日めくりの裏紙にみんなで書きこんだ、自宅謹慎期間が明けてからの話。

 藍はまず手始めに、百ページのツバメノートを買った。これを使って五人で交換日記をつける。自分が、いや五人で生き残るために。
 彼女は、自分の中のみんなに向けてメッセージを書き綴(つづ)った。

 同時に、付近の通信制高校をいくつか見てまわる。
 結局自分の家に一番近い学校に決めた。池袋駅の東側にある『あすか台学園』という高校で、自分のペースに合わせて好きなときに授業を受けられることに魅力を感じた。藍は遠巻きに小さなキャンパスに出入りする生徒たちを眺めてみたが、ぱっと見だけではアテにならないものの、まあ大丈夫そうかなと思えた。

 転校手続き・転入手続きの書類作成は、施設にいる祖父の元に通い、手伝ってもらった。
「電話台の引き出しに藍の通帳と印鑑とカードがあるから、授業料の引き落としや、必要なものがあっったらそれを使いなさい。パスワードは――」
 自分名義の銀行口座があることを初めて知った。父と母の保険金や賠償金が入っているという。
 後で通帳を開いて確かめると、藍がびっくりするほどの預金額が印字されていた。しかも一銭も引き出されていない。

「それから、何か困ったことがあったら、高崎の孝(たかし)に連絡をとりな。俺も家に戻れるかどうかわからん。もしもの時は奴にすべて任すつもりだ」
 孝とは邦雄の弟。藍は連絡先が書かれたメモを受け取った。ただし祖父は孝さんの所に行って世話になれとは言わなかった。

 〇

 あすか台学園の転入生ガイダンスの朝。

 藍は寝ぼけマナコで机の上を何気なく見る。とたん、ハッと飛び起きた。『五羽のツバメのダイアリー』の置かれた位置が変わっていて、しかも表紙が半開きになっている。
 スマホの時計を見ると、今は七時二十分。集合時間は九時だから、まだ時間はある。ノートを手に取って再び布団に潜る。
 三月下旬に紗友が書いてから一週間近く新しい書き込みはなかったので、みんな誘(さそ)いに乗ってくれないのかなと諦めかけていたところ。今朝、一気に増えていた。

…………
4月3日(木)AM1時 ナツダヨ

 気分は、まあまあフツーかな

祝! あたいの初書き込み。 祝! 転校。
目が覚めたら、あたいが出てたよ。ということは、ひょっとしてアイさ、明日から新しい学校に行くから緊張してんじゃないの? あ、いかん、あたいが夜更かして寝不足になったらアイにダメージあるかもだから、早く寝るようにするよ。
アイとサユの日記、読んだよ。
アイのやりたいこと、わかった。協力するよ。っていうか、交換日記をみんなで書くっていうのは、あたいの発案だけどね(ジマン)。

サユはさ、転校の原因、アイが書いてくれたように気にしないでいいんじゃない? だって、いつものことじゃん(笑)。これでいいのだ! あたいはサユって勇気あるなって思うよ。まあ、そこそこにしといてくれると、こっちも助かるんだけどね(笑)。

新しい学校では、きっといい事と、いい人が待ってるよ。
                 菜津より
…………
4/3 2時ごろ タク

多分、ナツが寝てすぐに、ぼくが出てきている。日記、読んだ。アイ、気をつかってくれてありがとう。
でも、転校してくれて助かった。三ノ谷高校は、女子ばっかりだったから、正直、居心地悪かった。イジメにあったとき、ぼくは中にいたからよくわかんないけど、よけいにあの学校に行くのが怖くなった。
 新しい学校には、ぼくでも通えるようにがんばる。

            おやすみ  
…………
4月3日  3時30分  カナ

 アイちゃん、みんなへ

こんばんは。おはよう、かな?
アイちゃんがこのノートを見るのはたぶん朝だね。
あなたの体の中にいる、ウチたちがこうやって日記を通して伝え合えるのってすごくいいと思います。お互いの存在はなんとなくわかっているけど、話をすることなんてできないもの。

前の学校でひどい目にあって、おじいさまとおばあさまがここからいなくなって、本当に心細いけれど、書いてくれたとおり、ウチたちで何とかやっていくしかないね。

でもね、あなたはなにも心配しなくていいんだからね。辛いことがあったら、今まで通りウチを頼って。いつでも代わるよ。ウチは大丈夫。だって、このために生まれてきたんだから。

…………
4月3日   もう5時だ   サユ

みんな、オレに気をつかっていろいろ書いてくれてありがとな。心配かけて、すまない。
でもやっぱ、オレはいない方がアイは幸せに生きていけるんだろうな。
新しい学校じゃ、アイがムカつくことを感じても、なるたけ気持ちをおさえてシャシャリ出ないようにする。

…………



 一通(ひととお)り交換日記に目を通して、藍は再びパラパラとページをめくり直した。
 菜津はオレンジのサインペン、拓は黒の細いペン、香奈はブルーのサインペン、紗友はシャーペンと、使う筆記用具も筆跡も文体も違う。改めて思う。自分の中には、自分とは違う個性を持った子たちがいるんだと。

 そろそろ起きよう。
 フトンから出ると、まだまだ肌寒い。
 夕べ、私の中の四人は、寝たり起きたりを繰り返して文字を残してくれた。藍にはそれが嬉しかった。

 ベッドの上に脱ぎ捨ててあったフリースのパーカーを羽織(はお)ると、白紙のページを開き、中学校の入学祝いに祖父母が買ってくれたラミーの水性ボールペンを握る。

…………
4月3日(木) AM7時40分  アイ

ちょっと眠いかもだけど、調子はいいよ。

ナツ、タク、カナ、サユ、『5色のツバメのダイアリー』に書き込んでくれてありがとう。あ、サユ、すてきな名前つけてくれてありがとう。
今日から、あすか台学園に通います。ちょっと不安だったけど、みんなのおかげで、こんな私でもなんか大丈夫な気がしてきた。

じゃあ、行ってきます。
じゃなくて、いっしょに行こう。

               藍より
…………



 学校まではちょっと遠回りにはなるが、大塚駅から都電荒川線で雑司ヶ谷(ぞうしがや)駅まで乗り、そこから歩く。都電には『東京さくらトラム』という愛称がつけられていたが、地元では今でも『都電』で通っている。愛称の通り、この辺は桜が多く、開け放った電車の窓から桜の花びらが舞い込んでくる。

 都電を降り、異世界の巨木のような豊島区役所を眺めながら交差点を曲がると、目の前にあすか台学園が見えてくる。集合時間までまだ三〇分ある。
 自販機を見つけ、緑茶のペットボトルのボタンを押した。 
 落ち着いて飲めそうな場所を探す。お寺の脇を少し進んだところに大きめの公園があったことを藍は思い出した。

 広い芝生の広場に、お洒落なレストランが併設されている。桜の樹の下のベンチ付近では、お年寄りグループが目の前を舞い降りる花びらを眺めている。親子連れの幼い女の子が、母から手を離して花びらを追いかけ始めた。

 一つ空いているベンチがあったので藍はバッグを置いて腰かけ、キャップを開け一口、緑茶を含む。鼻先を桜の花びらがひとひら、かすめていった。
 その花びらが舞い降りたのは隣のベンチ。脇には大きなペパーミントグリーンのスーツケースが立てられている。腰かけている女性は、コンビニのレジ袋からおにぎりを取り出し、ペットボトルを片手にほおばり始めた。ダブッとしたデニムのパンツに真っ赤なフーディ。被っているアポロキャップも真っ赤、つけているネックバンド型のイヤホンも赤だ。
 あっと言う間におにぎりを食べ終えるとゴミをレジ袋にしまい、それを丸めてポケットに押し込む。口をすすぐようにミネラルウォーターを飲んで腰を上げた。

 脚を少し広げて立つと、彼女は手を打ち鳴らし始めた。
 リズムの発生源は、きっと赤いイヤホン。

 キャップのつばの影になり、表情はよくわからない。手拍子(てびょうし)はやがて、肩や腰、膝やつま先の動きに変化していく。

 手を胸の前でクロスさせると、一定のリズムで頭を前後に移動させ、次いで左右に。そして視線は前を向いたまま、頭をぐるりと肩の上で円運動させる。

 次いで肩。
 両手をだらりと降ろすと、左右交互に上げ下げし、次いで前回し後ろ回し。リズミカルに柔軟に。

 胸を大きく動かす。
 手を腰に当て、やはり視線を前に保ったまま、まるで腰と分離しているかのような前後、左右の往復運動。そして回転運動へ。

 今度は腰。
 手をあてたまま、自由自在に大胆に。いく分セクシーな動き。

 動作は膝まで降り。
 片方のつま先を上げ、ガニマタ気味に足を曲げ回し、そのままウチマタのシルエットに変化させた。

 どうやらここまでで一セットのようだ。
 アポロキャップの女性はこれを三セット、しかも少しずつ違うアレンジを加え、だんだんと難易度を上げて繰り返したあと、動きを止めた。

 イヤホンをはずし、ベンチに転がっているペットボトルを拾い上げ、ゴクゴクと飲む。
 近くのベンチに座っているお年寄りや子供達からパチパチと拍手が起きた。彼女は照れくさそうにしてアポロキャップを脱いで軽く頭を提げる。桔梗(ききょう)色の髪。帽子に隠れた部分は細かく編み込まれていた。
 藍が思っていたよりも若い。自分と同い年くらいか。そして小柄(こがら)だ。

 釣られて藍も手を叩いた。それに応えたのか、ダンスの子は藍に視線を向けるとペロッと舌を出して笑った。

 藍とその女の子の間を優しくも少し冷たい、この季節特有の風がサッと吹き抜けていった。

 彼女の動作に引きつけられた。一定のリズムで体を動かしながらも、静と動のメリハリがあって、ビート感が心臓の鼓動のように伝わってくる。
 その感動を伝えようかどうかと迷っていると、その子はキャップをかぶり直し、スマホ画面をチェックして叫んだ。
「おぅ、ヤバ! 時間だ」
 慌てて派手な色のスーツケースに手をかけ、ベンチに置いてあったピンク色のビッグクッションのショルダーバッグをたすきがけにした。

 それを見てわれに返った藍もスマホを取り出す。
「あ、もうこんな時間!」
 バッグを手に立ち上がった。

 公園を出て、あすか台学園に向かうと、少し前をさっきの子がガラガラと大きな音をたててスーツケースを引っ張っていた。追い越すのに少し気が引けたが、遅刻しては元も子もない。小走りに彼女の脇を通り抜け、学校のエントランスに向かう。大音量のガラガラは、ずっと追いかけてくる。
 通信制高校の入り口、大きな両開きのガラスドアを開け、飛び込む。

「ちょい待ち、ドア閉めんといて!」
 藍が振り向くと、さっきのダンスの子が突進してきた。慌ててドアを押さえる。
 ガラガラの騒音とともにロビーに入り込んで来た彼女は肩で息をしながら、
「おおきに!」
 と叫んだ。

 受付にいた女性はその様子をぽかんと眺めていたが、やがて気を取り直し、
「あの、そこの二人、今日から転入の生徒さんですか?」

「はい、そうです」「うん、せやで」

 藍は驚いてアポロキャップの子を見る。
 彼女はそれに親指を立てて応えた。

「もうすぐガイダンスを始めますので、階段を上がって、2-A教室に入ってください」
 女性の指示に従い、二人は階段を上がる。
 小柄なその子は、うんとこしょっとスーツケースを引き上げながら階段を上がる。藍は手助けしてやりたかったが、下手に手を出すと二人で仲よく転落しかねないので歩調(ほちょう)を合わせ、おとなしく見守った。

 指定された2-A教室に入ると、既に席に座っていた三組の親子が顔を上げた。じろじろと見られたのは赤を基調とした服装の子の方。白のブラウスにネイビーのカーディガン、グレーのミドル丈スカートと、無難な服装の藍は、さほど視線を感じなかった。
 席についていた生徒は、女子が二人、男子が一人。
 三人の母親は、すでに情報交換を終えたらしく、遅れて保護者の引率なしで入ってきた生徒二人に関心を寄せた。

「はじめまして。ウチの子、これからよろしくね」
 茶縁(ちゃぶち)の眼鏡をかけた、女の子の母親が二人に微笑(ほほえ)んで声をかけた。
「は、はいよろしくお願いします」「うん、よろしゅうに」
 挨拶が済むと、今度は男子の母親が聞いてきた。
「不躾(ぶしつけ)にお二人に聞いちゃうけどね、どうしてここに転入してきたのかしら? あ、うちの子は、クラスメイトといろいろあってね」
「うちもそんな感じ」
「この子は、朝起きるとめまいひどくて通学できなくなっちゃって……」
 後出(あとだ)しはいけないと思ったのか、三人の母親がわが子の転入の理由を簡単に打ち明けた。藍は、初対面の高校生に自分の子供の事情を話すのはどうなのかとも思ったが、別に損も得もないだろうと思い、
「あの、私は前の学校でイジメにあいまして……」
 と答えたら、話を最後まで聞かず、まあやっぱりそうだったのね、口々に同情のコメントを漏らした。
 藍の横に立つ女の子に注目が集まる。彼女がアポロキャップを脱ぐと、三組の親子はそのヘアスタイルと髪色に驚きつつも、彼女の言葉を待った。
「ボクはね、ダンサーになりたかってん、高校辞めて事務所に入ったんやけど、やっぱ高校は出といた方がええんかなと思ってね」
 それを聞いて三人の母親は一様にリアクションに困った表情を浮かべたが、そのうちの一人が、
「まあ、りっぱねえ。通信制に通いながらスポーツに専念したり芸能活動をしてる子もいるって話だものね」
「ボクのはそんな偉いもんじゃないよ」
 ダンスの子は編み込みの頭を掻いてえへへと笑った。

 そこに、先生方が入ってきたので、この話はここで終わった。男女二人の先生は学年の主任と、学習・生活相談だと自己紹介した。

 その後、年間のカリキュラムやレポートの提出方法、スクーリングや文化祭などの学内行事、体育の授業の場所などの説明が行われ、校内の施設が案内された。六つの大小の教室と自習室、カウンセリングと進路相談を兼ねた部屋に加え、小さいながらも図書室や調理実習室もある。
 転入生とその親が職員室兼事務室に入ると校長先生が立ち上がり、挨拶した。

 再び2-A教室に戻り、今日はそこで解散となった。
 明日からはさっそく選択したカリキュラムに沿って学校に通い、レポートを提出する。文化祭などの行事は『週五日型(しゅういつかがた)』で通う生徒が中心となり、その他のコースを選んだ生徒は任意の参加となる。

 三組の親子は一緒に池袋駅方面に向かい、藍とダンスの子は並んで学校のエントランスから出た。

「あの、自己紹介遅れたけど」
 そう切り出したのは藍からだった。
「私は藤崎 藍。前の高校は、高一の二学期までいた。ここでどれだけ一緒になるかわからないけど、よろしくね」
「うん、よろしゅう! ボクはね、メモリー。高一で中退したから、君よりいっこ上かな。あ、でもタメ口でええよ」
「メモリー……さん? 」
 藍は思わず名前を聞き直した。
「あはは、ボクの芸名みたいなもん。本名聞きたい?」
「い、いや別にいいけど……そのうちわかると思うし」
「だね。じゃあ、アイとメモリー……アイのメモリーか」
「何それ?」
「いやなんかそんな歌があったなあ思て」
「……じゃあ、また学校で」
「うん、じゃあまたね」

 藍が都電の雑司ヶ谷駅方向に戻りつつ振り返ると、メモリーと名乗った子はまだ高校の入り口付近でスマホをいじったり耳にあてたりしていた。ペパーミントグリーンのスーツケースにピンクのショルダーバッグを載せているので目立つ。

 藍は心配になって彼女の近くに戻る。
「ねえ、メ、メモリーさん、お家はどっち方向?」
「うーんまだ決まんないんだ」
「決まんないって……どういうこと?」
 メモリーはしつこくスマホをいじっていたが、諦めたように視線を上げた。
「いや実はな、ボクがお世話になっとるダンスの事務所に寮があって、今日までそこに住んどったんや。いられるんは一年間だけで、その間に自分で部屋を探さなあかんかったんやけど……ついサボってもうて」
「え! じゃあ住むとこ無いってこと?」
「まあなぁ。ネットカフェって十八歳未満は泊まれないって初めて知った……ぎりぎりアウトやわ。あ、でも大丈夫。知り合いのツテがあるし」

「そう……じゃあ、ここで」
「うん、バイバイ」
 それでもメモリーのことが気になり、藍は道を曲がって死角になったあたりで様子をうかがう。メールを打ったり電話をかけたりを繰り返している。

 十分ほど経過。
 藍はもう一度メモリーの元に戻る。

「ねえ、メモリーさん」
「あー! ビックリしたー、まだおったん? ……それから『さん』はいらんから」
 メモリーは慌ててスマホをしまう。

「あの、よかったら……なんだけど、うちに来ない?」
「え! いやそんな、家の人とかに悪いわ」
「……私、一人で暮らしてるの。祖父母の家なんだけど、二人とも介護の施設に入っちゃって」
「そうなんだ。でもホントにええの?」
「うん、オンボロだけどね」
「おぅ! じゃあ、お言葉に甘えて、一晩だけ」
「一日で住む部屋って見つかんないんじゃない? だからテキトーでいいよ」
「……ほんまに?」

 藍はこうして、今日出会ったダンサーの卵を家に泊めることになった。成り行きで誘ってしまい、自分の中の四人のことを忘れていた。手遅れにならないうちに、あの子たちに伝えなければと少し焦(あせ)る。