「このお姉ちゃん、すごいんだよ。耳が聞こえないのに、喋れるの」
「耳がきこないの……?」
純粋な疑問に満ちたまなざしで、サキちゃんが私をはたと見上げる。私は「そうだよ」と手話を使って答えた。
「今、“そうだよ”って言ったんだー。ね、耳が聞こえなくてもお手手で会話ができるの、すごいでしょ」
「うん。あおばちゃん、すごい」
素直なサキちゃんは心から私のことを“すごい”と思ってくれている様子で、私をきらきらとした瞳で見つめる。さっきまでしょぼくれていたのに、その変わりように、私は純粋に驚いた。
それから、小さな子から「すごい」と思ってもらって、素直に嬉しい。
先生がしたり顔で私を見つめる。「あとは青葉ちゃんの仕事」とでもいうように。秘密を打ち明ける乙女のような視線を私に向けた。
「サキちゃんは、どうしてお父さんとお母さんの前から走ってきたの?」
伝わらないと分かっていながら、私はあえて手話で問いかける。大丈夫。隣で羽美先生が翻訳してくれるから。そう安心しながら言葉を描いていく。
「……けんかしちゃったの」
「喧嘩? なんで喧嘩しちゃったのかな」
「だって……だってママが、スマホばっかり見て、サキが話しかけても答えてくれないんだもんっ……。ママ、って何回も話しかけたら、『うるさい』って怒られて、それで……」
羽美先生が眉根を寄せながらサキちゃんの言葉を繰り返す。サキちゃんはやっぱり喧嘩のことを思い出すと悲しい気分になったのか、ポロポロと大きな瞳から涙をこぼしていた。
私ははっとして、私たちの後ろ、少し遠くのほうで立ってこちらを見つめているご両親のほうを振り返る。二人はサキちゃんの声が聞こえたのか、表情を強張らせて震えていた。
心当たりがあるのだろう。
私は、お母さんの気持ちになって想像する。
現代人ならば誰しも、スマホは手放せない。
彼女たちが旅行の最中かは分からないが、観光スポットを訪れて、その思い出を写真に残したりSNSに投稿したりしたいと思うのは普通の感情だろう。
お母さんが夢中になってスマホを操作しているときに、横から何度も「ママ、ママ」と呼びかけられたら。私でも、「うるさい」と怒ってしまうかもしれない。
だけど……お母さんに話を聞いてほしかったというサキちゃんの気持ちも痛いほどよく分かる。
「私も、あるよ。自分の気持ちを聞いてほしいって思ったこと……何度も、ある」
他人のネガティブな心の声が聞こえることで、どんどん自分の殻に閉じこもってしまっていた過去を思い出しながら言う。
あのとき……誰かの本音を聞くのが怖くて、逆に自分の本音を他人に伝えることが怖かった。
“そうだね”
“私もそう思う”
“かわいいよね”
“私もそれ、好き”
みんながほしい言葉を、ただ言葉にするだけ。
そこに私の本当の気持ちなど、一つもなかった。
建前だらけの言葉を並べ立てて、他人を不快にさせないように頑張っていたのだ。
今は、音が聞こえなくなってしまったが、先生との旅を通して、むしろ手話でこれまで話せなかった本音を一つずつ話せているような気がする。
サキちゃんが、涙を引っ込めて、じいっと私を見つめている。
「もう一度、お母さんとお父さんと話してみない? 結局ね、本当の気持ちって、言葉にしないと伝わらないものなんだ。今のサキちゃんの寂しいっていう気持ちをそのままぶつけてみるの。きっと二人とも、サキちゃんの気持ちを分かってくれると思うよ」
サキちゃんが潤んだ瞳で、「……うん」と小さく首を縦に振った。
「えらいね、いい子」
私はサキちゃんの頭をぽんぽんと撫でる。
顔をしっかりと上げたサキちゃんが、後ろにいるご両親に気づいて、「パパ、ママ」と呼んだのが分かった。振り返ると、ご両親はいつのまにかすぐ近くまでやって来ていた。私と先生はさっと二人に道を譲る。
「パパ、ママ、ごめんなさい。サキ、ママたちに話を聞いてほしくて、さみしかったの……」
私のアドバイス通りに、サキちゃんはしっかりと自分の気持ちをご両親に伝えていた。
二人はきっと、さっきのやりとりを後ろで聞いていたんだろう。
「うん、うん。ママのほうこそごめんね」とお母さんが涙目になって謝っていた。
「俺も、ママが忙しいときは俺が構えばよかったんだ。だから、ごめんな」
大好きな二人がちゃんと自分と向き合ってくれることに満足したのか、サキちゃんは「いいよ」と答えていた。
「よかったね、サキちゃん」
先生がサキちゃんを見つめてにっこり笑う。「うん!」と彼女が飛び跳ねる。やっぱり、子どもは元気でいてくれるのが一番だ。嬉しそうに笑った顔はとても可愛らしかった。
「あの、どうもありがとうございました。私たちだけだったら、きっとこんなふうにうまくできなかったと思います」
お母さんが、私たちに深々と頭を下げる。
私と先生は同時に「いえ」と首を横に振った。
「できますよ。だってサキちゃんはこんなにお二人のこと、大好きなんですから」
先生の清々しい一言に、ご両親の表情がくしゃりと泣き顔に変わる。
でも、子どもの前で泣くわけにはいかないと思ったのか、すぐに凛とした顔つきになると、「ありがとうございます」とお礼を言われた。
私はサキちゃんに、「ありがとう」と手話で挨拶をする。
サキちゃんが私の真似をして、左手の甲を右手の小指側で軽く叩いて、上げる。
にっこりと微笑んだあと、お母さんに飛びついていた。
「耳がきこないの……?」
純粋な疑問に満ちたまなざしで、サキちゃんが私をはたと見上げる。私は「そうだよ」と手話を使って答えた。
「今、“そうだよ”って言ったんだー。ね、耳が聞こえなくてもお手手で会話ができるの、すごいでしょ」
「うん。あおばちゃん、すごい」
素直なサキちゃんは心から私のことを“すごい”と思ってくれている様子で、私をきらきらとした瞳で見つめる。さっきまでしょぼくれていたのに、その変わりように、私は純粋に驚いた。
それから、小さな子から「すごい」と思ってもらって、素直に嬉しい。
先生がしたり顔で私を見つめる。「あとは青葉ちゃんの仕事」とでもいうように。秘密を打ち明ける乙女のような視線を私に向けた。
「サキちゃんは、どうしてお父さんとお母さんの前から走ってきたの?」
伝わらないと分かっていながら、私はあえて手話で問いかける。大丈夫。隣で羽美先生が翻訳してくれるから。そう安心しながら言葉を描いていく。
「……けんかしちゃったの」
「喧嘩? なんで喧嘩しちゃったのかな」
「だって……だってママが、スマホばっかり見て、サキが話しかけても答えてくれないんだもんっ……。ママ、って何回も話しかけたら、『うるさい』って怒られて、それで……」
羽美先生が眉根を寄せながらサキちゃんの言葉を繰り返す。サキちゃんはやっぱり喧嘩のことを思い出すと悲しい気分になったのか、ポロポロと大きな瞳から涙をこぼしていた。
私ははっとして、私たちの後ろ、少し遠くのほうで立ってこちらを見つめているご両親のほうを振り返る。二人はサキちゃんの声が聞こえたのか、表情を強張らせて震えていた。
心当たりがあるのだろう。
私は、お母さんの気持ちになって想像する。
現代人ならば誰しも、スマホは手放せない。
彼女たちが旅行の最中かは分からないが、観光スポットを訪れて、その思い出を写真に残したりSNSに投稿したりしたいと思うのは普通の感情だろう。
お母さんが夢中になってスマホを操作しているときに、横から何度も「ママ、ママ」と呼びかけられたら。私でも、「うるさい」と怒ってしまうかもしれない。
だけど……お母さんに話を聞いてほしかったというサキちゃんの気持ちも痛いほどよく分かる。
「私も、あるよ。自分の気持ちを聞いてほしいって思ったこと……何度も、ある」
他人のネガティブな心の声が聞こえることで、どんどん自分の殻に閉じこもってしまっていた過去を思い出しながら言う。
あのとき……誰かの本音を聞くのが怖くて、逆に自分の本音を他人に伝えることが怖かった。
“そうだね”
“私もそう思う”
“かわいいよね”
“私もそれ、好き”
みんながほしい言葉を、ただ言葉にするだけ。
そこに私の本当の気持ちなど、一つもなかった。
建前だらけの言葉を並べ立てて、他人を不快にさせないように頑張っていたのだ。
今は、音が聞こえなくなってしまったが、先生との旅を通して、むしろ手話でこれまで話せなかった本音を一つずつ話せているような気がする。
サキちゃんが、涙を引っ込めて、じいっと私を見つめている。
「もう一度、お母さんとお父さんと話してみない? 結局ね、本当の気持ちって、言葉にしないと伝わらないものなんだ。今のサキちゃんの寂しいっていう気持ちをそのままぶつけてみるの。きっと二人とも、サキちゃんの気持ちを分かってくれると思うよ」
サキちゃんが潤んだ瞳で、「……うん」と小さく首を縦に振った。
「えらいね、いい子」
私はサキちゃんの頭をぽんぽんと撫でる。
顔をしっかりと上げたサキちゃんが、後ろにいるご両親に気づいて、「パパ、ママ」と呼んだのが分かった。振り返ると、ご両親はいつのまにかすぐ近くまでやって来ていた。私と先生はさっと二人に道を譲る。
「パパ、ママ、ごめんなさい。サキ、ママたちに話を聞いてほしくて、さみしかったの……」
私のアドバイス通りに、サキちゃんはしっかりと自分の気持ちをご両親に伝えていた。
二人はきっと、さっきのやりとりを後ろで聞いていたんだろう。
「うん、うん。ママのほうこそごめんね」とお母さんが涙目になって謝っていた。
「俺も、ママが忙しいときは俺が構えばよかったんだ。だから、ごめんな」
大好きな二人がちゃんと自分と向き合ってくれることに満足したのか、サキちゃんは「いいよ」と答えていた。
「よかったね、サキちゃん」
先生がサキちゃんを見つめてにっこり笑う。「うん!」と彼女が飛び跳ねる。やっぱり、子どもは元気でいてくれるのが一番だ。嬉しそうに笑った顔はとても可愛らしかった。
「あの、どうもありがとうございました。私たちだけだったら、きっとこんなふうにうまくできなかったと思います」
お母さんが、私たちに深々と頭を下げる。
私と先生は同時に「いえ」と首を横に振った。
「できますよ。だってサキちゃんはこんなにお二人のこと、大好きなんですから」
先生の清々しい一言に、ご両親の表情がくしゃりと泣き顔に変わる。
でも、子どもの前で泣くわけにはいかないと思ったのか、すぐに凛とした顔つきになると、「ありがとうございます」とお礼を言われた。
私はサキちゃんに、「ありがとう」と手話で挨拶をする。
サキちゃんが私の真似をして、左手の甲を右手の小指側で軽く叩いて、上げる。
にっこりと微笑んだあと、お母さんに飛びついていた。



