役目を終えたはずの巫女でした ― 選ばれなかった時間の続き ―

日本へ向かう結界の中で、桜は小さく息を吐いた。

――なんて話そう。

お母さんとお姉ちゃんに、ちゃんと話さないと。

そう決めたはずなのに、いざとなると、どこから話したらいいのか分からない。

それでも。

桜は一歩、結界内に現れた鏡へと足を踏み入れた。

次の瞬間、視界が開ける。

そして――

「……え?」

思わず、声が漏れた。

そこには、母の祐子と、姉の椿、そして凜と――凜の母の華子がいた。

「どうしたの?!」

思わず声が上ずる。

凜が、あっさりと口を開いた。

「桜ちゃん、私と巫女、交代だよね」

「そうだけど……凜ちゃん、分かったの?」

「うん、なんか昨日、夢で見てさ」

あまりにも軽い言い方に、桜は一瞬きょとんとする。

それから、ふっと肩の力が抜けた。

「そっか……」

小さく息をつく。

「あと、よろしくね。凜ちゃん」

凜は軽くうなずく。

そして――

「……で?」

じっと、桜の目を見る。

「どうなの?」

「どうって……?」

言いかけて。

少し遅れて、その意味に気づく。

空気が、変わった。

母が、静かに口を開く。

「桜、どうしたいのか、決めたのね?」

桜は、こくりと頷いた。

少しだけ息を吸って。

「私、あっちの世界で……騎士のクロトさんと」

一度、言葉が詰まる。

それでも続ける。

「結婚することになって」

「えっ」

姉が目を見開いた。

「け、結婚?!展開、早くない?」

桜の顔が一気に赤くなる。

「さ、さすがに、すぐではないと思うけど……」

言いながら、そっと視線を逸らす。

その横で、凜がふっと笑う。

「だから言ったでしょ。クロトさん、絶対に桜ちゃんのこと好きだって」

皆の方を見ながら、さらっと言う。

少しだけ苦笑して続けた。

「でも、あの人なら……なんとなく、すぐプロポーズしそうな雰囲気ではあるよね」

「えっ……?」

桜は目を白黒させる。

「ちょっと、凜ちゃん……?」

凜は、少しだけ困ったように笑った。

「ほら、前に言ったよね。桜ちゃん、クロトさんのこと好きでしょって」

「あの時は言わなかったけど……クロトさんも、たぶんそうだろうなって思ってて」

「だから、桜ちゃん、向こうに行っちゃうかもって、どこかで思ってたんだよね」

一度、母たちへ視線を向ける。

「一応、みんなには話してあって」

桜が固まる。

凜は少しだけ申し訳なさそうに続けた。

「だって、桜ちゃんを向こうに送る手助けするの、私だし」

「だから……ちゃんと話しておかないとって思って」

少しだけ目を伏せる。

「ごめんね、桜ちゃんには何も言えなくて」

桜は小さく首を振った。

「ううん。あの時言われても、たぶん絶対に信じなかったと思うから」

その隣で、華子が肩をすくめる。

「だから言ったでしょ。人生、何があるか分からないって」

椿が腕を組みながら、じっと桜を見る。

「……あんたが、結婚ね」

少しだけ間を置いて、口元を緩めた。

「姉としては、普通に嬉しいわ」

「まぁ、私も来年結婚するけど」

「え?」

桜が目を見開く。

「ちょ、そんなの聞いてないけど」

椿は苦笑いを浮かべた。

「あんた忙しそうだったし」

「まぁ、こっちは10年付き合って、やっとって感じだけど」

「……10年」

桜は思わず呟く。

そして、ぽつりと。

「……結婚式、出たかったな」

椿は肩をすくめる。

「それはこっちのセリフでしょ」

「私たちの方が、桜の結婚式見たかったわよ」

「異世界の結婚式とか、絶対すごそうだしね」

軽く笑いながら言う。

それから、ぽん、と桜の背中を叩いた。

「まぁ、近くに住むから、お母さんのことは任せなさい」

そのやり取りを見ていた祐子が、静かに口を開く。

「あんたたちは、自分の人生だけ考えなさい」

さらりとした口調だった。

「頼るつもりはないから」

そのまま、桜へと視線を向ける。

「それに、前にも言ったでしょ?」

「一年に一回、顔が見られるだけでも、私は十分よ」

ぽん、と桜の肩を軽く叩く。

「だから、向こうでクロトさんと上手くやることだけ考えなさい」

桜は、何も言えずに頷いた。

その空気を切るように、凜が口を開く。

「じゃあ、桜ちゃん。私、向こうに行ってくるね」

そう言って、華子の方を見る。

華子は、短くうなずいた。

「頑張りなさい」

凜は小さく息を吸って、うなずく。

その横から、祐子が声をかけた。

「凜ちゃん」

凜が振り向く。

「クロトさんに、娘をくれぐれもよろしくと伝えてね」

凜は一瞬だけ目を丸くして、それから、ふっと笑った。

「うん。ちゃんと伝える」

そして。

桜が、少しためらいながら口を開く。

「あの……凜ちゃん」

凜が振り返る。

「私のこと、大変かもしれないけど……よろしくお願いします」

その言葉に、凜は照れくさそうに笑った。

「やめてよ、桜ちゃん」

「私もさ、あっちに桜ちゃんがいると思うと心強いし」

少しだけ柔らかく言う。

「じゃあね」

そう言って、凜は鏡へと足を踏み入れた。

光が揺らぎ、その姿はゆっくりと消えていく。

やがて、その姿は完全に見えなくなった。