進入禁止の彼~好きになったら終わりなのに~

 思い返してみれば、俺はいつだって運が悪かった。
 運動会のリレーで誰もアンカーをやりたがらず、あみだくじで決めたときもそうだった。アンカーだけは避けたい! と願ったのに、俺はアンカーになった。
 中学のとき、プログラミングクラブで使っていたパソコンが壊れたことがあった。共有のPCだったけれど、ローカルにそれぞれデータを置いていて、他の部員のデータは無事だったのに、俺のデータだけが全部飛んだ、
 だからこの結果も驚くことじゃない。ないが、周りからやいのやいの噂されるほどの有名人とコミュ障日本代表みたいな俺を組ませるなんて、神様ってやつはあまりにも非情だと思う。
 しかも。
「木杉夏緒です。よろしくお願いします」
 合同実習室で顔を合わせた木杉夏緒は、控えめに言って……神々しすぎた。
 イケメンにもいろいろなタイプがいるけれど、木杉はチャラさを一切感じさせない、貴公子系のイケメンだった。制服も着崩していないし、髪も過度に色を抜かないまっすぐさらさら栗色ヘア。ただ地味さは皆無でやばいくらい顔面が整っていて、俺と同じ人間とは思えないくらい睫毛も長い。肌はつるっと滑らかで唇がほんのり赤い。ただ、純真無垢な天使タイプかというとそうでもなく、こちらを見つめてくる目は目尻がすっと切れていて、俺より年下なんて思えない妙な色気がある。
 凄みのある美人というのはこういうやつに使う言葉かもしれない。
「まじで羨ましい。木杉くんと組めるとかどんだけ徳積んだらそんな幸福手に入んの」
 そう言ってきたのは、同じクラスの女子だ。ちなみにうちのクラスに女子は三人しかいない。その三人と俺は今日までほぼ話したことがない。にもかかわらず、まるで旧知の友みたいに彼女達は俺の周りに、というよりも木杉の周りにはべっている。
「木杉くん、なにかわかんないことあったら訊いてきてよね! 上原くんより私、スキルあるし。教え方もうまいと思う」
「あ! それ言うなら、うちのほうが。上原くんよりも奈津よりもプログラミング歴長いんで! 困ったら連絡して! これ、私のID」
「ちょ! 理子! あんたえぐい! 今は授業中でしょ! そういうのなしでしょ! ほんとごめんね、夏緒くん」
「はあ? はるか! あんたなに図々しく夏緒くんとか呼んでんの?! 木杉くん困ってんじゃん!」
 ……いや、困ってるのは俺と、お前らの相方になった後輩達だと思う。
 実際、木杉に群がるのに夢中な彼女達は、自分とペアになった後輩のことは完全にほったらかしにしていた。一年のクラスも女子が三人でその三人は今、木杉の周りに群がっている女子と組んでいるらしい。その一年も皆、こちらを見ている。こちらを、というか、木杉を。でもテンションの上がった三年女子達は気付いていない。
「上原くん無口だし、多分、教えるの得意じゃないよね。もしよかったら私が教えるし。がんがん頼ってきて」
「あ! それならうちのほうが」
「すみません」
 なんだこの無限ループ、とうんざりしたとき、そのループを断ち切ったやつがいた。ざわざわと人声が満ちる実習室の中にあってさえ埋もれない涼しい声を発したのは、話題の中心にありながらそこまで無言だった木杉だった。
「俺、上原先輩と話したいので席を外していただいてもよろしいでしょうか」
 整いすぎて眩しい笑みを浮かべ木杉が言う。完璧な敬語でもって。
 一瞬間が開く。気まずそうに女子達が視線を交わす。
「あ、うん、ごめん。あの、でもほんと、なにかあったら言ってね」
「ほんと、いつでもいいからね!」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。わからないことは上原先輩に訊きます」
 にっこり。そんな文字が頭の上に浮き上がってきそうな顔だ。つけ入る隙のないその様子にたじたじとなりながら去っていく彼女達の背中を見送っていると、すみません、と再び木杉が言った。
「え、あ、なに?」
「お騒がせして。本当にすみません」
 こちらに向けられた木杉の顔には苦笑が浮かんでいた。目元にかかる少し長めの前髪をさらっと流しながら肩をすくめる。
「ああいうこと言われても困りますよね。先生が組んだものを勝手に俺達が変えられるわけないのに」
「そ、そだね」
「誰かと組むだけでもだるいのに、なんであんなに構ってくるんでしょうね。散歩中の犬に触らせてくださいって突撃してくる迷惑おばさんみたい」
 唖然としている俺の前で木杉は片肘で頬杖を突く。彼がちらっと視線を流すと、去ったと思った女子達がきゃあきゃあ言うのが聞こえた。
「犬じゃないってのに。ほんとうざ」
 ……こいつ、口悪っ。
 ただ、木杉が言うほど俺は彼女達のことを迷惑には思っていなかった。
 だって、彼女達の言うことはもっともだ。
 あんなふうに四六時中きゃあきゃあ言われるのは疲れそうだけれど、その分俺よりも親身になって教えてくれるとは思う。教え方だって俺より上だろう。そもそも俺は面白い話題を提供できるような人間でもないし、言葉もうまくないから。
「いや、むしろ組むの俺でごめん」
 その意味で謝ったのだけれど、木杉にはぴんとこなかったらしい。
「先輩と組むとなんか問題あるんですか?」
「あ、いや。問題っていうか」
 問題というほどの問題じゃない。でも不快にはさせるかもしれない。口ごもっている俺の前で木杉はゆらりと首を傾げる。
「先輩と会話すると呪われるんですか? もしかして話題が下ネタばっかりなんですか? あるいは、話した相手誰でも好きになっちゃってストーカー化しちゃうとかそういう感じなんですか? もしそうならそういうのはお断りですからね」
 ……なんだって?
 さすがに、むっとした。
「そんなわけないだろ」
「じゃあ」
 向かい合った机越しに木杉が身を乗り出す。周囲はペアを組んだ先輩、後輩で交流を図る声で満たされている。だが、その声と声の間にあってさえ、木杉の声はくっきり俺の耳に届いた。
「すっごい静電気体質でそばによると髪逆立ってしょうがないとか……というわけでもなさそうですね」
 言いざまくすっと顔の近くで笑われた。そうされてやっぱりむかっとした。
 まじで、なんだ、こいつ。
 顔がいいのは認める。周りから注目されるのもわかる。でも顔と反比例して性格のほうはとびきりおかしいし、人のことを馬鹿にしすぎていると思う。
「そんな言い方、よくないよ。静電気体質で困ってる人も世の中にはいるかもしれないから。人気者なのはわかったけど、なに言っても許されるわけじゃないよ」
 苛立ちがさらさらっと言葉になって溢れ出してきて俺自身ぎょっとした。口下手で思ったことを口にできないのが常だったのに。
 わかりやすく非常識な人間には文句も言えるのか、俺。
 とはいえ、今のはさすがにだめだろう。人気者云々まで言う必要なかったろうに。
「えと、ごめん、木杉、くん。その……」
 謝って済むレベルじゃない気もする。実際、木杉は目を見開いたまま動かない。
 やばい、絶対傷つけたよな、どうしよう……と冷や汗をかいたときだった。
「決めた」
 いきなり、木杉の顔に笑みが浮かんだ。ごくごくささやかなものだ。なのに、俺はその笑顔を見てたじろいでしまった。
 それくらい……しっとりとしてほの暗い笑みだった。
「俺、先輩に決めました」
 決め、た?
「は? え? なに?」
 なんか、えらい悪い顔で笑わなかったか、こいつ。
 寒気を感じて二の腕をこすったとき、ぽんぽん、と教壇上で野宮先生が手を叩いた。
「よーし、顔合わせ終わり~。今週から週に一時間、合同制作してもらいます。残り時間で作品の方向性やスケジュールについて話し合ってみよっかー」
「待った! 週に一時間?! 足りないよ! 野宮っち!」
「だよな! 最後の菊工祭に中途半端なもの出したくない!」
 三年から大声が上がる。俺も、そうだそうだ、と心の内で同調する。
 俺がこの学校を選んだ決め手となったイベントに展示するものだから、全力で作りたい。
 野宮先生はあらかじめ俺達の不満がわかっていたみたいな顔で、うんうん、と頷いている。
「わかってる。だから絶対ふたりで全部やらなきゃって思わなくていい。ただできるだけ調整して分業して作ってほしい。時間も授業としては週に一時間って決めてあるけど、この限りじゃない。話し合って放課後に時間を作ってもいい。やり方は任せる」
「なんだそれ!」
「お前達を信用してるんだよ~。自由度高めでいいだろ~。ねえ、根岸先生」
 一年B組担任の根岸先生に野宮先生が同意を求めると、根岸先生は新人教師らしく戸惑った顔をしてから、そうですね、とおっとりと頷いた。その細面の顔を見ていたら胸の内側がざわっとした。
 ……こういう華奢で線の細い男の人を見ると、どうしても”あの人”を思い出してしまう。
「先輩」
 いきなり声をかけられ、我に返った。そうだった。問題はこっちだった。
 慌てて視線をそちらへ向けると、木杉が淡い笑みを口許に浮かべこちらを見ていた。
「スケジュール結構タイトですね」
 さっきまでのひりついたやり取りなんてまるでなかったみたいな顔だ。その笑顔を見ていたらどっと体が重くなってきた。
 自由度が高いのは結構だ。でも、組む相手によっては地獄みたいな制度じゃないだろうか。少なくとも俺は先行き不透明すぎて完全に目の前がホワイトアウトしている。
 とはいえ、このまま立往生しているわけにもいかない。
「そ、そだな。まあでも、とにかく……やらないと、ね」
「先輩って部活、やってます?」
 文句を垂れ流しながらも今後のスケジュールについて打ち合わせをし始める皆に倣い、ノートを引っ張り出した俺に、木杉がのんびりと問いかけてくる。
「やってない。木杉、くんは?」
「俺も。じゃあ問題ないですね」
「問題?」
「放課後。時間たくさん取れるってこと」
 スケジュールを立てなければとノートに線を引き、六月から九月とざっくりと枠を書いていた俺の視界にすっと手が入り込んでくる。その手は俺が持つペンを奪い、六月から九月の枠にまっすぐ一本、横線を引いた。
「ここからここまで全部、俺達には時間があるってことですよね」
「……そんなにがっつりやる気なの?」
「え、先輩は違うんですか?」
 驚いた顔をされて逆にこちらが驚く。
 俺にとっては最後の菊工祭だ。でもこいつにとっては違う。先輩と作品作りなんてだるすぎだろうに。
「いや、俺はやる気だけど、木杉、くんはそこまで頑張らなくても。その……困ったとき、手伝ってくれれば」
「ってか、さっきから木杉、くん、って。もう面倒なので呼び捨てでいいですよ」
「あ、えと、ありがとう。で、その、木杉、は、そんなにやらなくても……」
「先輩って手伝ってって素直に言うタイプですか? 言えないですよね。不器用そうだし」
 ……少し話しただけだけれど、気付いた。
 こいつの声には二種類の色がある。
 ひとつは優しくて人当りがいい、それこそ貴公子みたいなきらきらしたひっかかりがない白。
 もうひとつは、奥になにが潜んでいるかわからない、人の悪そうなねっとりとした黒。
 今、不器用そうだし、と言った声はもちろん黒いほうだった。
 さっきの仕返しだろうか。まあ、先にあんな言い方をしたこちらが悪いが、それでもやっぱりこんな反撃をされると、めちゃくちゃむかつく。
「手伝ってもらいたくても、木杉じゃひよこどころか卵で殻の外にも出てもいないレベルだから、頼めないんだよ」
 やばい、また言いすぎた。なんでこいつ相手だとこうぽんぽん言ってしまうのだろう。
「あー……と、あの、ごめん。悪い意味じゃなくて」
 いやいや、悪い意味以外のなにがあるんだ?
 自分で言って自分でツッコむ。どう考えても言いすぎだ。
 木杉がゆっくりと顔を伏せる。うそだろ、まさか泣いたりしないよなと冷や汗が垂れる。
 学校一注目されている木杉を泣かせたなんてことになったら、俺の静かな学校生活は確実に終わる。
 頼む、泣いてないでくれ、と祈るが、目の前の肩は震えていて、ひどい、と囁く声まで聞こえてきた。
「殻から出てもいないなんて。言い方、ひどいです」
「あ、うん。そうだよな。ごめん。俺が悪かった。最低だった。もう二度とひどいこと言わないから……」
「本当に悪いと思ってます?」
「もちろん。ごめん。その……俺、短気でつい。ほんと、ごめん」
 こちらにつむじを向けた状態で木杉が問いかけてくる。見えていないだろうけれど俺は何度も頷く。
 ああ、我ながら思慮が浅くて嫌になる。むかつくことを言われたからってかっとなって暴言を吐くなんて。ほんと、最低だ。
「あの、ごめん、傷つけて、ほんとに」
「そしたら、今日の放課後から早速集まりましょうか」
 ぱっと顔が上がる。さっきまで肩を震わせていたはずの木杉の目には涙なんてかけらもなくて、俺は数秒、完全にフリーズしてしまった。
「先輩?」
「いや、だって、今、泣いて……」
「こんなとこで泣くわけないじゃないですか。ってか俺、涙腺はかなり強いタイプなのでそうそう泣かないです」
 まじで……なんだこいつ!!!
 前言撤回。やっぱりこいつは周りを馬鹿にしまくるくそ野郎だ。
 もう絶対騙されない、と怒りに頬を染めている俺の耳に、でも、と声が投げ込まれる。ぎっと睨みつけた俺に向かって向けられたのは、ふんわりとした笑顔だった。
「相当ひどいこと言われたのは事実なので、責任取ってもらおうかなとは思ってますけど」
 せ、きにん?
「は……? 責任って、なに?」
「ふふふ」
 せ、きにん?
 唖然とする俺に向かって、ね、とあざとく小首が傾げられる。凍りつく俺を尻目に、木杉の目が時計に向けられた。
「ところで先輩。ぼさっとしている時間はないと思うんですけど、そろそろ話しません?」
「は? なにを」
「いやだから。菊工祭になにを作るか。そのために俺達集まってるわけでしょ。みんなそれぞれ話し合い始めてるみたいですけど?」
 言われて周囲を見回す。確かに周りでは、ぎこちない顔合わせを終え、ぼそぼそとながら具体的な相談が始まっているようだ。
 くそ、とむかつく後輩を前髪の影から睨むが、当の後輩は涼しい顔だ。
 ……考えてみればこいつにちゃんと指導されましたってレポートを書いてもらわないとこっちも困るんだった。
「とりあえず……なに作るか、相談、しよう、か」
 仕方ない。肩を落としながら言うと、木杉は、はい、とむかつくくらい綺麗な笑顔で頷いた。