傷だらけの私たちの#五感の旅 ーあの日閉じ込めた心の声ー

 開けた芝生の美しい公園には、噴水があり子どもたちが水遊びをしている。人は確かに多いけれど、駅に比べたら開放感に満ちている。この都会のオアシス的な空間で、心の中で負の感情を抱く人がいないのだと悟った。

「取り乱してしまって、ごめんなさい」
 
 耳からすっと両手を外すと、遠くから子どもたちのはしゃぐ声が聞こえた。決して嫌な感じはしない。人々の話し声も、普通に聞く分には何も悪いことではなかった。

「謝らなくていいの。音が聞こえるようになって、心の声がまた聞こえちゃうなんて、先生も予想してなくて。最初からその可能性も考えておけばよかったね。私が青葉ちゃんに無理させちゃったかも……。だから先生こそごめんね」

 眉根をぎゅっと寄せてから、先生が私を抱きしめる。先生の心音がすぐ近くで聞こえて、一定のリズムで刻み続けるその音に、壊れかけていた心の均衡が戻っていくのを感じた。

「先生のせいでも、ないです。私が自分でこうなることを考えておけば良かったんです」

「青葉ちゃん……」

 せっかく京都で音が戻ってきたことを喜んだのに、またこうしてネガティブな心の声に悩まされるようになるなんて。先生にも、たくさん心配をかけてしまって胸が苦しい。
 先生は私を抱きしめたまま、『旅カード』とぽつりと呟いた。

「ミッションのところに『雑踏→静寂で感じた変化を10文字以内の言葉でSNSに投稿する』って書いてあったね……。あれ、やるなら今だと思うけど、難しければ今日はパスしよう」

 先生にそう言われて、ふとそんなことが書いてあったなと思い出す。
 高層ビルに囲まれた街中で、この場所だけは“静寂”が寄り添っている。完全に静かなわけではないけれど、公園の中には穏やかな時間が流れていた。
 ありがたい提案ではあったが、これまでミッションを反故にしてきたことはない。だから今日も、きちんとミッションは遂行したかった。

「やります。たいしたことじゃないですし、先生と二人の旅を、完璧にしたいから」

 私は、Xを開いてたった今心に感じたことをゆっくりと綴っていく。

【心に隙間ができた】

 ここで言う“心に隙間”というのは、孤独感を表す言葉ではない。雑踏の中で塞がっていた心が、公園に来ることで開いていったという意味だ。

「いい投稿だね」

 先生は私の投稿を見てにっこりと微笑む。
 その言葉を聞いて、やっぱりミッションをやって良かったと思えた。

「青葉ちゃん」

 先生がふと、思い出したかのように呟く。

「私はこの旅の中で、青葉ちゃんを幸せに導いてあげられてるのかな……」

「え……?」

 初めて耳にする、先生の弱音。この旅の中で、先生の顔に翳りが生まれるところを確かに見たけれど、こうして言葉で迷いを聞いたのは初めてだ。

「幸せ、ですよ。さっきは確かに取り乱してしまいましたけれど、でも先生と一緒にいられて、楽しいです」

 先生は何に悩んでいるんだろう。
 ずっと、先生は完璧な“先生”だと思っていた。
 でも違うのかもしれない。
 私よりも十歳以上も年上の女性で、きちんとした仕事に就いて、こうして私を励まし、一緒に前に進もうと努力してくれている。私が道に迷わないように、手をとって、まっすぐに道を歩かせてくれた。
 だけど先生だって、当たり前だけど人間だ。
 私と同じように、道に迷ったり、立ち止まったり、どう進んだらいいのか分からなくなったりするのかもしれない。

「先生は、何を——」

 先生の本心を知りたくて、そう問いかけた時だった。
 ぽつり、と一滴の雨粒が頭に落ちてきた。私と先生が同時に「あ」と声を上げる。その瞬間、今度はザーッと激しい雨が降り出した。

「きゃあ!?」

「すごい降ってきたねっ。建物の中に入ろう」

 芝生にいた人たちが、ダダダッと駆けてきて、公園に併設している商業施設の中に入っていく。私も先生とはぐれないように、必死になって走った。
 走っているうちに、さっき先生にしようとしていた質問も忘れてしまって、「今日はウィンドウショッピングでもするかー」という先生の提案にのって、その日は一日を過ごすのだった。