「なあ、上原。木杉との実習、どう?」
声をかけてきたのは同じクラスの伊藤淳だ。真面目でクラス委員長も務める彼は、ぼっちになりがちの俺によく声をかけてくれる。
「あいつと一緒って苦労多いんじゃないの? 女子に常に視線包囲されて」
「ああ……うん。まあ」
エルダー制度により合同実習を始めてすでに一か月。その間に木杉起因の厄介事はいくつかあった。
ひとつ、ふたりで作業をしているとどこからかそれをかぎつけた女子に囲まれる。
ふたつ、俺ひとりでいても「これ木杉くんに渡して」と連絡先を書いた紙を渡される。
みっつ、落とす云々はあいつの中でまだ続行中みたいでやけに構ってくる……。
「大変なら先生に相談してみたら? 野宮でもいいし、木杉の担任の根岸先生でもわかってくれるかも」
根岸先生。“あの人”に似た細面の顔を思い出し、俺は気付かれないように深呼吸する。
「あー……。でも、木杉自体には問題ないから。覚えも早いし、休まず来てくれるし、一緒だと作業もはかどるし」
「へえ。あいつそういう感じなんだな。もっと不真面目なやつかと思った」
意外そうな顔をされて俺は曖昧に笑い返す。
俺もまだよくはわからない。でも、変なやつだけど、悪いやつじゃない気もする。
「心配してくれてありがとう」
「あー、心配っていうか。ちょっと変な噂聞いちゃったから」
礼を言う俺の前でひらひらと伊藤が手を振る。几帳面そうな顔に渋面を作ってから伊藤は眼鏡の蔓をついと上げた。
「木杉って、俺の幼馴染と同中なんだけどさ。あいつ、まあまあ有名人だったらしくて」
「ああ……」
あの顔面だしそうだろうなあ、とのんびりと相槌を打つ俺に向かって伊藤が身を乗り出してきた。
「あいつ、めちゃくちゃ遊び人だったらしいんだよ。来るもの拒まず、去る者追わず。しかもそれだけじゃなくて、自分からも声かけてさ。捨てるのもあっちから。一度、俺の幼馴染が意見したんだって。『自分から声かけてきてそれはひどいでしょ』って。そしたらあいつ『本気になられても困るし』って言ったんだって。もうめっちゃくちゃ。だからあいつの周り火種が絶えなかったとか」
……やっぱりそういう感じか。
それほど驚きはしなかった。だってあいつは俺に、次落とす人、と言ってきた。それってやっぱり、遊びとしてってことなのだろうな、と思っていたから。
――安心してください。ひどいことなんてなにもしないです。ただ俺のこと全然好きじゃなくて俺にまったく興味がない人のことを落としたいだけ。
あれだって、今の話を聞けば納得だ。ようするにあいつはわかりやすくくそ野郎なのだろう。
ただ、気になるところもあった。
あいつは笑っていたのだ。ふたりで電車に揺られながらアジサイを見て。
心から楽しんでいるみたいに。それに。
――こうしてずっと握ってて。いい?
人混みに尻込みする俺の耳に落とされた声が、不意に蘇る。
あいつは最低な奴なのだとは思う。こちらを気遣うような態度も繰り返し続けてきた遊戯の延長にしかない行動なのだろうと思ってはいる。
でも、そう予想しながらも、違和感を覚えてしまうのだ。だって、俺の手を自分のシャツに導いたあのときのあいつの声と手の温もりには打算が感じられなかったから。それどころかちょっと……。
ほっとすら、させられてしまったから。
「上原? 大丈夫?」
自分の考え事に沈んでいて伊藤の存在をすっかり失念していた。赤面してしまった自分に慌てながら、俺は慌てて笑顔を作る。
「ごめん。ちょっと、そのびっくりして」
「だよな。まあ、菊工は女子も少ないし、中学のときよりは揉め事も少なそうだけど、気をつけろよ。なんかあったら相談して」
「あ、うん」
そんなアドバイス、もらったとしてもどうしていいかわからない。
すでに、次落とす人認定されてるんですけど、なんて言えるわけもないし。
ただその、次落とす人、についても変だなとは思うのだ。
次落とす人、なんて言い方それ自体が。だってそうじゃないか? 自分が遊び人ですってわざわざ言うことにどんなメリットがあるんだ?
うわ、こいつ最低って引かれるだけじゃないだろうか。
「ああ、先輩」
もやもやしながら作業場所として使用している化学室を覗くと、木杉はすでに来ていて、なにやら小さな紙をせっせと破っていた。
「なにやってんの」
「んー? 連絡先もらったからそれ処分してる」
朗らかに言われて俺は顔を引きつらせる。
「お前ってやっぱり最低」
「だって迷惑だって言うのに無理やり置いて行かれたんですよ。こうするしかなくないですか。個人情報保護の観点からも判読できないように徹底的にやっておかないと」
「なあ、お前、SNSやってないの? やれば直接的アプローチなくなるんじゃないの。DMで片が付くっていうか」
「やらないです。そんな面倒なの。大体、文字で断ると裏読みされて変な解釈されるから嫌なんですよ」
経験者は語るってところだろうか。木杉の向かいに座ってノートパソコンを開きながら、俺は木杉と共有にしているクラウドフォルダを開く。
イベントに行って数日後、話し合った結果、俺達は人の声音から感情を読み取り、その人に今、必要と思われる言葉が表示される仕様の感情認識AIを作成することに決めた。もちろん、企業で導入されているような高性能なものは時間的にも厳しいが、それでも少しでも楽しめるものが作れたらいいとアイディアを出し合いながら開発を始め、現在のところ作業は順調に進んでいた。
木杉に頼んでいたアノテーション作業もちゃんと進んでいる。ちなみにアノテーションとは入力したデータとそれに対応する答えをラベリングする作業で、特にAI開発をするうえでこの作業が結構重要になる。犬の写真を読み込ませたとき、この写真がなにか聞いたら、「犬です」と答えるようにするみたいなイメージだ。細かいしめちゃくちゃ面倒な作業なのだけれど、こいつは文句も言わずに黙々とやってくれる。
その姿からは「遊び人」という単語は浮かんでこない。至極真面目で熱心。やらされて仕方なくという感じでもない。でも。
「俺の勝手で作るもの決めちゃったけど、お前はいいの? なにか他に作ってみたいテーマとかなかった?」
「んー、別に? 俺はなんでも。これ先輩がメインの作品だし」
……やっぱりだ。
こいつの言動には情熱が感じられないのだ。
俺達が属しているシステムエンジニア養成科というところは、学習内容が他の科と比べても多岐にわたる。デザイン専攻じゃないからデザイン部分はさわりだけだけれど、WEBサイトの構築も一通り学ばされるし、企業で使う会計システムの作り方も教えられる。ゲーム制作もかじる。ソフトウェアだけではなく、ハードウェアについても学習するので、パソコンの基盤をいじったりもする。そんなごった煮みたいな知識の中から自分に合ったものを見つけ出し、作品を作りながら知識を深めていくのがこの学校のやり方だ。
俺が専門的にやりたいと思っているのは、AIの開発だったから、今回の作品もAIでいこうと早くから決めてはいたのだけれど、木杉にはそういう方向性みたいなものが全然感じられない。平たくいえば……どうでもいいみたいに見える。
一年だから決めきれていないのかもしれないけれど、それにしたってわざわざこの学校にやってきたのだ。多少なりとも興味のある分野や、作ってみたい作品があってもいいと思う。でもこいつにはそれがまったく見えない。
「なあ、木杉って、なんでこの学校来たの」
今日の作業を進めながらなんてことのない調子で尋ねると、木杉も自分のパソコンを操作しながら肩をすくめた。
「なんですか。藪から棒に」
「いや、だってお前ってもの作るのそんな好きじゃないみたいに見えて。なんでわざわざ工業進んだのかなって。大学進学するなら普通科のほうが受験勉強の時間取りやすいって言うし。なのに」
「……先輩って人のことなんてどうでもいいみたいな顔してるくせに、結構見てるんですね」
別にそういうわけじゃない。なんとなく気になっただけだ。でもまあ確かに他の人間に対して、こんなことを訊いたことはないな、と思ったらなんだかいたたまれなくなった。
が、木杉から返って来たのは実にあっけらかんとした声だった。
「女子が面倒だったから」
「……女子?」
「自分で言うのもなんですけど、もてたんですよ、俺。中学のとき。で、まあ、そこそこ大変だったので」
それだけです、とにこっと笑われ、俺は絶句する。
数秒考えてから俺は声を絞り出した。
「それって、工業なら女子少ないからってそういうこと?」
「そうですね」
「それ以外の理由はまったくない?」
「ないですね……あ、家が近かったからもそうかな」
・・・なんだそれ。
瞬間、俺の心にぐわっと苛立ちが湧き上がってきた。いや、こいつの容姿だし、きっとあり得ないくらいもてて大変だったのだろう。この高校には女子が少ないけれど、それでもこいつのそばにはその数少ない女子が張り付いている。校門前に他校の女子が待ち伏せしているのだってもはやありふれた光景だ。
だからこの選択をしたのだってこいつにとってみればなんらおかしなことじゃないのだ。でも俺はこいつの答えを耳にした瞬間、めちゃくちゃ腹が立った。
――上原くーん、高校でも頑張ってくださーい、菊工、上原くんにぴったりだと思いまーす。いろいろと。
「お前みたいなのがいるから……俺まであんなこと言われたんだよ」
鼓膜の裏側からねっとりと囁いてくる声を必死に振り払おうとしながら、俺はノートパソコンをぱたん、と閉じる。先輩? と木杉が声をかけてきたが、無視して俺はパソコンを鞄に押し込む。その最中、机に放りだされていた細切れになった紙片が見えた。
さっきまで木杉がばらばらに刻んでいた、どこかの誰かの連絡先が記された紙きれだ。
それが西日に照らされて寂し気にうなだれている……。
「好かれるのも大変だって想像はできるよ。でもお前の態度って全然、人間を人間として見てない。わずらわされていらいらしたから、復讐みたいにとっかえひっかえ遊ぶの? で、そういうの疲れたから逃げるみたいに女子少ないとこに来たの? なのに、やっぱり人寂しくて俺にまで声かけてきたの? そういうの俺、ほんと意味わかんない。なんかほんともう……」
こんなに怒ることなんてないのだ。こいつにはこいつの考えがあって、思いもあって、この学校に来たのだろうから。俺が文句を言うのはどう考えてもおかしい。
でも我慢できなかった。いらいらを押し込むみたいに鞄を閉じ、俺は化学室を走り出る。
待って、と飛び止められた気もしたけれど、振り切るようにして俺は西日にさらされた廊下を駆けた。振り返ることはしなかった。
声をかけてきたのは同じクラスの伊藤淳だ。真面目でクラス委員長も務める彼は、ぼっちになりがちの俺によく声をかけてくれる。
「あいつと一緒って苦労多いんじゃないの? 女子に常に視線包囲されて」
「ああ……うん。まあ」
エルダー制度により合同実習を始めてすでに一か月。その間に木杉起因の厄介事はいくつかあった。
ひとつ、ふたりで作業をしているとどこからかそれをかぎつけた女子に囲まれる。
ふたつ、俺ひとりでいても「これ木杉くんに渡して」と連絡先を書いた紙を渡される。
みっつ、落とす云々はあいつの中でまだ続行中みたいでやけに構ってくる……。
「大変なら先生に相談してみたら? 野宮でもいいし、木杉の担任の根岸先生でもわかってくれるかも」
根岸先生。“あの人”に似た細面の顔を思い出し、俺は気付かれないように深呼吸する。
「あー……。でも、木杉自体には問題ないから。覚えも早いし、休まず来てくれるし、一緒だと作業もはかどるし」
「へえ。あいつそういう感じなんだな。もっと不真面目なやつかと思った」
意外そうな顔をされて俺は曖昧に笑い返す。
俺もまだよくはわからない。でも、変なやつだけど、悪いやつじゃない気もする。
「心配してくれてありがとう」
「あー、心配っていうか。ちょっと変な噂聞いちゃったから」
礼を言う俺の前でひらひらと伊藤が手を振る。几帳面そうな顔に渋面を作ってから伊藤は眼鏡の蔓をついと上げた。
「木杉って、俺の幼馴染と同中なんだけどさ。あいつ、まあまあ有名人だったらしくて」
「ああ……」
あの顔面だしそうだろうなあ、とのんびりと相槌を打つ俺に向かって伊藤が身を乗り出してきた。
「あいつ、めちゃくちゃ遊び人だったらしいんだよ。来るもの拒まず、去る者追わず。しかもそれだけじゃなくて、自分からも声かけてさ。捨てるのもあっちから。一度、俺の幼馴染が意見したんだって。『自分から声かけてきてそれはひどいでしょ』って。そしたらあいつ『本気になられても困るし』って言ったんだって。もうめっちゃくちゃ。だからあいつの周り火種が絶えなかったとか」
……やっぱりそういう感じか。
それほど驚きはしなかった。だってあいつは俺に、次落とす人、と言ってきた。それってやっぱり、遊びとしてってことなのだろうな、と思っていたから。
――安心してください。ひどいことなんてなにもしないです。ただ俺のこと全然好きじゃなくて俺にまったく興味がない人のことを落としたいだけ。
あれだって、今の話を聞けば納得だ。ようするにあいつはわかりやすくくそ野郎なのだろう。
ただ、気になるところもあった。
あいつは笑っていたのだ。ふたりで電車に揺られながらアジサイを見て。
心から楽しんでいるみたいに。それに。
――こうしてずっと握ってて。いい?
人混みに尻込みする俺の耳に落とされた声が、不意に蘇る。
あいつは最低な奴なのだとは思う。こちらを気遣うような態度も繰り返し続けてきた遊戯の延長にしかない行動なのだろうと思ってはいる。
でも、そう予想しながらも、違和感を覚えてしまうのだ。だって、俺の手を自分のシャツに導いたあのときのあいつの声と手の温もりには打算が感じられなかったから。それどころかちょっと……。
ほっとすら、させられてしまったから。
「上原? 大丈夫?」
自分の考え事に沈んでいて伊藤の存在をすっかり失念していた。赤面してしまった自分に慌てながら、俺は慌てて笑顔を作る。
「ごめん。ちょっと、そのびっくりして」
「だよな。まあ、菊工は女子も少ないし、中学のときよりは揉め事も少なそうだけど、気をつけろよ。なんかあったら相談して」
「あ、うん」
そんなアドバイス、もらったとしてもどうしていいかわからない。
すでに、次落とす人認定されてるんですけど、なんて言えるわけもないし。
ただその、次落とす人、についても変だなとは思うのだ。
次落とす人、なんて言い方それ自体が。だってそうじゃないか? 自分が遊び人ですってわざわざ言うことにどんなメリットがあるんだ?
うわ、こいつ最低って引かれるだけじゃないだろうか。
「ああ、先輩」
もやもやしながら作業場所として使用している化学室を覗くと、木杉はすでに来ていて、なにやら小さな紙をせっせと破っていた。
「なにやってんの」
「んー? 連絡先もらったからそれ処分してる」
朗らかに言われて俺は顔を引きつらせる。
「お前ってやっぱり最低」
「だって迷惑だって言うのに無理やり置いて行かれたんですよ。こうするしかなくないですか。個人情報保護の観点からも判読できないように徹底的にやっておかないと」
「なあ、お前、SNSやってないの? やれば直接的アプローチなくなるんじゃないの。DMで片が付くっていうか」
「やらないです。そんな面倒なの。大体、文字で断ると裏読みされて変な解釈されるから嫌なんですよ」
経験者は語るってところだろうか。木杉の向かいに座ってノートパソコンを開きながら、俺は木杉と共有にしているクラウドフォルダを開く。
イベントに行って数日後、話し合った結果、俺達は人の声音から感情を読み取り、その人に今、必要と思われる言葉が表示される仕様の感情認識AIを作成することに決めた。もちろん、企業で導入されているような高性能なものは時間的にも厳しいが、それでも少しでも楽しめるものが作れたらいいとアイディアを出し合いながら開発を始め、現在のところ作業は順調に進んでいた。
木杉に頼んでいたアノテーション作業もちゃんと進んでいる。ちなみにアノテーションとは入力したデータとそれに対応する答えをラベリングする作業で、特にAI開発をするうえでこの作業が結構重要になる。犬の写真を読み込ませたとき、この写真がなにか聞いたら、「犬です」と答えるようにするみたいなイメージだ。細かいしめちゃくちゃ面倒な作業なのだけれど、こいつは文句も言わずに黙々とやってくれる。
その姿からは「遊び人」という単語は浮かんでこない。至極真面目で熱心。やらされて仕方なくという感じでもない。でも。
「俺の勝手で作るもの決めちゃったけど、お前はいいの? なにか他に作ってみたいテーマとかなかった?」
「んー、別に? 俺はなんでも。これ先輩がメインの作品だし」
……やっぱりだ。
こいつの言動には情熱が感じられないのだ。
俺達が属しているシステムエンジニア養成科というところは、学習内容が他の科と比べても多岐にわたる。デザイン専攻じゃないからデザイン部分はさわりだけだけれど、WEBサイトの構築も一通り学ばされるし、企業で使う会計システムの作り方も教えられる。ゲーム制作もかじる。ソフトウェアだけではなく、ハードウェアについても学習するので、パソコンの基盤をいじったりもする。そんなごった煮みたいな知識の中から自分に合ったものを見つけ出し、作品を作りながら知識を深めていくのがこの学校のやり方だ。
俺が専門的にやりたいと思っているのは、AIの開発だったから、今回の作品もAIでいこうと早くから決めてはいたのだけれど、木杉にはそういう方向性みたいなものが全然感じられない。平たくいえば……どうでもいいみたいに見える。
一年だから決めきれていないのかもしれないけれど、それにしたってわざわざこの学校にやってきたのだ。多少なりとも興味のある分野や、作ってみたい作品があってもいいと思う。でもこいつにはそれがまったく見えない。
「なあ、木杉って、なんでこの学校来たの」
今日の作業を進めながらなんてことのない調子で尋ねると、木杉も自分のパソコンを操作しながら肩をすくめた。
「なんですか。藪から棒に」
「いや、だってお前ってもの作るのそんな好きじゃないみたいに見えて。なんでわざわざ工業進んだのかなって。大学進学するなら普通科のほうが受験勉強の時間取りやすいって言うし。なのに」
「……先輩って人のことなんてどうでもいいみたいな顔してるくせに、結構見てるんですね」
別にそういうわけじゃない。なんとなく気になっただけだ。でもまあ確かに他の人間に対して、こんなことを訊いたことはないな、と思ったらなんだかいたたまれなくなった。
が、木杉から返って来たのは実にあっけらかんとした声だった。
「女子が面倒だったから」
「……女子?」
「自分で言うのもなんですけど、もてたんですよ、俺。中学のとき。で、まあ、そこそこ大変だったので」
それだけです、とにこっと笑われ、俺は絶句する。
数秒考えてから俺は声を絞り出した。
「それって、工業なら女子少ないからってそういうこと?」
「そうですね」
「それ以外の理由はまったくない?」
「ないですね……あ、家が近かったからもそうかな」
・・・なんだそれ。
瞬間、俺の心にぐわっと苛立ちが湧き上がってきた。いや、こいつの容姿だし、きっとあり得ないくらいもてて大変だったのだろう。この高校には女子が少ないけれど、それでもこいつのそばにはその数少ない女子が張り付いている。校門前に他校の女子が待ち伏せしているのだってもはやありふれた光景だ。
だからこの選択をしたのだってこいつにとってみればなんらおかしなことじゃないのだ。でも俺はこいつの答えを耳にした瞬間、めちゃくちゃ腹が立った。
――上原くーん、高校でも頑張ってくださーい、菊工、上原くんにぴったりだと思いまーす。いろいろと。
「お前みたいなのがいるから……俺まであんなこと言われたんだよ」
鼓膜の裏側からねっとりと囁いてくる声を必死に振り払おうとしながら、俺はノートパソコンをぱたん、と閉じる。先輩? と木杉が声をかけてきたが、無視して俺はパソコンを鞄に押し込む。その最中、机に放りだされていた細切れになった紙片が見えた。
さっきまで木杉がばらばらに刻んでいた、どこかの誰かの連絡先が記された紙きれだ。
それが西日に照らされて寂し気にうなだれている……。
「好かれるのも大変だって想像はできるよ。でもお前の態度って全然、人間を人間として見てない。わずらわされていらいらしたから、復讐みたいにとっかえひっかえ遊ぶの? で、そういうの疲れたから逃げるみたいに女子少ないとこに来たの? なのに、やっぱり人寂しくて俺にまで声かけてきたの? そういうの俺、ほんと意味わかんない。なんかほんともう……」
こんなに怒ることなんてないのだ。こいつにはこいつの考えがあって、思いもあって、この学校に来たのだろうから。俺が文句を言うのはどう考えてもおかしい。
でも我慢できなかった。いらいらを押し込むみたいに鞄を閉じ、俺は化学室を走り出る。
待って、と飛び止められた気もしたけれど、振り切るようにして俺は西日にさらされた廊下を駆けた。振り返ることはしなかった。



