「え、あ、つ、づき? あ、ええとあの、なんだったか……」
「そんなお前だから俺は。はい、この後」
そんなふうに急かされなくても俺は忘れてなんていなかった。だけど、中断した後にもう一度続けるなんてやっぱり恥ずかしい。しかもなんだ、はい、この後、って。馬鹿にしてんのか。
「う、うるさいな! わか、わかってるけど! なんていうか……変なタイミングで切れちゃったからなんか今更……」
ごにょごにょと声が口の中で消える。木杉は押し黙っていたが、ややあってゆっくりと俺の肩から手を離した。
あったはずの体温がすっと遠ざかり、わずかに寒さを覚える。思わずすがるように見上げると、木杉もこちらを見下ろしてきた。
彩度の高い栗色の瞳が震えながら俺を映していた。
「じゃあ、俺が言ってもいい?」
「え、なにを……」
「先輩が言おうとした言葉。予想して言ってみていい? 勘違いなら、笑って」
予想?
場違いな単語に返事が遅れた。その沈黙を木杉は了承と受け取ったらしい。俺の顔を覗き込みながら唇を動かし、二文字を音声に、した。
それは、
「好き」
と、聞こえた。
窓の外ではまだ、祭りを楽しむ人々の声が聞こえているはずだ。だから無音なわけはないのだ。
なのに、今、俺の耳が拾ったのは、こいつの声だけだった。
「違う?」
俺の聴覚を刺激する唯一の声が問いかけてくる。
掠れた確認の声を耳にした瞬間、俺は激しく動揺した。
だって……俺が、そうだ、と言ったら、木杉は絶対怯える。俺がなにを言っても怖がらないなんて言っていたけれど、こいつが自分に好意を持つ人間を厭っていることを俺は知っている。
だからここでの正しいアンサーは、違う、だ。その一択なのだ。なのに、拒絶するみたいに口が動かない。
だって、俺の心はもうぱんぱんに膨らんだ風船みたいになっていたから。嘘や偽りを中に入れられるほどの余裕がないほどに。
怖がらせてしまうかもしれない。嫌な思いをさせてしまうかもしれない。でも、もう。
……無理だ。
「違わない。ごめん」
絞り出した謝罪を木杉は無言で受け止めている。俯いたその視界に、木杉の着たシャツが映った。白いそれに声を吸い込ませるように俺は密やかに言葉を継ぐ。
「俺、好きって、言おうと、した。ごめん、ごめ、ん、木杉、ごめ」
「なんで!」
叱るみたいに木杉の声が跳ね上がる。見上げたと同時に再び今度は両肩が掴まれた。その手にくっと力が籠る。ちょっとだけ痛い。けれど振り払えなかった。
木杉の手が声と同様に震えていたから。
「なんで謝るの。ねえ、先輩、なんで?」
「だって、お前のこと、怖がらせ、ちゃうから。だから」
……だから俺は、好きって言っちゃ、だめだって思ったんだ。
全部を言えなくて俯いた瞬間だった。
「馬鹿」
背中に当たっていた扉がいきなり遠ざかった。呆然としている間に俺を包んだのは、来生の両腕。
一瞬の間に俺は、木杉の胸の中にしまい込まれるみたいに抱きしめられていた。
「言ったよね。先輩の言うことで俺、怖がらないって。教えてくれないほうが怖いって。なのに、なんで謝るの」
耳の端で訴える木杉の声に、俺はますますわけがわからなくなる。
「そ、れ、だって、あの、どういう……」
「なんで、わかんないの!」
俺の体を抱きこむ両腕にぎゅっと力が籠った。
「俺だって期待しちゃってたから! 先輩が俺のこと、好きでいてくれるんじゃないかって……でも、俺みたいなのを先輩が好きになるわけなんてないのだってわかってた。だから、ずっと怖かった」
「それ……」
期待しちゃってた、と言ってくれた。好きでいてくれるんじゃないか、とも。
それは木杉も俺のことを想っていてくれている、ということ……?
震える手が、くらくらしている俺の背中をそうっと撫でる。
「好きになるって、こんなに怖いことだなんて俺、知らなかった、から」
……ああ。
滲んだ声に胸がきゅううっと締め付けられた。
……こいつも俺と同じだったんだ。
相手の気持ちがわからなくて。怖くて。前に進めなくて。自分のことを認められなくて。
俺の体を胸の中に押し込める腕の力は強いのに、触れるその手は恐る恐るで、なんだか無性に泣きたくなった。
でも、泣かない。
「俺みたいなのって言われていい人間じゃないよ、木杉は」
涙腺はもう決壊寸前だったけれど、泣く代わりに精一杯の思いを込めて笑った。
笑って、伝えたかった。伝えないといけないと思った。
「もっと大事にされていい人間。それはお前自身にもそう。だからもう言うなよ。俺みたいなのとか。絶対言っちゃだめ」
「でも俺、ひどいことたくさんしたんだよ。父親の恋人とキスしたり、好きでもない相手と付き合ったり。好きになれるか試したり。先輩とだって最初はそうだった。優しいけど俺のこと好きじゃない先輩だから、好きになってみたくて。引っ張り回して。そんなの」
木杉はまだまだなにかを言おうとしていたけれど、俺はそれを木杉の背中に腕を回すことで止めた。ふっと木杉が息を呑む。
「それがだめなことってお前が思うならもうしなきゃいいんじゃないの。やっちゃだめなことは確かに世の中にたくさんあるけど、やっちゃったことのせいでずっと俯いてないといけないのって俺はすごくしんどいと思う。そんなしんどい思い、木杉にはしてほしくないよ」
「先輩のこと、試したのに?」
木杉の背中はまだ震えている。その震えを止めたくて、俺は彼の背中をそうっと撫でる。
「うん。俺は木杉が好きだから、ただ笑っててほしい」
が、そこでいきなり胸から体が引き剥がされる。唐突過ぎて目を瞬く俺に向かって、木杉がゆっくりと首を振った。
「だめ」
「え、なにが……」
「好きって言っちゃだめ」
「なんで……?」
やっぱり嫌なのだろうか。不安が顔に滲んでいたのか、今度は勢いよくかぶりが振られた。両手が伸びてきて俺の肩をくっと掴む。
「俺が言いたいから。言わないとだめって思うから。だから、先輩少し黙って」
「そんなお前だから俺は。はい、この後」
そんなふうに急かされなくても俺は忘れてなんていなかった。だけど、中断した後にもう一度続けるなんてやっぱり恥ずかしい。しかもなんだ、はい、この後、って。馬鹿にしてんのか。
「う、うるさいな! わか、わかってるけど! なんていうか……変なタイミングで切れちゃったからなんか今更……」
ごにょごにょと声が口の中で消える。木杉は押し黙っていたが、ややあってゆっくりと俺の肩から手を離した。
あったはずの体温がすっと遠ざかり、わずかに寒さを覚える。思わずすがるように見上げると、木杉もこちらを見下ろしてきた。
彩度の高い栗色の瞳が震えながら俺を映していた。
「じゃあ、俺が言ってもいい?」
「え、なにを……」
「先輩が言おうとした言葉。予想して言ってみていい? 勘違いなら、笑って」
予想?
場違いな単語に返事が遅れた。その沈黙を木杉は了承と受け取ったらしい。俺の顔を覗き込みながら唇を動かし、二文字を音声に、した。
それは、
「好き」
と、聞こえた。
窓の外ではまだ、祭りを楽しむ人々の声が聞こえているはずだ。だから無音なわけはないのだ。
なのに、今、俺の耳が拾ったのは、こいつの声だけだった。
「違う?」
俺の聴覚を刺激する唯一の声が問いかけてくる。
掠れた確認の声を耳にした瞬間、俺は激しく動揺した。
だって……俺が、そうだ、と言ったら、木杉は絶対怯える。俺がなにを言っても怖がらないなんて言っていたけれど、こいつが自分に好意を持つ人間を厭っていることを俺は知っている。
だからここでの正しいアンサーは、違う、だ。その一択なのだ。なのに、拒絶するみたいに口が動かない。
だって、俺の心はもうぱんぱんに膨らんだ風船みたいになっていたから。嘘や偽りを中に入れられるほどの余裕がないほどに。
怖がらせてしまうかもしれない。嫌な思いをさせてしまうかもしれない。でも、もう。
……無理だ。
「違わない。ごめん」
絞り出した謝罪を木杉は無言で受け止めている。俯いたその視界に、木杉の着たシャツが映った。白いそれに声を吸い込ませるように俺は密やかに言葉を継ぐ。
「俺、好きって、言おうと、した。ごめん、ごめ、ん、木杉、ごめ」
「なんで!」
叱るみたいに木杉の声が跳ね上がる。見上げたと同時に再び今度は両肩が掴まれた。その手にくっと力が籠る。ちょっとだけ痛い。けれど振り払えなかった。
木杉の手が声と同様に震えていたから。
「なんで謝るの。ねえ、先輩、なんで?」
「だって、お前のこと、怖がらせ、ちゃうから。だから」
……だから俺は、好きって言っちゃ、だめだって思ったんだ。
全部を言えなくて俯いた瞬間だった。
「馬鹿」
背中に当たっていた扉がいきなり遠ざかった。呆然としている間に俺を包んだのは、来生の両腕。
一瞬の間に俺は、木杉の胸の中にしまい込まれるみたいに抱きしめられていた。
「言ったよね。先輩の言うことで俺、怖がらないって。教えてくれないほうが怖いって。なのに、なんで謝るの」
耳の端で訴える木杉の声に、俺はますますわけがわからなくなる。
「そ、れ、だって、あの、どういう……」
「なんで、わかんないの!」
俺の体を抱きこむ両腕にぎゅっと力が籠った。
「俺だって期待しちゃってたから! 先輩が俺のこと、好きでいてくれるんじゃないかって……でも、俺みたいなのを先輩が好きになるわけなんてないのだってわかってた。だから、ずっと怖かった」
「それ……」
期待しちゃってた、と言ってくれた。好きでいてくれるんじゃないか、とも。
それは木杉も俺のことを想っていてくれている、ということ……?
震える手が、くらくらしている俺の背中をそうっと撫でる。
「好きになるって、こんなに怖いことだなんて俺、知らなかった、から」
……ああ。
滲んだ声に胸がきゅううっと締め付けられた。
……こいつも俺と同じだったんだ。
相手の気持ちがわからなくて。怖くて。前に進めなくて。自分のことを認められなくて。
俺の体を胸の中に押し込める腕の力は強いのに、触れるその手は恐る恐るで、なんだか無性に泣きたくなった。
でも、泣かない。
「俺みたいなのって言われていい人間じゃないよ、木杉は」
涙腺はもう決壊寸前だったけれど、泣く代わりに精一杯の思いを込めて笑った。
笑って、伝えたかった。伝えないといけないと思った。
「もっと大事にされていい人間。それはお前自身にもそう。だからもう言うなよ。俺みたいなのとか。絶対言っちゃだめ」
「でも俺、ひどいことたくさんしたんだよ。父親の恋人とキスしたり、好きでもない相手と付き合ったり。好きになれるか試したり。先輩とだって最初はそうだった。優しいけど俺のこと好きじゃない先輩だから、好きになってみたくて。引っ張り回して。そんなの」
木杉はまだまだなにかを言おうとしていたけれど、俺はそれを木杉の背中に腕を回すことで止めた。ふっと木杉が息を呑む。
「それがだめなことってお前が思うならもうしなきゃいいんじゃないの。やっちゃだめなことは確かに世の中にたくさんあるけど、やっちゃったことのせいでずっと俯いてないといけないのって俺はすごくしんどいと思う。そんなしんどい思い、木杉にはしてほしくないよ」
「先輩のこと、試したのに?」
木杉の背中はまだ震えている。その震えを止めたくて、俺は彼の背中をそうっと撫でる。
「うん。俺は木杉が好きだから、ただ笑っててほしい」
が、そこでいきなり胸から体が引き剥がされる。唐突過ぎて目を瞬く俺に向かって、木杉がゆっくりと首を振った。
「だめ」
「え、なにが……」
「好きって言っちゃだめ」
「なんで……?」
やっぱり嫌なのだろうか。不安が顔に滲んでいたのか、今度は勢いよくかぶりが振られた。両手が伸びてきて俺の肩をくっと掴む。
「俺が言いたいから。言わないとだめって思うから。だから、先輩少し黙って」



