静心ふたつ、茶の道ひとつ

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 こうして始まった僕の茶道生活。
 といっても、茶道部の部活動は基本的に月曜日と木曜日の二日間だけだという。クラスメイトたちが、やれサッカー部だのやれ野球部だのと華やかな部活動に勤しむ中、僕と香月くんはたったの週に二度、茶道部の部室へと赴くだけだ。
 茶道部は現在、全部で十八人の部員がいる。
 三年生五人、二年生六人、一年生七人だ。
 その中で、男子部員であるのは僕と香月くんだけ。先生も、「何年ぶりの男子部員かしら」と首を傾けていた。
 そんな久遠先生は、茶道部の外部講師として、部活のある日だけ明智高校にやってくるらしい。

 GWに入部届けを出して、はや三週間。
 この期間に中間テストがあったので、実質まだ四回しか茶道部の活動に参加できていない。その間、初心者の僕たちは、まず茶道で使う道具の名前を覚えるところから始まった。

 お抹茶を入れる茶器である“(なつめ)”。
 お茶を点てる際に茶碗を清めるための水を入れておく“水差し”。
 お茶を点てる際に使う“茶筅(ちゃせん)”。
 お抹茶をすくうための“茶杓(ちゃしゃく)”。
 お茶碗の水気を拭くための“茶巾(ちゃきん)”。
 お湯や水をすくうための“柄杓(ひしゃく)”。
 茶碗をゆすいだ後のお湯を捨てるための入れ物である“建水(けんすい)”。
 茶碗や茶杓などを清めるための“帛紗(ふくさ)”など。

 道具を覚えるだけでも大変で、てんてこまいだった。

 香月くんと一緒に、道具を出し合って、クイズ形式でそれぞれの道具の名前を当てるゲームなんかをして、なんとか頭に入れていく。

「これは?」

「茶杓……」

「ブッブー! “茶筅”でした」

 似たような名前の道具が多いので、僕の頭の中は混乱を極める。朝比奈さんや他の一年生の女子たちが、「男子なにやってんの」と僕たちをからかってきた。

「こうやってゲーム形式でやるとなんでも楽しいだろ。テスト前だってみんなやってんじゃん」

「そんな暗記ゲームみたいなことしてたら、“侘び”も“寂び”もへったくれもないじゃん」

 朝比奈さんの指摘は確かにごもっともだったので、僕たちはぐうの音も出ない。

「まあまあ、覚えてしまったらいい話だから、ゲームでもなんでもいいよ〜。二人とも頑張って」

 部長である深草先輩が僕たちを励ましてくれる。
 お点前におけるそれぞれの動作は、水屋でいろんな先輩たちに教えてもらっていた。

 入部して一ヶ月も経つと、とうとう僕たちも久遠先生からのお稽古をつけてもらうことになった。
 明智高校茶道部が今稽古をしているのは、“運び点前”と呼ばれるお点前だ。
 お道具をすべて一から自分で運んでいくところから、この名前で呼ばれているらしい。
 まず、右手に建水などの器を持ち、正座の状態から両足をそろえて一足(いっそく)で立ち上がるだけでもかなり難しい。バランスを崩してよろけそうになる。実際香月くんなんかは「おわ!?」と毎回転びそうになるから、一年生の女子たちに笑われていた。

「お茶を点てるときは、力を入れすぎずに、なめらかに手首を上下に振ってくださいね」

 久遠先生の手ほどきを聞きながら、ぎこちない動作で実践してみる。でも、やはり先輩たちのように綺麗に抹茶の泡を立てることができない。
 
「お、これ、いいんじゃね?」

 香月くんは、お稽古の最中にもかかわらず、大きな声を出したり、抹茶を点てるのが上手くいって喜んだりと、喜怒哀楽が激しい。先生から、「香月くん、“静心(しづごころ)”を大切にしましょうね」とやんわり嗜められているが、一向に直らない。そのうち久遠先生も、香月くんに“静心”を求めるのは諦めたのか、彼のお稽古中のドタバタ劇にもくすくすと小さな笑みをこぼすようになった。

「あ、久遠先生が笑った」

「滅多に笑わないのに!」

 外から香月くんのお稽古の様子をちら見していた先輩たちが、意外そうに目を丸くしている。
 そう言われてみれば確かに、久遠先生は普段あまり表情が豊かなほうではない。
 凛とした表情が似合うので特に違和感を覚えたことはなかったが、いざ彼女が笑っているところを見ると、温かな気持ちになる。
 と同時に、自分と話すときはあんなふうに笑ってはくれないだろうな、と一抹の寂しさを覚えた。

 結局僕は、久遠先生に自分が孫であることを知っているかと聞くことができていない。
 久遠先生も、僕に対しては他の部員と同じように、赤の他人として接してくる。
 だから聞こうにも聞けずにいたのだ。