九十九年の記憶

 そこにやはり琴乃はいた。三人はそっと彼女に近づいていった。辺りはちょうど暗くなり始めていた。もう一九九九年六月の下旬である。
「琴乃」
安乃が琴乃に声をかけた。
「安乃、片瀬君、農家君、どうしてここが分かったの?」
琴乃は安乃に尋ねた。
「どうしてって、私たち幼馴染みでしょ! それくらいは分かるよ、琴乃!」
安乃は答えた。
「そっか。そうだよね」
琴乃は納得しているようだった。
「それで琴乃。さっきはごめんね」
安乃は謝った。
「ごめんね、高山さん」
私も謝った。
「ごめんな、高山さん」
京悟も謝った。
「三人とも、もういいよ。三人が謝ることじゃないよ」
琴乃はそう言って、突然笑い出した。

 「私逃げ出したかったの」
琴乃はそう言った。
「逃げ出したかった?」
私は復唱した。
「うん。もっと遊びたかったし、青春もしたかったの」
琴乃はずっとひた隠しにしてきた思いを吐露した。
「うん」
私は頷いた。
「でもね。私、他の子より早く一人暮らしをするかもしれないから、聡子おばさんは私に家事を早く覚えて欲しかったみたいなの。だから私には時間がなかった。私だって、思春期の女の子だよ。時には現実から逃げ出したくなる。それが今だったの」
琴乃の瞳には、うっすらと光るものがあった。琴乃は続けた。

 「もしかしたら来月で、地球が滅びたら、私は青春をせずにこの世を去ることになるの。そんなの絶対嫌なの。大人はそんなこと信じていないかもしれない。でも青春時代を生きる私にとって、これは重大問題なの」
琴乃がそう言うと、暗がりを照らすように、蛍が舞い始めた。いや、正確には、そこにいた蛍が暗くなったから目立ち始めただけなのかもしれない。
「きれいね!」
琴乃は三人に向かって言った。

 三人とも同感だったが、一人京悟だけが蛍を隠れて採集していたのを、私は見てしまった。私は京悟に、蛍を採集したらダメだと言ったが、彼は聞き入れなかった。それどころか家に持ち帰って、部屋を暗くして解き放つのだと言って、そのまま帰ってしまった。

 後で聞いた話だが、次の日京悟は蛍のことを忘れて、そのまま登校してしまった。すると彼の部屋に掃除に入った母親が、変な虫がうじゃうじゃ彼の部屋にいると勘違いして、掃除機で蛍を吸い取ってしまったらしい。まさに蛍の墓場であったようだ。

 私が京悟と別れて戻ってくる頃には、琴乃と安乃は和解していた。二人は談笑していた。すると安乃は私に気づいた。
「あら農家君はどうしたの?」
安乃は私にそう聞いてきた。
「京悟なら、先に帰ったよ」
私は答えた。しかし京悟の悪行を、私は言えなかった。
「そっか。じゃあ私もそろそろ帰る。じゃあね。また明日ね!」
安乃はそう言った。
「うん。じゃあね。安乃!」
琴乃は言った。
「また明日! 竹内さん!」
私も言った。そうして私と琴乃は、二人きりになった。そのことを思い出し、私は次第に緊張しだした。

 安乃がいなくなると琴乃は突然私に謝りだした。
「片瀬君、ごめん」
琴乃は私に謝った。
「え?」
私は初め何のことか分からなかった。
「手紙のこと」
琴乃は一言付け加えて言った。
「あ、そうだよね。ごめん。いいよ。いいよ。僕はまだ高山さんみたいに大人になりきれていないし、頼りないよね?」
私は琴乃にそう言った。
「いえ、そうじゃないの。私、好きな人がいて、その人が最近亡くなって。今はもう何も考えられなくて。ごめんなさい。片瀬君」
琴乃はそう言った。やはり彼氏がいたみたいだった。
「そっか。分かった」
私は言った。
「彼事故で植物人間になってしまったの。ずっと看病していたけど、彼のご家族には生命維持装置にかけるお金がなく、彼の命を諦めざるを得なくなったの。それで生命維持装置を外して、彼は天国へと旅立ったの。どうしてお金のある人しか生き残れないのかしら。お金がない貧しい人は死ななければならないなんて、不公平よ」
琴乃は、苦しい胸の内を私に明かした。
「そうだよね。僕もその話を聞いてそう思うよ」
私は賛同して言った。
「ごめんね。そういうわけで今は付き合えない」
琴乃はそう言って、私のラブレターへの返事をした。私もその記憶を考えると、今は仕方ないと思えた。しかしここで終わる私ではなかった。
「二番目の男でもいいから、気分転換に七月の第二週の土曜日のひかりが丘商店街のお祭りに、一緒に行かない?」
私は、琴乃をお祭りに誘って言った。
「そうだね。たまには気分転換しないとね。分かった。行くよ。お祭り。誘ってくれてありがとう!」
琴乃は嬉しそうに言った。私は、琴乃を地元のひかりが丘商店街のお祭りに誘い出すことに成功した。このとき私は、ノストラダムスの大予言のことなど、すっかり忘れていた。