~タイム アフター タイム~ さよならは言わない。1984年の私は、君をずっと待っている。

 五月のある朝。
 厨房の大テーブルで朝食を頂いていた洋平さんとボクは、ポン、ポンと肩を叩かれた。

 振り返るとそこにいたのは若女将、真白さんだ。
 上司が肩を叩くことは、クビにするという暗黙の合図である、と聞いたことがある。もしや……
 二人で茶碗を持ったまま無言でいると、彼女はニヤリと笑った。やっぱり……

「五月二十五日に湯島天神で『例大祭』というのがあります。若手のお二人にはそこでお神輿(みこし)を担いでもらいます!」
「「え!」」
「ウチ(時雨庵)は、湯島天神様の氏子町会っていうのに入っていてね、その氏子さんたちがお神輿を担いで、この界隈を練り歩くのよ。特に、二十五日の『連合渡御(れんごとぎょ)』では、町会の団体が集結して、見物客もいっぱい来るの。だから頑張ってちょうだいね♥」

「ち、ちょっと待ってください! 私、お神輿なんか担いだことないですし、だいたい貧相なこの体、とても担ぎ手なんか務まらないと思いますが?」
 そう声をあげたのは洋平さんだ。ボクもほぼ同感だったので、そう言ってくれて助かった。
「きっと翔馬君は色黒で筋力もありそうだから楽々と担ぐと思うけど」
「いやいや洋平さんそれは誤解ですよ! 自分でいうのもなんですけど『見かけだおし』です」
「……そんなに気負わなくて大丈夫よ。今まで源さんと板場若い衆の伸介さんにお願いしてたんだけど、その日は宿泊の予約がいっぱい入っちゃってね、二人は手が離せなくなっちゃって……二十五日の本番の前にちょっとしたリハーサルもあるし……アタシも仕事抜け出して応援に行くからさ」

 そんなこんなで洋平さんとボクの『やさ男二人組』は、神輿を担ぐことになってしまった。
 リハーサルに行くと、ボクたちの氏子町会の方々は、屈強そうな人ばかり揃っていて『ひと暴れしてやるぞ』という気迫が漂っている。実際に神輿を担いでみると……担ぐ、というより、『屈強な男が担いでいる神輿』に担がれている感じだ。ボクと洋平さん以外の担ぎ手の方々が神輿の要所を受け持ち、激しく上下に揺する。そのリズムに合わせるだけで疲れが溜まっていく。

 練習が終わり、二人はへとへとになり、肩をさすりながら時雨庵への帰路についた。
「洋平さん、神輿の担ぐかけ声……あれ何って言ってるんでしょうかね?」
「さあ、私もよくわかんなかったけど、『ショイ、ショイ』と言ってたようでもあるし『ソヤ、ソヤ』だったような気もするし……普通『ワッショイ、ワッショイ』だよね」
「『セイヤ、セイヤ』というのも聞いたことあります。その二つが合わさった感じですよね……だからボクは『ショヤ、ショヤ』って叫んでました」

 二十五日当日。
 朝からもう本当にすごい人出だった。前の世界でもこういうお祭りがあることは知っていたけど、ボクは文字通り家猫だったので、実際に見たことはなかった。春日通りや天神下交差点などは見物客が大勢ぞろぞろ歩いていて、交通整理も大変そうだ。この人混みの中を、あんな重いモノ(神様の乗り物に向かって失礼)を担いで練り歩くなんて、考えただけでもゾっとする。
 ボクと洋平さんは同じ町会の人たちとお揃いのハッピを着てふんどしを締めて、スタート地点の湯島天満宮に向かった。

 正面の鳥居から順番に出発する。ここを出て、氏子町会のある地域を神輿を担いで練り歩き、また湯島天満宮に戻って来る。
 いよいよウチの町会の神輿が出発。出だしは、かけ声も、それから担ぐ上下運動も意外とおとなしい。むしろリハーサルの時の方が激しかったのではないか。これなら楽勝かも知れない。

 そう高をくくっていたら、とんでもなかった! 沿道の人々から声援をもらうと、それに調子づいて、町会チームのメンバーは一気に元気ハツラツとなった。トランス状態と言ってもいい。何と叫んでいるかわからない謎の二拍子のかけ声がどんどん威勢よくなる。神輿の真ん中くらいに並んでいるボクと洋平さんも負けじと、『ショヤ、ショヤ』担ぎ声を上げる。

 コースの中間地点は時雨庵に近く、その辺りに来ると、人混みのなかで山吹色の着物を着た女性がいて、ひと際目を引いた。真白さんだ。若女将は周囲のオジサンたちに声をかけられ、丁寧にあいさつを繰り返している。きっとこの界隈でも人気者なんだろう。
 ボクたちの神輿が彼女に近づくと、彼女は挨拶を止め、片手を上げて大きく手を振った。もう片方の手には……なんと、あの白い猫、ユキさんを抱えている。

「キャー、翔馬くーーん、洋平さーーん、ガンバッてーー!」
 こんな喧噪の中で、彼女の声はひと際大きく響いてきた。
 担ぎ手の方々は、美人若女将の声援の届け先がボクたちだと気づき、羨望の表情を浮かべたが、その後ムッとしてさらに激しく神輿を上下に揺すり始めた。ボクら二人は慌てて担ぎ棒にしがみつく。

 そんな仕打ちを受けても真白さんが声援を送ってくれたことがボクはすごく嬉しくて、一生懸命手を振る彼女に手を振り返し、神輿を担いだ。洋平さんもそんな感じだ。

 そんな中、異変が起きた。

 白毛の猫のユキさんが、何を思ったのか、若女将の腕をスルリと抜けると、地面に降りてボクたちの神輿の方に近づいてきたのだ。慌てて追いかける真白さん。
 「ウーーッ! (危ない、こっちに来ちゃだめだ)」
 ボクは猫語で叫んだけど、ユキさんはお構いなしだ。
 このままじゃ、神輿の衆に蹴とばされる!

 そのとき。
 洋平さんが担ぎ棒から手を離し、ユキさんめがけてすごいスピードで駆け寄った。そして彼女を抱きかかえた。
 ボクも神輿から離れ、ユキさんの後を追ってきた真白さんに飛びつき、彼女を抱えて観客の列に押し戻した。

 神輿の勢いは止まらず、地面に丸まっている洋平さんの背中を踏んづけたり蹴とばしたりしながら通り過ぎていった。
 やがて彼は、ユキさんを抱きかかえ、ヨロヨロと若女将とボクの方へ寄ってきた。
 彼は白い猫を若女将に手渡すとその場にうずくまった。
 「洋平さん!」真白さんが悲痛な叫び声をあげる。

 ボクは慌てて救護班のスタッフを探し出し、連れてきた。
 洋平さんは、救護スタッフの肩を借りて歩き出し、真白さんに付き添われて救護所に向かう。

 ボクは、神輿を追いかけ、町会のチームに戻った。