生きてゐるタワーマンション

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 妻が俺に何かを隠している——初めてそう感じた日から一週間。
 俺は妻の様子に注目しながら過ごした。じっと妻を観察していると、彼女は以前より毎日忙しなく過ごしていることが分かる。
 朝、俺が家を出る時間、今までなら朝の連続ドラマを見ていたのだが、ここ数日は忙しそうに支度をしている。俺が家を出るのと同時に、いやそれより早く家を出ることが増えた。
 基本的にいつもは俺のほうが先に家を出るのに。何か用事があるのだろうと思ったが、毎日急いで出て行くので、本当にどうしたのだろうかと気になってはいた。
 が、「何かあるのか」と聞いても「うん、ちょっとね」としか返事が返ってこない。
 相変わらず雑談には生返事しかされないし、スマホを見つめて深刻な表情をしていることが増えた。
 俺は妻の口から何か決定的な言葉を引き出すことを恐れていたのかもしれない。
 それ以上、問い詰めることもなく「ふうん」と相槌を打つので精一杯だった。

 九月八日の朝、いつものように出社をして仕事に追われ、気づいた時には夕方を迎えていた。普段の日常と変わらないはずなのに、その日はいつも以上に時が経つのが早く感じた。

「今田先生、なんだか最近ぼうっとしてません?」

 数学科の三島先生が、俺の顔を覗き込むようにして聞いた。明日の授業の予習のために教科書を開いた俺ははっと顔を上げる。

「えっと、そうかもしれないな」
「何かあったんですか? もしかして幸せボケですか?」

 半分からかうように頬を上げて笑っているけれど、本心では俺を心配してくれているのだと分かる。

「まあそんなところかな。どっちかっていうと、マリッジブルー」
「本当ですか。まさか今田先生がマリッジブルーなんて」
「冗談だよ」

 三島先生は心配したり驚いたり、コロコロといろんな表情を浮かべては、大袈裟に反応をしてくれる。最近の沙綾とは大違いだな、なんてちょっと皮肉なことを思ってしまう。

「でもいいですよね。家に帰ったら若い奥さんがいて、綺麗な部屋があって。僕だったらマリッジブルーどころか、マリッジハイになりそうです」
「俺もそのはずなんだけどな」

 家に関してはともかく、沙綾と結婚できたことに対しては今でも信じられないし、気を抜くと仕事中もニヤニヤと頬が緩みそうになっていた。つい一週間前までは。
 
「何か気になることでもあるんですか?」
「いや……人に話すことのほどはないよ」
「そうですか。何かあったらいつでも聞きますよー。僕、奥さんと歳も近いですし」

 彼の言葉が優しさからくるものだということは十分理解できていた。でも、「奥さんと歳が近い」というところで、俺ははっと彼のことをまじまじと見つめてしまう。
 もしかして、沙綾が三島先生と浮気しているなんてことはないよな。
 ありもしない想像をして、内心苦笑した。
 そもそも沙綾と彼には面識がないし、もし仮にそうだとしても三島先生がわざわざ「奥さんと歳が近い」なんてアピールのようなことをするはずがない。
 でも、たとえば三島先生でなくても、沙綾が自分と同じ年齢ぐらいの男と外でそういう関係になっている、と考えるのは不思議なことではないと思う。
 むしろ俺のような、今年還暦を迎える男と結婚をしていることのほうが異常事態だ。
 俺はどんどん自分に自信を失くしていくのを感じていた。