京都での奇跡のような一日を終えた翌日、私たちは鴨川での散歩中に河川敷で拾った『旅カードNo.10』に書かれていた次の目的地、大阪へとやってきた。

京都から大阪へはJRで一時間もせずに移動できたので、とても楽だった。
混み合う電車の中、久しぶりに耳が聞こえるようになったことで雑音を煩わしく感じてしまう。耳が聞こえなくなるまでの十四年間、日常の中でこんなにも鬱陶しいくらい音を聞いていたのだと知って、身震いした。
「青葉ちゃん、大丈夫? まだ耳が治ったばかりだから、調子狂うよね」
私が青い顔をしているのに気づいた先生が、気を遣ってそう聞いてくる。先生の声は、変わらず水が流れるみたいにやさしく耳に響く。だから先生の言葉には自然と心が傾いてしまうのかもしれない。
「大丈夫です……と言いたいところなのですが、やっぱりまだ慣れないですね」
今日の目的地である「グラングリーン大阪・うめきた公園」最寄りのJR大阪駅に着いたところで、私は本音を吐き出した。
「ゆっくりでいいよ。青葉ちゃんが慣れないなら、話すのも手話でいいし。ゆっくり歩こう」
ゆっくり歩こう。
先生の温かな言葉が、じんわりと胸に溶けていく。
やっぱり、羽美先生は私の救いであり、一番信頼できる人だ。
前後左右を通り過ぎていく人々の中で、先生の声だけが優しく耳に届く。周囲の雑踏は意識的に聞かないようにして、先生の隣を歩いた。
……でも。
途中でどうしても足音や周囲の人たちの話し声が嫌というくらい耳に響いて、思わず顔を顰める。
だめだ、だめ。気にしたらだめだ。先生だって、ゆっくりでいいと言ってくれているんだから。気にするな——。
必死に自分にそう言い聞かせながら前に進んでいた、その時だ。
“さっきの痴漢野郎、最低すぎ。早くつかまってほしい”
“もう、なんでみんなぶつかってくるん。ちゃんと前見ろよ”
“前の人歩くのおそ〜邪魔やな”
ぴたり、と歩みを止めた。
聞こえる……。
他人のネガティブな心の声……。
もう二度と聞きたくないと思っていた、誰かの負の感情が、なんでまた聞こえるの——。
咄嗟に立ち止まって耳を塞ぎ、余計な音が聞こえないように抵抗する。外の世界の音はそれでいくらか遮断されるけれど、“心の声”までは遮ることができない。
“チッ、邪魔やねん”
ドン、と男の人に肩をぶつけられてよろめく。そこでようやく、先生も私が立ち止まっていることに気づいて、振り返る。
「青葉ちゃん?」
はあ、はあ、とどんどん呼吸が速くなっていく。
息が苦しい。
「青葉ちゃんっ」
先生が悲痛な声を上げて、耳を塞いでいる私の手の上から自分の手を重ねる。それでも症状が治らないので、先生はようやく私が雑踏の音で苦しんでいるのではないと分かったようだ。
「もしかして、“心の声”が聞こえるの?」
先生の問いに、私はカクカクと頷く。
返事を聞いた先生は、あたふたと周りを見回して、やがて「こっち」と私の肩を支えながら歩き出した。
駅構内から外に出て、すぐそばにある今日の目的地、グラングリーン大阪・うめきた公園に私を連れて行ってくれた。
「ここなら、少しましになる……?」
「は、はい……」
心配そうな先生の目を見つめながら、私は必死に頷いた。
聞こえない……。
誰かのネガティブな心の声が、この場所では聞こえてこない。
ようやくふーっと大きく息を吐き出すと、動悸が収まっていくのが分かった。

京都から大阪へはJRで一時間もせずに移動できたので、とても楽だった。
混み合う電車の中、久しぶりに耳が聞こえるようになったことで雑音を煩わしく感じてしまう。耳が聞こえなくなるまでの十四年間、日常の中でこんなにも鬱陶しいくらい音を聞いていたのだと知って、身震いした。
「青葉ちゃん、大丈夫? まだ耳が治ったばかりだから、調子狂うよね」
私が青い顔をしているのに気づいた先生が、気を遣ってそう聞いてくる。先生の声は、変わらず水が流れるみたいにやさしく耳に響く。だから先生の言葉には自然と心が傾いてしまうのかもしれない。
「大丈夫です……と言いたいところなのですが、やっぱりまだ慣れないですね」
今日の目的地である「グラングリーン大阪・うめきた公園」最寄りのJR大阪駅に着いたところで、私は本音を吐き出した。
「ゆっくりでいいよ。青葉ちゃんが慣れないなら、話すのも手話でいいし。ゆっくり歩こう」
ゆっくり歩こう。
先生の温かな言葉が、じんわりと胸に溶けていく。
やっぱり、羽美先生は私の救いであり、一番信頼できる人だ。
前後左右を通り過ぎていく人々の中で、先生の声だけが優しく耳に届く。周囲の雑踏は意識的に聞かないようにして、先生の隣を歩いた。
……でも。
途中でどうしても足音や周囲の人たちの話し声が嫌というくらい耳に響いて、思わず顔を顰める。
だめだ、だめ。気にしたらだめだ。先生だって、ゆっくりでいいと言ってくれているんだから。気にするな——。
必死に自分にそう言い聞かせながら前に進んでいた、その時だ。
“さっきの痴漢野郎、最低すぎ。早くつかまってほしい”
“もう、なんでみんなぶつかってくるん。ちゃんと前見ろよ”
“前の人歩くのおそ〜邪魔やな”
ぴたり、と歩みを止めた。
聞こえる……。
他人のネガティブな心の声……。
もう二度と聞きたくないと思っていた、誰かの負の感情が、なんでまた聞こえるの——。
咄嗟に立ち止まって耳を塞ぎ、余計な音が聞こえないように抵抗する。外の世界の音はそれでいくらか遮断されるけれど、“心の声”までは遮ることができない。
“チッ、邪魔やねん”
ドン、と男の人に肩をぶつけられてよろめく。そこでようやく、先生も私が立ち止まっていることに気づいて、振り返る。
「青葉ちゃん?」
はあ、はあ、とどんどん呼吸が速くなっていく。
息が苦しい。
「青葉ちゃんっ」
先生が悲痛な声を上げて、耳を塞いでいる私の手の上から自分の手を重ねる。それでも症状が治らないので、先生はようやく私が雑踏の音で苦しんでいるのではないと分かったようだ。
「もしかして、“心の声”が聞こえるの?」
先生の問いに、私はカクカクと頷く。
返事を聞いた先生は、あたふたと周りを見回して、やがて「こっち」と私の肩を支えながら歩き出した。
駅構内から外に出て、すぐそばにある今日の目的地、グラングリーン大阪・うめきた公園に私を連れて行ってくれた。
「ここなら、少しましになる……?」
「は、はい……」
心配そうな先生の目を見つめながら、私は必死に頷いた。
聞こえない……。
誰かのネガティブな心の声が、この場所では聞こえてこない。
ようやくふーっと大きく息を吐き出すと、動悸が収まっていくのが分かった。



