進入禁止の彼~好きになったら終わりなのに~

 土砂降りでよかったのに、そうしたら行かないで済んだかもしれないのに。
 むかつくくらい晴れた空の下、重い足を引きずって駅へ行くと木杉はまだ来ていなかった。約束の二分前だ。
 このまま来ないでくれ、と願ったけれど、その願いむなしく時間ちょうどにぽん、と肩を後ろから叩かれた。
「……なんでそっちから来るの?」
「あ、俺のほうが早く来ててそこのコンビニにいたから。そこから先輩が俺探してるの見て勝手に萌えてました」
 ・・・こいつ、まじでキモい。
 とっさに一歩後退して距離を取る。冗談ですって、と笑ってから、木杉はなにを思ったのか、まじまじと俺の体を眺め回し始めた。
「私服、意外」
「……なに、ダサいとか言いたいならわかってるから言わないでいいよ」
「いや、その逆。先輩ってパステルめっちゃ似合うんですね」
 今日の俺は水色のシャツにジーンズだ。ノーブランドのファストファッションだし、褒められるほどのものでもない。白いシャツの上に襟付きの黒シャツをはおり、黒の幅広のパンツを履いたモノトーンながらも堅苦しく見えない木杉の着こなしのほうがよほど洗練されていて似合っている。
「先輩の私服、見られてうれしいです」
 にこっと笑われて妙な気分になる。こいつが俺に対して特別な感情なんてないことは昨日の会話でもわかるのに、なんだかむずむずしてしまう。
「一応訊きたいんだけど」
「はい?」
「お前って……俺のこと好きとかじゃないよね?」
「ないですよ。今のとこは」
 ・・・今のとこは?
 ちょっと引っかかったけれど、やっぱり言わないわけにいかない。
「昨日も言ったけどそれ意味ないし悪趣味だと思う。好きでもないのに人の気持ちを自分に向けようとするなんてよくない。っていうか最低だ」
「そうですね。自分でも最低だなあとは思ってますよ」
「だったらやめたら? ゲームの相手として俺は面白くないと思うよ。絶対お前を好きになったりしないから」
 こいつは千本の刀を集めたという武蔵坊弁慶さながらに自分に引っ掛かる人間が何人いるか数えていやがるのだろうか。だが、俺は絶対にお前を好きにはならない。ゲームをするのは勝手だけれど、ここでお前はゲームオーバーだ。そんなのお前にとっても俺にとっても時間の無駄以外、何物でもないだろうに。
「そういうところがいいんですよ」
 と、しっかりとした拒絶の言葉をお見舞いしたにも関わらず、返って来たのは笑顔で、俺は本気でびびってさらに一歩後ずさってしまった。
「おま、なに、笑ってんの……」
「あ、いや、だって。自分で言うのもなんですけど、この提案すると、結構な確率でまんざらでもない顔をされるので。でも先輩はしっかり拒絶してくれるでしょ。簡単に流されないでいてくれそうで。だから先輩に決めたんです。こちらとしても安心だから」
「安心、って、なに」
「んー」
 後ろ頭を掻きながら木杉は空を仰ぐ。しばしそうしてから、けろりとした顔で木杉が呟いた。
「困るんで。そんな簡単に好きになられても」
「それ、簡単に落ちられたら面白くないってこと?」
「まあ、そういうことでいいです」
 そういうことでいいってなんだ。
 やっぱりこいつはくそ野郎だ。こんなやつのお遊びに付き合うなんて冗談じゃない。
「俺、今日は帰……」
「あ、そろそろ行きましょうか。電車、この次のだと乗り換え一回で行けるから」
 言いかけた声をさらっとぶった切って木杉は歩き出す。さりげない手が俺の背中をすっと押した。
「いや、俺、用事が……」
「またまた嘘ばっかり。レポート、書きませんよ?」
「脅す気かよ」
「そう思ってもらってもいいですけど、せっかくだから行きません? 俺も作品、ちゃんと作りたいんで。先輩は違うんですか?」
 真面目な顔で覗き込まれ、う、と俺は呻く。
 こいつと出かけるなんて正直、不快でしかない。けれど、納得のいく作品を作るうえで、プロの製品やサービスに触れておくことは有意義だとも思ってはいる。なにより、こいつに言われるまでもなく、俺だってちゃんとした作品を作りたかった。だって、俺にとって今回は最後の菊工祭なのだから。
 平然とした顔で木杉はこちらを見下ろしてくる。それがむかついて仕方ない。けれど……。
 ……仕方ない。
 脅しに屈したわけでは断じてない、という気持ちを表すために、俺は先に立って改札を抜ける。木杉はその俺の行動に対し、なんのコメントもせず、大人しくついてきた。
 ホームへたどり着くと、土曜日の朝だからか、平日よりも空いていた。人声もまばらで俺はちょっとほっとする。
 ……やっぱり人混みは苦手だ。
 電車に乗るのも久しぶりだ。滑り込んできた電車に乗り込み、座席に落ち着きながら首を捻じ曲げて流れていく風景を眺める。線路沿いに植わった街路樹の青々とした葉っぱが、陽光に煌めきながら行き過ぎていった。
 夏は苦手だけれど緑は好きだ。見るだけで目が浄化される気がする。状況を忘れてしばし緑を楽しんでいたのだが、通り過ぎざま、鮮やか過ぎる青色が見えてぎょっとした。目を凝らして気付く。
 線路脇にある家の庭先で大量のアジサイが満開になっていた。一角全部、青空がそのまま地面に落ちてきたみたいで、思わず、わ、と声を上げる。
「どうしました?」
「アジサイめっちゃ咲いてて。すごく綺麗だったから」
 あんなにたくさんのアジサイを見たのはもしかしたら初めてかもしれない。身を乗り出すようにして窓の外を見る俺の頭の後ろで、ああ、と木杉が声を漏らした。
「あそこのアジサイ有名で、電車百景って写真集に載ってるんですよ」
「そうなの?」
 自宅の沿線なのに全く知らなかった。びっくりして振り向くと、逆に驚いた顔をされた。
「先輩ってあんまり出かけたりしないタイプですか?」
「あー、まあ。電車も久しぶりに乗るかも。学校も徒歩で行けるし。電車百景の話も今初めて知った」
「そうなんですね」
 それっきり黙る。わかりやすくインドアだと馬鹿にされたんだろうか、とかりかりしながら横目で見て……固まった。
 木杉の口許は綻んでいた。馬鹿にしている笑みじゃない。思わず綻んでしまったみたいな顔で通り過ぎていったアジサイを探すように窓の外を見つめている。
「アジサイ、好きなの?」
 そろっと問うと、え? と窓に向いていた目が再び俺を捉えた。晴れた空を映していた瞳がすっと元の栗色に戻る。
「なんで?」
「え、いや、今、笑ってたから」
「ああ。そっか、俺、笑ってたか」
 言いながら木杉は頬を軽く撫でる。
 なんだろう、やっぱり変な態度を取るやつだ。首を傾げる俺の前で木杉はスマホを引っ張り出している。マイペースなやつだ。
 これだけ自由に行動されるとなんだかいろいろ気にするのがばかばかしくなる。やれやれと溜め息をついたところで、次、乗り換えですね、と感情の薄い声で木杉が呟いた。ほどなくして電車はホームへと横づけされる。
 そこからJRに乗り換え、歩くこと十分。
 たどり着いた湾岸展示場の前で俺は立ちすくんだ。