傷だらけの私たちの#五感の旅 ーあの日閉じ込めた心の声ー

青葉(あおば)ってさ”

 はらはらと紅色に色づいた葉が足元に舞い落ちる。
 中学二年生の秋の修学旅行。京都、東寺を訪れていた私はトイレで用を足したあと、グループ行動をしていた仲良しの詩織(しおり)梨花(りか)のもとに駆け足で戻っていた。

「青葉―! 早く行こっ」
「あっちの紅葉めっちゃ綺麗だから一緒に写真撮ろうよ」

 詩織と梨花が大きく手を振って、「急げ急げ」と私を急かす。その声に乗せられて「遅くなってごめん」と軽く頭を下げつつ、二人の後ろまでたどり着いた。そのとき。

“青葉ってさ、いっつもトロくていらいらする”

 観光客の華やぐ声に混じって、よく知る詩織の心の声(・・・)がまっすぐに飛んできた。
 ああ、まただ……。
 誰かの心の声を聞くのは初めてじゃない。物心ついたときから、私には人の心の声が聞こえる。それも、ある条件(・・)付きで。

“青葉、修学旅行だからってお団子にしてきてるけど全然似合ってないな〜。お団子はあたしと詩織でお揃いにしよって言っただけなのに。空気読めよ”

 今度は梨花の心の声が、私の胸を鋭い刃のように突き刺す。

「あれ、どうしたの青葉―? 行かないの?」

 私が動けずにその場で固まっていると、詩織がきょとんとした表情で私に手を差し伸べた。

「ほら、行こうよ! 早くしないと自由行動の時間がなくなっちゃう」

 差し出された手をおずおずと握る。詩織と梨花がほっとした様子で表情を緩めた。そこかしこでカシャ、カシャと写真を撮る音が聞こえる。天に向かってそびえ立つ五重塔を見上げながら、私は「うん」と二人に向かってつくり笑いを浮かべた。



 私には、他人のネガティブな心の声が聞こえる。
 そのことに気づいたのは、小学校に上がったぐらいの頃だった。最初は“今日暑すぎ”とか、“国語の発表だるいー”なんていう、みんなの些細な愚痴程度だった。でも、中学に上がった頃から、誰かが誰かに抱いている“本当の気持ち”が見え隠れするようになった。

“青葉って可愛くないくせに、成績がいいからって調子に乗ってる”

“勉強も運動も頑張ってますアピール? うざー”

 修学旅行の日以降、同じクラスで仲良しだったはずの詩織と梨花から再び信じられない“心の声”が飛んできた。

 違う。
 調子に乗っているわけでも、アピールをしているわけでもない。私はただ、自分にできることを一生懸命やりたいだけだ。
 そう口に出して言いたいのに、声が出なかった。
 その時の私は他人のネガティブな心の声が聞こえることを誰かに知られたくなくて、口を閉ざした。そのまま、表面上は仲の良い友達のふりをして、二人と付き合い続けようとした。

 でも。

(あれ……? 聞こえない)

 二人から私の悪口を聞いた日を境に、私の耳から世界のあらゆる音が消えた。
 耳が聞こえなくなったのだ。
 心因性難聴。
 それが私の症状に下された診断だった。
 世界の音を失った代わりに、他人のネガティブな心の声も聞こえなくなった。
 だけど、完全に音が聞こえないわけではなく、ありとあらゆる音が水の中で聴いているように、くぐもって聞こえた。正確な音は聞き取れないが、誰かが何かを話している、ということだけは分かる。それでも、ほとんど今まで通り生活することなんてできなくて、私は手話を習いにいくほかなかった。
 両親はもちろん私を心配したし、私自身、戸惑いの中で青春時代を過ごしてきた。
 
 耳が聞こえなくなってから三年。
 高校二年生になった私は、今でも誰かのネガティブな心の声が聞こえてくる気がして、人との関わりを避けて生きている。
 詩織と梨花とは同じ高校に進学したが、二人とは一切会話をしていない。
 このまま、ただ静かに流れていく時の中でひっそりと生きてくのだと思っていた。

 あの日、自宅に一通の手紙が届くまでは——。