――お前さ、わかってるよな。俺がずっと誰を見ていたのか。
オレンジ色の夕日が差し込んでくる教室で、直人が低い声で言う。その声に僕はなにも答えられなくなる。難しいことを求められているからじゃない。そうじゃなくて。
――わかっててなにも言わないのは、どうして? 俺が嫌いだから? もし、そうなら……。
ばさばさと、直人の背後でカーテンが風にはためいている。まるで大きな翼みたいに。
それを見ていたら、怖くなった。
今、言わないと直人が遠くに行ってしまいそうで。だから、僕は……。
「おーい、飛世? 飛世ってば。おいこら、飛世灯~」
声をかけられてはっとする。
いけない。つい夢中になって書いてしまっていた。
さりげなくノートパソコンの画面を切り替える。画面は見られていないだろうけれど、ドアが開いた音にすら気付かないほど没頭するなんてのはいただけない。
「すみません。集中していて。会長、珍しいですね」
にこやかに笑って戸口に顔を向けると、生徒会長の春田先輩がいつも通りの気怠い様子で伸びをしながら生徒会室に入ってくるところだった。
「生徒会室に会長が顔を出して珍しいと言われるとは。俺も行いを正さないといけないねえ」
「そうですね。書記の俺しか、最近来ませんからねえ」
……おかげでのびのびと執筆できるのですが。
なんてことはもちろん言わずに、俺は春田先輩のためにお茶を淹れようと立ち上がる。
「生徒会なんて面倒ごとが多いのに。飛世くらいだよなあ、面倒がらずにやってくれるのは」
湯気が上がるマグカップにふうふうと息を吹きかけながら春田先輩は言う。その先輩に俺は曖昧に笑う。
うん、確かに俺は春田先輩にこの生徒会にスカウトされて以来、まあまあ良い働きをしているとは思う。だが、先輩は誤解している。
面倒がらず、なわけがない。面倒に決まっている。
生徒会の仕事なんて文化祭とか、体育祭とか、イベントごとの企画、運営くらいだろうと高をくくっていたのに、こんなに業務量が多いなんて聞いてなかった。とんだ誤算だ。
校則の改善提案、各種委員会の取りまとめ、生徒総会開催、進行、募金活動、他校との交流会参加、その他もろもろが梅雨時の雨みたいにひっきりなしに降ってくるのだ。
にもかかわらず、ここの生徒会役員はそろいもそろって働かない。会長の春田先輩もそうだし、副会長の井本先輩も、会計の霧島も俺が招集をかけないと生徒会室に来ない。
ここ西邦学園は東大進学者を毎年出すほどの進学校だから皆、勉強が忙しいのはわかるが、内申に書ける最低ラインのエコな活動を役員みんなが目指してどうするんだ、と怒鳴りたくなる。
そんな状態だから、内申点稼ぎで役員になったわけではない俺が、身を削って頑張る理由はない。それでも俺が生徒会に居続けるのは。
「面倒ですけど、ここ、うちより相当静かなんで、勉強めっちゃはかどるんですよ」
そう、ここを去ると、俺はこの静かな生徒会室を自由に使えなくなる。それは困る。
「五人兄弟だっけ。飛世のとこ」
ようやく冷めてきたのか、ずずっと音を立ててお茶をすすりながら春田先輩に問われ、俺は苦笑いしつつ頷く。
「俺が一番上で、中三、中一、小五の双子がいて。部屋ないんですよね、俺。勉強もできないし。なので、ここ、自由に使わせてもらえるのはぶっちゃけ助かるんですよ」
「仕事でこき使われても?」
「それはまあ、程度によりますけど」
そう、程度による。あまりにも手に余る仕事だった場合は、さすがに逃げ出すかも。
とは言わずに、よそゆきの顔をしてパソコンに向き直る。開いていた投稿サイトをさりげなく閉じたとき、そうだった、と春田先輩が声のトーンを上げた。
「飛世に頼みがあって来たんだった」
「お茶、飲みにきたんじゃなかったんですか」
「仕事もせずお茶だけ飲みに来たりしませんよ。君はなにを言っているのかね……ってなんだろうな、言えば言うほど自分の首を絞めそうだな。まあいいや、あのね、実は生徒会に新メンバー入れようと思ってて。その子の面倒、飛世が見てくれないかなと」
「新メンバー?」
「いやだってさ、あまりにみんな働かないじゃん。俺も含めて。なので、執行役員としてひとりスカウトしたの。飛世知らない? 1ーBの天間あらた」
俺は1ーDだ。1ーBのやつとなるとちょっとわからない。が、春田先輩は気にする様子もなくお茶を飲み干し立ち上がる。
「今日ね、ここ来るよう言ってあるから。仕事のこと、教えてあげてくれる? あー、大丈夫大丈夫、コミュ力はあるやつだと思うし、飛世とならうまくやれるだろうから」
「……はあ」
……面倒だ。
というか、いらない。新メンバーなんて。だってそんなのに入ってこられたら、自由に執筆できなくなっちゃうじゃないか。
言いたい。そういうのいらないです、と言いたい!
でも言えない。
俺がBL小説を心置きなく書ける場所を求めて生徒会に入ったなんて、絶対、言えない。
「まあ、俺も下っ端なのでわかる範囲で……」
せいぜいが消極的な態度を先輩に見せておくくらいしかできない。
不満顔をしっかり見せたというのに、春田先輩には全然伝わらなかったらしい。じゃああと任せたよ~、と先輩は晴れやかな顔で去って行ってしまった。再び貸し切りになった生徒会室で、俺は机にうつ伏せる。
「くそめんどい……」
天間がどんな人間かは知らないが、めちゃくちゃやる気あるやつだったらどうしよう。確実に執筆できない。
生徒会、やめようかなあ面倒だしメリットなくなるし、と机に向かって愚痴を吐き出したとき、からり、と入り口の扉が再び滑った。慌てて顔を上げた俺を見返したのは、背の高い男。
「あー、と」
見覚えはない。けれど、もしかしてこれが。
「天間くん?」
呼びかけると首を引くようにして頷いた。ただ声は発しない。緊張しているのだろうか、と首を傾げつつ、とりあえず俺も立ち上がってみる。
「ごめん、会長、さっきまでいたんだけど、もう帰っちゃってて。あ、俺は書記の飛世灯。1年D組だから、天間くんとははじめましてだよね。よろしく」
にこやかに挨拶してみるけれど、やっぱり返事がない。
おかしいな。コミュ力は高めって聞いた気がするけれど。
怪訝に思いながら、突っ立ったままの相手を観察する。
最初の印象通り、背はやはり高い。俺より二十センチ以上高いのではないだろうか。うちの学校の生徒にしては珍しく、髪色は金に近い茶色で、左耳にだけ赤い石の一粒ピアスをしている。制服も着崩しているし、まあ、チャラく見える。ただ、顔立ちは整っていて、肌もつるりとしていて、すこぶるもてそうだ。もっとも表情はつんと尖っているから、近寄ったら手ひどい言葉を浴びせられそうな気配もあるけど。
と、まあ、見た目はどうでもいい。大事なのは、こっちの邪魔をしないタイプかどうか、それだけだ。
「あの、春田先輩からも聞いてるとは思うけど、うちの生徒会ね、みんなここぞというときしか仕事しないんだよ。だから毎日、来る必要はなくて」
「でも飛世は毎日、来てるんだよね?」
突然、目の前の彼が口を利いた。その声を聞いて少し驚く。
派手な外見とは裏腹な、やけにしっとりとした深い声だったから。
イケボ男子ってやつか、今度小説に使おう、と脳内にメモしつつ、俺はにっこりと笑う。
「あー、まあ。でも、それも義務ってわけじゃないから。天間くんは毎日来なくても……」
「俺がここに来るとBL小説書けなくなるから困る?」
不意打ち過ぎて、反応できなかった。
こいつ今、なんて言った?
BL小説がどうとか、言わなかったか……?
なんで? 俺は周りに覚られるようなドジは断じて踏んでいない。なのに、なんで……。
完全にフリーズしている俺を見つめたまま、彼は戸口を離れてこちらに歩み寄ってくる。大股で迷いなく、まっすぐに。
そうされて、一歩下がってしまったのはなんでなのか。
どういう事情でかは知らないが、秘密を知られていることに危機感を覚えたからか。
それとも、なんとはなしに本能的に、こいつはヤバいやつだと感じ取っていたのか。
わからないけれど、とにもかくにも、黙っているままの今の状態は、絶対にまずい。
「ちょっと、なに言ってるか、わかんないんだけど」
「飛魚焔」
逃げ道を塞ぐみたいにさらっと言われて、今度こそ飛び上がりそうになる。
飛魚焔。それは。
「飛世のペンネームじゃないの?」
なんで、こいつ……。
くすっと天間が笑う。顔立ちは天使のようなのに、悪魔みたいな笑顔だった。
「知ったときはびっくりした。意外すぎたから」
「ごめん。本気でなにを言っているかわからないんだけど。BLどころか、小説自体、俺は書かないし、読まないけど」
我ながら完璧なはてな顔ができたはずだ。声も揺れていなかった、はず……。
にもかかわらず、こちらに返されたのはおかしくて仕方ないと言いたげな笑い声だった。
端正な顔がくしゃっと崩れ、一気に表情が変わる。こういう表情変化を小説だとどう書くんだっけ。万華鏡を回したみたいに? それとも秋の空みたい?
俺がぐるぐる考えている間にも彼の爆笑は止まらない。
「怯えすぎ。飛世でもそんな顔するんだね」
「怯えてなんて。俺は本当に……」
なんとか言い繕おうとしたけれど、天間は聞く耳を持たず笑い続けた。腰を折ってさんざん笑って笑って……まさに笑い転げるというのがぴったりなくらい笑ってから、ようやく気が済んだのか、おもむろに背筋を伸ばし、すうっと目を眇める。
「ってかさ、そもそも飛世がどう言おうがあんまり関係ないんだよね」
さっきまでの全開の笑顔を九割くらい捨てた、ごくごく薄い笑みを浮かべて天間はこちらを見下ろす。顎を上げないと見上げられないくらい背が高い。それが地味にむかつく。
「俺は飛世がBL書いてること、知ってるし」
「……なんか誤解あるみたいだけど、俺は絶対、そんなの書いてないから」
「声、震えてるけど」
面白そうに顔を覗き込まれ、俺はとっさに顔を背ける。そこで、しまった、と慌てた。
目を逸らすなんて、やましいことがありますといわんばかりの態度じゃないだろうか。
ああ、もう、なにがどうなってこんなやつにばれたのだろう。そもそもこいつはなに目的でこんなことを言ってくる? ってこいつって……そもそも一体なに?
「……さっきから気になってたんだけど、初対面なのに態度おかしくない? そもそも俺は春田先輩に言われて、お前の面倒みるように言われてるわけなんだけど。その俺がなんでお前に爆笑されないといけないわけ?」
とにかく落ち着け。落ち着いて切り抜けろ。大丈夫、俺ならできるはず……と自分を鼓舞しながら目の前の男を睨むと、長い首がすうっと傾げられた。
「お前、か」
「なに」
「君呼びじゃないほうがいいな。なんか親近感湧く」
はあああ?
なに、こいつ、ヤバい。キモい。
気味悪さを覚え、俺が一歩あとずさると、天間はまた軽く肩を震わせて笑ってからなにを思ったのか、机の上に置いていた俺のノートパソコンに手を触れた。指の長い手がさらっとパソコンの背面を撫でる。
「なんか話が進まないからはっきり言うことにする。飛世がいくら知らないって言っても、俺は持ってるんだよ。お前が飛魚焔だっていう証拠」
「……は? いい加減なこと言うな。証拠あるなら今ここで……」
「うーん。出したら出したでまたごちゃごちゃ言うんだろ。だから言いたくない。ちっとも本題に入れないし」
本題ってなんだ! というか、証拠があるとまで言い出したということは、こいつ、それで俺を脅すつもりなのだろうか。冗談じゃない。脅迫に屈してたまるか、と憤ったけれど、頭の片隅でひっそりと思ってもいた。
実際のところ……俺がBL小説を書いていることを知っている人類はひとりもいない。親や弟達はもちろん、幼馴染にもクラスメイトにも、誰にも知られないように細心の注意を払ってここまでやってきたのだ。小説を書いている人間なんて珍しくないかもしれないけれど、男で、高校生で、BL小説をごりごり書いている、それどころかプロになろうとさえ考えているというのは珍しいのではないか。そんな珍しい部類に自分が属することを俺は……恥ずかしいと思っていた。
書いているジャンルが、ホラーだとか、ヒューマンドラマだとか、現代ファンタジーだとかなら問題ないかもしれない。でもBLは……やっぱり人に言いにくい。というか、リアルの知り合いに知られたら、どんな顔をしていいんだかわからない。だってそうだろう。表では完璧な優等生、優しいお兄ちゃん、にこやかなクラスメイト、みたいな顔をしているのだ。それが裏では男子同士の恋愛小説をひたすら書き綴っているなんて……。だめだ、想像しただけで爆発しそうだ。
その俺の生活を終了に導くかもしれない爆弾をこいつは所持していると言うのだ。
ああ、どうしよう。どうしたらその爆弾、手放してもらえるのだろう。BL展開で考えるなら下僕になるとかそういう感じか? いやいやまさか。冷静になれ、俺……。
「誤解がないように言っておきたいんだけど、俺はその証拠、ばらまきたいとは思ってないんだよ」
打ちひしがれていたところに突然蜘蛛の糸が垂らされる。ばっと顔を上げると、面白そうな顔をしてこちらを見つめる天間の顔がすぐそばにあった。
「もともと頼みたいことがあって飛世を見てただけだから、正直、飛世がなに書いていようがどうでもいい。でも知っちゃったからには利用したほうが話が早いのかな、とも思い始めてはいる」
「……やっぱり脅迫とかするってこと?」
「そんなひどいことしないって」
くつくつと天間が笑う。笑顔自体は人懐っこく見える。でも次に続けられた言葉に俺は心底驚いて、窓際まで大きく後退してしまった。
だって、だって……。
「ちょこっとね、お前の唇、借りたいって思ってるだけ」
「く、唇って、あの、え、ど……」
「いや、だから。ここ」
言いつつ、天間が歩を詰めてくる。窓際まで追い詰められてしまっているので、それ以上距離を取れない。あわああわしている間に、長い指先がすうっと伸びてくる。
長い指が検分するようにすうっと俺の上唇と下唇をなぞった。
「お前のここ、貸してって言ってるの」
見た目通りの冷たい指先の感触に俺は凍り付く。
唇? え、唇? 貸すってなに? 貸すってまさか。
「あー、違う違う」
俺の脳内を覗いたみたいに天間が大きく首を振る。柔らかそうな金茶の髪がさらさらと揺れた。と同時にすっと指が唇から離れた。
「飛世、BL脳、やばすぎ。そんな顔しても、キスなんてしてやらないよ」
「はああっ……?! 誰がそんなっ」
冗談じゃない! 誰がお前とキスしたいなんて言った!
憤然とする俺を置いてきぼりに天間はポケットからスマホを引っ張り出している。
「俺、美術部なんだよ。で、俺がずっと描いてるメインテーマが『唇』なの」
怒りに震える俺の前に、ずいっと突き出されたスマホには画像が映し出されていた。
絵画のようだ。全体的に蒼い。濃淡さまざまな青が無数の人影を形作っている。目も鼻も耳もない。のっぺらぼうのように見える人影。でもひとつだけ、描かれているパーツがあった。
それは唇。
顔のない人の波の中、赤みを抱いた唇達だけが蒼い世界の中で浮いていた。
「俺、お前のこと、ずっと見てた。総会のとき、ステージの上にいるお前の唇、すごくいいって思ってたから。なあ、飛世」
俺の視界から蒼い人影たちが遠ざかる。元通りスマホをポケットに戻した天間がうっすらと笑う。
「お前の唇に惚れた。だから、俺にお前の唇、貸してくんない?」
―――第一話完―――
オレンジ色の夕日が差し込んでくる教室で、直人が低い声で言う。その声に僕はなにも答えられなくなる。難しいことを求められているからじゃない。そうじゃなくて。
――わかっててなにも言わないのは、どうして? 俺が嫌いだから? もし、そうなら……。
ばさばさと、直人の背後でカーテンが風にはためいている。まるで大きな翼みたいに。
それを見ていたら、怖くなった。
今、言わないと直人が遠くに行ってしまいそうで。だから、僕は……。
「おーい、飛世? 飛世ってば。おいこら、飛世灯~」
声をかけられてはっとする。
いけない。つい夢中になって書いてしまっていた。
さりげなくノートパソコンの画面を切り替える。画面は見られていないだろうけれど、ドアが開いた音にすら気付かないほど没頭するなんてのはいただけない。
「すみません。集中していて。会長、珍しいですね」
にこやかに笑って戸口に顔を向けると、生徒会長の春田先輩がいつも通りの気怠い様子で伸びをしながら生徒会室に入ってくるところだった。
「生徒会室に会長が顔を出して珍しいと言われるとは。俺も行いを正さないといけないねえ」
「そうですね。書記の俺しか、最近来ませんからねえ」
……おかげでのびのびと執筆できるのですが。
なんてことはもちろん言わずに、俺は春田先輩のためにお茶を淹れようと立ち上がる。
「生徒会なんて面倒ごとが多いのに。飛世くらいだよなあ、面倒がらずにやってくれるのは」
湯気が上がるマグカップにふうふうと息を吹きかけながら春田先輩は言う。その先輩に俺は曖昧に笑う。
うん、確かに俺は春田先輩にこの生徒会にスカウトされて以来、まあまあ良い働きをしているとは思う。だが、先輩は誤解している。
面倒がらず、なわけがない。面倒に決まっている。
生徒会の仕事なんて文化祭とか、体育祭とか、イベントごとの企画、運営くらいだろうと高をくくっていたのに、こんなに業務量が多いなんて聞いてなかった。とんだ誤算だ。
校則の改善提案、各種委員会の取りまとめ、生徒総会開催、進行、募金活動、他校との交流会参加、その他もろもろが梅雨時の雨みたいにひっきりなしに降ってくるのだ。
にもかかわらず、ここの生徒会役員はそろいもそろって働かない。会長の春田先輩もそうだし、副会長の井本先輩も、会計の霧島も俺が招集をかけないと生徒会室に来ない。
ここ西邦学園は東大進学者を毎年出すほどの進学校だから皆、勉強が忙しいのはわかるが、内申に書ける最低ラインのエコな活動を役員みんなが目指してどうするんだ、と怒鳴りたくなる。
そんな状態だから、内申点稼ぎで役員になったわけではない俺が、身を削って頑張る理由はない。それでも俺が生徒会に居続けるのは。
「面倒ですけど、ここ、うちより相当静かなんで、勉強めっちゃはかどるんですよ」
そう、ここを去ると、俺はこの静かな生徒会室を自由に使えなくなる。それは困る。
「五人兄弟だっけ。飛世のとこ」
ようやく冷めてきたのか、ずずっと音を立ててお茶をすすりながら春田先輩に問われ、俺は苦笑いしつつ頷く。
「俺が一番上で、中三、中一、小五の双子がいて。部屋ないんですよね、俺。勉強もできないし。なので、ここ、自由に使わせてもらえるのはぶっちゃけ助かるんですよ」
「仕事でこき使われても?」
「それはまあ、程度によりますけど」
そう、程度による。あまりにも手に余る仕事だった場合は、さすがに逃げ出すかも。
とは言わずに、よそゆきの顔をしてパソコンに向き直る。開いていた投稿サイトをさりげなく閉じたとき、そうだった、と春田先輩が声のトーンを上げた。
「飛世に頼みがあって来たんだった」
「お茶、飲みにきたんじゃなかったんですか」
「仕事もせずお茶だけ飲みに来たりしませんよ。君はなにを言っているのかね……ってなんだろうな、言えば言うほど自分の首を絞めそうだな。まあいいや、あのね、実は生徒会に新メンバー入れようと思ってて。その子の面倒、飛世が見てくれないかなと」
「新メンバー?」
「いやだってさ、あまりにみんな働かないじゃん。俺も含めて。なので、執行役員としてひとりスカウトしたの。飛世知らない? 1ーBの天間あらた」
俺は1ーDだ。1ーBのやつとなるとちょっとわからない。が、春田先輩は気にする様子もなくお茶を飲み干し立ち上がる。
「今日ね、ここ来るよう言ってあるから。仕事のこと、教えてあげてくれる? あー、大丈夫大丈夫、コミュ力はあるやつだと思うし、飛世とならうまくやれるだろうから」
「……はあ」
……面倒だ。
というか、いらない。新メンバーなんて。だってそんなのに入ってこられたら、自由に執筆できなくなっちゃうじゃないか。
言いたい。そういうのいらないです、と言いたい!
でも言えない。
俺がBL小説を心置きなく書ける場所を求めて生徒会に入ったなんて、絶対、言えない。
「まあ、俺も下っ端なのでわかる範囲で……」
せいぜいが消極的な態度を先輩に見せておくくらいしかできない。
不満顔をしっかり見せたというのに、春田先輩には全然伝わらなかったらしい。じゃああと任せたよ~、と先輩は晴れやかな顔で去って行ってしまった。再び貸し切りになった生徒会室で、俺は机にうつ伏せる。
「くそめんどい……」
天間がどんな人間かは知らないが、めちゃくちゃやる気あるやつだったらどうしよう。確実に執筆できない。
生徒会、やめようかなあ面倒だしメリットなくなるし、と机に向かって愚痴を吐き出したとき、からり、と入り口の扉が再び滑った。慌てて顔を上げた俺を見返したのは、背の高い男。
「あー、と」
見覚えはない。けれど、もしかしてこれが。
「天間くん?」
呼びかけると首を引くようにして頷いた。ただ声は発しない。緊張しているのだろうか、と首を傾げつつ、とりあえず俺も立ち上がってみる。
「ごめん、会長、さっきまでいたんだけど、もう帰っちゃってて。あ、俺は書記の飛世灯。1年D組だから、天間くんとははじめましてだよね。よろしく」
にこやかに挨拶してみるけれど、やっぱり返事がない。
おかしいな。コミュ力は高めって聞いた気がするけれど。
怪訝に思いながら、突っ立ったままの相手を観察する。
最初の印象通り、背はやはり高い。俺より二十センチ以上高いのではないだろうか。うちの学校の生徒にしては珍しく、髪色は金に近い茶色で、左耳にだけ赤い石の一粒ピアスをしている。制服も着崩しているし、まあ、チャラく見える。ただ、顔立ちは整っていて、肌もつるりとしていて、すこぶるもてそうだ。もっとも表情はつんと尖っているから、近寄ったら手ひどい言葉を浴びせられそうな気配もあるけど。
と、まあ、見た目はどうでもいい。大事なのは、こっちの邪魔をしないタイプかどうか、それだけだ。
「あの、春田先輩からも聞いてるとは思うけど、うちの生徒会ね、みんなここぞというときしか仕事しないんだよ。だから毎日、来る必要はなくて」
「でも飛世は毎日、来てるんだよね?」
突然、目の前の彼が口を利いた。その声を聞いて少し驚く。
派手な外見とは裏腹な、やけにしっとりとした深い声だったから。
イケボ男子ってやつか、今度小説に使おう、と脳内にメモしつつ、俺はにっこりと笑う。
「あー、まあ。でも、それも義務ってわけじゃないから。天間くんは毎日来なくても……」
「俺がここに来るとBL小説書けなくなるから困る?」
不意打ち過ぎて、反応できなかった。
こいつ今、なんて言った?
BL小説がどうとか、言わなかったか……?
なんで? 俺は周りに覚られるようなドジは断じて踏んでいない。なのに、なんで……。
完全にフリーズしている俺を見つめたまま、彼は戸口を離れてこちらに歩み寄ってくる。大股で迷いなく、まっすぐに。
そうされて、一歩下がってしまったのはなんでなのか。
どういう事情でかは知らないが、秘密を知られていることに危機感を覚えたからか。
それとも、なんとはなしに本能的に、こいつはヤバいやつだと感じ取っていたのか。
わからないけれど、とにもかくにも、黙っているままの今の状態は、絶対にまずい。
「ちょっと、なに言ってるか、わかんないんだけど」
「飛魚焔」
逃げ道を塞ぐみたいにさらっと言われて、今度こそ飛び上がりそうになる。
飛魚焔。それは。
「飛世のペンネームじゃないの?」
なんで、こいつ……。
くすっと天間が笑う。顔立ちは天使のようなのに、悪魔みたいな笑顔だった。
「知ったときはびっくりした。意外すぎたから」
「ごめん。本気でなにを言っているかわからないんだけど。BLどころか、小説自体、俺は書かないし、読まないけど」
我ながら完璧なはてな顔ができたはずだ。声も揺れていなかった、はず……。
にもかかわらず、こちらに返されたのはおかしくて仕方ないと言いたげな笑い声だった。
端正な顔がくしゃっと崩れ、一気に表情が変わる。こういう表情変化を小説だとどう書くんだっけ。万華鏡を回したみたいに? それとも秋の空みたい?
俺がぐるぐる考えている間にも彼の爆笑は止まらない。
「怯えすぎ。飛世でもそんな顔するんだね」
「怯えてなんて。俺は本当に……」
なんとか言い繕おうとしたけれど、天間は聞く耳を持たず笑い続けた。腰を折ってさんざん笑って笑って……まさに笑い転げるというのがぴったりなくらい笑ってから、ようやく気が済んだのか、おもむろに背筋を伸ばし、すうっと目を眇める。
「ってかさ、そもそも飛世がどう言おうがあんまり関係ないんだよね」
さっきまでの全開の笑顔を九割くらい捨てた、ごくごく薄い笑みを浮かべて天間はこちらを見下ろす。顎を上げないと見上げられないくらい背が高い。それが地味にむかつく。
「俺は飛世がBL書いてること、知ってるし」
「……なんか誤解あるみたいだけど、俺は絶対、そんなの書いてないから」
「声、震えてるけど」
面白そうに顔を覗き込まれ、俺はとっさに顔を背ける。そこで、しまった、と慌てた。
目を逸らすなんて、やましいことがありますといわんばかりの態度じゃないだろうか。
ああ、もう、なにがどうなってこんなやつにばれたのだろう。そもそもこいつはなに目的でこんなことを言ってくる? ってこいつって……そもそも一体なに?
「……さっきから気になってたんだけど、初対面なのに態度おかしくない? そもそも俺は春田先輩に言われて、お前の面倒みるように言われてるわけなんだけど。その俺がなんでお前に爆笑されないといけないわけ?」
とにかく落ち着け。落ち着いて切り抜けろ。大丈夫、俺ならできるはず……と自分を鼓舞しながら目の前の男を睨むと、長い首がすうっと傾げられた。
「お前、か」
「なに」
「君呼びじゃないほうがいいな。なんか親近感湧く」
はあああ?
なに、こいつ、ヤバい。キモい。
気味悪さを覚え、俺が一歩あとずさると、天間はまた軽く肩を震わせて笑ってからなにを思ったのか、机の上に置いていた俺のノートパソコンに手を触れた。指の長い手がさらっとパソコンの背面を撫でる。
「なんか話が進まないからはっきり言うことにする。飛世がいくら知らないって言っても、俺は持ってるんだよ。お前が飛魚焔だっていう証拠」
「……は? いい加減なこと言うな。証拠あるなら今ここで……」
「うーん。出したら出したでまたごちゃごちゃ言うんだろ。だから言いたくない。ちっとも本題に入れないし」
本題ってなんだ! というか、証拠があるとまで言い出したということは、こいつ、それで俺を脅すつもりなのだろうか。冗談じゃない。脅迫に屈してたまるか、と憤ったけれど、頭の片隅でひっそりと思ってもいた。
実際のところ……俺がBL小説を書いていることを知っている人類はひとりもいない。親や弟達はもちろん、幼馴染にもクラスメイトにも、誰にも知られないように細心の注意を払ってここまでやってきたのだ。小説を書いている人間なんて珍しくないかもしれないけれど、男で、高校生で、BL小説をごりごり書いている、それどころかプロになろうとさえ考えているというのは珍しいのではないか。そんな珍しい部類に自分が属することを俺は……恥ずかしいと思っていた。
書いているジャンルが、ホラーだとか、ヒューマンドラマだとか、現代ファンタジーだとかなら問題ないかもしれない。でもBLは……やっぱり人に言いにくい。というか、リアルの知り合いに知られたら、どんな顔をしていいんだかわからない。だってそうだろう。表では完璧な優等生、優しいお兄ちゃん、にこやかなクラスメイト、みたいな顔をしているのだ。それが裏では男子同士の恋愛小説をひたすら書き綴っているなんて……。だめだ、想像しただけで爆発しそうだ。
その俺の生活を終了に導くかもしれない爆弾をこいつは所持していると言うのだ。
ああ、どうしよう。どうしたらその爆弾、手放してもらえるのだろう。BL展開で考えるなら下僕になるとかそういう感じか? いやいやまさか。冷静になれ、俺……。
「誤解がないように言っておきたいんだけど、俺はその証拠、ばらまきたいとは思ってないんだよ」
打ちひしがれていたところに突然蜘蛛の糸が垂らされる。ばっと顔を上げると、面白そうな顔をしてこちらを見つめる天間の顔がすぐそばにあった。
「もともと頼みたいことがあって飛世を見てただけだから、正直、飛世がなに書いていようがどうでもいい。でも知っちゃったからには利用したほうが話が早いのかな、とも思い始めてはいる」
「……やっぱり脅迫とかするってこと?」
「そんなひどいことしないって」
くつくつと天間が笑う。笑顔自体は人懐っこく見える。でも次に続けられた言葉に俺は心底驚いて、窓際まで大きく後退してしまった。
だって、だって……。
「ちょこっとね、お前の唇、借りたいって思ってるだけ」
「く、唇って、あの、え、ど……」
「いや、だから。ここ」
言いつつ、天間が歩を詰めてくる。窓際まで追い詰められてしまっているので、それ以上距離を取れない。あわああわしている間に、長い指先がすうっと伸びてくる。
長い指が検分するようにすうっと俺の上唇と下唇をなぞった。
「お前のここ、貸してって言ってるの」
見た目通りの冷たい指先の感触に俺は凍り付く。
唇? え、唇? 貸すってなに? 貸すってまさか。
「あー、違う違う」
俺の脳内を覗いたみたいに天間が大きく首を振る。柔らかそうな金茶の髪がさらさらと揺れた。と同時にすっと指が唇から離れた。
「飛世、BL脳、やばすぎ。そんな顔しても、キスなんてしてやらないよ」
「はああっ……?! 誰がそんなっ」
冗談じゃない! 誰がお前とキスしたいなんて言った!
憤然とする俺を置いてきぼりに天間はポケットからスマホを引っ張り出している。
「俺、美術部なんだよ。で、俺がずっと描いてるメインテーマが『唇』なの」
怒りに震える俺の前に、ずいっと突き出されたスマホには画像が映し出されていた。
絵画のようだ。全体的に蒼い。濃淡さまざまな青が無数の人影を形作っている。目も鼻も耳もない。のっぺらぼうのように見える人影。でもひとつだけ、描かれているパーツがあった。
それは唇。
顔のない人の波の中、赤みを抱いた唇達だけが蒼い世界の中で浮いていた。
「俺、お前のこと、ずっと見てた。総会のとき、ステージの上にいるお前の唇、すごくいいって思ってたから。なあ、飛世」
俺の視界から蒼い人影たちが遠ざかる。元通りスマホをポケットに戻した天間がうっすらと笑う。
「お前の唇に惚れた。だから、俺にお前の唇、貸してくんない?」
―――第一話完―――



