嘘が溢れた世界で、君だけは真実を見つめていた

 紘都の話が一段落し、俺は大きく息を吐き出した。
 この程度で脳内情報と感情を整理できるわけではないんだけど、少しでも落ち着きたかった。そんな俺の心情を察したのか、もう話すことがなくなったのか、どっちなのかわからないけど、紘都も黙って歩き進めている。
 ふと空を見上げると、夏らしさを残した真っ白な雲がゆっくりと流れていった。対して、頬を撫でる風はほんのりと冷たく、心地よさを感じながら、俺の気持ちと向き合ってみる。
 正直、これほど重たい話だと知っていたら、今の話を聞こうとはしなかったのに、と思ってしまうところもある。
 それもこれも、のんちゃんが底抜けに明るく、のんちゃんの背景を微塵も感じさせなかったことが大きい。
 まあ、のんちゃんはそれを感じさせないように努力してきたわけだから、想像もつかないのも当然なのかもしれないけど。
 でも俺は、それも含めて今の“葛城花音”があると思うんだけど、のんちゃんは違うのかな。
 今まで生きてきた時間全部は虚構だって言うつもりなのかな。
 そんな寂しいことってある?
 俺と過ごした時間はもちろん、紘都や家族と過ごした時間すらも、なかったことになるってことでしょ。
 そりゃ紘都も「気持ち悪い」なんてひどい言葉を言いたくなる。
 それに、少しでものんちゃんが相手の反応を気にしすぎないでいられたら、それだけで、のんちゃん自身がニセモノだと考えてしまう時間が止まるってことだろうから。
 まあ、紘都がそこまで考えていたのかは知らないけど。
 横目で隣を歩く紘都を見ると、相変わらずなにを考えているのかわからない顔をしてまっすぐ前を見ていた。
 こんな仏頂面でも、のんちゃん相手だと少しだけ表情が柔らかくなるんだよな。
 ずっとただのシスコンだと思ってたんだけど。

「……なんかさ。お前がどこまでものんちゃんに甘い理由もわかった気がする」

 俺が唐突にそんなことを言ったからか、紘都は不服そうな目をしてこちらを見てきた。

「俺がのんに同情して甘やかしてるなんて言わないよな」

 その言葉を聞けば、不機嫌になったのも納得だ。
 まあ、そんなつもりで言ったわけじゃないけど。

「ちげーよ。お前はのんちゃんが大切だって伝えたかっただけだろ?」

 それは図星だったのか、紘都は視線を逸らして、また前を向いてしまった。
 ほんのりと耳を赤くしているのに気付いてしまって、ちょっと笑みがこぼれた。
 そのせいですぐに紘都に睨まれ、俺は顔を背ける。
 にしても、これだけ紘都に大事にされてても、のんちゃんは自分が愛されてるって信じられてないのか……なにがそこまでさせてるんだろう。
 俺がのんちゃんの立場だったら、なにがあったら、周りからの好意を受け入れられなくなるだろうか。

「のんちゃんは、今の話全部知ってんの?」

 結論、母親の言動を知ってしまったら、そうなってしまうような気がした。
 紘都はゆっくりと視線を落とす。
 頷くとは少し違うが、そこに肯定の意が含まれているのだと、なんとなく感じた。

「……いつから?」
「小学生になる前。あることないこと言われて惑わされてしまうくらいならと、祖母が話した」

 その返答に「マジか……」と声が漏れた。
 どう考えたって、小さい子に聞かせる話じゃない。
 でも、のんちゃんが赤の他人の心ない言葉に傷付き、塞ぎ込んでしまわないように、という気持ちもわからなくはなかった。

「それを聞いたばかりのころは、母親の話題を耳にしただけで固まって動けなくなったり……泣くこともあった。そのたびに、祖母たちは話したことを後悔していたが……年々、お互いにそういう姿を見せなくなった」

 それがどれだけ異様な光景だったのか、紘都の横顔を見ただけで、なんとなく想像できた。
 きっとその時間が、お互いの信頼関係を崩していったんじゃないかと思うけど、今さら取り返しつかないことを言っても仕方ないか。
 今は、のんちゃんに会ってから話すことを考えることが先。
 ……なのはわかってるんだけど、どんな言葉でも間違っているような気がしてきて、全然まとまらない。

「おい」

 考えごとをしながら歩いていると、背後から乱暴に呼び止められた。
 振り向くと、紘都が若干呆れた目をして立ち止まっている。

「お前はどこまで行くつもりだ」
「どこって」

 お前ん家じゃん、と続けようと思ったが、紘都が止まった前にある古い一軒家の表札には葛城と書かれているのが見えた。

「え、待って、もう家に着いたってこと?」

 紘都は頷きもせず、引き戸を開けた。
 俺が固まっているのを、なにしているんだと言わんばかりの目で見てくる。
 急かされてしまったら入るしかない。

「お邪魔しまーす……」

 他人の家であることと、まだなにも話す内容が決まっていないことで、俺は間違いなく緊張していた。
 だけど、靴箱の上に並べられた家族写真を見て、少しだけ気持ちが和らいだ。
 今と全然変わらない満面の笑みを見せるのんちゃんの写真が何枚も並んでて、勝手に頬が緩む。
 幼いのんちゃん、やっぱり全力で可愛いじゃん。

「おかえり、紘都」

 靴も脱がずに写真を眺めていたら、奥から凛とした女性の声が聞こえてきた。

「ただいま、ばあちゃん」

 姿を見せたのは、優しそうだけど厳しそうな女性。
 というのも、紘都に向けた笑みは柔らかいのに対して、すべてを見抜くような瞳が、俺にとって少し苦手なものに近かった。

「紘都が友達を連れてくるなんて珍しい」
「まあ、ちょっと」

 紘都は目的を濁しながら、上がっていく。
 ここに独り残されるわけにもいかず、俺は慌てて靴を脱いで紘都を追う。

「お邪魔します」

 彼女の横を通るとき、紘都みたいな鋭い視線を感じ、軽く頭を下げて言うと、小走りで廊下を進み、階段を上がった。
 おばあちゃんがいるなら言えよな、マジで。余計緊張したじゃねえか。
 紘都の背中を睨んで歩いていると、紘都がふと足を止めた。

「ここ?」

 俺が尋ねると、紘都は静かに頷いた。
 その反応を見て、俺は改めて目の前のドアを眺めた。
 ここが、のんちゃんの部屋。
 俺が見ているのはどこにでもありそうなドアなのに、それが開かずの扉のように感じた。

「……行くぞ」

 紘都は小さく呟くと、軽くノックをした。