私の通う日高高校には職員室がある二階の隣に自習室が位置している。
職員室のすぐ近くにあるので、先生に監視されているような感覚になり、勉強がはかどるのだ。先生たちの思惑でこの場所に自習室が設置されたとしか思えない。だからあまり利用する人はいなくて、テスト前しかひと気はない。
だけどそこは、教室に居場所がない私にとって体のいいシェルターのような場所だった。
一学期の期末テストはとうの昔に終わり、成績表をもらう直前だというのに、私は今日も朝のHRが始まる前の時間に自習室に引きこもっていた。大学受験に向けて、そろそろ本格的に動き出さなくちゃいけないな——受験するかも分からないのだけど。大学に行ったところで、変わらない毎日が待っているだけなのかもしれない。一人きりで引きこもって、他者と関わることを避けて生きる、そんな寂しい毎日が。
そうと分かっていても、数学の問題集を広げ、問題を解いていた。
勉強をしている時間は、自分自身を肯定できるから好きだ。とりあえず、未来に向かって努力しているという感覚になれるから。それがたとえ、他者と関わることのできない淋しさを埋めるためでも。
途中、お茶を飲みたくなって鞄に手を伸ばす。
水筒を取り出すと同時に、昨日鞄のポケットに入れた空色の封筒が視界に入り、思わずそれを掴んだ。
結局これは何なんだろう。
一夜明けたところで、答えが分かるはずもなく。
お茶を一口、口に含みつつ、手紙を天井にかざしたり裏返したりして悶々と考えていた。
ちょうどその時だった。
「あら、テスト前でもないのに真面目だねえ」
教室の扉が開かれるような音は、少しだけ聞こえた。勉強に集中していたら気づかないくらいの音だ。にもかかわらず、その人の声だけは、川の水のせせらぎのように、さらさらとやさしく耳に届いた。
振り返って扉のところを見つめると、去年、私の担任をしてくれていた現代文の小日向羽美先生が立っていた。二十九歳で独身の彼女は先生というより、気の利いた“お姉ちゃん”という感じで、生徒から慕われている。黒髪で緩やかにウェーブのかかった髪の毛が大人の女性らしさを醸し出している。私もだが、女子生徒はみんな先生のことを「羽美ちゃん」とか「羽美先生」とか下の名前で呼んでいた。
「おはようございます」
右手の拳を顔の前で下に振って、両手の人差し指を向かい合わせてお辞儀をするように折り曲げる。
「おはようございます」の手話だ。
すると先生が、私と同じように手話で「おはよう」と返してくれる。
羽美先生は手話ができる数少ない先生の一人だ。
「ねえ青葉ちゃん、こんな時間から勉強かと思ったら、それ、何読んでるの?」
先生も私のことを「青葉ちゃん」と呼ぶ。
どういう基準かは分からないけれど、先生の中で親しい関係の生徒は名前で呼んでいるようだ。去年、同じクラスだった女子はほとんどみんな名前で呼ばれていた。私もその一人に過ぎないのに、先生から名前を呼ばれるたびに、胸が甘やかにときめく。
不意打ちで先生から手紙を覗き込まれて、避けることもできずに中身を見られてしまう。
「心の声を聞く……五感の旅? 旅カード? 何それ、面白そう」
いたずらを覚えた子どもみたいに、先生ははにかみながら純粋な反応を見せた。
面白そう、か。
確かに最初は不可思議すぎて戸惑ったが、『旅カード』をよく読んでみると確かに面白そうなのだ。『旅カード』には旅のテーマや体験内容が書かれているが、「小さなガラス工房で、自分だけのオリジナルガラスを作る」という一文がもう魅力的。ガラス製作なんてやったことがないけれど、キラキラ光るガラスを想像すると胸が躍った。
そんな私の心中を察したのか、先生が「いいことを思いついた」と言わんばかりに、にやりと口角を持ち上げる。
職員室のすぐ近くにあるので、先生に監視されているような感覚になり、勉強がはかどるのだ。先生たちの思惑でこの場所に自習室が設置されたとしか思えない。だからあまり利用する人はいなくて、テスト前しかひと気はない。
だけどそこは、教室に居場所がない私にとって体のいいシェルターのような場所だった。
一学期の期末テストはとうの昔に終わり、成績表をもらう直前だというのに、私は今日も朝のHRが始まる前の時間に自習室に引きこもっていた。大学受験に向けて、そろそろ本格的に動き出さなくちゃいけないな——受験するかも分からないのだけど。大学に行ったところで、変わらない毎日が待っているだけなのかもしれない。一人きりで引きこもって、他者と関わることを避けて生きる、そんな寂しい毎日が。
そうと分かっていても、数学の問題集を広げ、問題を解いていた。
勉強をしている時間は、自分自身を肯定できるから好きだ。とりあえず、未来に向かって努力しているという感覚になれるから。それがたとえ、他者と関わることのできない淋しさを埋めるためでも。
途中、お茶を飲みたくなって鞄に手を伸ばす。
水筒を取り出すと同時に、昨日鞄のポケットに入れた空色の封筒が視界に入り、思わずそれを掴んだ。
結局これは何なんだろう。
一夜明けたところで、答えが分かるはずもなく。
お茶を一口、口に含みつつ、手紙を天井にかざしたり裏返したりして悶々と考えていた。
ちょうどその時だった。
「あら、テスト前でもないのに真面目だねえ」
教室の扉が開かれるような音は、少しだけ聞こえた。勉強に集中していたら気づかないくらいの音だ。にもかかわらず、その人の声だけは、川の水のせせらぎのように、さらさらとやさしく耳に届いた。
振り返って扉のところを見つめると、去年、私の担任をしてくれていた現代文の小日向羽美先生が立っていた。二十九歳で独身の彼女は先生というより、気の利いた“お姉ちゃん”という感じで、生徒から慕われている。黒髪で緩やかにウェーブのかかった髪の毛が大人の女性らしさを醸し出している。私もだが、女子生徒はみんな先生のことを「羽美ちゃん」とか「羽美先生」とか下の名前で呼んでいた。
「おはようございます」
右手の拳を顔の前で下に振って、両手の人差し指を向かい合わせてお辞儀をするように折り曲げる。
「おはようございます」の手話だ。
すると先生が、私と同じように手話で「おはよう」と返してくれる。
羽美先生は手話ができる数少ない先生の一人だ。
「ねえ青葉ちゃん、こんな時間から勉強かと思ったら、それ、何読んでるの?」
先生も私のことを「青葉ちゃん」と呼ぶ。
どういう基準かは分からないけれど、先生の中で親しい関係の生徒は名前で呼んでいるようだ。去年、同じクラスだった女子はほとんどみんな名前で呼ばれていた。私もその一人に過ぎないのに、先生から名前を呼ばれるたびに、胸が甘やかにときめく。
不意打ちで先生から手紙を覗き込まれて、避けることもできずに中身を見られてしまう。
「心の声を聞く……五感の旅? 旅カード? 何それ、面白そう」
いたずらを覚えた子どもみたいに、先生ははにかみながら純粋な反応を見せた。
面白そう、か。
確かに最初は不可思議すぎて戸惑ったが、『旅カード』をよく読んでみると確かに面白そうなのだ。『旅カード』には旅のテーマや体験内容が書かれているが、「小さなガラス工房で、自分だけのオリジナルガラスを作る」という一文がもう魅力的。ガラス製作なんてやったことがないけれど、キラキラ光るガラスを想像すると胸が躍った。
そんな私の心中を察したのか、先生が「いいことを思いついた」と言わんばかりに、にやりと口角を持ち上げる。



