傷だらけの私たちの#五感の旅 ーあの日閉じ込めた心の声ー




 その日、坑道探索を終えてホテルに戻ったあとも、次の日、新潟から富山へと移動して『旅カード』に記された富岩運河環水公園(ふがんうんがかんすいこうえん)で富岩水上ラインという観覧船に乗って美しい景色を眺めても、ずっと“心ここにあらず”という状態が続いた。
 この日のミッションは『水面を渡る船の中で、今の気持ちをひとつだけ言葉にする』だった。私は、船の中でそっと手話で「先生の今の気持ちが知りたい」と呟いた。そんな私の手話を、先生はじっと見つめていた。でも、先生は答えをくれなかった。
 羽美先生が何を考えているのか分からない。
 大好きな人の本音が分からないことが、こんなに寂しいことなのかと初めて知った。

 富岩水上ラインから降りた私たちは、公園の敷地内にあるスターバックスコーヒーに赴いた。
 ここの店舗は、スターバックス「デザインアワード」で最優秀賞を受賞し、「世界一美しいスタバ」として有名になったらしい。
 確かに、自然豊かな公園の中に溶け込むガラス張りの外観は、ぱっと見ただけでもため息が出るほど美しい。さらに、店内からは運河や公園のシンボル、天門橋(てんもんきょう)という開放的な景色を眺めることができるという。

「先生は何飲みますか?」

 人気の店舗なだけあって、お客さんの列がお店の外まではみ出していた。列に並んでいる最中、先生はガラス張りの建物を食い入るようにしてじっと見つめていた。

「先生?」

 私の声が聞こえていないかのように考え事をしている先生の肩をトントンと叩き、もう一度同じ質問を繰り返す。先生は、「ああ」とようやく返事をしてくれたけれど、質問には答えずに「もしかして」と何かを思いついた様子で口を開いた。

「ねえ青葉ちゃん、一昨日ホテルで話してたアキさんの苗字って分かる?」

「苗字? えっと、なんだっけ」

 私は必死に頭を動かして晶くんの苗字を思い出そうとする。でも、なかなか思い出せない。晶くんのことはずっと「晶くん」と呼んでいたし、手話教室の先生も、先生の方針なのか生徒のことを「青葉さん」「晶くん」と名前で呼んでいた。だからこそ私も晶くんのことを名前でしか呼んでいなかったのかもしれない。

「……すみません。思い出せないんですけど、珍しい苗字だったような気がします」

 もし晶くんの苗字が「鈴木」とか「佐藤」とかありふれた苗字だったら覚えていただろう。珍しくて聞いたことのない苗字だったので思い出せないのだ。

「そっか。まあ、違うよね」

 ガラスにほんのりと映り込む自分の顔を見つめながら、先生は自分の中で納得した様子で頷く。

「違うって、何がですか?」

「ん、ちょっとね」

 先生は人差し指を唇に当てて、「秘密だ」というふうに曖昧に笑ってみせた。先生が何を考えているのか分からなくてもやもやとした気持ちがないでもない。でもそれ以降、先生は晶くんのことを聞いてくることも物思いに耽ることもなく、いつもの明るい先生に戻っていたの。私は何も考えないようにして、先生との旅を精一杯楽しもうと思い直した。

【8/9 一緒に旅をしている人と富岩運河環水公園でゆったりした気分を味わいました。水と緑に世界一美しいスタバは映えていて、心が洗われるような心地になります。#五感の旅】

 先生と後ろ姿のツーショットを添えて、初めて写真付きで投稿を作成していた。

「あ、こんなところに封筒があったよ」

 スタバの店内はいっぱいだったのでコーヒーをテイクアウトして外で座って今日の投稿をしていると、先生が突然立ち上がり、頭上に伸びる木の枝に向かってひょいっと手を伸ばす。
 思わず「えっ」と声が漏れそうになった。

「木の枝に引っかかってるなんて、摩訶不思議〜」

 この珍事を楽しむような口ぶりで鼻歌を歌いながら、空色の封筒を開く先生。 
 前から気になってたけど……『旅カード』が入った封筒は、どうして都合よく私たちの周りに現れるのだろうか。見えない小さな神様がいて、私たちの旅についてきている——そんなファンタジックな設定を想像して、頭の中で首を振った。
 そんなことわるわけないじゃん。
 じゃあ、本当に誰が、どうやって封筒を届けているのだろう。