この世界に確かなものなんてなにもない。あるとしたら自分のスキルだけ。
昔、なにかのドラマで聞いた、ドライで寂しい台詞。実際、そのドラマの主人公は、自分のスキルだけを信じてひとりで生き抜いていた。誰も信じず、誰とも笑いあわず。
俺はあのドラマの主人公ほど孤独じゃないとは思う。高校では友達らしい友達はできなかったけれど、母親だけとはいえ、家族がいる。なので、孤独という意味ではあのドラマの主人公ほどじゃない。ただ、スキルってやつが役に立つのが今の世の中の常識だとは知っていて、そのスキルを手っ取り早く身に着けられるこの学校をかなり気に入っている。
この学校、菊塚工業高等学校のことを。
菊塚は全国の工業高校の中でも科の種類が多くてちょっとした大学みたいだ。その多様な専攻科のひとつ、システムエンジニア養成科に俺は在籍している。
ここはものづくりに主軸を置いているので、ひとりでの活動が多い。ときにはグループ制作なんてのもあってそれは面倒だけれど、それはそれで与えられた役割を担う歯車になると思えばいいわけだからやりようはある。コミュ障の俺としては非常に居心地が良い。
はずだったのだけれど。
「エルダー制度……」
配られたプリントを見てげっそりしている俺の気持ちを置いてきぼりに、担任の野宮先生は白髪交じりの頭を掻きながら楽しげに説明を続けている。
「ものづくりってのがひとりでできるものじゃないってことは授業でもさんざん教えてるよな。特にシステムエンジニアってやつは言葉で進捗を伝えられる説明力や、クライアントの要望をしっかり掬い取るためのコミュニケーション能力だって必要になる。プロジェクトマネージャーを務めるとなれば、ワークフローの管理、エンジニアのキャパの把握といった対人に対するスキルだって不可欠だ」
「それだったらいつものグループ制作でいいじゃん。コミュ力、育つじゃん」
反発したのは、お調子者の原田進だ。な、な、と周りに同意を求めると、そうだよな、と賛同の声が上がった。
「なんで一年に指導なんて面倒なことしなきゃなんないわけ?」
「そうだよな。俺達、そんなのされたことないのに」
「しかも三か月間って! 長すぎっしょ。いつもの課題もこなしながらなんて地獄すぎ」
不満が石つぶてみたいに野宮先生へと一斉に投げられる。さすがにみんなと一緒になって叫んだりはしないけれど、俺もエアで反対の念を野宮先生へ送る。
野宮先生が反発を食らいまくりながら説明しているエルダー制度とは、三年生が一年生のアシストを受けながら、ふたり一組で作品制作を行うというカリキュラムらしい。主として動くのは俺達三年で、一年はあくまでアシスタント。とはいえ、一年は入学したばかり。技術はまだまだ未熟。そんな一年に指導をすることで俺達の知識の理解度も深くなるから、というのがこの制度の狙いらしいけれど……。
「それってさ、指導に時間がかかりまくったら作品の質も落ちて、成績に影響しない?」
しっかり者の伊藤淳が疑問をぶつける。ざわっと不穏なざわめきが湧き上がったが、ベテラン野宮教師はさすがだった。ぱんぱん、と手を叩いてあっさりと鎮める。
「心配するな。確かに多少点数はつけるが、今回のエルダー制度に関しては赤点とかそういうのは設けないから。作った作品は菊工祭に展示してもらう予定だし。ようするにこれは学校行事の一環。気楽にやんな~」
「はああ? なんでそんなことのために貴重な時間使わないといけないわけ」
「俺達、就活とか受験とかいろいろ忙しいんですけど~」
十月の頭に行われる菊工祭は、ものづくりを行っている学校だからこその展示が人気で、他校からの注目度も高い。俺も受験前、菊工祭の展示を見て、この学校に興味を持ったのだ。その展示物を今年は一年生とともに作れと言う。しかも今は六月下旬。七、八、九月作業するとして与えられた期間は三か月。うち一か月以上夏休みがあるから正味二か月。時間はないし、面倒臭いし、いいことなんてなにもない。
「先生、それ、自由参加ですよね、当然」
伊藤が詰め寄るが、野宮先生はあっさりと首を振った。
「んにゃ、強制参加」
「はああ? 民主主義は死んだのか! こんなに反対者がいるのに!」
天を仰ぐ生徒達を、野宮先生は動揺なんて微塵もない顔で見回してにやりと笑う。
「わかってないな。そもそも民主主義ってのは多数決って意味じゃない。国民ひとりひとりが助け合い、少数の意見も掬い上げながら国を作っていくってことだ。つまり、自分達だけが良ければいいというものじゃない。後輩も育ててしっかりやっていくってのもまた民主主義だ。いや、これはちょっと強引か」
あはは、と野宮先生は笑う。けれどこちらとしては笑いごとじゃなかった。
後輩を育てる? そんなこと、俺には難易度が高すぎる。
今だって同じクラスに友達のひとりもいないのだ。その俺が面識のひとつもない後輩とみっちり顔を突き合わせて指導する?
無理だ、無理。第一、俺と組まされる後輩が可哀想だ。
「ってかいいんじゃね? 適当に自分で作っちゃって後輩のこと放っておいてもさあ」
誰かがぼそりと言う声を耳が拾う。なるほど! それもありか、と俺は内心手を叩く。しかし、それが聞こえたみたいなタイミングで野宮先生がくぎを刺してきた。
「あ、作品に得点はつけないけど、一年にお前達のレクチャーがどうだったかレポートを出してもらうから。んで、そのレポートで評価点はつけるから」
「はああああ?!」
クラス全員で怒りの大合唱をする。俺も心中で拳を突き上げる。
冗談じゃない。そんなの組む後輩によって評価が大きく変わっちゃうじゃないか。
「先生、それはさすがに……」
「大丈夫大丈夫。レポートだけを鵜呑みにはしないから。先生はいつだってお前達のこと見てる。安心しな。真面目にやっていればなーんにも問題ないから。まあ、適当にやるとどうなるかわかんないけど」
野宮先生は普段は優しいけれど、怒らせるとやばそうな臭いがぷんぷんする。さすがにこれ以上騒ぐのは得策ではないと判断したのか、教室内に充満していた不満の熱が一気に下がる。囁きかわす程度の音量になったざわめきに満足そうな顔をしながら、先生は咳払いした。
「ってことで、次の授業で顔合わせな。合同実習室に移動ってことで。ちなみにうちのクラスは一年B組との合同になります」
「一Bってちょっと待った」
再びざわつく。なんだろう。首を傾げる俺の耳に声が飛び込んできた。
「それってあれだろ、木杉夏緒がいるとこじゃねえの?」
「木杉ってあいつ? あの異次元のイケメン? ほえー、噂には聞いてたけど、そんな騒ぐ話?」
「呑気なこと言ってんなよ。あいつ結構やばいらしいよ。もてすぎて台風の目って言われてんの。うち女子少ないけどその女子のほとんどがあいつの信者で、あいつの歩くところ、修羅場の嵐。屍累々。他校の女子も巻き込んで大乱闘とか聞いたことあるし。ちょっと話しただけであいつのファンに嫌がらせされて再起不能にされるとかなんとか」
「げ。そんなやつと組むの面倒臭そう……」
「どうか俺の相手、木杉じゃありませんように!」
聞こえてくる噂話に俺は顔をしかめる。
木杉夏緒。遠目に見たことはある。すらっと背が高くて頭が小さい。モデル体型に似合いの涼しい面立ちで、確かにイケメンだなあとは思った。けれどだからといって、話もしないで恐れ戦くのはどうだろうか。
高校に入ったばかりで、そんな変な噂を立てられて遠巻きにされるなんて、気の毒だ。
……とは思うけれど、そんな注目度高いやつと組むのは、できれば俺も遠慮したい。
「さっき配ったプリントの裏にペアになる一年の名前が書いてある。各自確認しておけよ」
呑気な声に促され、プリントを裏返す音が教室のあちこちから響く。それに従って俺もプリントをひっくり返し……固まった。
上原瑞記の名前の横にある名前、それは、木杉夏緒、と読めた。
昔、なにかのドラマで聞いた、ドライで寂しい台詞。実際、そのドラマの主人公は、自分のスキルだけを信じてひとりで生き抜いていた。誰も信じず、誰とも笑いあわず。
俺はあのドラマの主人公ほど孤独じゃないとは思う。高校では友達らしい友達はできなかったけれど、母親だけとはいえ、家族がいる。なので、孤独という意味ではあのドラマの主人公ほどじゃない。ただ、スキルってやつが役に立つのが今の世の中の常識だとは知っていて、そのスキルを手っ取り早く身に着けられるこの学校をかなり気に入っている。
この学校、菊塚工業高等学校のことを。
菊塚は全国の工業高校の中でも科の種類が多くてちょっとした大学みたいだ。その多様な専攻科のひとつ、システムエンジニア養成科に俺は在籍している。
ここはものづくりに主軸を置いているので、ひとりでの活動が多い。ときにはグループ制作なんてのもあってそれは面倒だけれど、それはそれで与えられた役割を担う歯車になると思えばいいわけだからやりようはある。コミュ障の俺としては非常に居心地が良い。
はずだったのだけれど。
「エルダー制度……」
配られたプリントを見てげっそりしている俺の気持ちを置いてきぼりに、担任の野宮先生は白髪交じりの頭を掻きながら楽しげに説明を続けている。
「ものづくりってのがひとりでできるものじゃないってことは授業でもさんざん教えてるよな。特にシステムエンジニアってやつは言葉で進捗を伝えられる説明力や、クライアントの要望をしっかり掬い取るためのコミュニケーション能力だって必要になる。プロジェクトマネージャーを務めるとなれば、ワークフローの管理、エンジニアのキャパの把握といった対人に対するスキルだって不可欠だ」
「それだったらいつものグループ制作でいいじゃん。コミュ力、育つじゃん」
反発したのは、お調子者の原田進だ。な、な、と周りに同意を求めると、そうだよな、と賛同の声が上がった。
「なんで一年に指導なんて面倒なことしなきゃなんないわけ?」
「そうだよな。俺達、そんなのされたことないのに」
「しかも三か月間って! 長すぎっしょ。いつもの課題もこなしながらなんて地獄すぎ」
不満が石つぶてみたいに野宮先生へと一斉に投げられる。さすがにみんなと一緒になって叫んだりはしないけれど、俺もエアで反対の念を野宮先生へ送る。
野宮先生が反発を食らいまくりながら説明しているエルダー制度とは、三年生が一年生のアシストを受けながら、ふたり一組で作品制作を行うというカリキュラムらしい。主として動くのは俺達三年で、一年はあくまでアシスタント。とはいえ、一年は入学したばかり。技術はまだまだ未熟。そんな一年に指導をすることで俺達の知識の理解度も深くなるから、というのがこの制度の狙いらしいけれど……。
「それってさ、指導に時間がかかりまくったら作品の質も落ちて、成績に影響しない?」
しっかり者の伊藤淳が疑問をぶつける。ざわっと不穏なざわめきが湧き上がったが、ベテラン野宮教師はさすがだった。ぱんぱん、と手を叩いてあっさりと鎮める。
「心配するな。確かに多少点数はつけるが、今回のエルダー制度に関しては赤点とかそういうのは設けないから。作った作品は菊工祭に展示してもらう予定だし。ようするにこれは学校行事の一環。気楽にやんな~」
「はああ? なんでそんなことのために貴重な時間使わないといけないわけ」
「俺達、就活とか受験とかいろいろ忙しいんですけど~」
十月の頭に行われる菊工祭は、ものづくりを行っている学校だからこその展示が人気で、他校からの注目度も高い。俺も受験前、菊工祭の展示を見て、この学校に興味を持ったのだ。その展示物を今年は一年生とともに作れと言う。しかも今は六月下旬。七、八、九月作業するとして与えられた期間は三か月。うち一か月以上夏休みがあるから正味二か月。時間はないし、面倒臭いし、いいことなんてなにもない。
「先生、それ、自由参加ですよね、当然」
伊藤が詰め寄るが、野宮先生はあっさりと首を振った。
「んにゃ、強制参加」
「はああ? 民主主義は死んだのか! こんなに反対者がいるのに!」
天を仰ぐ生徒達を、野宮先生は動揺なんて微塵もない顔で見回してにやりと笑う。
「わかってないな。そもそも民主主義ってのは多数決って意味じゃない。国民ひとりひとりが助け合い、少数の意見も掬い上げながら国を作っていくってことだ。つまり、自分達だけが良ければいいというものじゃない。後輩も育ててしっかりやっていくってのもまた民主主義だ。いや、これはちょっと強引か」
あはは、と野宮先生は笑う。けれどこちらとしては笑いごとじゃなかった。
後輩を育てる? そんなこと、俺には難易度が高すぎる。
今だって同じクラスに友達のひとりもいないのだ。その俺が面識のひとつもない後輩とみっちり顔を突き合わせて指導する?
無理だ、無理。第一、俺と組まされる後輩が可哀想だ。
「ってかいいんじゃね? 適当に自分で作っちゃって後輩のこと放っておいてもさあ」
誰かがぼそりと言う声を耳が拾う。なるほど! それもありか、と俺は内心手を叩く。しかし、それが聞こえたみたいなタイミングで野宮先生がくぎを刺してきた。
「あ、作品に得点はつけないけど、一年にお前達のレクチャーがどうだったかレポートを出してもらうから。んで、そのレポートで評価点はつけるから」
「はああああ?!」
クラス全員で怒りの大合唱をする。俺も心中で拳を突き上げる。
冗談じゃない。そんなの組む後輩によって評価が大きく変わっちゃうじゃないか。
「先生、それはさすがに……」
「大丈夫大丈夫。レポートだけを鵜呑みにはしないから。先生はいつだってお前達のこと見てる。安心しな。真面目にやっていればなーんにも問題ないから。まあ、適当にやるとどうなるかわかんないけど」
野宮先生は普段は優しいけれど、怒らせるとやばそうな臭いがぷんぷんする。さすがにこれ以上騒ぐのは得策ではないと判断したのか、教室内に充満していた不満の熱が一気に下がる。囁きかわす程度の音量になったざわめきに満足そうな顔をしながら、先生は咳払いした。
「ってことで、次の授業で顔合わせな。合同実習室に移動ってことで。ちなみにうちのクラスは一年B組との合同になります」
「一Bってちょっと待った」
再びざわつく。なんだろう。首を傾げる俺の耳に声が飛び込んできた。
「それってあれだろ、木杉夏緒がいるとこじゃねえの?」
「木杉ってあいつ? あの異次元のイケメン? ほえー、噂には聞いてたけど、そんな騒ぐ話?」
「呑気なこと言ってんなよ。あいつ結構やばいらしいよ。もてすぎて台風の目って言われてんの。うち女子少ないけどその女子のほとんどがあいつの信者で、あいつの歩くところ、修羅場の嵐。屍累々。他校の女子も巻き込んで大乱闘とか聞いたことあるし。ちょっと話しただけであいつのファンに嫌がらせされて再起不能にされるとかなんとか」
「げ。そんなやつと組むの面倒臭そう……」
「どうか俺の相手、木杉じゃありませんように!」
聞こえてくる噂話に俺は顔をしかめる。
木杉夏緒。遠目に見たことはある。すらっと背が高くて頭が小さい。モデル体型に似合いの涼しい面立ちで、確かにイケメンだなあとは思った。けれどだからといって、話もしないで恐れ戦くのはどうだろうか。
高校に入ったばかりで、そんな変な噂を立てられて遠巻きにされるなんて、気の毒だ。
……とは思うけれど、そんな注目度高いやつと組むのは、できれば俺も遠慮したい。
「さっき配ったプリントの裏にペアになる一年の名前が書いてある。各自確認しておけよ」
呑気な声に促され、プリントを裏返す音が教室のあちこちから響く。それに従って俺もプリントをひっくり返し……固まった。
上原瑞記の名前の横にある名前、それは、木杉夏緒、と読めた。



