「青葉ちゃん」
波の音にも負けない私の大声に、先生が私を見つめる。私は先生を見つめ返し、ゆっくりと頷いた。
大丈夫、先生。
今、律さんは先生の目の前にいるよ。だから言葉にすれば先生の想いはきっと届く。
「先生、自分の心の声に聞こえないふりをしないで」
先生が、いつも私に言ってくれた言葉を投げかける。リレーでバトンを渡すように、先生の胸の真ん中に、私の言葉が届くように。
羽美先生が、ゆっくりと律さんの頬に手を伸ばす。今にも涙がこぼれ落ちそうな律さんの頬を両手のひらで包み込んだ。先生の白く細い指に包まれた律さんの瞳は、揺蕩う泡沫のように揺れる。
「確かに、あの時別れを告げられて、辛かった。世界がひっくり返ったみたいに、目に映るすべての光景が灰色に見えて、現実が受け入れられなかった。その後も……律との別れを引きずって、今も新しい恋愛はできてない」
先生が、律さんと別れてから三年間、胸の中に溜めていた想いを吐き出していく。だけど、やっぱり時々辛そうな表情をしていて、大好きな人に本音を伝えることがどれほど苦しいことか、私は身に沁みて感じていた。
それでも、先生は言葉を口にするのをやめない。私との旅の中で、あの日閉じ込めた心の声に耳を傾けて、と優しく諭してくれた先生がそこにいた。
「別れた直後は、全部なかったことになったらいいのにって思った。律と出会ったことも、律と幸せな時間を過ごしたことも、全部忘れてしまいたいって思った。でも」
そこで先生はいったん言葉を切る。律さんの瞳がまんまるに見開かれていく。私は晶くんと、呼吸をするのも忘れたように、先生の言葉に耳を澄ませた。
「今、こうして青葉ちゃんと律とのデートコースを巡って……律の顔をもう一回見て思ったの。律と過ごした時間が、すごく幸せだったって。すごくすごく幸せだった気持ちを思い出して、やっぱり律に恋をして良かったなって、思ったんだ」
律さんの瞳がふるりと揺れる。目の縁に溜まっていく涙がこぼれないように、必死に顔に力を入れているのが分かった。
「あの時別れたのは律のせいじゃない。お母さんが亡くなったのも、律が悪いわけじゃない。律は何も悪くないよ」
はらはらとこぼれ落ちる涙を、もう律さんは抑えることができなかったようだ。
先生の細い指が律さんの涙を拭う。先生の優しい声が、律さんの胸に届いたのが分かって、じわりと込み上げるものがあった。
律さんはひとしきり涙を流したあと、ごしごしと自分の腕で涙を拭った。そして、沈みゆく陽の光を浴びながら、ゆっくりと“今”の本音を言葉にして紡ぐ。
「……羽美と別れてから、俺、沖縄に逃げて来てずっと引きこもってた。羽美からも母さんからも一番遠くに行こうと思って。あの日、羽美との時間を止めてしまったこの場所に止まることが、贖罪のような気がして……。羽美にもう顔向けできないとも感じて、逃げたんだ。でも、ずっとこのままじゃいけないとは思ってた。そんなときに、晶から連絡が来たんだ」
隣で晶くんがしっかりと律さんのことを見つめているのが分かる。私は晶と律さんを交互に見ながら、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
「羽美が、友達の青葉ちゃんって子と旅をしている。兄貴も会ってほしい。とても素敵な旅だから——そう、言われた。“碧海”のSNSアカウントも見せてもらった」
「えっ」
これには私も素直に驚く。まさか、律さんに“碧海”の投稿を見られているとは思ってもみなかった。
「羽美が、きっと大切な生徒のために企画したんだろうなって分かって、嬉しかったんだ。羽美は高校生の頃からずっと、先生になりたいって言ってたよな。俺は羽美が夢を叶えるのを一番近くで見ていたし、先生になってからも、どうしたら生徒が自分らしく生きてくれるかって考えてたじゃん」
羽美先生が、“先生”として夢を叶えて、先生として自分の役割に専念してきた過去のことを、律さんはちゃんと見てくれていた。
「“碧海”の投稿を見て、俺と別れたあとも、ちゃんと前見て進んでるって分かって嬉しかったし、もう一度羽美に会いたいと思った」
律さんが、自分の頬に添えられていた先生の手を握る。先生の肩がぴくんと跳ねて、律さんの顔をまじまじと見つめた。
波の音にも負けない私の大声に、先生が私を見つめる。私は先生を見つめ返し、ゆっくりと頷いた。
大丈夫、先生。
今、律さんは先生の目の前にいるよ。だから言葉にすれば先生の想いはきっと届く。
「先生、自分の心の声に聞こえないふりをしないで」
先生が、いつも私に言ってくれた言葉を投げかける。リレーでバトンを渡すように、先生の胸の真ん中に、私の言葉が届くように。
羽美先生が、ゆっくりと律さんの頬に手を伸ばす。今にも涙がこぼれ落ちそうな律さんの頬を両手のひらで包み込んだ。先生の白く細い指に包まれた律さんの瞳は、揺蕩う泡沫のように揺れる。
「確かに、あの時別れを告げられて、辛かった。世界がひっくり返ったみたいに、目に映るすべての光景が灰色に見えて、現実が受け入れられなかった。その後も……律との別れを引きずって、今も新しい恋愛はできてない」
先生が、律さんと別れてから三年間、胸の中に溜めていた想いを吐き出していく。だけど、やっぱり時々辛そうな表情をしていて、大好きな人に本音を伝えることがどれほど苦しいことか、私は身に沁みて感じていた。
それでも、先生は言葉を口にするのをやめない。私との旅の中で、あの日閉じ込めた心の声に耳を傾けて、と優しく諭してくれた先生がそこにいた。
「別れた直後は、全部なかったことになったらいいのにって思った。律と出会ったことも、律と幸せな時間を過ごしたことも、全部忘れてしまいたいって思った。でも」
そこで先生はいったん言葉を切る。律さんの瞳がまんまるに見開かれていく。私は晶くんと、呼吸をするのも忘れたように、先生の言葉に耳を澄ませた。
「今、こうして青葉ちゃんと律とのデートコースを巡って……律の顔をもう一回見て思ったの。律と過ごした時間が、すごく幸せだったって。すごくすごく幸せだった気持ちを思い出して、やっぱり律に恋をして良かったなって、思ったんだ」
律さんの瞳がふるりと揺れる。目の縁に溜まっていく涙がこぼれないように、必死に顔に力を入れているのが分かった。
「あの時別れたのは律のせいじゃない。お母さんが亡くなったのも、律が悪いわけじゃない。律は何も悪くないよ」
はらはらとこぼれ落ちる涙を、もう律さんは抑えることができなかったようだ。
先生の細い指が律さんの涙を拭う。先生の優しい声が、律さんの胸に届いたのが分かって、じわりと込み上げるものがあった。
律さんはひとしきり涙を流したあと、ごしごしと自分の腕で涙を拭った。そして、沈みゆく陽の光を浴びながら、ゆっくりと“今”の本音を言葉にして紡ぐ。
「……羽美と別れてから、俺、沖縄に逃げて来てずっと引きこもってた。羽美からも母さんからも一番遠くに行こうと思って。あの日、羽美との時間を止めてしまったこの場所に止まることが、贖罪のような気がして……。羽美にもう顔向けできないとも感じて、逃げたんだ。でも、ずっとこのままじゃいけないとは思ってた。そんなときに、晶から連絡が来たんだ」
隣で晶くんがしっかりと律さんのことを見つめているのが分かる。私は晶と律さんを交互に見ながら、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
「羽美が、友達の青葉ちゃんって子と旅をしている。兄貴も会ってほしい。とても素敵な旅だから——そう、言われた。“碧海”のSNSアカウントも見せてもらった」
「えっ」
これには私も素直に驚く。まさか、律さんに“碧海”の投稿を見られているとは思ってもみなかった。
「羽美が、きっと大切な生徒のために企画したんだろうなって分かって、嬉しかったんだ。羽美は高校生の頃からずっと、先生になりたいって言ってたよな。俺は羽美が夢を叶えるのを一番近くで見ていたし、先生になってからも、どうしたら生徒が自分らしく生きてくれるかって考えてたじゃん」
羽美先生が、“先生”として夢を叶えて、先生として自分の役割に専念してきた過去のことを、律さんはちゃんと見てくれていた。
「“碧海”の投稿を見て、俺と別れたあとも、ちゃんと前見て進んでるって分かって嬉しかったし、もう一度羽美に会いたいと思った」
律さんが、自分の頬に添えられていた先生の手を握る。先生の肩がぴくんと跳ねて、律さんの顔をまじまじと見つめた。



