九十九年の記憶

 翌日琴乃は、何事もなかったかのように登校していた。安乃をはじめ、クラスメートの女子たちは喜んでいた。
「琴乃、心配したよ! もう体調は大丈夫なの?」
安乃は琴乃に尋ねた。
「うん。もう大丈夫よ」
琴乃は返事をしたが、どこか顔が引きつっているように私には見えた。しかし安乃はそれに気づいていなかったようだ。
「そっか。それなら良かった!」
安乃は喜んだ。琴乃は年齢の割には大人びていて、周囲の人たちをいつも惹き付けていた。しかし彼女は何かを背負って隠しているように、私には見えた。どこか周囲の人たちを気遣うあまり、自分のことが疎かになっている。そう私には見えた。それはきっと、彼女が大人びているからこそ隠せている物なのかもしれない。私にはそう映っていた。

 この日は担任の安東(あんどう)正隆(まさたか)先生の発案で、入学してから一ヶ月経って学校生活に生徒たちが慣れたと判断したようで、思い切って席替えを実施した。私は一番後ろの窓側の席をくじで引き当てた。彼の友人の農家京悟は、よりによって先生の目の前、つまり一番前の真ん中の席を引き当てた。
「どうしてだよ! 俺も大輔の席が良かったのに!」
京悟は悔しそうにしていた。というのも、最後に残った二枚の紙くじのうちの一枚に触っておきながら、別のもう一枚の紙くじを引いてしまったからだ。残った一枚を私が引いた。
「残りくじには、福があるね!」
私は、京悟をからかって言った。
「お前のくじ、本当は俺が触っていたのに! 畜生!」
京悟はなおも引きずっていた。
「まあ、一番勉強に集中できる席じゃないの」
私は、他人事のように言った。
「バカやろう! 俺が一番前だと身体がでかくて、後ろの奴らが、黒板が見えなくなって困るだろ!」
なおも京悟は言った。
「まあ、京悟のおかげで真後ろの奴は、授業中眠れるかもね!」
私は言った。次に女子たちがくじ引きをしていった。すると私の隣の席が、なんと琴乃になり、安乃は京悟の左斜め後ろの席になった。私ははじめてドキドキし出したが、琴乃は何気なく私に挨拶しただけだった。どこか近所に引っ越して来た人の挨拶のようだったが、琴乃に声をかけられ、私は何となく嬉しかった。
「片瀬君、よろしく!」
琴乃は微笑んだ。私はハート目になった。
「こ、こちらこそ、高山藩!」
私は緊張のあまり、声が裏返って、敬称を付け足すところを藩と言ってしまった。
「やだ! 時代劇みたい! ふふふ」
琴乃は思わず笑ってしまった。私は、琴乃がこんなに笑う女の子だとは思ってもみなかった。琴乃の笑顔は、いつにも増して綺麗だった。こうして私と琴乃は仲良くなっていった。

 そんな五月下旬のある日だった。琴乃はいつにも増して、寂しそうな顔をしていた。私は授業中、外のグラウンドを窓から見るふりをして、窓に映った隣の琴乃の表情を盗み見た。放課後、私は琴乃に声をかけた。
「高山さん、今日元気ないね」
不意に私は琴乃に言った。
「分かるの?」
琴乃は驚いたように私を見て、ツインテールにしていた髪をほどいた。そのストレートの黒髪に、眼鏡の奥の潤んでいる瞳が、妙に美しかった。
「何となく」
私は答えた。
「そっか。実は、今日が両親の命日なの。私が小学校低学年の時に、お父さんとお母さんとドライブに行ったら、交通事故に遭って私だけが助かったの。どうして私も連れて行ってくれなかったのかな?」
琴乃の瞳は、今にもダムが崩壊寸前のような涙雨で、甘露の雫が溢れてきそうになっていた。
「僕は、高山さんがその時行かなくて良かった! だって今こうやって、高山さんに出会えたから!」
私は一気に言った。
「ありがとう! 片瀬君、優しいのね! そんなこと言われたことなかったから、嬉しい!」
琴乃は私に感謝した。
「そうなの?」
私は聞いた。
「うん。私ずっと、お母さんの妹のおばさんに育てられてきたの。いつも家事をしなくちゃならなくて、誰かとゆっくり話す暇もなかったから」
琴乃は答えた。
「竹内さんともゆっくり話せたりしていないの?」
私は、琴乃の親友の名前を口に出した。
「安乃とは幼馴染みで、いつも一緒だった。けど私たちは、まったく正反対なの。安乃は背が高くて、スポーツも得意。私には真似できない。性格も正反対。安乃はサバサバしていて、私はどちらかというと、ジメジメしている。だから時にはぶつかることもあって。あまり私、深いことを安乃とは言い合う自信がなくて。深いことを言って、喧嘩になるのも嫌だし。でも、片瀬君なら、話せるような気がするの。不思議だな」
琴乃はしみじみ語った。私と農家京悟も、全然性格が違うけど、仲が良かった。けど確かに、京悟に本音で話せたことって、それまであっただろうか? ふと私も考えてしまった。