「嘘……なんでこんな」
私は、画面に映し出される自分と先生の名前や高校名を見て、これが現実だとは思えなくなっていた。
確かに後ろ姿とはいえ、自分たちの写真を載せたのは私だ。まさか、悪意のある引用をされるなんて思ってもみなかったのだ。私はただ、大好きな先生との思い出を残したくて——。
どんなに言い訳をしようと、私にネットリテラシーがなかったのは事実だ。言い訳のしようがない。どうしよう。どうすればいいの。
頭の中が真っ白になっていた矢先、先生が突如、自分のスマホを耳に押し当てた。誰かから電話がかかってきたのだ。
「すみません……はい、はい……重々承知しております……でも」
「……またご説明します。だからどうかもう少しだけ……」
先生が電話口に向かって謝りながら、眉根をぎゅっと寄せて辛そうに言葉を紡いでいた。私は見ていられなくなって、拳を握りしめる。背中や額からとめどなく噴き出てくる汗は、夏の暑さのせいではなかった。
パニックに陥りかけていた時、先ほど私たちを見ていた女性たちの他にも、すぐ近くに野次馬のようにちらほらと人が集まってきているのに気づいた。みんなが“碧海”の炎上の件を知っているわけではないと分かっているのに、どうしてもみんなが“敵”に見えてしまう。そのうち、私たちにカメラを向ける人まで現れた。
たまらなくなって、咄嗟に目を閉じる。
シャッター音こそ聞こえないが、先生の表情から、写真を撮られたことはすぐに分かった。
「もう……旅をやめたい」
そっと呟いた。手話ではなく、自分の声で。羽美先生が私を食い入るようにして見つめる。その瞳に、懇願するようにして訴えかけた。
もう、旅なんてやめましょう。
だが、先生は「それはだめ!」と必死に叫んだ。聴衆たちが何事かとざわめく様子が視界の端にちらちらと映り込む。鬱陶しさに、目を背けたくなった時。
「ほら、次の『旅カード』がこんなところに!」
先生が野次馬たちを掻い潜り、タタタッと橋の上を駆けて、その場にしゃがみ込む。その手にはいつも通り、空色の封筒が握りしめられていた。
封筒を目にした途端、胸にズキリと鋭い痛みが駆け抜ける。
どうしてですか、先生。
先生は苦しくないんですか。
SNSであんなことを書かれて、なんでまだ平然と旅を続けられるんですか。
さっきの電話だってきっと、学校からのお叱りの電話だったんでしょ。
私のせいで、自分の身がどうなるかも分からないのに、どうしてそこまでして——。
「ほら、行こう」
戻ってきた先生が、私の右手を握る。誰よりも温かく、これまで私を導いてくれた手。こんな時なのに、先生に手を握られて、心臓が痛いくらいにドキドキと鳴ってしまう。
「いやですっ……」
手を握られているから、再び口で伝えるしかなかった。
私には私の発する声が聞こえない。でも、先生にだけは私の声はちゃんと届いている。先生はいつだって、私の話を最後までしっかりと聞いてくれた。それなのに今は、私の気持ちを汲んでくれないの……?
しばらくの間、先生は何も言わなかった。
私たちを取り囲んでいた野次馬たちも、興味がなくなったのか、次第に散り散りになっていく。
浅野川の水面が、橙色の光を反射してきらきらと煌めいていた。群青色へと変わり始めた空は、まもなくこの場所が夜に包まれるのを教えてくれていた。
「それでも……」
やがて、先生がぽつりと言葉を吐き出す。
浅野川の水の流れのように、さらさらと流れるように聞こえる先生の声は、胸にしんみりと、でも確実に浸透していく。
「それでも私は、青葉ちゃんと旅をしたい」
心臓ごと掴まれたような衝撃に、私ははっと目を瞬かせた。
羽美先生……。
胸の中を駆けずり回るのは、先生にまだ一緒に旅を続けたいと言われた喜びであり、私が先生をこの先も傷つけてしまうのではないかという恐れだった。
しんしんと近づいてくる夜が、私たちを闇の中に飲み込んでいく。
胸の中で、「先生とずっと一緒にいたい」という気持ちが大きく膨らんでいくことに、私は耐えられなくなった。
私は、最低だ。
私のせいで、先生が職を失うかもしれないのに。
それでも、大好きな先生を失いたくないと思っている。
とんでもなく自分勝手な気持ちに気づいてしまった私はもう、その日は夜眠りにつくまで、先生の顔を直視することができなくなった。
【8/10 今日はいろんなことがあって……正直、気持ちの整理がつきません。大切な人を、私が一番傷つけていると思うと、どうしようもないほど苦しいです。#五感の旅】
【8/10 自分の気持ちを聞いてほしいって思うのは、誰にだってあることだと思うけど……心のうちを話すことで傷つけてしまうなら、やっぱりもう話さないほうがいいのかな。#五感の旅】
夜、布団の中に潜り込んで、むきだしの気持ちを綴っていく。
今も、炎上している投稿には通知がひっきりなしに続く。サイレントマナーモードにしているから、スマホが震えることはないけれど、Xを開いていると、どうしても通知マークが目に飛び込んでくる。
私は、先ほど綴った言葉を下書き保存した。
とてもじゃないが、今は投稿なんてできそうにない。
8/9の投稿も消してしまいたい衝動に駆られたけれど、先生と二人で歩んできた道が消えてしまうようで、できなかった。
私は、画面に映し出される自分と先生の名前や高校名を見て、これが現実だとは思えなくなっていた。
確かに後ろ姿とはいえ、自分たちの写真を載せたのは私だ。まさか、悪意のある引用をされるなんて思ってもみなかったのだ。私はただ、大好きな先生との思い出を残したくて——。
どんなに言い訳をしようと、私にネットリテラシーがなかったのは事実だ。言い訳のしようがない。どうしよう。どうすればいいの。
頭の中が真っ白になっていた矢先、先生が突如、自分のスマホを耳に押し当てた。誰かから電話がかかってきたのだ。
「すみません……はい、はい……重々承知しております……でも」
「……またご説明します。だからどうかもう少しだけ……」
先生が電話口に向かって謝りながら、眉根をぎゅっと寄せて辛そうに言葉を紡いでいた。私は見ていられなくなって、拳を握りしめる。背中や額からとめどなく噴き出てくる汗は、夏の暑さのせいではなかった。
パニックに陥りかけていた時、先ほど私たちを見ていた女性たちの他にも、すぐ近くに野次馬のようにちらほらと人が集まってきているのに気づいた。みんなが“碧海”の炎上の件を知っているわけではないと分かっているのに、どうしてもみんなが“敵”に見えてしまう。そのうち、私たちにカメラを向ける人まで現れた。
たまらなくなって、咄嗟に目を閉じる。
シャッター音こそ聞こえないが、先生の表情から、写真を撮られたことはすぐに分かった。
「もう……旅をやめたい」
そっと呟いた。手話ではなく、自分の声で。羽美先生が私を食い入るようにして見つめる。その瞳に、懇願するようにして訴えかけた。
もう、旅なんてやめましょう。
だが、先生は「それはだめ!」と必死に叫んだ。聴衆たちが何事かとざわめく様子が視界の端にちらちらと映り込む。鬱陶しさに、目を背けたくなった時。
「ほら、次の『旅カード』がこんなところに!」
先生が野次馬たちを掻い潜り、タタタッと橋の上を駆けて、その場にしゃがみ込む。その手にはいつも通り、空色の封筒が握りしめられていた。
封筒を目にした途端、胸にズキリと鋭い痛みが駆け抜ける。
どうしてですか、先生。
先生は苦しくないんですか。
SNSであんなことを書かれて、なんでまだ平然と旅を続けられるんですか。
さっきの電話だってきっと、学校からのお叱りの電話だったんでしょ。
私のせいで、自分の身がどうなるかも分からないのに、どうしてそこまでして——。
「ほら、行こう」
戻ってきた先生が、私の右手を握る。誰よりも温かく、これまで私を導いてくれた手。こんな時なのに、先生に手を握られて、心臓が痛いくらいにドキドキと鳴ってしまう。
「いやですっ……」
手を握られているから、再び口で伝えるしかなかった。
私には私の発する声が聞こえない。でも、先生にだけは私の声はちゃんと届いている。先生はいつだって、私の話を最後までしっかりと聞いてくれた。それなのに今は、私の気持ちを汲んでくれないの……?
しばらくの間、先生は何も言わなかった。
私たちを取り囲んでいた野次馬たちも、興味がなくなったのか、次第に散り散りになっていく。
浅野川の水面が、橙色の光を反射してきらきらと煌めいていた。群青色へと変わり始めた空は、まもなくこの場所が夜に包まれるのを教えてくれていた。
「それでも……」
やがて、先生がぽつりと言葉を吐き出す。
浅野川の水の流れのように、さらさらと流れるように聞こえる先生の声は、胸にしんみりと、でも確実に浸透していく。
「それでも私は、青葉ちゃんと旅をしたい」
心臓ごと掴まれたような衝撃に、私ははっと目を瞬かせた。
羽美先生……。
胸の中を駆けずり回るのは、先生にまだ一緒に旅を続けたいと言われた喜びであり、私が先生をこの先も傷つけてしまうのではないかという恐れだった。
しんしんと近づいてくる夜が、私たちを闇の中に飲み込んでいく。
胸の中で、「先生とずっと一緒にいたい」という気持ちが大きく膨らんでいくことに、私は耐えられなくなった。
私は、最低だ。
私のせいで、先生が職を失うかもしれないのに。
それでも、大好きな先生を失いたくないと思っている。
とんでもなく自分勝手な気持ちに気づいてしまった私はもう、その日は夜眠りにつくまで、先生の顔を直視することができなくなった。
【8/10 今日はいろんなことがあって……正直、気持ちの整理がつきません。大切な人を、私が一番傷つけていると思うと、どうしようもないほど苦しいです。#五感の旅】
【8/10 自分の気持ちを聞いてほしいって思うのは、誰にだってあることだと思うけど……心のうちを話すことで傷つけてしまうなら、やっぱりもう話さないほうがいいのかな。#五感の旅】
夜、布団の中に潜り込んで、むきだしの気持ちを綴っていく。
今も、炎上している投稿には通知がひっきりなしに続く。サイレントマナーモードにしているから、スマホが震えることはないけれど、Xを開いていると、どうしても通知マークが目に飛び込んでくる。
私は、先ほど綴った言葉を下書き保存した。
とてもじゃないが、今は投稿なんてできそうにない。
8/9の投稿も消してしまいたい衝動に駆られたけれど、先生と二人で歩んできた道が消えてしまうようで、できなかった。



