賢しい妖狐は春を愛する

「実はですね。最近、旦那様にお目通りが叶った方がいて……。私なんかに、気さくに話しかけてくれるお嬢様なんですけど。やっぱり、正妻を狙うのって、大変なんじゃないかって思ってしまって……」
「はあ」
「……で。そんなことを考えていたら、旦那様も引きこもってばかりで、毎日、結界を強化したりして、お疲れなんじゃないか……と、考えちゃったんです」
「それが彼らの務めじゃないですか?」
「でも、自分で選択したわけじゃないかもしれない。戦国時代に封じられた妖怪だって、そうですよ。本当に、狡賢くて、冷酷な奴だったのかなんて分かりませんよね。もし、そんなに悪い妖怪でもなくて、封じられてしまったのなら、不憫じゃないですか」
「君は、妖怪にまで同情しているんですか?」

 由良さんは愕然としながら、溜息を吐いていた。

「いや、そうじゃないですよ。でも、その人の本質も知らないのに、怒るに怒れないというか……」

 私は食材で一杯の竹籠を背に担いだ。

「陰陽師とか、妖怪とか、存在が大きくなればなるほど、悩みだって大きくなるんじゃないでしょうか? いや、別に、私は誰かと比べて、どうとか思ってないんですよ。……でも、ヨモギを貰えて、嬉しいって喜べるうちは、まだ幸せな方なのかなって……。名前の由来とおり「小さな春」を見つけることができたら、それで充分なんじゃないかって」
「それも、お祖母様からですか?」
「へへっ。そうなんです。私に「小春」って名付けてくれたのは、祖母ちゃんなんですよ。「小さな春を見つけられるような子」になるようにって」

 私が生まれたのは、母の命日だった。
 祖母ちゃんは、立派な人間なんかにならなくていいから、生きて……小さな幸せを見つけられるような子になって欲しいと願いを込めて、この名前を贈ってくれたのだ。
 私にとって、この名前は大切な宝物だった。

「まあ、今は由良さんくらいしか、名前で呼んでくれませんけどね。図体大きいから、似合わないって」

 自嘲しながら、荷物の重みに負けないよう、腰に力を入れて、屋敷方向に歩き出す。
 長い時間、話しこんでいたら、また叱られてしまう。

(早く戻らないと……)

 ……しかし。

(どうして?)

 この時点で、結構な時間、由良さんとお喋りしているのに、誰一人文句を言いに来ないのだろう?

(まっ、怒られないに越したことはないけどさ)

「……じゃ、そういうことで、由良さん。私は仕事に戻りますね」
「あっ……待って!」
「へ?」

 袖をひょいと引っ張られて、私は後ろに転がりかけてしまった。

「ぎゃあ! 危な……危なかった。何てことするんですか?」

 転倒する方が、殴られることより、はるかに大惨事だ。

「すいません。つい。君に渡しておきたいものがあったことを、思い出して」
「だったら、突然、引っ張らないでください。貴重な食材に何かあったら、どうするんですか?」
「大変、失礼しました」

 恐縮しているのかと思いきや、なぜか、由良さんは微笑っていた。
 冷や汗たらたらの私を見て、何がおかしいのか?

(由良さんの笑いのツボが分からないな)

 ムッとして、由良さんを睨むと、帽子の縁と前髪に隠れている瞳が俄かに金色に光ったような気がした。 

「……あれ?」

 光の加減?
 何か、怖い。
 じりじりと、後退を始めた私を由良さんは逃さず、見せつけるようにして、着物の懐から紫色の袱紗を取り出したのだった。