あすか台学園の転入生ガイダンスの朝。
寝ぼけマナコで机の上を何気なく見る。とたん、目が覚めハッと飛び起きた。『五羽のツバメのダイアリー』の置かれた位置が変わっていて、しかも表紙が半開きになっている。
スマホの時計を見ると、今は七時二十分。集合時間は九時だから、まだ時間はある。ノートを手に取って再び布団に潜った。
三月下旬に紗友が書いてから一週間近く新しい書き込みはなかったので、みんな誘いに乗ってくれないのかなあと諦めかけていたところ。今朝、一気に書き込みが増えていた。
…………
4月3日(木)AM1時 ナツダヨ
気分は、まあまあフツーかな
祝! あたいの初書き込み。 祝! 転校。
真夜中に目が覚めたら、あたいが出てたよ。ということは、ひょっとしてアイさ、明日から新しい学校に行くから緊張してんじゃないの? あ、いかん、あたいが夜更かして寝不足になったらアイにダメージあるかもだから、早く寝るようにするよ。
アイとサユの日記、読んだよ。
アイのやりたいこと、わかった。協力するよ。っていうか、交換日記をみんなで書くっていうのは、あたいが言い出しっぺだけどね(ジマン)。
サユはさ、転校の原因について、アイが書いてくれたように気にしないでいいんじゃない? だって、いつものことじゃん(笑)。これでいいのだ! あたいはサユって勇気あるなって思うよ。まあ、そこそこにしといてくれると、こっちも助かるんだけどね(笑)。
新しい学校では、きっといい事と、いい人が待ってるよ。
菜津より
…………
4/3 2時ごろ タク
多分、ナツが寝てすぐに、ぼくが出てきている。ナツが書いたようにアイ少し緊張してるのかもね。遠足の前の日の気分かな。
日記、読んだ。アイ、気をつかってくれてありがとう。
でも、転校してくれて助かった。サユにはお礼をいいたいぐらいだ。
三ノ谷高校は、女子ばっかりだったから、正直、居心地悪かった。イジメにあったとき、ぼくは中にいたから、よくわかんないけど、よけいにあの学校に行くのが怖くなった。
新しい学校には、ぼくでも通えるようにがんばる。
おやすみ
…………
4月3日 3時30分 カナ
アイちゃん、みんなへ
こんばんは。おはよう、かな?
アイちゃんがこのノートを見るのは、たぶん朝だね。
あなたの体の中にいる、ウチたちがこうやって日記を通して伝え合えるのってすごくいいと思います。お互いの存在は、なんとなくわかっているけど、話をすることなんてできないもの。
前の学校でひどい目にあって、おじいさまとおばあさまがここからいなくなって、本当に心細いけれど、アイが書いてくれたとおり、ウチたちで何とかやっていくしかないね。
でもね、あなたはなにも心配しなくていいんだからね。辛いことがあったら、今まで通りウチを頼って。いつでも代わるから。ウチは大丈夫。だって、このために生まれてきたみたいなもんだから。
…………
4月3日 もう5時だ サユ
みんな、オレに気をつかっていろいろ書いてくれてありがとな。心配かけて、すまない。
でもやっぱ、オレはいない方がアイは幸せに生きていけるんだろうな。
新しい学校じゃ、アイがムカつくことを感じても、なるたけ気持ちをおさえてシャシャリ出ないようにする。
…………
一通り交換日記に目を通して、もう一度パラパラとページをめくり直してみた。
菜津はオレンジのサインペン、拓は黒の細いペン、香奈はブルーのサインペン、紗友はシャーペンと、使う筆記用具も筆跡も文体も違う。改めて思う。自分の中には、自分とは違う個性を持った子たちがいるんだと。
そろそろ起きよう。
フトンから出ると、まだまだ肌寒い。
夕べ、私の中の四人は、寝たり起きたりを繰り返してメッセージを残してくれた。それがすごく嬉しい。
ベッドの上に脱ぎ捨ててあったフリースのパーカーを羽織ると、白紙のページを開き、中学校の入学祝いに祖父母が買ってくれたラミーの水性ボールペンを握る。太めの文字で、スムーズな書き味が気に入っている。
…………
4月2日(木) AM7時40分 アイ
ちょっと眠いかもだけど、調子はいいよ。
ナツ、タク、カナ、サユ、『5色のツバメのダイアリー』に書き込んでくれてありがとう。あ、サユ、すてきな名前つけてくれてありがとう。
今日から、あすか台学園に通います。ちょっと不安だったけど、みんなのおかげで、こんな私でもなんか大丈夫な気がしてきた。
じゃあ、行ってきます。
じゃなくて、いっしょに行こう。
藍より
…………
学校まではちょっと遠回りにはなるけど、大塚駅から都電荒川線で雑司ヶ谷(ぞうしがや)駅まで乗り、そこから歩く。都電には『東京さくらトラム』という愛称がいている。でも、地元では今も『都電』で通っている。愛称の通り、この辺は桜が多く、開け放った電車の窓から桜の花びらが舞い込んできた。どこかうれしそうでいて、ちょっとさびしさを感じる風の肌触り、これを感じられるのが、この季節のこのルートだと思う。
都電を降りて、アニメなんかの異世界の巨木のような豊島区役所を眺めながら交差点を曲がると、目の前にあすか台学園が見えてくる。集合時間までまだ三〇分ある。
自販機を見つけ、緑茶のペットボトルのボタンを押した。
落ち着いて飲めそうな場所は……お寺の脇を少し進んだところに確か大きめの公園があったはずだ。
広い芝生の広場の向こうにはお洒落なレストラン。桜の樹の下のベンチ付近では、お年寄りのグループが目の前を舞い降りる花びらを眺めている。親子連れの幼い女の子が、お母さんから手を離して花びらを追いかけ始めた。多分自分にもそんな思い出があったかも……でもうまく思い出せない。
一つ空いているベンチがあったのでリュックを降ろして腰かけ、ペットボトルのキャップを開け、一口緑茶を含む。鼻先を桜の花びらがひとひら、かすめていった。
その花びらが舞い降りたのは、隣のベンチ。脇には大きなペパーミントグリーンのスーツケースが立てられている。腰かけている女性は、コンビニのレジ袋からおにぎりを取り出し、ペットボトルを片手にほおばり始めた。ダブッとしたデニムのパンツに真っ赤なフーディ。被っているアポロキャップも真っ赤、つけているネックバンド型のイヤホンも赤だ。
その子はあっと言う間におにぎりを食べ終えるとゴミをレジ袋にしまい、それを丸めてポケットに押し込む。口をすすぐようにミネラルウォーターを飲んで腰を上げた。
脚を少し広げて立つと、彼女は手を打ち鳴らし始めた。
リズムの発生源は、きっと赤いイヤホン。
キャップのつばの影になり、表情はよくわからない。手拍子は、やがて肩や腰、膝やつま先の動きに変化していく。
手を胸の前でクロスさせると、一定のリズムで頭を前後に移動させ、次いで左右に。そして視線は前を向いたまま、頭をぐるりと肩の上で円運動させる。
私の耳に音楽は聞こえない。でも彼女の動きから伝わってくるビート感。ついついじっと見てしまう。慣れているのか、その子は私の視線を全く気にする様子がない。
次いで肩。
両手をだらりと降ろすと、左右交互に上げ下げし、次いで前回し後ろ回し。リズミカルに柔軟に。
胸を大きく動かす。
手を腰に当て、やはり視線を前に保ったまま、まるで腰と分離しているかのような前後、左右の往復運動。そして回転運動へ。
今度は腰。
手をあてたまま、自由自在に大胆に。いく分動きがエロい。
動作は膝まで降り。
片方のつま先を上げ、ガニマタ気味に足を曲げ回し、そのままウチマタのシルエットに変化させた。
どうやら、ここまでで一セットのみたいだ。
アポロキャップの子はこれを三セット、しかも少しずつ違うアレンジを加え、だんだんと難しそうな振り付けに変えて繰り返したあと、からだの動きを止めた。
イヤホンをはずし、ベンチに転がっているペットボトルを拾い上げ、ゴクゴクと飲む。
近くのベンチに座っているお年寄りや子供たちからパチパチと拍手が起きた。彼女はちょっとだけ照れくさそうにしてアポロキャップを脱いで軽く頭を提げる。桔梗色の髪。帽子に隠されていた部分は細かく編み込まれていた。
思っていたよりも若い。自分と同い年くらいかも。小柄だからそう見えるのか。
釣られて私も手を叩いた。それに応えたつもりなのか、ダンスの子は私に視線を向けるとペロッと舌を出してから小さく笑った。
私とその女の子の間を優しくも少し冷たい、この季節特有の風がサッと吹き抜けていった。
彼女の動作に惹きつけられた。一定のリズムで体を動かしながらも、静と動のメリハリがあって、ビート感が心臓の鼓動のように伝わってくる。
そんな感動を伝えようかどうかと迷っていると、その子はキャップをかぶり直し、スマホ画面をチェックして叫んだ。
「おぅ、ヤバ! 時間や」
慌てて派手な色のスーツケースに手をかけ、ベンチに置いてあったピンク色のビッグクッションのショルダーバッグをたすきがけにした。
それを見て私も我に返り、スマホを取り出す。
「あ、もうこんな時間!」
リュックを背負い、立ち上がった。
公園を出て、あすか台学園に向かうと、少し前をさっきの子がガラガラと大きな音をたててスーツケースを引っ張っていた。追い越すのに少し気が引けたけど、遅刻しては元も子もない。小走りに彼女の脇を通り抜け、学校のエントランスに向かう。大音量のガラガラは、ずっと追いかけてくる。
通信制高校の入り口、大きな両開きのガラスドアを開け、飛び込む。
「ちょい待ち、ドア閉めんといて!」
振り向くと、さっきのダンスの子が突進してきた。慌ててドアを押さえる。
ガラガラの騒音とともにロビーに入り込んで来た彼女は、肩で息をしながら、
「おおきに!」
と叫んだ。
受付にいた女性はその様子をぽかんと眺めていたけど、すぐに気を取り直して聞いてきた。
「あの、そこの二人、今日から転入の生徒さんですか?」
「はい、そうです」「うん、せやで」
驚いて、アポロキャップの子を見る。
彼女はそれに親指を立てて応えた。
「もうすぐガイダンスを始めますので、階段を上がって、2-A教室に入ってください」
受付の女性の指示に従い、二人で階段に向かった。
ダンスの子は、うんとこしょっとスーツケースを引き上げながら階段を上がる。手助けしてやりたかったけど、下手に手を出すと二人で仲よく転落しかねないので歩調を合わせて、おとなしく見守った。
指定された2-A教室に入ると、既に席に座っていた三組の親子がそろってこっちに顔を向けた。注目を集めたのは、赤を基調とした服装の子の方。白のブラウスにネイビーのカーディガン、グレーのミドル丈スカートと、無難な服装を選んできた私はそれほど視線を感じなかった。
席についていた生徒は、女子が二人、男子が一人。
その三人の母親は、打ち解けた様子で、お互いの紹介や情報交換を終えているらしい。
「はじめまして。ウチの子、これからよろしくね」
茶縁の眼鏡をかけた、女の子の母親が私たちに微笑んで声をかけてきた。
「は、はいよろしくお願いします」「うん、よろしゅうに」
挨拶が済むと、今度は男子の母親が尋ねる。
「お会いして早々、不躾にお二人に聞いちゃうけどね、あなたたちはどうしてここに転入してきたのかしら? あ、うちの子は、クラスメイトといろいろあってね」
「うちもそんな感じ」
「この子は、朝起きると、めまいひどくて通学できなくなっちゃって……」
後出(あとだ)しはいけないと思ったのか、三人の母親がわが子の転入の理由を簡単に打ち明けた。初対面の私たちに自分の子供の事情を話すのはどうなんだろうとも思ったけど、別に損も得もないだろうと思い
「あの、私は前の学校でイジメにあいまして……」
とかなり端折(はしょ)って答えた。
まあそれは大変だったはね、とかうちの子と同じね、とか母親たちは口々に同情のコメントを漏らした。
そして、赤い服装の子に注目が集まる。彼女がアポロキャップを脱ぐと、三組の親子はそのヘアスタイルと髪色に驚きつつも、彼女の言葉を待った。
「ボクはね、ダンサーになりたかってん、高校辞めて事務所に入ったんやけど、やっぱ高校は出といた方がええんかなと思ってね」
それを聞いて三人の母親は一様にリアクションに困った表情を浮かべた。茶縁の眼鏡のお母さんが、
「まあ、りっぱねえ。通信制に通いながらスポーツに専念したり芸能活動をしてる子もいるって話だものね」
「ボクのはそんな偉いもんじゃないよ」
ダンスの子は編み込みの頭を掻いて、えへへと笑った。
そこに先生方が入ってきたので、この話はここで終わった。男女二人の先生は学年の主任と、学習・生活相談の担当者だと自己紹介した。
その後、年間のカリキュラムやレポートの提出方法、スクーリングや文化祭などの学内行事、体育の授業の場所などの説明を受け、校内の施設を案内された。六つの大小の教室と自習室、カウンセリングと進路相談を兼ねた部屋に加え、小さいながらも図書室や調理実習室もある。
「どれも授業をやっていなければ、自由に使っていいですよ」
学習・生活指導の先生が補足すると、
「えっ、調理実習室もええんの?」
とダンスの子が聞いた。
「ええ、いいわよ。でも火の取り扱いはちゃんとしてね」
その女の先生はにこやかに答えた。
先生に引率されて職員室兼事務室に入ると、校長先生が立ち上がり、挨拶した。見たところ、四十歳位だろうか・地黒でスポーツマンタイプだなと思った。
再び2-A教室に戻り、今日はそこで解散となった。
明日からは、さっそく選択したカリキュラムに沿って学校に通い、レポートを提出する。文化祭などの学校行事は『週五日型コース』で通う生徒が中心となり、その他のコースを選んだ生徒は任意の参加となる。
三組の親子は一緒に池袋駅方面に向かい、私はダンスの子は並んで学校のエントランスから出た。
「あの、自己紹介遅れたけど」
私からそう切り出した。
「藤崎 藍です。前の高校は、高一の二学期までいました。ここでどれだけ一緒になるかわからないけど、よろしくお願いします」
「うん、よろしゅう! ボクはね、メモリー。高一で中退したから、君よりいっこ上かな。あ、でもそんな堅苦しゅうせんでタメ口でええよ」
「メモリー……さん? 」
私は思わず聞き返してしまった。
「あはは、ボクの芸名みたいなもん。本名聞きたい?」
「い、いや別にいいけど……そのうちわかると思うし」
「だね。じゃあ、アイとメモリー……アイのメモリーか」
「何それ?」
「いやなんかそんな歌があったなあ思て」
「……じゃあ、また学校で」
「うん、じゃあまたね」
都電の雑司ヶ谷駅方向に戻りつつ振り返ると、メモリーと名乗った子は、まだ高校の入り口付近でスマホをいじったり耳にあてたりしていた。ペパーミントグリーンのスーツケースにピンクのショルダーバッグを載せているから目立つ。
ちょっと心配になって彼女の近くに戻る。
「ねえ、メ、メモリーさん、お家はどっち方向?」
「うーんまだ決まんないんだ」
「決まんないって……どういうこと?」
彼女はしつこくスマホをいじっていたけど、諦めたように視線を上げた。
「いや実はな、ボクがお世話になっとるダンスの事務所に寮があって、今日までそこに住んどったんや。いられるんは一年間だけで、その間に自分で部屋を探さなあかんかったんやけど……ついサボってもうて」
「え! じゃあ住むとこ無いってこと?」
「まあなぁ。ネットカフェって十八歳未満は泊まれないって初めて知った……ぎりぎりアウトやわ。あ、でも大丈夫。知り合いのツテがあるし」
「そう……じゃあ、ここで」
「うん、バイバイ」
それでもなんとなくメモリーのことが気になり、道を曲がって死角になったあたりで様子をうかがう。メールを打ったり電話をかけたりを繰り返している。
十分ほど経過。
もう一度メモリーの元に戻ることにした。
「ねえ、メモリーさん」
「あー! ビックリしたー、まだおったん? ……それから『さん』はいらんから」
メモリーは慌ててスマホをしまう。
「あの、よかったら……なんだけど、うちに来ない?」
「え! いやそんな、家の人とかに悪いわ」
「……私、一人で暮らしてるの。祖父母の家なんだけど、二人とも介護の施設に入っちゃって」
「そうなんだ。でもホントにええの?」
「うん、オンボロだけどね」
「おぅ! じゃあ、お言葉に甘えて、一晩だけ」
「一日で住む部屋って見つかんないんじゃない? だからテキトーでいいよ」
「……ほんまに?」
こんな風に成り行きで、今日出会ったばかりのダンサーの卵を家に泊めることになってしまった。
……あ、自分の中の四人のことを忘れていた。手遅れにならないうちに、あの子たちに伝えなければ。



