生きてゐるタワーマンション

 そういうわけで、七月十五日の今日、「貸し会議室グリーンルーム」へとやってきた。なんの変哲もないビルの四階の部屋で、「マネー講座」は行われるらしい。
 エレベーターに乗り、四階へと急ぐ。十五時五十分に部屋に到着して、テーブル席についた。部屋の見た目は大学の講義室のようなイメージだろうか。長机と椅子が並んでいて、前方にホワイトボードある。全体的に照明は明るく、床にはグレーのカーペットが敷かれていた。

 パラパラと、他の受講者がやってくる。全部で二十名ほど。みんな、見た目は二十代〜三十代ぐらいの女性で、四十代以降に見える人はいなかった。
 なんとなく、いづらくなって身体を小さくする。後ろめたく感じる必要なんてないはずなのに、初っ端から居心地の悪さを覚えた。

「みなさん、こんにちは。本日は『女性のためのマネー講座』にお越しいただき、ありがとうございます。私はファイナンシャルプランナーをしている高木(たかぎ)と申します。よろしくお願いします」

 十六時ぴったりに部屋に入ってきた高木と名乗る講師は、ビシッとしたスーツ姿で、さっと髪の毛を後ろにかき上げるような仕草をして、マイクを握った。いかにも仕事ができる女性という風貌で、年齢は四十そこそこだろうか。だが、私と違って肌艶は美しく、目元のシワも少ない。同じぐらいの年齢のはずなのに、しゃんと背筋を伸ばして前に立つ彼女は、“立派な社会人女性”の看板を背負っているように見えて、胸がチクリと疼いた。

「今日は、みなさんが日頃気になっているけれど、ご自分で調べたり考えたりするのはなかなか難しいお金について、具体例を交えて説明していきますね〜。メモなどはご自由にお取りください。動画撮影はご遠慮願います」

 テキパキと講座を進行をしていく高木さん。
 一緒に講座を受ける人たちが、鞄からノートとペンを取り出す。私はメモを持ってくるのを忘れていたので、迂闊だったと思い至る。
 まるで仕事の会議のようだ。といっても、私はほとんどそういう場に出たことがないので実際のところはよく分からないのだけれど。

 講座が始まると、高木さんは「まずはみなさんが一番身近に感じている貯金について」と澱みなく話していく。隣近所ではノートにペンを走らせる音が響く。
 貯金についての話は、確かに私も身近なことなのでするすると話が頭に入ってきた。
 が、それ以降、資産形成の話になるとやっぱりちんぷんかんぷん。
 特に、NISAやiDeCoなど横文字が出てくるにつれ、頭がぐるぐるして話を理解するのに時間がかかっていた。

「……というわけで、みなさんも、今からでは遅いなどと思わずに、今日明日からでも資産形成に積極的に挑戦してみてくださいね」

 ぱらぱらとまばらな拍手が起きて、「マネー講座」はお開きとなった。
 高木さんの話は確かに分かりやすかったが、長年専業主婦として家計のやりくりを必死にやっていただけの私には、やっぱり理解が追いつかなかった。

「私も投資とかやってみよっかな〜この前課長に勧められてさ。貯金だけなんて将来怖いよって言われちゃった」

「働いてるといろいろ考えるよねえ。手取りもそんな上がんないし、お金増やしたくなるよ」

 私の隣と、もう一つ隣に座っていた若い女性の二人がそんなことを言いながら席を立つ。

「てか聞いてよ、今日の会議でさあ……」

 仕事の愚痴を吐きながら、会議室を去っていく。
 私も働いていたら、あんなふうに同僚と仕事の愚痴なんて言い合いながら日々を過ごすのだろうか。そういう人生もあったかもしれない、と思うと、今の自分の人生が途端につまらないものに感じた。

 二人子どもがいて、二人ともそれなりに良い子に育っているのに、なんて贅沢な。
 と思う自分がいる反面、キャリアに道を極めてみる人生もありだったのかも、と頭の片隅で考えている。
 まあ、結局は隣の芝生は青いってところか。

「本日の講座はいかがでしたか?」

 私が人間観察ばかりしてなかなか立ち去らないからか、高木さんが近づいて尋ねてきた。

「と、とても参考になりました。貯金以外、何一つできていなかったなあって。あ、でも資産形成のところはやっぱり難しくて、実践できるかどうか……」

 正直な感想を口にすると、彼女はふっと微笑んで「そうですよね」と共感を示してくれた。

「無理に今すぐ始めなくてもいいんですよ。そうやってお金って増やしていくんだという一つの選択肢が浮かぶだけでも、違ってきます。将来、投資を始めたいと思った時に、今日の話をお役立ていただければ」

「はあ。そうですよね」
 
 高木さんの考え方には、確かに一理あると思って頷く。
 将来の選択肢を増やすことができただけでも、今日ここに来て良かったということだろう。

「時間って気づいたらどんどん進んでて、もう○歳かって、驚いちゃうこともありますけど。でも、何歳だからと言って手遅れなことはありません。そりゃ早く始めたほうが良いこともたくさんありますけれど、年齢に合った解決策があるので。また気になることがあれば、いつでも相談してくださいね」

 そう言われて、高木さんから名刺を受け取る。名刺交換をし慣れていない私は、頭を低くしながらそれを受け取るので精一杯だった。
 たぶん、この名刺の連絡先に、今後私が連絡することはないだろう。

「ありがとうございました」

 とりあえずお礼を伝えて、そそくさとその場を後にする。
 気になることがあれば、AIに聞けばいいんだし。
 名刺を鞄のポケットにしまいこんで、私は帰路についた。