進入禁止の彼~好きになったら終わりなのに~

「化学室だったら空いてるっぽいです」
 結局、合同授業だけじゃ時間が足りず、放課後も集合することになった。だが、どこも菊工祭に向けての準備のため人で溢れている。騒がしい場所では集中できない、と言う俺に、ちょっと待っててくださいね、と言い残してどこかへ消えていた木杉が、戻ってきてそう言った。
「え、なに情報?」
「三年の宮下先輩からの情報です」
 名前を聞いてのけぞった。
「宮下って、あの宮下? あのしゃべらない……」
「ああ、そうそう。そういう噂あるみたいですね。なんでしたっけ、朗読するよう言われても先生が諦めるまで無言を貫いたとかって伝説ありますね。あれ、本当なんですか?」
「あー、うん」
 宮下蛍(みやしたけい)とは俺も二年のとき同じクラスになったことがある。けれど一度も宮下の声を聞いたことがない。比喩でもなんでもなくただの一度もだ。
「まあ、俺も人と話すほうじゃないから人のことは言えないけど。無口だとは思った」
「うーん」
 木杉は唸りながら、人声溢れる廊下を抜けて特別棟へ入った。ここは教室棟と違い、人が少ない。空気が澄んだ気がして小さく深呼吸をしていると、木杉が肩越しに振り返った。
「確かに宮下先輩は口数多いほうじゃないけど、話すと楽しいですよ。面白いことたくさん教えてくれます」
「そう、なの?」
「うん。ネズミが幸せを感じる瞬間はどんなときかとか」
 ネズミが幸せを感じる瞬間……。どんなときだろう。首を捻っている間に化学室に着いた。籠った空気を厭うようにからりと窓を開けてから、木杉はこちらに向き直る。
「くすぐられたときにね、喜んで笑うらしいです。実験でくすぐったらもっとしてみたいに手にまとわりついたんですって」
「まじで?」
「驚きですよね。ネズミがねえ、って思ったんですけど。でも」
 よいしょ、と実験用の大型テーブルの脇から椅子を引っ張り出して座った木杉が、広い肩をすくめた。
「実際のところ、ネズミの声は小さすぎて笑ってるかどうかも人間の耳では聞こえないらしいし、本当に喜んでいるのかどうかも微妙みたいですけど」
「そうなんだ……」
 知らなかった。すごく興味深いし、それを宮下が木杉に話したというのも意外で、生物の神秘を同時にふたつ知ってしまったような気になる。
「木杉ってすごいんだね」
 ぽろっと零すと、え、と意外そうな顔をされた。
「どこがですか?」
「いや、誰とでもすぐ仲良くなれるみたいだから」
「誰とでも、ではないと思いますけど」
 不意に声のトーンが下がった。面倒臭そうに机に片肘で頬杖を突きながら、木杉は俺に向かって顎をしゃくる。
「先輩も宮下先輩も、俺みたいなタイプは嫌いでしょ」
「……そんなことは」
 ない、とは言えなかった。本音を言えば、こいつみたいなタイプは苦手だ。宮下はああいうやつだし、俺も積極的に友達を作ろうとする人間でもないから、交流なんて一切ないけれど、木杉の言う通り、宮下は俺と近い感覚を持っている気はする。
「でも木杉は宮下と話しをするんだろ?」
「しますね。図書室で本の借り方わかんなくておたおたしてたら、さっさとしろや! 後ろつかえてるぞボケって筆談で怒られて以来、面白くなっちゃって」
「へ、へえ」
 筆談。
 宮下の側にもなにか事情があるのかもしれないけれど、それにしてもそんな変な怒られ方をしたにも関わらず、その後も宮下と関わろうと思った木杉のほうがちょっと。
「コミュ力すごいね、木杉って」
「いや、俺がどうっていうか、そもそもあの人めちゃくちゃ面白くありません? ネズミの話もそうだけど、宮下先輩は周りと違う方向の知識をいっぱい持ってる。かっこいいじゃないですか。だから話したいって思っただけですよ」
 宮下は口を開かないせいで周りから異端だと思われている。いや、俺もそう思っていた。でも木杉はそんな色眼鏡で人を見ない。初対面で、しかも筆談で怒られながら、だ。
 こいつ、意外といいやつかも。
 最初の印象が最悪だったからって、こいつのことを苦手だと思ってしまった自分のほうが、小さくて恥ずかしい。
「ごめん。なんか」
「なんで謝ってるんですか」
「その……俺、本当は木杉みたいなタイプ苦手で。今日も話してて、鼻もちならない嫌なやつと思っちゃって。でも、そんなの失礼だよな。俺、木杉のことまだなにも知らないのに。勝手なことばっかり言って、最低だった」
「ああ」
 納得したように木杉が頷く。
「それ言ったら俺もだめなこといろいろ言いました。ごめんなさい」
「いや、俺のほうがあの……」
 丁寧に頭を下げられる。そうされて俺はますます慌てた。
 なんだろう。こいつはなんだか不思議だ。ただ……うん、やはり、悪いやつじゃない気がする。
 そんなやつにずいぶんな言い方をしたものだ。俺ってば……と申し訳なくて小さくなると、ってか、と木杉が面白そうに肩を震わせながら顔を上げた。
「いつまで突っ立ってるんですか。座ってくださいよ」
「あ、ああ、ごめん」
 頷いて、机を挟んだ向かい側の椅子を引く。すると、そこじゃなくて、と木杉が俺を制した。
「こっち、来て」
 木杉が示したのは、自分の隣の席。
「そこじゃ遠いです。こっちに座ってください」
「あ。うん」
 まあ確かにこれから打ち合わせするのに、作業机越しじゃ遠いか。促されるまま木杉の隣の椅子を引いて座ったとたん、ぐいと木杉が椅子を寄せてきた。体の位置が一気に近くなって驚く。
「ちょ、なに?」
「いや、だって、先輩が言ったんでしょ? 俺のことなにも知らないのにって。だったら知ってほしいなあと思ったから」
 ……確かにそうは言ったけれど。そんなに近づく必要があるだろうか。背中を反らして距離を取る俺に、っていうか、と木杉が言った。
「正直、俺も先輩苦手だなあと思いました。だってあれはひどいですよ。卵のくせにってやつ」
「あー……」
 まだそれ持ち出すのか。案外ねちっこいタイプかもしれない。そもそもそっちだって嘘泣きしたくせに。
 ただあのとき、こいつは不穏なことも言っていた。
 ――責任取ってもらおうかなとは思ってますけど。
「あの、さ、木杉」
「はい?」
「さっき言ってた責任ってなに? 謝るから、できれば穏便に……」
「さっきの話し合いで俺思ったんですよね」
 覚悟を決めて切り出した俺を華麗に遮り、木杉は鞄からノートパソコンを引っ張り出している。そのままキーボードをさらさらっと操作して、画面をこちらに向けてきた。
 なんと、先ほどの授業での話し合いの内容が、議事録としてしっかりまとめられていた。
 こいつは仕事もしっかりできるタイプらしい。それがなんとも生意気でちょっと……むかつく。
「わかりやすくて派手なとこでゲーム制作ってのが定番ですけど、それってどこのチームでもやりそうだよな、という話になりましたよね。動きがあったりCG凝ったものにできれば、中身に多少粗があっても展示としては華やかだし。俺はそれでもいいかなって思っちゃいますけど、先輩はー」
「それは嫌だ」
「ですよねー。まあ、外だけ飾るにしても時間ぎりぎりだろうし、結局全部中途半端になりそうですから言わんとすることはわかるんですけど」
 やれやれ、と言いたげに木杉が腕組みをする。こだわりが強すぎるとでも言いたいのだろうか。やっぱりこいつ、腹立つ。
 一年のこいつからしたら三年と組んでなにかを作るなんて面倒以外の何物でもないのだろう。俺だってそうだ。自分主体でないなら、簡単なものを作ってさっさと終わりにしたい。
 でも俺にとっては最後の菊工祭なのだ。適当に作って終わりにしたくない。
 ただ現在のところ、アイディアのアの字も出てくる気配がない。
「ちょっと考えてみる。休み明けの月曜くらいにまた……」
「湾岸展示場」
 突然、木杉が声を上げる。見るとパソコンでなにやら検索していた。
「なんか今週の土日、ITとゲームの展示イベントやってるみたいです。ミンテンドーとか、スクウェアエイトとか、サニーとか、大手企業もブース出してるみたい。これ行ってみたい」
「あ、そうなの。うん。行ったら感想教えて……」
「なに言ってるんですか。先輩も行くんですよ」
 ……なんで?!
「え、俺も?」
「だって先輩が言ったんじゃないですか。アイディア浮かばないって。なんか糸口掴めそうじゃありません? こういうの行ったら」
「あー」
 このイベントのことは俺も知っていた。最新ゲームやビジネスシステム、AI活用新規ツールなど、今年のITトレンドが一堂に会する贅沢すぎるイベントで、一般、法人問わずとんでもない数の来場者が見込まれているらしい。
 だから、行ってみたい気持ちはある。だが正直、俺は尻込みしていた。
「人混みが、ちょっと」
「俺と行きたくないからって嘘つくなって」
 ……お前、先輩にその口の利き方はないだろ!
「嘘じゃないって。ほんとに苦手なの。だからひとりで……」
「責任」
 嫌すぎるワードが投げ込まれ、俺は、う、と呻く。その俺の顔を木杉がすうっと覗き込んできた。
「取ってくれるんでしょ」
「い、いや、でも木杉だってこんなの別に興味なくない? しかも休みにわざわざふたりで行かなくても……」
「俺が先輩と行きたいって言ったら?」
 声がいきなり低くなる。と同時に、こちらにくいっと体が寄せられた。
「一緒に行ってくれます? 責任取って」
「……本気で行きたいの?」
「行きたいです。先輩と一緒なら」
「なんで、俺と?」
 こいつもものづくりに特化した学校に来ているんだから、こうした展示会に興味を持ってもおかしくはない。ただ、その相棒に俺を選ぶというのがどうにもよくわからない。こいつに誘われたら、みんな喜び勇んで一緒に行ってくれるだろうに。
 どうして、俺?
「言ったでしょ。先輩に決めたって」
 ゆっくりと木杉の唇に笑みが浮かぶ。薄い唇によって形作られたそれは、これまで遠目で見ていたきらきらスマイルとは全然違っていた。
 人が悪くて……見ているとからめとられそうな、黒いほうの笑顔だった。
「ご、めん。なにを?」
 やっとのことでそれだけ言えた。目を離したら食いつかれそうで怖くて、視線は当てたままにしつつ、背中を反らして距離を取る。木杉はそれをものともせず、肉食獣みたいな仕草で隙間を狭めてくる。
「んー、言葉にすると難しいけど、あえて言うなら」
 物騒な笑みを浮かべたまま、木杉が囁く。
「次、落とす人」
「は……?」
 落とす、人?
 理解するまでに数秒かかった。けれど、脳が解析を終了したと同時に、かっとなった。
 なんのことはない。やっぱりこいつは顔面を使って周りの人間を引っ掛けて回っている最低野郎だ。
 しかも次のターゲットを俺にしようとしている。よりにもよってこの俺を。
 憤然として立ち上がった俺の二の腕に手が絡みついた。
「怒りましたか?」
「怒るに決まってるだろ! そんなくだらないことに付き合う暇なんて俺にはない」
「うん、そう言うと思った。だから、先輩に決めたんです」
 木杉がまた笑う。今度の笑顔はいつものホワイトスマイルに近いもので、毒気を抜かれた。その俺の腕を掴んだまま、木杉がこちらを見上げてくる。
「先輩は俺が迫っても、簡単に落ちないでいてくれるでしょ」
「は、え、なに? なに言ってんの」
 意味がわからない。ってか怖い。たじたじとなると、ぷっと小さく木杉が吹き出した。
「安心してください。ひどいことなんてなにもしないです。ただ俺のこと全然好きじゃなくて俺にまったく興味がない人のことを落としたいだけ」
「……十分ひどいし、悪趣味じゃないの。それ」
「うん。悪趣味です。だから先輩、簡単に俺のこと好きにならないでくださいね。そのほうが燃えるので」
「言われなくても俺は絶対好きにならないけど」
「いいんです。それで」
 木杉の手が俺の腕からするっと解ける。ノートパソコンがぱたり、と閉じられ、涼しげな流し目ががこちらに寄越された。
「先輩は気にせずそのままでいてください」
「ごめん、めちゃくちゃ気持ち悪いんだけど。ほんとになに?」
「気持ち悪いって。もう。先輩、いいなあ」
 俺は頭から爪先まで混じり気なしの本心で言ったのに木杉には通じていないらしい。すみませーん、こいつのファンクラブの人~、こいつ絶対変態ですけど~と大声で叫びたくなる。
「そもそもなんの意味があるの? 絶対振り向いてくれない相手に近づいたってむなしいだけじゃない? なんのメリットもないのに」
「メリットはありますよ」
 ノートパソコンを鞄に押し込みながらのんびりと木杉が言う。
「なければしないでしょ。こんな無意味なこと」
「はあ? それ……」
「あ、そうだ」
 俺の混乱を置いてきぼりに、制服のポケットからスマホを出した木杉が再び身を乗り出してくる。
「連絡先、教えてください」
「やだ」
「なんで?」
「やばい人には教えたくない」
「ちょ。ひどいし」
 くっくっと木杉が肩を震わせる。でもこっちは笑えない。放り出していた鞄を引っ掴むと、いいんですか? と言われた。
「レポート、書きませんよ?」
「お前も書かないと評価、下がると思うけど」
「お前って。急に距離近くてウケるな。じゃあひどいこと書こう。上原先輩は教える気ゼロのくせに暴言を吐きまくる人で、精神的苦痛が半端なかったです~とか」
「脅迫かよ」
「どうとでも。でも先輩がひどいこと言ったのが引き金ですからね。あんなこと、後輩に言っちゃだめですよ。俺以外のやつだったらハート木っ端みじんで訴訟ものですよ」
 ……こいつ。
 いらっとする俺に向かってぐい、とスマホが突き出される。
「連絡先、いいですよね?」
 ああ、なんで俺の相方はこいつなんだ。
 自分の運のなさを嘆きながら、俺はしぶしぶスマホを取り出す。
 陽キャのアイコンと言えば、友達と遊んでいるときのワンシーンを切り取ったものや、自撮りが多いなんて聞いたことがある。どうせこいつもそうだろうと思ったのだけれど、画面に表示されたアイコンを見て俺は眉を顰めてしまった。
 道路標識だった。これは確か、進入禁止だと思う。赤い地に白い一文字が表示されたあれだ。
 ……なんでだ? なんで道路標識? しかもなんで進入禁止?
「どうかしました?」
 いや、どうかしたはお前なんだけど。
 めちゃくちゃ理由を訊きたくなったが、やばいやつをこれ以上突き回すのも怖くて押し黙っていると、あ、と木杉が声を漏らした。
「先輩のアイコン」
「な、なに?」
「ウサギ」
「あ、うん」
 画面上に映っているのは木杉が言う通りウサギだ。ただし、石でできたウサギ。近所の純喫茶の前に置かれていたオブジェで毛並みもしっかり彫り込まれていて、生きているみたいに目もくりくりしている。気に入ってずっとアイコンにしているそれを木杉はまじまじと見つめている。
 なんだよ、地味か? そりゃあお前の道路標識に比べればパンチはきいてないけど、こっちのほうが絶対センスあるし、と唇を曲げた俺の耳が、可愛い、と呟いた声を拾った。
 目を上げると、木杉もこちらを見ていた。
「これ、どこの子ですか? 俺も見てみたい」
「え、あ、これは四川町の郵便局の近くにある……」
「あ、やっぱいい」
 せっかく教えてやろうとしたのに、ひらひらっと手が振られる。首を傾げた俺をちらっと見て木杉が笑った。
「今度、連れてってください。デートってことで」
 ……はああ?!
 だめだ、頭が痛い。額を押さえるが、そんな俺の様子などどこ吹く風で木杉はにこにこしている。
「日曜は雨みたいだから土曜日、展示会行きましょうね」
 絶対行かない!
 言い返したかったけれど、できぬまま、俺は脅迫に屈して、そうですね、と答えた。