僕たちは青春を卒業しない

   ◇

 俺がモデルを始めたきっかけは、SNS上でのスカウトだった。
 正直、モデルなんて興味なかったけど、自分でバイトを探すのも面倒だったし、それを受けることにした。
 いざ始めてみれば、読者からの評価だとか、ポーズや表情管理の才能だとか、俺が苦手なものが詰め込まれた職だと知った。
 特に厄介なのは、嫉妬。
 一生懸命やっても、興味なさげにやっても、睨まれる世界。
 だから自然と、俺は心が疲れない選択をするようになった。
 真剣にやらなければ、そんな視線を向けられても気にならないだろう、と。
 一生懸命やっても報われず、他人からの評価も得られないなんて、ごめんだから。
 むしろ真面目にやるほうが馬鹿だと思い始めたところに、作間のあの言葉。

 ――上達していないまま辞めるのは、僕のプライドが許さないから。

 一日経っても、強い声と眼差しも頭から消えない。
 なんだか、作間に痛いところを突かれた気分だ。
 いや、これは被害妄想だとわかっているけど。
「君にはプライドがないの?」と問われた気がしてならない。
 そのイラつきと情けなさが入り交じって、次の日の放課後は、作間から逃げるように教室を出た。
 作間がこっちを向いていた気もするけど、目を合わせすらしなかった。
 そうして下駄箱に着いたときだった。

「ひーろっ」

 背後から両肩に手を置かれ、誰かと思ったが、その声と爪の装飾から結愛だと気付いた。
 少し後ろに視線をやると、満面の笑みを浮かべた結愛がそこにいた。
 なんとなく、面倒な予感がした。
 いつもなら、それでもなにか反応を示すのに、今の俺は言葉を返す気力がなかった。

「駅前のカフェ、新作始めたんだって。昨日行けなかったし、今日ヒマなら行こ?」

 結愛は逃がさないと言わんばかりに、俺の左腕に手を絡めてきた。
 こんなの、普段と変わらないはずなのに、やけに鬱陶しい。
 無理だと断らずとも、それが表情に出ている気がする。
 でも、結愛の楽しそうな様子は変わらない。
 もしかして、俺の感情は顔に滲んでいないのだろうか。

「……あの、矢崎くん」

 すると、横から名前を呼ばれた。
 躊躇い気味に俺の苗字を口にするのは、ひとりしか知らない。

「……作間」

 絵を描いているときとは違う、おどおどとした姿。
 そんな作間が俺を呼び止めたからか、結愛は一気に不機嫌そうに口を尖らせた。

「なに?」

 応えたのは俺ではなく、結愛。
 そこまで嫌悪感をあらわにしなくてもいいのにと思ってしまうくらい、低い声だった。
 いや、そういえば結愛は作間が俺のほうを見ていたことに対しても苛立ちを覚えていたっけ。
 それを思うと、この態度になるのも無理ないのかもしれない。

「えっと……矢崎くんに、ちょっと用事があって」

 声をかけてきた時点で察したが、どうしたものか。
 どちらと過ごすにしても、心穏やかではいられないだろう。
 それでもどちらかを選ばなければならないのなら。

「……ごめん結愛、新作はまた今度にして」

 そう言いながら結愛の手から逃げると、苛立ちの矛先がこちらに向いた。

「はあ!? 昨日もそうやって一緒に帰ってくれなかったじゃん!」

 周りに人がいることなんて気にせず、結愛は感情のまま声を上げた。
 そのせいで、いくつかの視線がこちらに向いているのを感じた。
 今までできるだけ結愛の機嫌を損ねないようにしてきたのは、やっぱり正解だったのかもしれないなんて思った。

「ちゃんと埋め合わせするから」

 ありきたりな言葉で宥めると、結愛は鋭い眼を俺に向け、そして作間を見た。
 作間が怯えたように肩をビクつかせたのは、火に油を注いでいるようにしか思えない。

「……もういい!」

 結愛は踵を返して校舎を出ていった。
 その背中を見送りながら、これからもっと面倒なことになるな、なんて考えていたときだった。

「矢崎くん、あの……」

 本当に絵を描いているときとはまるで別人で感心してしまうくらい、作間は俺の様子を伺っている。

「急に声掛けて、ごめんね」

 こんなにも消極的なのに、どうして結愛を敵に回すようなことをしたのか。
 いや、意外と肝が据わっているのかもしれない。

「いや、それはいいんだけど、用ってなに?」

 すると、作間はこてんと首を傾げた。

「俺に用があるから、呼び止めたんじゃないの? 昨日の続きとか?」
「あ、えっと……昨日のは完成してて、その……矢崎くんが困ってるように見えたから……余計なお世話だったかな」

 それを聞いて、すぐに反応できなかった。
 俺が考えていることを見抜かれていたこととか、やっぱりわかりやすかったのに気付かなかった結愛は、俺のことには興味なかったんだとか、なんで作間はわかるんだろうとか、驚きと落胆といった思考が入り交じったせいだ。

「……いや、助かった」

 俺の言葉を聞いて、作間は安心したように表情を和らげた。
 その様子を見ていると、一方的に気まずさを感じていたのが馬鹿らしくなってくる。

「今日も描くの?」
「うん」

 作間は頷くだけで、絵のモデルのことは話題に出さない。
 昨日の一度きりと思っているのかもしれない。
 そんな中で、改めて自分から絵のモデルに立候補したら、とんでもない勘違い野郎が完成してしまう。
 いや、なんで俺はこんなにも乗り気なんだ。
 昨日、やらなければよかったとか思っていたくせに。
 まあ、きっと、作間の前では、本音を取り繕う必要がないからだろう。
 俺を描く作間は、俺よりも俺のことを知っている。
 本性を見抜かれていくのには多少の抵抗があるけど、俺が見失った俺を見つけてくれたりしないだろうか、なんて思っている自分がいた。

「そうだ」

 ふと、作間がなにかを思い出したかのような声を出した。

「矢崎くん、昨日は予定があったのに、付き合ってくれてありがとう。昨日、言えてなかったから」

 俺が急に帰ったことを、そんなふうに思っていたのか。
 お人好しがすぎないか。
 勝手に申し訳なく思っていると、作間は俺の顔を覗き込んできた。

「な、なに?」
「昨日よりちょっと元気そうで、安心した。急にモデルお願いして疲れさせちゃったかなって思ってたんだ」

 本当に、作間にはすべてお見通しらしい。
 ちょっと怖いけど。

「……俺、一応読モやってるから、あれくらいはなんてことないし」

 それを聞いて、作間は「そうだったね」なんて言いながら、ひとりで納得している。
 作間にとって、俺が読者モデルであることは大して価値もないことなのかもしれない。
 矢崎燈路というひとりの人間を、描いてくれているのかもしれない。

「……まだやってほしいポーズとかあれば、協力するけど?」

 より一層、作間から見た俺が知りたくなって、気付けばそんなことを言っていた。

「……いいの?」

 申し訳なさそうにしていた割に、どこか嬉しそうに見える。
 それだけ、俺が求められているということ。
 自意識過剰だとしても、俺はそう思い込むことにした。