冷酷な殺し屋は哀しき愛に囚われる

   ◇

 みんながお互いに別れの言葉を言ったり、寄り道の計画を立てたりしているのを聞こえないようにするために、両耳にワイヤレスイヤホンを突っ込んだ。
 再生するのは、数年前に流行った女性アイドルの曲。アイドルには特に興味があるわけではないけど、その曲は「私は生きていてもいいのだろうか」と考えてしまう私に寄り添ってくれる少し暗めの曲だから、よくリピートしている。
 学校から離れると、左耳のイヤホンを外す。本当は家に着くまで周りの音を遮断していたいけど、自転車とぶつかりそうになってからは外すようにしている。
 狭い道。私を追い越していく自転車。私が歩いているのに、スピードを落とさない車。前から犬を連れて歩いてくるおじいちゃん。
 そんな普通の世界の中で、誰かの泣き声が聞こえてきた。泣き喚いているというより、しくしくと泣いているような感じ。こういったことに関わってもろくなことがないとわかっていても、その正体を確かめずにはいられなかった。
 泣き声は、近くの公園から聞こえてきた。
 遊具は少なく、子供が暇を持て余すような公園の中で、声の主は植木の奥にいた。
 その姿を見て、私はすぐに後悔した。やっぱり関わらなければよかった、と。
 泣き方が子供のようだったので探していたのに、そこにいたのは、白いケモノだった。
 猫のような見た目をしておきながら、人のような泣き方をするそれは、普通の人には見えない存在。あやかしだ。
 それに気付かれる前にここを立ち去ろうと、一歩後ろに下がったときだった。
 ケモノの目が私のほうを向いた。涙で解けてしまいそうな瞳と目が合う。
 しまった。
 そう思ったのは、私だろうか。それとも、ケモノか。
 私の存在に気付いたケモノは、眼を見開いて身体を震わせた。

「こ、殺さないで……」

 ケモノは小さな声で訴えた。
 私は人ではない存在が見えるだけで、彼らを脅かすような存在ではない。それなのに、それはたしかに私に命乞いをした。
 そんなこと、今までなかった。
 私が見える人だとわかると、あやかしたちは面白がって私にちょっかいをかけてくることがほとんどだったのに。

「……殺さないよ」

 私が言うと、ケモノはピタッと涙を止めた。そしてゆっくりと、二度瞬きをした。

「本当?」

 関わってもろくなことにならない。
 そう思っていたはずなのに、私はしっかりと頷き、目の前のケモノと関わりを持ってしまった。
 若干後悔しているけど、それが満面の笑みで笑うから、なんだかどうでもよくなってくる。
 ケモノは私がときめいて固まった一瞬を見逃さないと言わんばかりに、私の頭を目掛けて飛んできた。
 さすがにさっきまで地面にいたものが頭に乗るのは耐えられなくて、私はケモノを両手でつかみ下ろす。猫みたいなケモノはしっかりと重量があり、地面に戻す。
 今日は何度外で座り込めばいいのだろう。

「じゃあ、ボクのこと、助けてくれるよね?」

 上目遣いが可愛い、なんてことを思うものか。
 “じゃあ”の使い方を勉強してきてほしい。

「ボクね、死鬼に見つかっちゃったんだ」
「シキ?」

 聞き慣れない言葉を繰り返せば、ケモノは困ったように眉尻を下げて頷いた。

「ボクたちみたいなあやかしを殺す鬼だよ。見つかったら最後。絶対に殺される」
「あやかしが、あやかしを……?」

 自分の口でケモノの言葉を繰り返したけれど、全然頭が追い付かない。
 だけど、私の目の前でケモノが震えているのは紛れもない事実。

「死鬼から逃げられたあやかしはいないんだって。だからボクも……」

 ケモノは身体を丸めている。
 こんなに震えて可哀そうだとは思う。
 でも。

「助けて、ツバメ……!」

 助けを求められても、私にはなにもできない。
 そう自覚しているのに、私に縋る姿を見て、突き放すこともできなかった。それが一番残酷なことだとわかっているのに。
 というか、どうしてこの子は私の名前を知っているのだろう?
 そう疑問を抱いたときだった。
 私の背後から足音が聞こえてきた。
 ずっと後ろからではなく、真後ろから。
 つまり、それは唐突に私の背後に現れた。
 それが人ではないことはすぐにわかった。
 空気が一変し、自分が息をしているかどうかもわからなくなる。

「人間」

 低く冷たい声が聞こえた瞬間、ケモノは私の膝に飛び乗った。
 私だって怖いけど、この子を見ていたら、そんなことを言っている場合ではないと思えてくる。
 ゆっくりと振り向くと、光を写さない瞳が私を見下ろしていた。
 赤色の鋭利な角。整った容姿。重たそうな和服。
 ケモノに確認しなくても、彼が死鬼だと直感した。

「そいつを渡せ」

 死鬼が言葉を続けると、私はケモノを抱き締めた。本当は「嫌だ」と言えたらよかったのだけど、声が思うように出なかった。
 死鬼は私からケモノを取り上げるためか、一歩踏み出した。
 あやかしの世界には関わりたくない。でも、この子を渡したあとのことを知っていると、どうしても渡したくなかった。

「……どうして」

 声は震えていた。ちゃんと音になっていたかも怪しい。
 それでも、死鬼が動きを止めたことで、私は声を出すことができたのだと理解した。

「どうしてこの子を殺そうとするの。同じあやかしなのに」

 死鬼が私の問いに答えてくれるとは思わない。
 だけど、少しでもこの場から逃げる策を考える時間がほしかった。
 しかし意外なことに、死鬼は立ち止まって「では聞く」と続けた。

「人間同士では殺しはしないのか」

 答えられなかった。そんな私を、死鬼は鼻で嗤う。

「俺も同じだ。奴らが憎い。ただそれだけのこと」

 死鬼の声は、変わらず冷たい。
 だけど、その笑みには哀しみが滲んでいるように感じた。
 どうして貴方がそんな表情をするの?
 私が気を取られている間に、死鬼は少しずつ、私に近付いていた。
 ケモノを奪われないように、私はその子を抱き抱える。死鬼の姿を見れば恐怖心に負けてしまうから、強く目を瞑って。

「君が人に手を出すなんて、珍しいね」

 死鬼に掴まれると覚悟していたのに、別の明るい声が頭上から降ってきた。
 顔を上げると、死鬼とは違う、軽そうな着物の後ろ姿がそこにあった。
 色素が薄く、風になびく長い髪に気を取られていると、少し前とは比べ物にならないほどの殺気を感じた。

月寧(つきね)……!」
「やあ、詩稀(しき)。久しぶりだね」

 怒りに満ちた死鬼と、愉快そうに話す目の前のあやかし。
 私には、なにが起きているのかまったくもって理解できなかった。

「おっと。ここでそんな大きな術を使ってもいいのかい? 私の後ろにいる彼女に当たってしまうよ?」

 月寧と呼ばれたあやかしの言葉のあとに、死鬼の舌打ちが聞こえた。
 それからすぐに、死鬼の気配が消えた気がした。

「ツキネさま!」

 だからか、私の手の中で震えていたはずのケモノは私から離れ、彼に飛びついた。
 頼れる存在がいるなら、私に泣きつかなくてもよかったのに、なんて捻くれたことを思いながら、その場に立ち上がる。

「詩稀に会うなんて災難だったね、お嬢さん」

 彼はケモノを腕に抱き、猫を癒すように撫でながら言った。

「……あの、今さっきのあやかしって、死鬼、ですよね?」

 ケモノから聞いた名と、彼が口にしている名。同じ音だが、違う字のような気がした。

「そうだね。この子たちは、彼を死の鬼と言っている。でも、彼の本当の名は違う。稀な(うた)と書いて詩稀というのだよ」

 綺麗な名前だと思った。
 そんな美しい名を持った彼が、どうしてあんなにも憎しみに染まってしまったのだろう。
 私の疑問に応えるかのように、彼は視線を落とした。

「……彼が初めて愛し、失ってしまった人間の女が付けた名さ」