泥とフリル 〜学校一の不良の先輩が恋したのは、ロリィタ姿の俺でした〜

 先輩と再び会う前の夜。
 胸の奥がそわそわして、落ち着かなくて、普段ならすぐに決められる服選びに、気付けば一時間以上悩んでいた。

 どっちのワンピースもお気に入りで、大切にしてきた服。
 なのに今日は、どちらを選んでも「違うかもしれない」と思えてしまう。

 ――先輩に会うから。
 その理由を直視するのが怖くて、けれど目を逸らせなくて、胸の奥をくすぐるように疼いていた。

 流石に迷惑かもしれない。図々しいかもしれない。
 それでもスマホを手に、俺はとうとう先輩にラインを送っていた。

 『あの、どっちが可愛いと思いますか?』

 壁に掛けた二着のワンピースをスマホで撮り、画像を添えて送信。
 先輩は驚くほど早く既読を付けてくれた。

 『どっちも可愛いけど、ミント?の方が好き』

 そのたった一行で、胸の奥からぽっと灯りがともる。
 淡いミントグリーンのワンピース――ティアードフリルにレースがたっぷり飾られた、ふわふわの一着。
 俺はベッド脇にそれを掛け直しながら、指が少し震えるのを感じて返信を書く。

 『ありがとうございます。どれ着て行こうか決まらなくて』

 『気合入れてくれてんの? 可愛い』

 ――可愛い。

 その言葉は、胸の真ん中を優しく、でも確実に刺してきた。
 身体が熱くなる。心臓が落ち着かない。

 この気持ちは、なんなんだ。
 なんでこんなに嬉しいんだ。

 先輩にもらったヘアピンをアクセサリーボックスから取り出す。
 その小さなハートに指が触れるだけで、胸が甘く締め付けられた。
 金髪のウィッグにそっと添えて写真を撮り、送る。

 『これ、付けて行きますね!』

 ああ……浮かれている。
 わかってる。自覚してる。
 でも止められない。

 そう思っているうちに、すぐ先輩から返事が来た。

 『嬉しい。てか、コハちゃんの部屋? 可愛いのいっぱいあんね』

 画面越しに映った自分の部屋を指摘され、つい部屋を見回す。
 両親が俺の“好き”を尊重してくれた白い部屋。
 小さいシャンデリアと、ぬいぐるみと、ドレッサー。
 ここだけは、俺が “ほんとうの上野瑚珀” のままでいられる世界。

 明日履いて行くソックス、鞄、アクセサリー――全部並べて、準備は完璧。

 けれど、鏡の前に立つと急に現実が刺す。
 そこに映っているのは、女の子みたいな服を着て笑おうとしている、俺だ。

 先輩は、本当はコハちゃんなんていないと知ったら、どんな顔をするんだろう。

 “嘘つき”

 “女装”

 “気持ち悪い”

 そんな言葉が浮かぶだけで、胸がぎゅっと縮まって呼吸が浅くなる。
 本当のことを言う勇気なんて、どこにもない。

 でも――。

 それでも先輩と過ごす時間が、欲しかった。
 彼女にはなれない。
 傷つけてしまうかもしれない。
 こんな形はずるいってわかってる。

 それでも、これしか“本当の自分”を晒せる方法がない。
 嘘を抱えたままでもいいから、先輩の側にいたかった。

 ヘアピンを手に取って、小さなハートをそっと指で撫でる。

 ――嘘をついてごめんなさい。
 ――勇気がなくて、ごめんなさい。

 これっきりにしようって思っても、自分との約束を破ってしまう。
 俺は先輩に笑顔で嘘をつくような人間だという気持ちが、ずっとずっと、心の片隅に残り続けていた。