生きてゐるタワーマンション

 出会ったのは最近流行りのマッチングアプリでのこと。
 婚活を始めたのは、三年前のことだ。
 学生時代の友人たちとの同窓会で、友人に背中を押されたのがきっかけだった。集まった仲間たちはみんな既婚者で未婚の男は俺しかいない。彼らが俺に子どもや孫の話を一通り披露した後で、「隼もどう? 今からでも遅くないよ、結婚」と勧めてきた。その時はさすがに冗談かと思っていたのだが、友人たちの目は本気(・・)だった。

『ま、まあ。考えとくよ』
『後回しにしたら絶対何も考えないだろうから、これでもやってみなって』

 まるで学生のノリで、友人たちは傍に置いていた俺のスマホを勝手にとって、ハートマークのアイコンをしたマッチングアプリとやらをインストールし始めたのだ。

『おい、勝手に何やってんだよ』
『ほら、趣味とか飲酒の頻度とかどんどん打ち込んでいって。息子夫婦に教えてもらったんだよー。世間では今、こういうのが流行りらしい』
『知らないから、返せ』

 揉めに揉めている間に、べつの友人が勝手に俺のプロフィールを完成させていった。その時はみんなアルコールが回っていて、顔を真っ赤にしながら俺というオモチャで遊んでいただけだ。
 まあ、後で消せばいいか。
 ぼやぼやとした頭で俺もそんなふうに考えていたのだから始末に負えない。
 
 その日、自宅に帰り着いたのは日付が変わった時間帯だった。幸い金曜日の晩だったので、翌日は仕事が休みだ。
 惰性でお風呂に入り、そのまま布団へダイブした途端、一気に睡魔が襲いくる。俺はそのまま意識が沈んでいくのを感じて、欲求のまま眠りについたのだった。

 翌朝目が覚めるとすでに十時を過ぎていた。
 スマホの充電が0%で、目覚ましが鳴らなかったのだ。
 ひとまずスマホを充電器に繋ぎ電源が入るのを待つこと三十分ほど。パッと画面が明るくなり、ポップアップで表示された見慣れないアプリのアイコンを見て、それまでぼんやりしていた頭がすぐに冴えた。

 そうだ。マッチングアプリをダウンロードしていたんだ。
 その事実に慌てて気づいて、ハートマークのアイコンをタップする。「シュンチ」というふざけたニックネームで登録された自分のプロフィールを見てため息が出る。
 五十六歳。誰がこんなおじさんとマッチングしたがるというのだ。
 詳しい仕組みは分からないが、どうせ誰からも「いいね」やメッセージは来ないと思って、そのままアカウントを削除しようとした。
 そのとき、ホーム画面の下の「いいね」というハートマークの部分に「1」の数字がついていることに気づいた。

『いいねが来たのか……?』

 まさか、と思いつつ「いいね」一覧を開く。
 そこには確かに、一人の女性から「いいね」が届いていたのだ。
 女性の名前は「サアヤ」。本名なのかニックネームなのか分からないが、年齢はまさかの二十七歳。
 この人は、俺の年齢を見ていないのだろうか。
 間違って「いいね」を押してしまったのかもしれない。
 あくまで「サアヤ」という女性が自分を本当に良いと思ってくれているなどとは思わず、何かの間違いだ、と察した。

 だが、俺の予想に反して、サアヤは「いいね」だけでなく、なんとメッセージまで送ってきたのだ。
 そのマッチングアプリは、通常はお互いに「いいね」をし合った相手でないと、メッセージが送れないようになっているようなのだが、どうやら一日に一人までなら、メッセージ付きで「いいね」を送れるらしい。ただしこの機能はプレミアム機能というやつで、課金をした者でないと使うことができない。嫌な商売だなと思いつつ、悪い気はしなかった。
 俺はサアヤから送られてきたメッセージを開いた。

サアヤ【初めまして。突然のメッセージといいね、失礼します。現在二十七歳、一般企業に勤めている者です。シュンチさんのプロフィールを見て、いいなと思ってメッセージをしてみました。よければ私のプロフィールもご覧くださると嬉しいです】

 とても丁寧で真面目な文章だった。
 正直なところ、マッチングアプリなんてお遊び程度のものだと思っていたのに、サアヤが送ってくれたメッセージはどこか品があって、好感が持てた。
 と同時に、やっぱり信じられない気持ちになった。
 二十七歳の女性が、どうして俺なんかのことを……?
 疑いはなかなか晴れなかったけれど、騙されたと思ったらすぐにやめればいい。
 そう思って、興味本位で返信を打った。

シュンチ【初めまして。メッセージといいねありがとうございます。俺は初めてこういうアプリを使うので、サアヤさんからこうしてメッセージをいただけて驚いています。面白みのない人間ですが、どうか仲良くしてやってください】

 我ながらお堅い文章だなと思った。
 教師なんていう職業柄、常に他人に対して誠実であろう、生徒のお手本になろうという心持ちで生きてきたから仕方がない。だから俺は女性にモテないのだとなんだか虚しくなった。

 けれどサアヤは違った。
 俺の拙いメッセージにすぐに反応してくれのだ。

サアヤ【わ、ご返信ありがとうございます! メッセージいただけるとは思っていなかったので夢のようです^^】

 一通目とは違って、嬉しそうな感情が伝わってくる。
 思わず俺も、気持ちが弾んでいるのに気づいた。

シュンチ【こちらこそ、メッセージをいただけて嬉しいです。ぜひよろしくお願いします】

 少しは「嬉しい」という気持ちが伝わっただろうか。
 サアヤとはその後もメッセージでやり取りを重ね、実際に会うことになった。

『私、どうしてか分からないんですけど、かなり年上の方が好みなんですよね。学生時代、同級生や歳の近い先輩や後輩のことは全然好きになれなくて……。一度、二十歳年上の方とお付き合いしたことがあるのですが、その人といるととても落ち着いたんですよ』

 その時に、いわゆる自分が“フケ専”であることに気づいたらしい。

『二十歳どころか、俺とは三十歳離れてるけど大丈夫?』
『はい! 二十も三十も、もう私の中では変わらないです』
『そういうもんなのかな』
『そうですよ』

 果たして本当にそうなのだろうか。疑問は残ったものの、サアヤ本人が良いというのならこれで良いのだろう。むしろ、俺からすればこの年齢で三十歳も年下の若い女性とお近づきになれるなんて、ラッキー以外の何ものでもなかった。
 と同時に、やっぱりいくらか後ろめたさは付きまとう。
 俺は彼女と会うたびに、彼女に気持ちが揺れているのを自覚していた。だが三十歳も年上の自分が、告白をするなんておこがましい。でももしかしたら、彼女は俺からの告白を待っているかもしれない——そんな葛藤と戦っていたころ。

『もう、シュンチさんが言わないから私から言いますね? 好きです。私と付き合ってください』

 秋の紅葉が美しい公園で散歩をしている最中だった。真昼間の公園には紅葉の写真を撮る若いカップルや、公園で遊んでいる家族連れ、ベンチに座ってぼうっと空を眺めているご老人まで、いろんな人がゆったりと休日を過ごしていた。

 サアヤは、俺がなかなか告白をしてこないことにやきもきしていたようだった。ついに自分から告白をして、顔を真っ赤に染めて不満顔になっている彼女が可愛らしく、彼女を守ってあげたいと強く感じた。

『言えなくてごめん。俺もサアヤちゃんのことが好きだよ』

 すぐにそう答えると、ぷうっと膨れていた彼女の頬がほっと緩んで、人目も憚らずに俺に抱きついてきた。
 心底くすぐったくて、周りの目が気にならなかったというと嘘になる。
 けれど、その瞬間はサアヤのことが心から愛しく思えて、ずっとこの時間が続けばいいと思ったのは事実だった。

 そして交際を初めて二年半。
 俺たちはこの春にめでたくゴールインした。
 サアヤのご両親は俺と同世代。挨拶をした時にはそれはもうびっくり仰天といったところだったが、サアヤが断固として「この人と結婚する」と言い切るので、ご両親もすぐに折れて、その後は普通に同世代トークをして盛り上がった。
 義両親が理解のある人たちで良かったと思う。
 俺にとっては義両親というより、友達に近い人たちだ。