「私、青葉ちゃんに“自分の心の声を無視しないで”って言ってきたよね。自分の中のネガティブな声にも耳を傾けてほしいって。でも私は逆なんだ。ネガティブな言葉を吐きすぎたせいで、大切な人の心を壊してしまった。私たちは、正反対の人間同士なんだよ」
それはまるで、先生が自分と私との間に明確な線を引いたようだった。
「それ以来、人前であんまりネガティブな発言とかしないでおこうって。だから今、こんなおめでたい性格になっちゃったんだー」
えへへ、と鼻の下を掻きながら、なんでもないふうに笑って見せる先生。でも私には、先生が何事もないと思っているはずがないと感じた。
先生は律さんとの別れでとても傷ついたんだ。
だから、この旅の中で「結婚」というワードを聞くたびに、表情に翳りがさしていた。そもそもこの旅に私を誘ったのだって、きっとトラウマを解消するためで——。
「……」
そこまで考えた時、私は自分が今まで、どれだけ先生の心の傷に無頓着だったんだろうかと、気づけなかったやるせなさに襲われた。
時が止まったみたいに、無音の時間が続く。
せっかく先生と、こうして言葉で話すことができるようになったのに。先生に、これ以上踏み込んでくるなと言われているようで胸がしくしくと痛かった。
「本当に……」
先生の話を聞いて、胸に浮かんだ疑問がほろりと口から漏れかける。
先生は「なに?」と小さな声で問いかけた。
「本当に律さんは、先生のネガティブな発言で先生のこと嫌いになったのかな……」
私は律さんという人間を知らない。だから、正直なところ本当に彼がどういう気持ちで先生とお別れしたのかは分からない。でも、十年間も先生のそばにいて、先生の大事な誕生日にお別れを選んだということは、何か、とてもどうしようもない事情があったのだと思う。
「先生、これ以上、自分の心の声を押し留めないでください」
それは、旅の中で先生が私に言ってくれた言葉だった。
心の声を無視しないで。
あの言葉はたぶん、先生自身に言い聞かせたかったことじゃないのだろうか。
もうこれ以上大切な人に嫌われないように、ネガティブな感情を封じ込めた先生。でもそんなことを繰り返していたら、先生の本当の心が泣いてしまう。
だから私は、先生に自分の気持ちに素直になってほしかった。明るい先生の性格は大好きだけれど、だからと言って、先生が本来の自分を封じ込めてしまうのは本望じゃない。
「私は、“本当の先生”と向き合いたいです」
羽美先生の表情が、瞳が、みるみるうちに見開かれていく。未知なるものを発見した子どものように、私の顔をまじまじと見つめる。
「そう……だね。本当の私と……」
先生が、何かを考え込むようにしてか細く呟いた。きっと先生の中で、葛藤しているのだろう。本来の自分を出せば、私のことも追い詰めてしまうんじゃないかって。ネガティブな気持ちは伝播する。先生はたぶん、私を後ろ向きな言葉で汚したくないと思っているんだろう。
「本当はさ……」
それでも先生は、ぽつり、と本音を紡ぎ出す。目の前の生徒になら、弱音を吐いても大丈夫だと感じてくれたように。
「ずっと、一緒にいたかったんだ……律と。この先もずっと、年取ってお互いおじいちゃんとおばあちゃんになるまで、くだらないことで笑ったり怒ったり、時には喧嘩して仲直りしたりして、律の隣にいたかった」
私は、先生の切実な想いを聞いて大きく頷く。胸がじくじくと痛むのはきっと、先生が私以上に大切なものを語るから。それでも、胸の痛みには気づかないふりをして先生に言葉を吐き出させる。
「本当の自分だって隠したくない。でも隠さないとまた律がどこか遠くへ行ってしまう気がするの。……てもう、別れてるんだけどね。連絡手段もないし、きっとこの先一生会うこともない。そう思うと、寂しくて消えたくなる時がある」
寂しくて消えたくなる。
先生の抱えている孤独を肌で感じて、私は居ても立ってもいられなくなった。
「先生、私が……私が一緒にいます」
律さんの代わりにはならないけど、今はそう言うしかなかった。先生が弾かれたように顔を上げて、私をじっと見つめる。
「私がきっと、先生の孤独を救ってみせます。だから少し……待っていてくれませんか」
先生には、私の言っていることの意味が半分も理解できなかっただろう。首を傾げながらも、「うん」と子どもみたいに小さく頷いた。
私が先生の願いを叶える。
そのために、私は——。
それはまるで、先生が自分と私との間に明確な線を引いたようだった。
「それ以来、人前であんまりネガティブな発言とかしないでおこうって。だから今、こんなおめでたい性格になっちゃったんだー」
えへへ、と鼻の下を掻きながら、なんでもないふうに笑って見せる先生。でも私には、先生が何事もないと思っているはずがないと感じた。
先生は律さんとの別れでとても傷ついたんだ。
だから、この旅の中で「結婚」というワードを聞くたびに、表情に翳りがさしていた。そもそもこの旅に私を誘ったのだって、きっとトラウマを解消するためで——。
「……」
そこまで考えた時、私は自分が今まで、どれだけ先生の心の傷に無頓着だったんだろうかと、気づけなかったやるせなさに襲われた。
時が止まったみたいに、無音の時間が続く。
せっかく先生と、こうして言葉で話すことができるようになったのに。先生に、これ以上踏み込んでくるなと言われているようで胸がしくしくと痛かった。
「本当に……」
先生の話を聞いて、胸に浮かんだ疑問がほろりと口から漏れかける。
先生は「なに?」と小さな声で問いかけた。
「本当に律さんは、先生のネガティブな発言で先生のこと嫌いになったのかな……」
私は律さんという人間を知らない。だから、正直なところ本当に彼がどういう気持ちで先生とお別れしたのかは分からない。でも、十年間も先生のそばにいて、先生の大事な誕生日にお別れを選んだということは、何か、とてもどうしようもない事情があったのだと思う。
「先生、これ以上、自分の心の声を押し留めないでください」
それは、旅の中で先生が私に言ってくれた言葉だった。
心の声を無視しないで。
あの言葉はたぶん、先生自身に言い聞かせたかったことじゃないのだろうか。
もうこれ以上大切な人に嫌われないように、ネガティブな感情を封じ込めた先生。でもそんなことを繰り返していたら、先生の本当の心が泣いてしまう。
だから私は、先生に自分の気持ちに素直になってほしかった。明るい先生の性格は大好きだけれど、だからと言って、先生が本来の自分を封じ込めてしまうのは本望じゃない。
「私は、“本当の先生”と向き合いたいです」
羽美先生の表情が、瞳が、みるみるうちに見開かれていく。未知なるものを発見した子どものように、私の顔をまじまじと見つめる。
「そう……だね。本当の私と……」
先生が、何かを考え込むようにしてか細く呟いた。きっと先生の中で、葛藤しているのだろう。本来の自分を出せば、私のことも追い詰めてしまうんじゃないかって。ネガティブな気持ちは伝播する。先生はたぶん、私を後ろ向きな言葉で汚したくないと思っているんだろう。
「本当はさ……」
それでも先生は、ぽつり、と本音を紡ぎ出す。目の前の生徒になら、弱音を吐いても大丈夫だと感じてくれたように。
「ずっと、一緒にいたかったんだ……律と。この先もずっと、年取ってお互いおじいちゃんとおばあちゃんになるまで、くだらないことで笑ったり怒ったり、時には喧嘩して仲直りしたりして、律の隣にいたかった」
私は、先生の切実な想いを聞いて大きく頷く。胸がじくじくと痛むのはきっと、先生が私以上に大切なものを語るから。それでも、胸の痛みには気づかないふりをして先生に言葉を吐き出させる。
「本当の自分だって隠したくない。でも隠さないとまた律がどこか遠くへ行ってしまう気がするの。……てもう、別れてるんだけどね。連絡手段もないし、きっとこの先一生会うこともない。そう思うと、寂しくて消えたくなる時がある」
寂しくて消えたくなる。
先生の抱えている孤独を肌で感じて、私は居ても立ってもいられなくなった。
「先生、私が……私が一緒にいます」
律さんの代わりにはならないけど、今はそう言うしかなかった。先生が弾かれたように顔を上げて、私をじっと見つめる。
「私がきっと、先生の孤独を救ってみせます。だから少し……待っていてくれませんか」
先生には、私の言っていることの意味が半分も理解できなかっただろう。首を傾げながらも、「うん」と子どもみたいに小さく頷いた。
私が先生の願いを叶える。
そのために、私は——。



