進入禁止の彼~好きになったら終わりなのに~

「なかなか面白いね。これ」
 顎を撫でながら担任の野宮先生はモニターに目を凝らす。先生の視線の先で、フリー素材で拾ったあひるのキャラクターが口をぱくぱくしながらこちらを見返している。
「マイクで好きな言葉を言うと、その声色から感情を把握し、その人に今、響きそうな言葉をあひるが伝えてくれる、か。いいねえこの仕様。癒されるねえ。どれ、テストしましょうか」
 ふむふむと頷き、野宮先生はパソコンに装着されたマイクセットを頭に着ける。おもむろに咳払いをし、言葉を放つ。
「禁煙」
『少し疲れてるみたい。無理せずほどほどに続けてね』
「おー! すごい!」
 モニターに表示された文章を見て野宮先生が歓声を上げた。
「これテキスト感情認識もしてるってこと?」
「いや……たまたまですね。音声だけしか作れなくて。ただテスト的にテキストでもちょっと作ってはみたんで、多少は認識しますけど、精度はちょっと……」
「そっかあ。しかしまあ、短い期間でよく頑張ったねえ。これで完成だよね。よかったよか……あ、そういや、これ、名前どうするの?」
 よかった。野宮先生からオッケーが出ないと菊工祭に出せない。その最終チェックも今日で終わり。これで安心、と思っていた俺は、突然問われてきょとんとしてしまった。
「名前、ですか?」
「いるだろ、名前。まあ、作品名考えるの面倒ってんなら『上原一号』とかでも全然問題ないけど」
「……それは、ちょっと」
 さすがにその名前をつけて展示するのは嫌だ。特急電車の名前みたいだし。
「あー、でもこれ、エルダーで作ってるから、上原くんの名前だけってのもなにか。相方は……ああ、木杉くん。じゃあ、『うえきす』とかはどう? 上原くんのうえと木杉くんのきすで」
「……それも、ちょっと」
 曖昧ながらも拒否を示すと、じゃあまた思いついたら教えて~、とのどかな声で言いながら野宮先生は去っていった。うえきすをゴリ押しされなくてよかった、とほっとしつつ、俺は椅子に腰を下ろす。
 菊工祭まで残り三日だからか、校内の至るところで人声がしていて、PCルームにも怒号が飛び交っている。エルダーでチームを組んだ生徒の姿も見える。
 ただそこに木杉の姿はない。
 あれ以来、木杉とは顔を合わせていない。もともとプログラムは俺が組んでいたし、木杉には手が回らない部分をまとめてお願いするという完全分業スタイルで作業を進めていたから、四六時中顔を突き合わせる必要はないのだ。だからこれは少しも不自然なことじゃない。
 ないのに、俺だけがまだ木杉を待ってしまっている。
 来いとは言っていない。だから来るわけなんてない。それでもPCルームで最後の仕上げをしながらも、動作確認のためにノートパソコン片手に化学室でテストをしながらも、木杉がひょっこり顔を出すのではないかと期待してしまっていた。
 けれど、そんな俺の期待を嘲笑うように開く扉の向こうにいる相手はいつだって木杉じゃない。
 まあ、それも仕方ないことなのかもしれない。
 だってあいつは、俺とこれ以上一緒にいたら怖い、と言ったのだから。
 つまり、あいつにとって俺のあいつへの好意は怖いものだったということ。
 自分を好きになる人間なんて好きにならない、とまで言うやつだったし、人からの好意全般があいつにとってみれば恐怖と紙一重だったのだろう。それはわかっている。
 でも、あいつは人を求めていた。求めて、好きになりたい、と願っていた。
 だからこそ、つらい。
 ――先輩に、決めました。
「俺になんて、決めなければよかったのにな、あいつ」
 そうしたら、怖い思いなんてせずに済んだろうに。
 好きになってごめん、と言ってしまいたかった。でも……それも言えなかった。
 これ以上、怖がらせたくなんてなかった。
 祭りの準備で校内はますます盛り上がっている。そのざわめきはやはり胸を苦しくさせる。これくらいの人混みなら卒倒することはないと思うけれど、なにがトリガーになるかわからない。大事を取ってそろそろ帰ろうと鞄を持って校舎を出ると、怖いくらいの夕日が正面から来た。
「赤……」
「ほんと、真っ赤」
 昇降口を出たところで呟いた俺の声に誰かの声が重なる。
 まさか声が戻ってくると思っていなくてぎょっとする。声の主を確認して俺は二度、驚いた。
 ぼさぼさ髪に細い手足の……宮下だった。
「なに」
 サイズ感がおかしい大きな眼鏡が夕日に光る。その奥の目を、俺は思わずまじまじと見てしまった。
「あ、いや、だって」
 しゃべってるから、と言っていいのだろうか。いや、だめだろう。さすがにそんなのはよくない。
 でも同じクラスだったときは本当にただの一度も口を開かなかったのに。
 一体、なにがどうなって話しかけてこようと思ったのだろう。気になるけれど、今、考えるべきは、宮下に対してどう返事をするのが正解かだ。
「その、夕日、やばいね」
 さんざん悩んで出たのは、こんにちはに対してこんにちはと返すくらいの、つまらなすぎる返事だった。宮下もそう思ったのだろうか。俺がそう言ったとたん、眉間にすっとしわが寄った。
「なにそれ。言いたいことあるなら言えば?」
「は……」
 わざわざ、しゃべれたんだね、なんて言うのはどうかと思って気を使ったというのに、こいつのこの態度はなんなのだろう。なんかこの感じ……。
 ――先輩と話すと呪われるとかなんですか?
 初期の木杉みたいだ。
 失礼で、人を馬鹿にするみたいな言い方をして。あえて嫌われようとしているみたいな、そんな。
 黙り込んだ俺を、宮下はだるそうに見つめている。そうされて、変な黙り方をしてしまったとわずかに焦る。
「なあんだ。木杉と一緒にいること多いから、あいつみたいに距離感独特なのかと思ってたのに」
 が、苦笑いして沈黙を破ったのは、宮下のほうだった。
「仲良くてもタイプ全然違うね」
「仲良くって。エルダー、一緒なだけだから。どちらかといえば、宮下のほうが仲いいんじゃないの」
 急に木杉の名前が出て動揺したせいもあるが、なんだかねちっこい言い方をしてしまった。これはさすがにおかしい。
「あ、いや、えと、ごめん、その」
 慌てたが、宮下は特段気にも留めていないようだった。ただ、うーん、と唸って後ろ頭をがりがりと搔いている。
「それこそ仲良くはないんじゃない? まあ、話してやってもいいかなって思う程度には面白いやつだと思うから話してるだけ。だってさ、あいつ変じゃない? 普通、俺には話しかけてこないと思うんだよ。俺、一、二年にもそれなりに有名だって自覚はあるから」
 ……どんな自覚だよ。
 少し呆れたけれど、俺は黙っていた。宮下はだらだらとした足取りで昇降口を出て、校門へと向かいながら口を動かし続けている。
「まあ、こっちの境界を侵してくるわけでもないから放っておいてるけど。でもなんだろ、上原にはべったりだよな。あそこまでくっつかれたらさすがに俺は面倒だから貝になるけど」
 そうだろうか。宮下のことを木杉は、面白い、と言っていた。俺じゃなくてもきっと木杉はよかったはずなのだ。
 事実、宮下と一緒にいる木杉は楽しそうだった。
 交差点の向こう、笑いあっていたふたりがふっと脳裏を過ぎる。
「夏休みにさ」
「え」
 まさに今、夏休みの一コマを思い出している俺の横で宮下が発した、夏休み、というワードに知らず体が跳ねる。宮下はそんな俺には頓着せず、ゆらゆらと学校前の長い坂道を下りながら、真っ赤な空を見上げている。
「お前達、一緒にいたじゃん。上原は浴衣着てて。で、おー、浴衣かー、くらいの気持ちで俺、お前のほう見てたの。そしたら木杉になんかすごい目で睨まれて、宮下先輩も素敵だと思いますよね! とか圧強めに訊かれてさあ。なんて答えたか忘れたけど、うわ、こいつ俺に上原と話してほしくないのか、って思ったら面白くなっちゃって」
 木杉、が?
 いやいや、あり得ない。宮下に圧なんて木杉がかけるわけがない。こいつ、なに言ってんだ?
「面白くってなに? 茶化したいとか、そういう話?」
 反発心から声を尖らせると、宮下は眼鏡の奥でぱちぱちと瞬きをしてから肩をすくめた。
「茶化さないよ。ただ、こいつにも執着心あるんだって驚いただけ」
「執着心?」
「ないじゃん。あいつ。好奇心はあるほうだし、俺の話す話とかには興味持つけど、人に執着ない。ってかさ、上原は俺の声、どう思う?」
 突然すぎる問いだったけれど、宮下がそう訊いてきた理由が俺には少しわかった気がした。なぜならずっと思っていたからだ。夏休みに会って、初めて宮下の声を聞いてから、ずっと。
 宮下の声は……俺と同い年にしてはあまりにも高く、女性のもののように聞こえたから。
「俺がさ、学校で話をしないの、この声のせいなんだよな。声変わりあんまなくて、高いまんまで。それ、からかわれることも多くて。だから面倒で黙ってた。木杉とも話すつもりなかったんだけど、うっかり声出しちゃってからもあいつ、あっそう、くらいで。うわ、こいつ人にまったく興味ないんだな~って呆れた」
「……ああ」
 あいつなら、そうするかもしれない。
 好奇心が強いからなんにでもどんどん食らいついていくし、遠慮もないから思ったことをなんでも言う。
 でも……その人にとって傷になっている部分には決して触れない。触れずにありのままで接してくれる。
 俺が人混みに尻込みしてしまったときも、笑わずにそばにいてくれた。
 それはきっと……あいつ自身、触れられるのが嫌だと思う部分があったから。
 進入禁止のアイコンがふっと目の前を過ぎった。
「上原もそういうとこ、あるよな」
 が、突然宮下にそう水を向けられ思考が破れる。宮下の相変わらずなにを考えているかわからない顔がこちらに向けられていた。
「去年、同じクラスの中島がさ、なんか他校の女子にストーカーしたとか噂になったことあったの、覚えてない? 結局、元カノが勝手に流した噂で根も葉もなかったらしいけど」
「あー、あったね」
 確かに二年のとき、そんな噂が出回った。そのせいで中島は一時期孤立無援の状態になり、登校しなくなった。今では元気に学校に来ているけれど、あのときのクラスの雰囲気はこちらまで胸が悪くなるものだった。
 ただ……俺としては騒ぎ立てる周りを軽蔑しながらも、自分自身も同罪だと思っていた。
 だって、俺はなにもしなかったから。中島が傷ついているのがわかっていたのに、話しかけもしないで傍観してしまったのだから。
「あのときさ、思ってた。こいつは少し他のやつと違うなって。人の気持ち、わかるやつなんだなって」
 なのに、宮下が言ったのは、俺の思いとは真逆の言葉だった。
「え、どこが? だって俺、中島になにもしてやらなかった」
「いや、してたよね。お前だけじゃん。掃除当番のとき、みんなに無視されてひとりで当番やらされてた中島のこと手伝ったの。かっこよくみんなの前で庇うことだって救うことだろうけど、普段と変わらない態度で接することだって救うことじゃないの? そういうの俺はいいと思ったし、そんなお前だから話してみたいとは思ってたよ……木杉もさ」
 ぶらぶらと歩きながら宮下はのんびりと続ける。
「人に興味ないくせに、結構人、見てる。だから、お前みたいに人のことちゃんと見られるやつの前だと、安心して甘えられるのかもなあ」
 じゃあ俺、こっちだから、と駅前で宮下は俺に手を振ってきた。マイペース極まりない態度に少しだけ苦笑してしまう。
 けれどそうしながらも俺は、宮下が残した言葉にひどく混乱してもいた。
 ――お前みたいに人のことちゃんと見られるやつの前だと、安心して甘えられるのかもなあ。
 俺は宮下が言ってくれるほどいいやつじゃない。
 木杉の気持ちにだってなにも寄り添えていない。
 だから、あいつが俺に甘えるなんてこと、あるわけがない。
 ないけれど、強く思う。宮下の言う通りだったら、どれほどよかっただろうと。
 だってあいつは、あまりにも苦しそうだったから。
 握った拳を震わせることしかできなくて。誰にも頼れなくて。とても、寂しそうだったから。
 あの夏の日、俺を抱きしめながらも震えていたあいつを思い出して、俺は唇を噛む。
「好きにならなきゃよかったな」
 そうしたら……もっと甘えさせてやれたのかもしれないのに。
 ゆっくりと歩を進めると、団地前の坂道に辿り着いた。あの日、木杉とひとつの傘に入って歩いた、あの場所だ。
 坂の下では夕日が燃え、空全部を抱きしめるみたいに赤が広がっている。
 その鮮やかすぎる赤が、息が止まるくらい綺麗で、気が付いたら俺の手は、スマホを構えていた。
 画面越しだと目だけで見た光景とはやっぱり違う。けれど俺の指は撮影ボタンを押していた。押して、それを木杉に送っていた。
 美しい景色を共有したい、そんな想いだけだったからメッセージもつけなかった。
 返事は当然こなかった。ただひっそりとついた既読に、安堵と焦りと両方を感じながら、俺はその画面を眺め続けた。