***
八月八日土曜日の午後三時少し前。
世間では今日からお盆休みに入る人がほとんど。私も多分に漏れず、今日から一週間程度仕事が休みである。
うだるような暑さに汗を垂らしながら、ママ友たちと待ち合わせをしているパンケーキ屋さんに向かった。
「あ、朝倉さんこっちこっち」
先に到着していた星名さんと、宮脇さん、一条さんの三人が、八人がけの大きなソファ席で私に向かって手を振っていた。
星名さんの子ども、真実ちゃんと、宮脇悟くん、一条碧太くんも一緒だ。三人とも、各々に持ってきたおもちゃやスマホで動画を見て遊んでいる。この年齢の子どもたちなので、みんなで一緒に遊ぶというよりは、それぞれ好きな遊びをすることのほうが多いのだろう。
「遅くなってすみません」
「とんでもないわよ〜全然遅れてないし」
「うん。私たちが早く着きすぎただけだからね?」
示し合わせたかのように、三人が視線を交えて「ねー」と頷く。私は、なんとなく薄寒さを覚えてそっと腕時計を見た。
時計はぴったり午後三時を示している。待ち合わせも午後三時。うん、本当にオンタイムだ。社会人として待ち合わせの時間通りに顔を見せるのが当たり前、という世界で生きてきた。
この人たちは、みんなで早く集合して、私に「遅かったね」と皮肉を言っているんだろうか。
勘繰りすぎだと思いつつ、三人の三日月型の瞳を見ていると、なんだか本当に自分一人が試されているような気がした。
「亜衣、挨拶して」
「おはよー」
気の抜けた挨拶をした亜衣に、三人が「おはよう」と合わせて返事をくれる。その返事も、なんだか馬鹿にしているようで、ぴりりと背中に緊張感が駆け抜けた。
「朝倉さんは何頼む? 私たちはもう決めたから、メニュー表見ていいわよ」
「あ、ありがとうございます」
星名さんにメニュー表を渡されて、睨めっこする。
パンケーキはふわふわで分厚い生地のものが三枚、一皿に乗っている。
プレーン、バナナチョコレート、キャラメルナッツ、フレッシュフルーツ、ティラミス、ブルーベリーチーズなど、さまざまなフレーバーから選ぶことができる。
私は、少し迷ったふりをしたあと、“プレーン”を選んだ。
甘すぎるのって苦手なのよね。
「決まりました」
「そう。じゃあ注文しましょう」
一番年上の星名さんが店員さんを呼んで、私たちはそれぞれ食べたいパンケーキを注文した。星名さんがバナナチョコレート、宮脇さんはティラミス、一条さんはフレッシュフルーツだ。
しばらく待つと、パンケーキが運ばれてきた。
二十代半ばでギャル風の女性、一条さんが「わあ」と目を輝かせてスマホで写真を撮る。カシャリ、最初はパンケーキだけを撮影していたものの、二枚目は「ハイチーズ」とインカメラで私たち全員を映した。
「この写真、Iスタにアップしてもいいですかあ?」
許可を取っているはずなのに、もう決定事項のような軽さで、彼女はサササッと指を動かす。私が「え、ちょっと——」と答えようとした時には、もう投稿をし終えたあとのようだった。
【初めてのママ友会〜♡ 歳の差があっても子どもをきっかけに繋がれるのっていいよね!】
二十四時間限定投稿の「メモリー」には、そうキャプションが入れられていた。
“歳の差があっても”というところで、私は眉をピクリと動かす。私より二つ上の三十一歳の宮脇さんも、推定三十五歳の星名さんも、若干顔をしかめていた。
「子どもたちも食べよっ」
一条さんが、ソファ席で遊んでいる子どもたちに声をかけた。
興味津々でやってくる子どもたちだったが、二歳児にパンケーキは甘すぎるようで、みんな、一口か二口しか食べなかった。
「あーたん、チョコがいい」
亜衣はプレーン味が不服だったようで、星名さんのバナナチョコレート味のパンケーキを見つめながら言った。
「ごめんね、チョコじゃなくて」
「あ、もしよかったらいる?」
星名さんが亜衣の視線に気づいて、亜衣にそう聞いた。
が、人見知りなのか、亜衣は指をくわえてもじもじとしている。
「結構です。ありがとうございます」
私が断ると、亜衣は明らかに物申したげに眉を顰めた。
「本当? 全然いいわよ。はい、どうぞ」
私が断ったのも気にせず、星名さんは亜衣にチョコソースがかかったパンケーキをフォークに乗せて、差し出した。
「いえ、本当に大丈夫です!」
自分でもびっくりするぐらい大きな声を張り上げてしまい、三人がシンと言葉を失って私を見つめるのが分かった。
どうしてだろう。
星名さんが親切心でパンケーキを分け与えてくれているのは分かっているはずなのに、プレーン味を頼んだ自分が見下されているように感じてしまったのだ。
「……そ、そっか」
しばらくの沈黙の後、星名さんはようやくフォークを自分のお皿まで下げた。亜衣はチョコレート味のパンケーキが食べられなかったことで、「ふえええぇぇん」と泣いている。いや、私が大きな声を出したせいかもしれない。
「ご、ごめんって」
亜衣に向かって謝ると、亜衣はぐすぐすと鼻を啜りながら、おもちゃで遊び始めた。どうやらもう、パンケーキはいらないらしい。
なんとなく気まずい空気になってしまったが、宮脇さんが「気を取り直して食べましょ」と一声かけてくれて、私は再びパンケーキを口に運び出した。
確かに甘くてふわふわでおいしい。
でも、甘いものを一定量食べた私は、二枚目で満腹になってしまった。
しかも、先ほどの一件で、やっぱり私たち四人の間には微妙な空気が漂っている。宮脇さんが気を遣って明るく話してくれるものの、私や星名さんは曖昧に頷くことしかできない。一条さんにいたっては、写真ばかり撮って、スマホをいじり倒していた。
「そ、そういえば、秋に地域の運動会があるみたいだけど、みんな行く?」
星名さんが、なんとか絞り出した話題を全員に振った。
「あー、うん。うちはたぶん行くと思います」
宮脇さんが答える。
「地域の運動会かあ。土日ですよね? 暇そうなので行くと思いまーす」
一条さんは手元のスマホに視線を合わせながら言う。
「そっか。やっぱり子どもが小さいうちはみんな行くのね。朝倉さんは?」
星名さんの視線が、最後に私のほうに向けられた。
私はドキリと心臓が跳ねる。
「えっと……私は、そういうのはちょっと」
「え、朝倉さんは参加されないんですかぁ?」
いや、スマホをいじりながら残念そうに言われても。
「土日は基本、あまり時間がないので……。仕事が入ることもありますし」
「ああ、そうなのね。それは難しいわねえ」
星名さんは、私の渋った態度に察するものがあったようで、曖昧に微笑む。
「仕事? 朝倉さんって土日も仕事ある人なんですね」
「は、はい。まあ、時々ですが」
嘘ではなかった。月に一度ほどは土日のどちらかに仕事が入ることが多い。その「月に一度」の休日出勤が地域の運動会の日程に被る確率は——具体的には考えないが、かなり低いだろう。
「えー、それ、かわいそう〜。土日も休みがないなんて」
一条さんのギャルめいた声に、その場が凍りつく。
かわいそう。
年下の女にそんなふうに言われたことで、お腹がムカムカとして、嫌な気分になった。
「いや、そんなこと……その分平日にお休みがあるんでしょう?」
星名さんが気を遣ってフォローしてくれるものの、時すでに遅し。日頃からストレスが溜まっていたこともあり、私は「いえ」と冷たい声で言い放っていた。
「全然、大したことはないですよ休日出勤ぐらい。プライベートが充実しているから、心配ご無用です」
ぴしゃり、と突き放すような物言いをしてしまい、表面上は「しまった」と思うのだが、心の中ではどこかすっきりとしている自分がいた。
「そ、そうなんですねーいいですね」
宮脇さんがぎこちなく笑って答える。完全に引いてるな。
「プライベートが充実してても休みがなくなるなんてやだなあ」
それでも一条さんだけは空気を読まず、素直な言葉を口に出しまくる。さすがにみかねた星名さんが、「そろそろお開きにしましょうか」と提案した。
「この後、みんなで公園で子どもたちを遊ばせましょう」
妙案のようにそう言うが、私の心は冷たく冷えていく。
この空気感のまま、みんなで公園で遊ぶなんて、とてもじゃないが考えられない。
それに、灼熱の太陽の下で子どもを遊ばせるなんて自殺行為だ。
「すみません、私……この後用事があるので、失礼します」
なんとか三人に頭を下げて、亜衣の腕を引っ掴んでその場から立ち去る。自分の分のお代はテーブルの上に置いて。
「あ、ちょっと、朝倉さん」
星名さんが呼びかける声も無視して、亜衣が「公園いきたああい!」と泣き喚くのも聞かず、ずんずんと自宅までの道を急いだ。
八月八日土曜日の午後三時少し前。
世間では今日からお盆休みに入る人がほとんど。私も多分に漏れず、今日から一週間程度仕事が休みである。
うだるような暑さに汗を垂らしながら、ママ友たちと待ち合わせをしているパンケーキ屋さんに向かった。
「あ、朝倉さんこっちこっち」
先に到着していた星名さんと、宮脇さん、一条さんの三人が、八人がけの大きなソファ席で私に向かって手を振っていた。
星名さんの子ども、真実ちゃんと、宮脇悟くん、一条碧太くんも一緒だ。三人とも、各々に持ってきたおもちゃやスマホで動画を見て遊んでいる。この年齢の子どもたちなので、みんなで一緒に遊ぶというよりは、それぞれ好きな遊びをすることのほうが多いのだろう。
「遅くなってすみません」
「とんでもないわよ〜全然遅れてないし」
「うん。私たちが早く着きすぎただけだからね?」
示し合わせたかのように、三人が視線を交えて「ねー」と頷く。私は、なんとなく薄寒さを覚えてそっと腕時計を見た。
時計はぴったり午後三時を示している。待ち合わせも午後三時。うん、本当にオンタイムだ。社会人として待ち合わせの時間通りに顔を見せるのが当たり前、という世界で生きてきた。
この人たちは、みんなで早く集合して、私に「遅かったね」と皮肉を言っているんだろうか。
勘繰りすぎだと思いつつ、三人の三日月型の瞳を見ていると、なんだか本当に自分一人が試されているような気がした。
「亜衣、挨拶して」
「おはよー」
気の抜けた挨拶をした亜衣に、三人が「おはよう」と合わせて返事をくれる。その返事も、なんだか馬鹿にしているようで、ぴりりと背中に緊張感が駆け抜けた。
「朝倉さんは何頼む? 私たちはもう決めたから、メニュー表見ていいわよ」
「あ、ありがとうございます」
星名さんにメニュー表を渡されて、睨めっこする。
パンケーキはふわふわで分厚い生地のものが三枚、一皿に乗っている。
プレーン、バナナチョコレート、キャラメルナッツ、フレッシュフルーツ、ティラミス、ブルーベリーチーズなど、さまざまなフレーバーから選ぶことができる。
私は、少し迷ったふりをしたあと、“プレーン”を選んだ。
甘すぎるのって苦手なのよね。
「決まりました」
「そう。じゃあ注文しましょう」
一番年上の星名さんが店員さんを呼んで、私たちはそれぞれ食べたいパンケーキを注文した。星名さんがバナナチョコレート、宮脇さんはティラミス、一条さんはフレッシュフルーツだ。
しばらく待つと、パンケーキが運ばれてきた。
二十代半ばでギャル風の女性、一条さんが「わあ」と目を輝かせてスマホで写真を撮る。カシャリ、最初はパンケーキだけを撮影していたものの、二枚目は「ハイチーズ」とインカメラで私たち全員を映した。
「この写真、Iスタにアップしてもいいですかあ?」
許可を取っているはずなのに、もう決定事項のような軽さで、彼女はサササッと指を動かす。私が「え、ちょっと——」と答えようとした時には、もう投稿をし終えたあとのようだった。
【初めてのママ友会〜♡ 歳の差があっても子どもをきっかけに繋がれるのっていいよね!】
二十四時間限定投稿の「メモリー」には、そうキャプションが入れられていた。
“歳の差があっても”というところで、私は眉をピクリと動かす。私より二つ上の三十一歳の宮脇さんも、推定三十五歳の星名さんも、若干顔をしかめていた。
「子どもたちも食べよっ」
一条さんが、ソファ席で遊んでいる子どもたちに声をかけた。
興味津々でやってくる子どもたちだったが、二歳児にパンケーキは甘すぎるようで、みんな、一口か二口しか食べなかった。
「あーたん、チョコがいい」
亜衣はプレーン味が不服だったようで、星名さんのバナナチョコレート味のパンケーキを見つめながら言った。
「ごめんね、チョコじゃなくて」
「あ、もしよかったらいる?」
星名さんが亜衣の視線に気づいて、亜衣にそう聞いた。
が、人見知りなのか、亜衣は指をくわえてもじもじとしている。
「結構です。ありがとうございます」
私が断ると、亜衣は明らかに物申したげに眉を顰めた。
「本当? 全然いいわよ。はい、どうぞ」
私が断ったのも気にせず、星名さんは亜衣にチョコソースがかかったパンケーキをフォークに乗せて、差し出した。
「いえ、本当に大丈夫です!」
自分でもびっくりするぐらい大きな声を張り上げてしまい、三人がシンと言葉を失って私を見つめるのが分かった。
どうしてだろう。
星名さんが親切心でパンケーキを分け与えてくれているのは分かっているはずなのに、プレーン味を頼んだ自分が見下されているように感じてしまったのだ。
「……そ、そっか」
しばらくの沈黙の後、星名さんはようやくフォークを自分のお皿まで下げた。亜衣はチョコレート味のパンケーキが食べられなかったことで、「ふえええぇぇん」と泣いている。いや、私が大きな声を出したせいかもしれない。
「ご、ごめんって」
亜衣に向かって謝ると、亜衣はぐすぐすと鼻を啜りながら、おもちゃで遊び始めた。どうやらもう、パンケーキはいらないらしい。
なんとなく気まずい空気になってしまったが、宮脇さんが「気を取り直して食べましょ」と一声かけてくれて、私は再びパンケーキを口に運び出した。
確かに甘くてふわふわでおいしい。
でも、甘いものを一定量食べた私は、二枚目で満腹になってしまった。
しかも、先ほどの一件で、やっぱり私たち四人の間には微妙な空気が漂っている。宮脇さんが気を遣って明るく話してくれるものの、私や星名さんは曖昧に頷くことしかできない。一条さんにいたっては、写真ばかり撮って、スマホをいじり倒していた。
「そ、そういえば、秋に地域の運動会があるみたいだけど、みんな行く?」
星名さんが、なんとか絞り出した話題を全員に振った。
「あー、うん。うちはたぶん行くと思います」
宮脇さんが答える。
「地域の運動会かあ。土日ですよね? 暇そうなので行くと思いまーす」
一条さんは手元のスマホに視線を合わせながら言う。
「そっか。やっぱり子どもが小さいうちはみんな行くのね。朝倉さんは?」
星名さんの視線が、最後に私のほうに向けられた。
私はドキリと心臓が跳ねる。
「えっと……私は、そういうのはちょっと」
「え、朝倉さんは参加されないんですかぁ?」
いや、スマホをいじりながら残念そうに言われても。
「土日は基本、あまり時間がないので……。仕事が入ることもありますし」
「ああ、そうなのね。それは難しいわねえ」
星名さんは、私の渋った態度に察するものがあったようで、曖昧に微笑む。
「仕事? 朝倉さんって土日も仕事ある人なんですね」
「は、はい。まあ、時々ですが」
嘘ではなかった。月に一度ほどは土日のどちらかに仕事が入ることが多い。その「月に一度」の休日出勤が地域の運動会の日程に被る確率は——具体的には考えないが、かなり低いだろう。
「えー、それ、かわいそう〜。土日も休みがないなんて」
一条さんのギャルめいた声に、その場が凍りつく。
かわいそう。
年下の女にそんなふうに言われたことで、お腹がムカムカとして、嫌な気分になった。
「いや、そんなこと……その分平日にお休みがあるんでしょう?」
星名さんが気を遣ってフォローしてくれるものの、時すでに遅し。日頃からストレスが溜まっていたこともあり、私は「いえ」と冷たい声で言い放っていた。
「全然、大したことはないですよ休日出勤ぐらい。プライベートが充実しているから、心配ご無用です」
ぴしゃり、と突き放すような物言いをしてしまい、表面上は「しまった」と思うのだが、心の中ではどこかすっきりとしている自分がいた。
「そ、そうなんですねーいいですね」
宮脇さんがぎこちなく笑って答える。完全に引いてるな。
「プライベートが充実してても休みがなくなるなんてやだなあ」
それでも一条さんだけは空気を読まず、素直な言葉を口に出しまくる。さすがにみかねた星名さんが、「そろそろお開きにしましょうか」と提案した。
「この後、みんなで公園で子どもたちを遊ばせましょう」
妙案のようにそう言うが、私の心は冷たく冷えていく。
この空気感のまま、みんなで公園で遊ぶなんて、とてもじゃないが考えられない。
それに、灼熱の太陽の下で子どもを遊ばせるなんて自殺行為だ。
「すみません、私……この後用事があるので、失礼します」
なんとか三人に頭を下げて、亜衣の腕を引っ掴んでその場から立ち去る。自分の分のお代はテーブルの上に置いて。
「あ、ちょっと、朝倉さん」
星名さんが呼びかける声も無視して、亜衣が「公園いきたああい!」と泣き喚くのも聞かず、ずんずんと自宅までの道を急いだ。



