嘘が溢れた世界で、君だけは真実を見つめていた

 カーテンも閉め切って、外の世界と切り離されたような暗闇空間と化したわたしの部屋。
 ふわふわな布団の上で寝っ転がって目を瞑っていたら、嫌なこと全部忘れられるような気がして、わたしは強く目を閉じた。
 だけど、頭の中に浮かんでくるのは聞きたくない言葉ばかり。

 ——のんちゃんって、ママがいないんだよね。
 ——捨てられたんでしょ?
 ——可哀そう。

 違う。
 わたしは、のんは、可哀そうなんかじゃない。
 のんにはおばあちゃんがいるもん。ヒロくんも、航大くんも、望ちゃんだっている。

 じゃあ、わたしは?

 ”のん”がみんなに愛されているのは、みんなに好かれるように演じているから。
 そこにわたしの意思が存在しているかと言われれば、わからない。
 もう、ウソも本当も入り混じって、どこにわたしの本音があるのか、自分では判断がつかない。
 だから結衣子センパイも、あんな言葉を残したんだと思う。
 わたしは”のん”の陰に隠れて誰にも見つからないと思っていたのに。
 ずっと、そう生きていくと決めていたのに。
 わたしを見抜かれてしまったら、どうやって過ごしていけばいいの?
 このまま、本当にみんなの世界からわたしが切り離されたりしないだろうか。
 そうすれば、少しは息がしやすくなるのに。
 願ったところで叶わないことは知っているけど、それでも明るい世界から逃げたい一心で、わたしは布団を被る。
 そのときだった。
 気を使ったような小さなノックの音がした。
 だけど、”のん”のスイッチの入れ方が下手になってしまったことで、わたしは応えられなかった。
 黙っていれば、ドアの前から気配が消えることは、ここ数日で知った。
 まあ、ヒロくんだけは例外だけど。

「のん? 生きてるか?」

 ドアの向こうから、一切気を遣わない言葉が聞こえてきた。声の主は、やっぱりヒロくんだ。
 そうとわかると、ますます答えなくてもいいように思えてくる。
 昔「無理に笑わなくても、俺がのんを嫌いになることはない」と言ってくれて以降、わたしはヒロくんに甘えているんだと思う。
 これもそのひとつに近い。
 本当に、なにをしても嫌われないのかを確かめてしまうというか。
 こんなことをするから、ますますわたしはわたしをキライになるのに、やめられないのがまた悪循環を生んでいる。
 そう、わかっているんだけどな。
 ヒロくんが静かにドアを離れたのを感じながら、わたしは背中を丸めた。
 なんか、お腹が痛い。

「……のーんちゃん」

 すると、予想していなかった声がドアの向こうから聞こえてきた。
 うそ、だ。
 だって、これって、ヒロくんがここに連れてこないとありえない状況で。
 でも、ヒロくんがそんなことするわけがない。
 わたしは聞き間違いかもしれないと思い、ドアを数センチほど開けた。

「碧羽くん……?」

 そこにはやっぱり、碧羽くんが立っていた。
 わたしの姿を見た碧羽くんは、柔らかく微笑んで「やっほ」と右手をあげた。
 本当に碧羽くんがいる。でも、なんで?
 わたしは状況が飲み込めなくて、ひとまずドアを閉めた。
 ヒロくんがずっとなにかを企んでいることは、なんとなく感じていた。
 でもまさか、こんなことだとは予想外すぎる。

「ねえ、のんちゃん」

 ドアの向こうから、いつもと変わらない様子で名前を呼ばれただけなのに、わたしは肩をびくつかせた。
 いや、本当にいつも通りだった?
 今までわたしを諭してきた大人たちと同じ声色をしていなかった?
 でももしそれが正しいなら、碧羽くんは、あのことを知ってるってことにならない?
 つまり、ヒロくんがわたしのことを、碧羽くんに話した。
 なんで?

「空がどうして青いか、知ってる?」

 戸惑いと動揺が止まらない中で、碧羽くんが聞いてきた。
 てっきり、あのことにまつわることとか、きれいごとを言われるとばかり思っていたから、少し拍子抜けだ。
 でも、どうして一週間くらい前に聞かれた質問とまったく同じものを言ってきたのだろう。
 あのときは「知らない」って言ったんだっけ。”おバカなのん”だったから。

「……太陽の光が屈折して青い光が強く見えるから」

 わたしが答えたら、こんなに可愛げがなくなるなんて。
 声に覇気もなく、碧羽くんに届いたのかも怪しい。

「じゃあ、月が欠けるのは?」
「……月が太陽光を浴びた影は、真っ暗な空の中では見えないから」
「日本とロンドンで朝の時間が違うって」
「……碧羽くん、なにがしたいの?」

 いくつか素直に答えたけれど、その目的が見えなさすぎてわたしは質問を遮った。
 自分でもびっくりするくらい冷たい声。
 こんな言い方をするつもりはなかったのに。
 怒ってるって思われたらどうしよう。

「……じゃあ最後にひとつだけ」

 だけど、碧羽くんの声は変わらず優しかった。
 あんな突き放すみたいな言い方をしたのに、どうして?

「なんで、俺がのんちゃんに嘘ついてたと思う?」

 碧羽くんの言うウソというのは、空が青い理由とか、そういう類のもの。
 誰かを傷付けたり、悲しませたりするものじゃなくて、小さく、その場で見抜かれるようなウソ。
 そんなウソを思い返すと、同時に碧羽くんの楽しそうな笑顔も思い浮かぶ。

「……わたしのことをからかって遊んでただけじゃないの?」
「不正解」

 ずっと遊ばれていると思っていたから、つい「え……」と声が漏れた。

「のんちゃんの反応が可愛くて、大好きだからだよ」

 声が出なかった。
 わたしが?
 大好き?
 聞こえてきた言葉を繰り返しても、上手く飲み込めない。

「……ウソだ」

 碧羽くんがそんなウソをつくとは思えないけど、どうしても受け入れられなかった。

「のんちゃん、みんなの嘘を見抜いてきたじゃん。本当に俺が今、嘘をついてると思う?」

 前に一度、碧羽くんがウソをついていないって言ったことはある。
 だけど、今の言葉の真偽は、正直どちらでもよかった。
 むしろ、ウソであってくれたら、とすら思ってしまう。

「……のんちゃん?」

 もう一度名前を呼ばれ、わたしは身構えてしまった。
 次の言葉が怖いなんて思うのは、いつぶりだろう。
 だけど、碧羽くんはなにも言わなかった。
 どうやら、わたしの反応がなかったから、名前を呼んだだけみたいだ。
 わたしが言葉を紡ぐまで、碧羽くんはしばらくなにも言わなかった。

「……だって……わたしは、誰かに好きになってもらう資格がないから……」

 初めて、ヒロくん以外の人に本音を言った。
 どう思われるだろうか。
 それを考えただけで、指先が震える。
 碧羽くんも、こんなことを言われて困っているのか、すぐに言葉は返ってこない。

「資格ね……」

 その独り言のような言葉に、どんな意味が込められているんだろう。
 気にしすぎ? くだらない?
 そんなの、わたしだってわかってる。
 だけど、誰かの好意を感じるたびにそう思ってしまうんだもん。

「俺がのんちゃんと一緒にいるのが楽しくて、もっと笑い合いたいって思ってるのも、信じられなさそう?」

 なんとなく、碧羽くんが眉尻を下げて、寂しそうな顔をしているような気がした。
 わたしが、碧羽くんの言葉をウソだって決めつけたせいだ。
 でも、怖いんだ。
 碧羽くんの言葉を信じて、また捨てられたら。
 わたしはきっと、立ち直れない。
 そう、思うのに。
 
 ——のんちゃん!

 いつだって、碧羽くんがわたしを呼ぶ表情には嘘も偽りもなくて。
 だからかな。
 信じたいって、思ってしまうんだ。
 思い切ってドアを開けると、ドアの向こうは思わず目を細めてしまうくらい、眩しく感じた。
 その中に立つ碧羽くんは、驚きながらも、ものすごく柔らかく微笑んだ。
 碧羽くんの笑みを見ていたら、なぜか涙が込み上げてきた。

「わたし、碧羽くんにいっぱい、ウソついてたのに……」
「それは俺もだよ」
「”のん”は、作り物だよ?」

 いつも思っていることを言っただけ。
 わたしにとってはそれだけのことなんだけど、碧羽くんが一瞬困った顔をしたから、言わなきゃよかったって少しだけ思った。
 なんだか碧羽くんの顔が見れなくなって、わたしは視線を落とした。

「じゃあこれからは、のんちゃんが納得できるのんちゃんでいてよ。さっきみたいに、俺がくだらないこと聞いたらのんちゃんの知識で圧倒したりしてさ」
「……いいの?」

 碧羽くんを見上げると、碧羽くんはやっぱり嬉しそうに笑っている。

「もちろん」

 碧羽くんはわたしの不安を吹き飛ばすくらい、きっぱりと言い切った。
 自信に満ちた表情も相まって、本当に大丈夫なんじゃないかと思ってしまう。
 でも、わたしの中の不安は、そう簡単には消えてくれなかった。
 碧羽くんの顔をまっすぐ見ることができなくて、わたしはまた俯いた。

「……わたしね、本当は、みんなにウソつかないで、笑いたいの」
「うん」
「……でも、わたし、笑っちゃダメで」
「……うん」
「……のんは、人を傷付けちゃったから」

 誰にも嫌われないようにって思って行動してきたのに、わたしが”のん”を演じていたことで、結衣子センパイに嫌な思いをさせてしまった。
 それがどうしても気がかりで、わたしはわたしを許せなくなっていた。

「それでものんちゃんは、笑っていたいんだよね」

 少しずつ視線をあげると、碧羽くんは静かに微笑んでいる。
 それを見ていたら、堪えていたはずの涙が頬に落ち、わたしは「うん……」と小さく答えた。
 その瞬間、胸につかえていたなにかが、ゆっくりと消えていったような気がした。