冷酷な殺し屋は哀しき愛に囚われる


 古典を教えてくれる女の先生の声は、いつも睡眠導入剤のようで、欠伸をかみ殺すことが増えてしまった。
 でも、それは私だけではない。酷い人は、机に突っ伏してしっかり寝ている。
 先生にとってその光景は当たり前なのか、気にする様子を見せずに授業を続けている。
 義務教育ではない高校は、学業面すらも自己責任。それを実感する時間だ。
 そんな、どこにでもある風景の中で、私の眼には非日常が写っている。
 机上の隅っこで飛び跳ね遊ぶふたつの白い毛玉。教卓に座って先生の声を堪能する少女。
 あまりにも自然に溶け込んでいるから、これが非日常の存在だとは思えなくなってくる。
 だけど、間違いなく、これらはほかの人の目には見えていない。
 だから私は、反応を見せるわけにはいかない。私こそが、日常に溶け込まないと。
 そう思っていたのに。
 私の机で遊んでいた毛玉のひとつが、私の顔をめがけて飛んできた。
 平常心を保つことには慣れていたと思っていたけど、さすがにこういう突飛なことをされると驚いてしまう。
 いえば、誰かに背後から忍び寄られ、大声を出されたみたいなもの。
 驚くなというほうが無理な話。
 結果、私が急に「わっ」と声を上げ、それが教室内に響いた。
 うとうとしていた生徒たちまでも、私のほうを向く。

「小林さん、どうしました?」

 穏やかな先生が心配せずにはいられないような声を上げた自覚はないけれど、そうして声をかけられると、またやってしまったと思わざるを得ない。
 実際、クラスメイトたちの目は「小林がまた変なことしてるよ」と呆れている。

「いえ……急に虫が飛んできて驚いただけです」
「そう?」

 先生は結局私には無関心で、授業を再開した。
 我ながら、嘘をつくのがうまくなったと思う。
 こんなこと、上手になんてなりたくなかったけど。
 ため息をつきたくなる気持ちを抑えながら毛玉のほうを見ると、それらのほうが怯えていた。

 授業が終わると、私はふたつの毛玉をぬいぐるみのように、手のひらに乗せた。見た目の割に、それの毛は硬かった。栗を乗せているようで少し痛い。
 しかしながら、それの目は見えないけど、私に触れられたことで、戸惑っているのがわかる。

「ちょっとだけ我慢してね」

 周りには聞こえないように声を潜め、私は教室を出る。
 一年生の教室は一階にあり、すぐに校舎裏に着いた。
 上履きのままだけど、構わず草むらに近付く。そっとしゃがみ込み、手を下げると、毛玉たちは一目散に逃げていった。

「もう入って来ちゃダメだからね」

 私のこれも、きっと聞こえていないだろう。
 まあいいか。
 あまりあちらの世界に関わっていたら、ますます日常に戻れなくなってしまう。
 私は立ち上がってスカートに付いた泥を軽く払うと、静かに教室に戻った。