役目を終えたはずの巫女でした ― 選ばれなかった時間の続き ―

結界修正を終え、桜は静かに息を吐いた。

昨日の揺らぎの影響は、ほとんど感じられない。

いつもと変わらない感触。

「昨日の影響、ほとんどなかったんですね」

リエットが穏やかに頷く。

「ええ。サクラ様のお力が必要なほどではありませんでした」

桜はその言葉にほっとする。

そして、視線を上げる。

「ひとつ、聞いてもいいですか」

二人が静かに向き直る。

「王宮に魔物が出るのは……普通のことなんですか」

クロトの視線が、ほんのわずかに揺れる。

リエットは迷わない。

「普通ではありません」

静かな声。

「揺らぎそのものは、どの時代にも存在していました」

「ですが、これまで王宮内で発生することはありませんでした」

桜は黙って聞く。

「サクラ様の修正は、結界を縫い合わせながら補強する方法です」

「縫い目が増える以上、力の流れがわずかに乱れる箇所が生じます」

責める響きはない。

「その影響が、今回は王宮内に現れました」

「起こり得る範囲で起きただけです」

桜は小さく息を吸う。

どこかで分かっていたことだった。

自分だけの責任ではない。

けれど、無関係でもない。

「今は私しかできないので」

二人に向き直る。

「皆さんにはご負担をおかけしていると思います」

少しだけ微笑む。

「よろしくお願いします」

クロトが静かに口を開く。

「いえ。仕事ですから」

リエットも続ける。

「私も、よろしくお願いいたします」

桜は小さく頷いた。

そして、続ける。

「……それと」

視線を上げる。

「凜のことなんですけど」

ほんの少し迷ってから、言葉を選ぶ。

「交代が起きた理由も、今後のことも……凜と、きちんと話そうと思っています」

昨日の魔物の姿が、ふと脳裏をよぎる。

「たぶん、あの子も気づいていると思うんです」

「なぜ交代が起きたのかも」

「でも、あえて深く考えないようにしている気がして」

小さく息を吐く。

「凜、今、学生生活をとても楽しんでいて」

「友達も多くて、毎日がにぎやかで」

――少し、うらやましいなと思う。

「だから、出来るだけ今のままでいたいんだと思います」

凜ちゃんの話をしながら、改めて思う。

この世界で過ごせる時間は、もう、そう長くはない。

「その気持ちは……分かるんです」

責めるつもりはない。

ただ、理解したい。

「でも」

二人を見る。

「今回のことで、凜と向き合わないといけないって思いました」

「私も、ずっと先送りにしてきたので」

リエットは静かに頷く。

「それが最善でしょう」

クロトは、何も言わない。

ほんのわずかに、視線が伏せられる。

その表情を見て、桜は思う。

きっと、交代がきちんと行われるかどうか、心配しているのだろう。

ちゃんと引き継げれば、クロトさんも、リエット様も、皆も安心してくれる。

だからこそ。

凜ちゃんと、きちんと話そう。

――――――――――

桜の部屋の扉を、クロトがいつも通り開ける。

桜が中へ入ろうとしたところで、ふと足を止めた。

さきほど結界に触れたときに感じた、昨日の戦闘の痕跡。

結界に刻まれた力の流れ。

その中心にあったのは――クロトの魔力だった。

桜は振り返る。

「昨日の魔物、なんか異様で」

少し迷ってから続ける。

「クロトさん、随分無理したんじゃないですか」

クロトは表情を変えない。

「仕事ですから」

いつもの答え。

桜は内心で小さくため息をつく。

私には無理するなって言うのに、自分は無理ばかりする。

守られている立場で言うことじゃないのも分かっている。

それでも。

「それでも、心配します」

クロトの視線が止まる。

ほんの一瞬だけ。

「……ありがとうございます」

すぐに続ける。

「ですが、問題ありません」

桜は頷く。

納得したわけではない。

けれど、それ以上踏み込めないことも分かっている。

クロトは一礼する。

桜の言葉を、ただの優しさとして受け取ったまま。

扉の向こうへ入る直前、桜は思う。

やっぱり、この人は一人で抱え込む。

いつか、無理をしすぎて、壊れてしまうのではないかと。

そんな不安が、胸の奥に残った。