真夜中のティータイム

「そうだね、進もうかな。戻っても窮屈なベッドの上だし、いつまで経っても、病気治らないなら、もういいかなって」
「……え?」

 みゆの言うことが飲み込めなくて、千鶴は口元まで持って来ていたティーカップをピタリと止めて、何度も瞬きを繰り返した。

「あれ、気付いてなかったんだ。店主さんは気付いてるみたいだったから、おねえさんも気付いてないふりしてるだけかと思ってた」
「えっと、一体、何の話を」

「あたしの体は、ここから見えるあの病院のベッドの上。面会時間は終わってるから、家族は近くにいないんだ」
「進むっていうのは……」
「屋台の向こうに見えるでしょ。川を渡って向こう側に行くの」

 みゆが指さす先、店主の後ろには、確かに川が見えた。ここは、何の変哲もない道のはずなのに。千鶴は、おずおずと店主を見た。さっきまでと変わらず、穏やかな笑みを浮かべて、千鶴の疑問に答えた。

「ここは、限られたお客さましか来られません。狭間にいる方々です。生死の狭間、人間と人ならざる者の狭間、他にも色々あります」
「えっと、つまり」
「あたしは今、生死を彷徨ってるところってわけ。たぶん、おねえさんもね」

 眩暈がした。自分が生死を彷徨っている? 死にかけている? 一体いつ、どこで。

「じゃあ、あたしは行くね。バイバイ」
 みゆが、屋台の椅子からぴょんと飛び降りた。今の自分の状態が気にならないわけじゃない。でも、今進もうとしているこの子を、このまま見送ってはいけない。

「待って!」
「びっくりした。おねえさん、大きな声も出るんだ」
「行っちゃだめだよ。さっき初めて会ったし、みゆちゃんのことは何も知らないけど、でも、戻ることが出来るなら、戻った方がいい」
 みゆの表情が、苦しそうに歪む。あんたに何が分かる、と言われるのは明らかだった。でも、一つだけ、千鶴でも分かることがあった。

「みゆちゃん、まゆちゃんのことが大切で、大好きだよね」
「それが何」
「みゆちゃんはずっと笑顔だったけど、そのほとんどが頑張っている笑顔だなって思った。その中で、まゆちゃんの話をしてた時が一番楽しそうに見えた」
「!」

 きっと、みゆは家族を心配させないように、たくさん笑ってみせてきたのだろう。家族のことを聞いた時、まゆは察しているかもしれない、と言っていた。双子には特別な繋がりがあると聞いたことがある。自分が生死を彷徨っていることを、まゆは気付いていると。

「大好きな、たった一人のまゆちゃんと離れ離れになるのは、きっと辛いと――」
 千鶴は自分の口から出た言葉に何か引っかかりを感じて、一度、言葉を切った。何が引っかかったのかを考えて、傍にあるティーカップを見て、思い至った。

「……もしかして、『離れたくない』って、この場所じゃなくて、まゆちゃんと?」
「違う、あたしは!」
「そうですよ」
 否定しようとしたまゆの声に被さるように、落ち着いた店主の声が響いた。

「美結さまの願いは、初めから、妹の真由さまと『離れたくない』でしたよ」
「なんで、そんなこと」
「僕の目が少し特殊でして、色々なことが視えるんです」

 店主は、髪に隠れた方の目を指さしてそう言った。髪の隙間から、ちらりと見えた目は、青みがかっていて、全てを見透かすような、普通の人間が持つものではない。それを感覚で理解した。理解させられた。
 否定をやめたみゆは、脱力して地面にへたり込んでしまった。力なく、ははは、と笑っている。

「自分すら、騙せてないじゃん、あたし」
「みゆちゃん……」
「あたしがいるから、まゆはしたいことが出来ない。全部、あたしが中心になってるから。まゆに我慢させてる。でも、離れたくない。一緒に居たいに決まってるじゃん……!」

 千鶴は、唇を噛みしめて俯いているみゆを、そっと抱きしめた。その苦しそうな表情と声に、千鶴まで辛くなる。実際、少し涙が零れて、みゆの白いシャツの上にぽとりと落ちた。
 落ち着いてから、みゆをゆっくりと立ち上がらせて、二人で屋台の椅子に座り直した。店主は、神妙な面持ちで口を開いた。

「もう一つ、お伝えしておくことがあります。ここの紅茶は特別製で、飲んだ人の願いを、後押しする力が働きます。美結さまが戻らず、向こう側へ行くことを選ぶのなら、紅茶が願いを叶えようとして、真由さまも一緒に連れて行ってしまうかもしれません」
「なっ……!」

 みゆは絶句した。千鶴も驚いてとっさに声が出なかった。この場所も店主も普通ではないと分かってきたところだったが、紅茶まで、普通ではないなんて。

「そんなの絶対にだめ! 嫌!!」
 みゆが噛み付くような勢いで、テーブル越しに店主に詰め寄った。店主は神妙な面持ちのまま、みゆを見つめ返している。

「……まゆを連れて行くなんて、絶対に許さない! あたしが、まゆを守る! 絶対に渡さないから」

 強い口調で、みゆは店主に言葉を投げかけた。揺るがない想いがその目の力強さになっている。隣で見ていた千鶴も気圧されたくらいだ。
 真正面から、みゆの言葉と想いを受け止めた店主は、安心した表情になり、みゆに微笑みかけた。

「では、何としてでも、戻らなければいけませんね」

 穏やかな店主の口調に、ふっと、みゆの肩から力が抜けたように見えた。毒気が抜かれたような、少し拗ねたような表情になった。

「分かった、戻る。戻ればいいんでしょ!」
 駄々っ子のような言葉ではあったが、どこかすっきりとした顔で言った。もう心配のいらないみゆの様子に、千鶴はほっとした。

「ねえ、おねえさんも、一緒に戻ろう」
「私は――」
「笹原さまは、まだだめです」
 千鶴が答えようとするよりも前に、店主に止められてしまった。みゆは、むっとした顔をして、立ち上がりかけたのを、座り直した。

「じゃあ、あたしも待ってる」
「それもだめです」
「なんで!」
「美結さまご自身が分かっているでしょう。これ以上体を長く離れすぎるのは、危険です。戻る意志があるのなら、早い方がいい」
「……っ」

 みゆは、唇を噛んで押し黙ってしまった。せっかく戻ると決めたのに、千鶴のせいで危険にさらされるなんて、あってはならない。千鶴は、みゆと視線を合わせて、笑顔を見せた。

「大丈夫。みゆちゃんは先に戻っていて。私もすぐに戻るから」
「本当?」
 千鶴は、一度大きく頷いた。みゆはまだ何か言いたそうにしていたが、それを飲み込んで、分かったと言ってくれた。

「あたしの名前は、古賀美結。あの病院にいるから、会いに来て。今みたいな可愛い恰好はしてないけど、でも、おねえさんと、また会いたい」
「分かった。会いに行くね」
 みゆは、少し名残惜しそうにしつつも、屋台を出てからは振り返ることなく、走っていった。道の角を曲がったところで、見えなくなった。

「ちゃんと、戻れたかな」
「はい。無事に体の方に戻ることが出来たようです」

 店主が、病院の方向を見ながらそう言った。どうして、と言いかけて、店主の方から青い方の目を指さして微笑まれた。視えている、ということだろうか。