。

「雅さんは、どんな卵料理を作るのかな?」

(……雅さん、食事を作ることは苦手そうだけど、実巳様のために、挑戦する姿勢は妻の鑑だよね)

 教えを請われなくても、それとなく、補佐することにしよう。

「うん、決めた」

 ――しかし。
 行きと同じよう、こっそり裏門から出入りしようとした私の腕は、容赦なく何者かに引っ張られた。

「いたっ」
 
 後ろに尻餅をついた私は、自分を取り囲む人の数に唖然となってしまった。

「えっ?」

 何が起こっているのか、しばらく理解ができなかった。
 だけど、私に向けられている敵意に満ちた女性達の顔と、ちらりとした見たことのない、長老の面々、旦那様のご両親などが一堂に揃っている光景を目の当たりにして、少しずつ頭が働き始めた。

(やっぱり、買い物なんて、駄目だったんじゃないの)

 さあっと、血の気が引いていく私の腕を掴んだままでいるのは、先日、遠目で見たばかりの実巳様だった。

「お前、勝手に外出しておいて、鼻歌混じりで帰ってくるなんて、良い度胸しているな?」
「申し訳ありません。ですが、私は勝手に外出などしておりません! 頼まれて、使いに出ていただけで」

 慌てて、正座になった私は戦利品の卵を掲げてみせた。
 そうして、実巳様の背後にいる雅さんに、縋るように視線を送ったのだが……。

「ああ、残念だわ。ひょろっこ。逃亡しても無駄だと知って、のこのこ穢れをつけて帰ってくるなんて。祓戸家を滅ぼすつもり?」

 返ってきたのは、裏切りだった。
 理解が追いついていかない。
 幻聴かと、疑うほどに……。

「それは……」

 酷い。
 悔しい。
 弁明よりも、感情が先走って、身体が小刻みに震える。
 雅さんは、私が呆然となっているのをいいことに得意げになって、告げ口をした。

「ふふっ。私、知っているわ。本当は貴方じゃなくて、志津という娘が嫁ぐ予定だったのよね? それを結納金目当てで、貴方が奪った。そうでなかったら、愚図で頭の悪い貴方が旦那様の妻になれるはずがないのよ」

(そうね)

 確かに、そのとおりだ。

(まんまと、この人に嵌められてしまったのだから、私は頭が悪い)

 しかし、どうして?
 私を貶めたところで、雅さんに何の利があるのだろう?

(それこそ、私なんて、手の込んだ嫌がらせをするような価値すらないでしょうに?)

「……ふん」

 沈黙を破って、つまらなそうに鼻を鳴らしたのは、実巳様だった。
 白装束の上に、薄手の黒い羽織姿。
 肩の辺りで切り揃えられた黒髪が、夕暮れの冷たい風に揺れていた。

(その格好、寒いんじゃ?)

 体の心配をしている私と違って、実巳様はこちらを値踏みするように睨みつけてきた。

「なるほど」

 そして、何を思ったのか、私が大切に抱えていた卵を蹴りあげたのだった。

(何てことを……)

 実巳様に同情していた私の一欠片の善意は、瞬時に消え去ったのだった。