1話 推し参上!

 本来なら学校が休みで、穏やかなはずの土曜日の今日。
 家の中は朝からバタバタと慌ただしかった。
 さかのぼること数時間前、朝食を食べていた時のこと……
「あ、今日、日奈子(ひなこ)さんたち来る日だ」
 と唐突に父から告げられた事実に、俺・竹内尚斗(たけうちなおと)は口をあんぐり開けてあほ面を晒す羽目になった。
 日奈子さんとは、父・浩人(ひろと)の再婚相手で、近々スケジュール調整をして俺たちの家に越してくることになっていた。
 それが今日だと、当日の朝に知らされれば、誰だって同じ反応をすると思う。
「はぁっ?! 今日って、どういうこと! なんでもっと早く言わないんだよ! 掃除も片づけもなにもやってないじゃん!」
「それは日奈子さんが、一緒にやればいいって言ってくれたから」
 にへら、と人好きのする父の笑顔に、俺はがっくりと肩を落として溜息を吐く。
 こういうことは、今に始まったことではない。
 俺の父はよく言えば天然、悪く言えば抜けている性格で、昔から振り回されっぱなしだった。
 あぁ、ちゃんと確認をしなかった俺が悪いな、これは。
 もう17年来の付き合いなんだから、いい加減学習しろ、俺。
 言いたいことと一緒に残りの朝食を飲み込んで、すぐさま掃除に取り掛かった。

 そうしてドタバタと片づけと掃除に明け暮れていれば、あっという間に約束の時間になり、
 ――ピーンポーン
 と来客を知らせるインターフォンが鳴った。
「父さん! 来たんじゃない!?」
 トイレ掃除をしている父に声をかけるが「尚斗、出てくれるー?」なんて呑気な声が返ってくる。
 日奈子さんとは、これまでに数回、食事に行っているから初対面じゃない。
「だけどさぁ……」
 そんな数回の食事で打ち解けるはずもなく、気まずさはなくならない。
 別に人見知りってわけでもないけど、コミュ力おばけでもない俺は、しぶしぶ玄関に向かった。
 これ以上待たせるのも悪いし。仕方ない。
 ドアを開ければ、父にはもったいないくらいの美人が立っていた。
「尚斗くん、こんにちは!」
「こんにちは、日奈子さん……と――」
 そして俺は、彼女の隣に立っているであろう人物を迎え入れるためにドアをさらに開ける。彼女には、俺の一つ下の息子・颯(はやて)くんがいるのだ。彼とは、これまで予定が合わなくて会ったことはなかった。
 小柄な日奈子さんの頭二つ分も大きな長身が現れ、ゆっくりと見上げた俺は絶句する。
 なぜなら、そこに立っていたのは、まごうことなき俺の「推し(・・)」だったから。
「尚斗くんとは初めましてよね。息子の颯です。よろしくね。ほら、颯も挨拶して」
「颯です」
 初めて見る生身の推しと、初めて聞く生声に、全身が震える。全身の細胞という細胞が悲鳴を上げている。
 ――推しが、動いて喋った……!
「え……うそ……」
 本物?
 幻覚?
 え、今、どういう状況? あ、夢?
 俺の頭は混乱を極め、オーバーヒート。
 固まる俺に、推しはちょっとだけ目を眇める。
「ちっさ。それに年上に見えねぇ」
 そのセリフに俺は頭に手をやる。
 掃除をするのに邪魔な前髪をピンで止めたままだった……!
 慌ててそれを外して、目を隠す。
「颯!」
「こ、こう見えて高三! 年上!」
 低身長で童顔な俺は、どうしたって実年齢より下に見られてしまう。それが俺は嫌で嫌で仕方ない。
 コンプレックスを面と向かって指摘され、思わず声を張り上げてしまった。
 大好きな推しが目の前に現れた驚きと、嬉しさと恥ずかしさと、推しの視界に入ってしまい恐れ多いのと、中学生と言われてむかつくのと、もう感情の寄せ鍋状態。
「見えねぇ」
 雑誌で見るイメージと、目の前のそっけない態度の推しが一致しない!
 だけど、そんな推しもまたよき!
 これが世にいうギャップ萌え?
 な、なんなんだこの世界線は!
 ある日突然推しが目の前に現れるなんて、夢みたいなラブコメみたいな展開についていけず、頭がぼーっとしてくる。
「な、尚斗くん?! は、鼻血出てる! ちょっと、大丈夫!?」
「え……」
 言われて手をやると、ぬるりと温かい液体に触れた。
「だ、大丈夫……じゃないかも――」