◇
絵のモデルしようか?なんて軽々しく言うんじゃなかったと後悔したのは、翌日のことだった。
放課後まで、俺たちは一言も言葉を交わさなかった。
一日通して、あの約束は流れてしまったのかと思いつつ、放課後、作間の様子を伺った。
結愛は帰ろうとしない俺に不思議そうな目を向けるだけでなく、一緒に帰らないことへの不満をこぼしながら、帰っていった。
そして、教室に残ったのは、俺と作間の二人。
なんともいえない空気感の中、作間から「本を読んでいてほしい」と要求された。
それ自体は、難しいことではない。
モデルの仕事をしているから、見られることも平気だと思っていた。
でも、作間の真剣な眼がこちらに向く度に、胸がざわついた。
こんなにも熱くなっている人に、俺はなんて軽い気持ちで提案をしてしまったんだろうと、思わずにはいられない。
遠くから運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏が聞こえてくるはずなのに、目の前の作間が動かす鉛筆の音が、耳を占拠していく。
真剣に、ただまっすぐ、目の前の好きなことに集中して。
また、作間の眼がこっちに向いた。
――でもアイツ、才能ないじゃん。
その強い眼差しと目が合った瞬間、過去の自分が持っていた輝かしい熱が頭を過ぎった。
ついでに嫌な言葉を思い出してしまった。
「……さ!」
それを打ち消したくて出した声は、自分でも驚くほどに大きな声だった。
作間は昨日と同じように、目を丸くして俺を見る。
俺は小さく「ごめん」と言い、咳払いをひとつした。
「……作間ってさ、なんで絵描いてんの?」
急な質問に、作間は戸惑っている。
当然だ。
昨日、ほぼ初めて会話したような奴とする会話の内容ではない。
焦って変なことを口走ってしまった。
「いや、それだけ絵の才能があったら、やっぱり受賞とかしてるのかなとか、将来画家になるのかなって、気になって……」
だが、誤魔化そうとすればするほど、余計なことしか口から出てこなかった。
もう、黙ったほうがいい。
そう思ったとき、鉛筆が動く音がした。
作間もなかったことにしてくれるなら、好都合だ。
「……受賞したことも、絵を仕事にしようと思ったことも、一度もないよ」
ぽつりと、作間が言った。
「じゃあ、なんで?」
黙っていようと思ったのに、それは無意識に言ってしまった。
なににもならないことを、それだけの熱量を抱いて取り組む姿勢が、理解できなかったから。
「なんで、か……考えたこともなかったな」
作間は一切俺のほうを見ないで、手を進めている。
もう確認しなくてもいいくらい見られたのか、手が覚えてしまうくらい描いてきたのか。
どちらにせよ、妙に恥ずかしい。
そのむず痒さから逃げたくて、俺は意味もなく手元にある本のページをめくった。
「そういう矢崎くんは? どうしてモデルをしてるの?」
まさか質問が返ってくるなんて、思ってなかった。
作間と目が合わないように視線を上げれば、俺のことなど興味なさそうな作間がいる。
「あー……なんとなく?」
だから真面目に答えなくてもいいだろう、なんて思っていない。
ただ本当に、やりたいことも特になくて、SNSを通してスカウトされ、暇つぶしになりそうだと考えたのがきっかけだ。
それを、ひとつのことをまっすぐ、全力で取り組んでいる作間には言えなかった。
俺がそんな返答をしたせいか、また鉛筆の音が響くようになった。
静かな教室に、真剣な作間。
この掛け算は、俺にとって最悪な計算式らしい。
なにか、話していないと……
――俺は才能がないから、もう辞める。
逃げた自分が、脳裏に過ぎる。
「……描くのやめたいって思ったこととかないの?」
変なことを言っている自覚はある。
だから俺は、作間のほうを見れなかった。
ほんの静寂すら、恐ろしい。
そのまま俺の心音までも奪ってしまうのではないかと錯覚しそうになる。
「それは」
作間の声は落ち着いているのに、誰かに脅かされたかのように身体が反応してしまった。
「ないかな」
強く芯の通った声色。
やっぱり作間は、俺とは違って強いらしい。
俺にもその強さがあれば、俺はまだ……
「正直、しんどいなって思うことはあるけど……でも、上達していないまま辞めるのは、僕のプライドが許さないから」
それを聞いた瞬間、俺は椅子を倒す勢いで立ち上がった。
作間は驚きと混乱が入り交じった眼で俺を見てくる。
その目を、俺に向けるな。
「……ごめん、用事あったの忘れてたわ。続き、また今度でいい?」
「え、あ、うん……」
作間の戸惑った声を聞きながら、俺は本を置いて教室を出た。
辞めないのは自分のプライドが許さない、か。
それじゃあ、なんだ。
才能がないからと言って部活を辞めた俺は、プライドがないってことか。
……違う、作間はそんなことを言っていない。
でも、ひねくれた思考から抜け出せない。
「俺にも、作間みたいなプライドがあればな……」
そうすれば、今のモデルの仕事も本気で取り組めるかもしれない。
サッカー部が活動する横を通り過ぎながら、そんなことを考えていた。
絵のモデルしようか?なんて軽々しく言うんじゃなかったと後悔したのは、翌日のことだった。
放課後まで、俺たちは一言も言葉を交わさなかった。
一日通して、あの約束は流れてしまったのかと思いつつ、放課後、作間の様子を伺った。
結愛は帰ろうとしない俺に不思議そうな目を向けるだけでなく、一緒に帰らないことへの不満をこぼしながら、帰っていった。
そして、教室に残ったのは、俺と作間の二人。
なんともいえない空気感の中、作間から「本を読んでいてほしい」と要求された。
それ自体は、難しいことではない。
モデルの仕事をしているから、見られることも平気だと思っていた。
でも、作間の真剣な眼がこちらに向く度に、胸がざわついた。
こんなにも熱くなっている人に、俺はなんて軽い気持ちで提案をしてしまったんだろうと、思わずにはいられない。
遠くから運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏が聞こえてくるはずなのに、目の前の作間が動かす鉛筆の音が、耳を占拠していく。
真剣に、ただまっすぐ、目の前の好きなことに集中して。
また、作間の眼がこっちに向いた。
――でもアイツ、才能ないじゃん。
その強い眼差しと目が合った瞬間、過去の自分が持っていた輝かしい熱が頭を過ぎった。
ついでに嫌な言葉を思い出してしまった。
「……さ!」
それを打ち消したくて出した声は、自分でも驚くほどに大きな声だった。
作間は昨日と同じように、目を丸くして俺を見る。
俺は小さく「ごめん」と言い、咳払いをひとつした。
「……作間ってさ、なんで絵描いてんの?」
急な質問に、作間は戸惑っている。
当然だ。
昨日、ほぼ初めて会話したような奴とする会話の内容ではない。
焦って変なことを口走ってしまった。
「いや、それだけ絵の才能があったら、やっぱり受賞とかしてるのかなとか、将来画家になるのかなって、気になって……」
だが、誤魔化そうとすればするほど、余計なことしか口から出てこなかった。
もう、黙ったほうがいい。
そう思ったとき、鉛筆が動く音がした。
作間もなかったことにしてくれるなら、好都合だ。
「……受賞したことも、絵を仕事にしようと思ったことも、一度もないよ」
ぽつりと、作間が言った。
「じゃあ、なんで?」
黙っていようと思ったのに、それは無意識に言ってしまった。
なににもならないことを、それだけの熱量を抱いて取り組む姿勢が、理解できなかったから。
「なんで、か……考えたこともなかったな」
作間は一切俺のほうを見ないで、手を進めている。
もう確認しなくてもいいくらい見られたのか、手が覚えてしまうくらい描いてきたのか。
どちらにせよ、妙に恥ずかしい。
そのむず痒さから逃げたくて、俺は意味もなく手元にある本のページをめくった。
「そういう矢崎くんは? どうしてモデルをしてるの?」
まさか質問が返ってくるなんて、思ってなかった。
作間と目が合わないように視線を上げれば、俺のことなど興味なさそうな作間がいる。
「あー……なんとなく?」
だから真面目に答えなくてもいいだろう、なんて思っていない。
ただ本当に、やりたいことも特になくて、SNSを通してスカウトされ、暇つぶしになりそうだと考えたのがきっかけだ。
それを、ひとつのことをまっすぐ、全力で取り組んでいる作間には言えなかった。
俺がそんな返答をしたせいか、また鉛筆の音が響くようになった。
静かな教室に、真剣な作間。
この掛け算は、俺にとって最悪な計算式らしい。
なにか、話していないと……
――俺は才能がないから、もう辞める。
逃げた自分が、脳裏に過ぎる。
「……描くのやめたいって思ったこととかないの?」
変なことを言っている自覚はある。
だから俺は、作間のほうを見れなかった。
ほんの静寂すら、恐ろしい。
そのまま俺の心音までも奪ってしまうのではないかと錯覚しそうになる。
「それは」
作間の声は落ち着いているのに、誰かに脅かされたかのように身体が反応してしまった。
「ないかな」
強く芯の通った声色。
やっぱり作間は、俺とは違って強いらしい。
俺にもその強さがあれば、俺はまだ……
「正直、しんどいなって思うことはあるけど……でも、上達していないまま辞めるのは、僕のプライドが許さないから」
それを聞いた瞬間、俺は椅子を倒す勢いで立ち上がった。
作間は驚きと混乱が入り交じった眼で俺を見てくる。
その目を、俺に向けるな。
「……ごめん、用事あったの忘れてたわ。続き、また今度でいい?」
「え、あ、うん……」
作間の戸惑った声を聞きながら、俺は本を置いて教室を出た。
辞めないのは自分のプライドが許さない、か。
それじゃあ、なんだ。
才能がないからと言って部活を辞めた俺は、プライドがないってことか。
……違う、作間はそんなことを言っていない。
でも、ひねくれた思考から抜け出せない。
「俺にも、作間みたいなプライドがあればな……」
そうすれば、今のモデルの仕事も本気で取り組めるかもしれない。
サッカー部が活動する横を通り過ぎながら、そんなことを考えていた。



