僕たちは青春を卒業しない

   ◇

 やっと放課後になり、俺は軽いカバンを手に教室を出た。
 同じく廊下を歩く人波にしたがって進むのはいいが、部活に向かう生徒も、帰宅する生徒も浮き足立っていて、周囲は騒がしい。
 まあ、自由がない環境から解放されれば、心が緩むのもわからないことはないが。

「燈路、今日は撮影の日?」

 当然のように俺の隣を歩く結愛の声は高く、周りの音に消されることなく耳に届いた。
 なにかを期待しているような眼差しから目を逸らしつつ、俺はポケットに手を突っ込む。
 見学に行きたいと言われるのか。
 それとも、どこかに寄り道したいと言われるのか。
 どちらに転んでもため息が出そうだ。

「今日はたしか……あれ」

 スマホでスケジュールを確認しようとしたのに、ポケットにはなにも入っていない。
 カバンを探っても、スマホがある気配がしない。

「燈路、どうかした?」
「ごめん、スマホ教室に忘れてきたっぽい。先に帰ってて」
「え、ちょっと燈路!?」

 結愛の慌てた声を聞き流し、俺は踵を返した。
 人の流れに逆らうのは歩きにくくて仕方ないけど、結愛の計画から逃げられたと思うと、これくらいなんてことはない。
 今回は偶然だけど、この手はたまに使ってもいいな。
 そんな最低なことを考えているうちに、教室に着いた。
 さっきまでの賑やかさが嘘のようで、俺が知っている場所とは違う気がしてくる。
 人がいないだけでこんなにも雰囲気が変わるものなのかと驚きつつ、俺は教室に足を踏み入れた。

 もう誰もいないと思っていた室内に、ひとりだけ生徒が残っていることに気付き、俺はかっこ悪く肩をビクつかせた。
 教室の前側から中を見たから、その姿が見えなかったみたいだ。
 残っていたのは、廊下側の一番後ろに座る、作間絢人。
 作間は俺が戻ってきたことはもちろん、ダサい姿にも気付かず、黙々と机に向かっている。
 顔を上げようともしないところを見るに、徹底的に他人に興味がないらしい。
 俺もそれくらい、他人に振り回されずにいられたら、もう少し楽に生きていけるのかもしれない、なんて考えながら、自分の席に向かう。

 スマホは机の中にあり、ズボンのポケットに入れた。
 そのときスマホと引き出しが当たって、思わず振り向いてしまいそうな音がしたのに、やっぱり作間は反応しない。
 あんなに集中して、なにをしているんだろう。
 俺は悪いと思いつつ、好奇心に勝てず、静かに作間の背後に立った。
 作間は、絵を描いていた。
 シャーペンをひたすら動かして、ノートに描かれている人物は、どこか見覚えがある気がする。
 窓際の席。頬杖を付いて。足を組んでいるその人物。

「……俺?」

 つい声が漏れ、その瞬間、作間が勢いよく振り向いた。
 長めの前髪の隙間から見える眼は、大きく開かれている。

「やっ……さきくん!?」

 作間はわかりやすく目を泳がせ、慌てた様子でノートを閉じた。
 そんなことをしても、もうしっかりと見てしまったんだけど。

「いや、あの……ごめん、勝手に描いたりして……」

 そう言いながら、作間はノートをリュックに入れようとした。
 今の言葉とこの反応から、あれは俺を描いたということで間違いなさそうだ。
 それなら、どんなふうに描かれているのか、ちゃんと見たい。

「待って」

 俺が作間の手首を掴むと、作間はまた目を丸めて俺を見た。
 作間がこんなに素直な反応を示すなんて、少し意外だ。
 自分軸がしっかりあるから、他人に振り回されることはないだろうって勝手に思っていたけど。
 決めつけるのもよくないってことか。

「それ、見せてよ」

 作間から手を離し、作間の前の席に座った。
 じわじわと作間の逃げ場を潰すという最低なことをしている自覚はある。
 でも、作間の目にどんなふうに俺が映っているのか、普通に気になる。

「……上手くなくてもいいなら」

 作間は少し嫌そうにしながら、しまおうとしていたノートを差し出した。

「ありがと」

 作間が居心地悪そうに視線を落としているのを横目に、俺はノートを開いた。
 最初にあった絵は、さっき見た構図と同じものだった。
 だけど、あの絵ほどの引力がないように感じる。
 下手ではないけど、上手くもない、みたいな。
 それからページをめくっていくと、なにかを書いている俺や、机に突っ伏して寝ている俺がそこにいた。
 モデルをしているときや、結愛といるときの作り笑いを浮かべる俺はいない。
 だからだろうか。
 次第に、俺ってこんなに雰囲気イケメンだったのかと勘違いしそうになった。

「あの……矢崎くん……本当、僕なんかが描いてごめんなさい」

 俺がなにも反応を示さずに絵を見続けていたからか、作間は申し訳なさそうに言う。

「いや、めちゃくちゃ上手いよ。作間って俺のファンなのかなって思うくらい」

 ノートを返しながら言うと、作間はきょとんとした。
 その眼は、なにを言っているの?と語っているようで。
 つまり作間は、俺がモデルをしていることを、知らないという……なんてことだ、穴があったら入りたい。
 俺と作間の自意識は足して二で割るべきかもしれない。

「……なんでもない、気に」
「あ! そういえば、矢崎くんってモデルやってるんだっけ……そっか、だから目を惹かれたんだ……」

 作間は俺の言葉を遮り、ひとりで納得している。
 やっぱり作間は他人に興味がなかったのだと思うと同時に、そんなふうに言われると違う意味で恥ずかしくなってくる。
 結愛に「かっこよかった」とストレートに言われても、こんなに心がざわついたことはない。

「……じゃあさ」

 だから俺は、少しだけ調子に乗ったんだと思う。

「こんな盗み見みたいな感じじゃなくて」

 過去最高に、自意識過剰だった。

「ちゃんと絵のモデル、やろうか?」

 俺からの提案に戸惑い、頷く作間を見て、口元を緩めてしまうくらいに。