10話 推しだからじゃない
顔を掴んでいた颯くんの手が緩み、顔が離れていく。
それを寂しいと思う余裕もないほどに、颯くんの言葉に衝撃を食らった。
「な、んで……」
それを、知ってるんだ……。
え、ファンだって、気付かれてた? いつから?
さっきまでの状況にだってまだ頭が追い付いていないのに、さらに告げられたそれに混乱を極める。
「俺が推しだから、俺がしたいことはなんでもさせてくれるの?」
「ち、違う! ――あ、いや、推しなのは、本当だけど……、ってそうじゃなくて……」
言いたいことと訊きたいことがありすぎて、考えがまとまらない。
深呼吸をひとつして、まず謝るところから始めようと腹をくくった。
「――ファンだって、黙ってて、ごめん……。嫌な気持ちにさせたよね……」
「そんなの気にしてない。黙ってたのは、俺も同じだから」
颯くんはベッド横のチェストに手を伸ばし、引き出しから紙の束を掴んだ。
なんとなく見覚えのあるそれに、俺はぎょっと目を見開く。
「尚斗くんが、ショウくんなんだよね」
「どう、して、それを……」
颯くんが手に持っているのは、俺が毎月送っている颯くん宛てのファンレター。
尚の字の音読みで「ショウ」って名乗っていたから、バレるはずないと思ってたのに。知らぬうちに特定されるようなことを書いてしまっていたのだろうか。
「ファンレターにいつも俺のイラスト描いてくれてたじゃん」
「う、うん」
趣味のイラストで、その号のお気に入りのカットの颯くんをデフォルメして描くのがお決まりだった。
「借りたこれにね、同じのあった」
と、テーブルの上から手に取ったのは、俺が貸した数学のノート。
「あっ!」
――俺のアホ……!
ノートを貸してほしいと言われたとき、役に立てる嬉しさに浮かれてイラストのことにまで頭が回らなかったんだ……。
え、え、えぇ……。
すんごい前にバレてたんじゃん……。
「いつ教えてくれるのかなって、ずっと待ってたんだよ」
「本当……ごめん……。ファンと家族になるなんて、颯くんを怖がらせちゃうかもって思って、言えなかった……」
「尚斗くんのことだから、そんなことだろうと思ってた」
騙してたようなものなのに、颯くんは怒ることなく、優しい笑みを浮かべている。
「――俺ね、高校に上がった頃、仕事が上手くいかなかったり学校との両立に苦戦したりして、モデル辞めようかなって本気で悩んでたときがあったんだけど……」
颯くんは自嘲しながら、静かに続ける。
「ちょうどそのときに、ショウくんからのファンレターが初めて届いて……。こんな俺でも誰かの勇気になれてるんだって知って励まされて、俺ももう少し頑張ってみようって思えたんだ。今の俺があるのは、尚斗くんのおかげなんだよ」
初めてのファンレターの内容は、今でも鮮明に覚えている。
見た目で悩んでた俺が手にした雑誌には、颯くんのインタビューが載っていた。
――例えコンプレックスがあっても、それはちょっと隅っこに置いておいて、とりあえず自分の好きな服を着てみてほしいです。そうすれば気分も上がるじゃないですか。そういう内面って、その人を輝かせてくれると思うんです。それがその人の魅力につながるって、俺は思ってます。
見た目を良く見せようと必死だった俺は、颯くんのこの言葉に腹落ちして。見た目ばかりにこだわって無理に頑張る必要もないのか、って思えて心がすごく軽くなった。
まぁ、結果的に顔を隠して自衛するって方向にいってしまったんだけど。
それでも、救われたのはまぎれもない事実で、感謝の気持ちを伝えたくて人生で初めてファンレターなるものをしたためたのだった。
ただただ、感謝の気持ちを書き記した記憶しかないけど……。
それが、まさか颯くんを励ましになっていたなんて、信じられない。
「だから、尚斗くんがショウくんだって知ったときは、本当に驚いた。こんな偶然ある?って」
そりゃそうだ。
俺だって、推しが家にやってきたときは、驚いた。
「初対面ですげー嫌な態度とったじゃん、俺」
「え、あ、ま、まぁ……」
「あれ、言い訳させてもらうと、母さんバツ三で、毎回しょうもない男に当たってすぐ別れるのが落ちで……。今回もどうせ長続きしないだろうから関係なんか作るだけ無駄って思って、あの態度だった――本当、ごめん」
「あれは、気にしてないって何度も……」
「うん、そのあとすぐに尚斗くんがショウくんって知って、俺、めちゃくちゃ後悔したんだよ。俺の手のひら返しにも、尚斗くんは怒ることなく受け入れてくれて……本当、ファンレターのショウくんの優しいイメージそのまんまで……、どんどん好きになった」
「え……?」
推しの口から出たあり得ない台詞に、全身が石化したみたいに固まった。
――好きになった?
誰が、誰を?
確かめたいのに、口が思うように動かない。
「優しい尚斗くんにつけこんで、手つないだり抱きしめたり、挙句キスしようとして、ごめん。尚斗くんも、俺が推しだからって、なんでもかんでも許しちゃだめだよ。勘違いしちゃうから」
「――か、勘違いじゃないよ……! 俺だって、颯くんのことが、好きだから! だからさっきも避けなかった! 颯くんは俺の推しだけど、キ、キスしてほしいって思ったのは、推しだからじゃない、颯くんだから!」
さっきから言いたかったことを、俺はひと息に言い切った。
「最初はっ、颯くんが推しだから、手つなぎもハグもされるがままだったけど……。でも、俺、ファン失格だ……、颯くんが綺麗な女の人と一緒にいるとこ見て……颯くんの幸せを喜べなかった……。颯くんを独り占めしたいって、思っちゃっ――」
息ができないほどに、強く抱きしめられた。
「ホントに? たぶんその人、マネージャーだ……。尚斗くん焼きもち焼いてくれたの?」
切なげな、でも喜びを秘めた声が体を伝って俺の全身を震わせる。
「そうだよ……、彼女かなって思ったら、胸が痛くなって……それで、俺……、颯くんのこと好きなんだって……。颯くんこそ、冗談じゃない、よね……?」
颯くんの言動のすべてが、それが真実だって俺に伝えてくれるけど、まだ信じられなくて確かめずにはいられない。
「嘘でも冗談でもない。尚斗くんが好きだよ。大好きだよ。――どうしたら信じてくれる?」
颯くんは、また俺の顔を大きな手で優しく包み込んで、その黒い瞳に俺を閉じ込めた。
――ずるい。わかってるくせに。
さっきとはちがう、嬉しそうな顔を俺は恨めし気に見つめた後、羞恥心をかなぐり捨てて懇願する。
「さっきのつづき、して――」
ぎゅっと目を瞑りきる前に、唇に優しい熱が重ねられた。
fin.
顔を掴んでいた颯くんの手が緩み、顔が離れていく。
それを寂しいと思う余裕もないほどに、颯くんの言葉に衝撃を食らった。
「な、んで……」
それを、知ってるんだ……。
え、ファンだって、気付かれてた? いつから?
さっきまでの状況にだってまだ頭が追い付いていないのに、さらに告げられたそれに混乱を極める。
「俺が推しだから、俺がしたいことはなんでもさせてくれるの?」
「ち、違う! ――あ、いや、推しなのは、本当だけど……、ってそうじゃなくて……」
言いたいことと訊きたいことがありすぎて、考えがまとまらない。
深呼吸をひとつして、まず謝るところから始めようと腹をくくった。
「――ファンだって、黙ってて、ごめん……。嫌な気持ちにさせたよね……」
「そんなの気にしてない。黙ってたのは、俺も同じだから」
颯くんはベッド横のチェストに手を伸ばし、引き出しから紙の束を掴んだ。
なんとなく見覚えのあるそれに、俺はぎょっと目を見開く。
「尚斗くんが、ショウくんなんだよね」
「どう、して、それを……」
颯くんが手に持っているのは、俺が毎月送っている颯くん宛てのファンレター。
尚の字の音読みで「ショウ」って名乗っていたから、バレるはずないと思ってたのに。知らぬうちに特定されるようなことを書いてしまっていたのだろうか。
「ファンレターにいつも俺のイラスト描いてくれてたじゃん」
「う、うん」
趣味のイラストで、その号のお気に入りのカットの颯くんをデフォルメして描くのがお決まりだった。
「借りたこれにね、同じのあった」
と、テーブルの上から手に取ったのは、俺が貸した数学のノート。
「あっ!」
――俺のアホ……!
ノートを貸してほしいと言われたとき、役に立てる嬉しさに浮かれてイラストのことにまで頭が回らなかったんだ……。
え、え、えぇ……。
すんごい前にバレてたんじゃん……。
「いつ教えてくれるのかなって、ずっと待ってたんだよ」
「本当……ごめん……。ファンと家族になるなんて、颯くんを怖がらせちゃうかもって思って、言えなかった……」
「尚斗くんのことだから、そんなことだろうと思ってた」
騙してたようなものなのに、颯くんは怒ることなく、優しい笑みを浮かべている。
「――俺ね、高校に上がった頃、仕事が上手くいかなかったり学校との両立に苦戦したりして、モデル辞めようかなって本気で悩んでたときがあったんだけど……」
颯くんは自嘲しながら、静かに続ける。
「ちょうどそのときに、ショウくんからのファンレターが初めて届いて……。こんな俺でも誰かの勇気になれてるんだって知って励まされて、俺ももう少し頑張ってみようって思えたんだ。今の俺があるのは、尚斗くんのおかげなんだよ」
初めてのファンレターの内容は、今でも鮮明に覚えている。
見た目で悩んでた俺が手にした雑誌には、颯くんのインタビューが載っていた。
――例えコンプレックスがあっても、それはちょっと隅っこに置いておいて、とりあえず自分の好きな服を着てみてほしいです。そうすれば気分も上がるじゃないですか。そういう内面って、その人を輝かせてくれると思うんです。それがその人の魅力につながるって、俺は思ってます。
見た目を良く見せようと必死だった俺は、颯くんのこの言葉に腹落ちして。見た目ばかりにこだわって無理に頑張る必要もないのか、って思えて心がすごく軽くなった。
まぁ、結果的に顔を隠して自衛するって方向にいってしまったんだけど。
それでも、救われたのはまぎれもない事実で、感謝の気持ちを伝えたくて人生で初めてファンレターなるものをしたためたのだった。
ただただ、感謝の気持ちを書き記した記憶しかないけど……。
それが、まさか颯くんを励ましになっていたなんて、信じられない。
「だから、尚斗くんがショウくんだって知ったときは、本当に驚いた。こんな偶然ある?って」
そりゃそうだ。
俺だって、推しが家にやってきたときは、驚いた。
「初対面ですげー嫌な態度とったじゃん、俺」
「え、あ、ま、まぁ……」
「あれ、言い訳させてもらうと、母さんバツ三で、毎回しょうもない男に当たってすぐ別れるのが落ちで……。今回もどうせ長続きしないだろうから関係なんか作るだけ無駄って思って、あの態度だった――本当、ごめん」
「あれは、気にしてないって何度も……」
「うん、そのあとすぐに尚斗くんがショウくんって知って、俺、めちゃくちゃ後悔したんだよ。俺の手のひら返しにも、尚斗くんは怒ることなく受け入れてくれて……本当、ファンレターのショウくんの優しいイメージそのまんまで……、どんどん好きになった」
「え……?」
推しの口から出たあり得ない台詞に、全身が石化したみたいに固まった。
――好きになった?
誰が、誰を?
確かめたいのに、口が思うように動かない。
「優しい尚斗くんにつけこんで、手つないだり抱きしめたり、挙句キスしようとして、ごめん。尚斗くんも、俺が推しだからって、なんでもかんでも許しちゃだめだよ。勘違いしちゃうから」
「――か、勘違いじゃないよ……! 俺だって、颯くんのことが、好きだから! だからさっきも避けなかった! 颯くんは俺の推しだけど、キ、キスしてほしいって思ったのは、推しだからじゃない、颯くんだから!」
さっきから言いたかったことを、俺はひと息に言い切った。
「最初はっ、颯くんが推しだから、手つなぎもハグもされるがままだったけど……。でも、俺、ファン失格だ……、颯くんが綺麗な女の人と一緒にいるとこ見て……颯くんの幸せを喜べなかった……。颯くんを独り占めしたいって、思っちゃっ――」
息ができないほどに、強く抱きしめられた。
「ホントに? たぶんその人、マネージャーだ……。尚斗くん焼きもち焼いてくれたの?」
切なげな、でも喜びを秘めた声が体を伝って俺の全身を震わせる。
「そうだよ……、彼女かなって思ったら、胸が痛くなって……それで、俺……、颯くんのこと好きなんだって……。颯くんこそ、冗談じゃない、よね……?」
颯くんの言動のすべてが、それが真実だって俺に伝えてくれるけど、まだ信じられなくて確かめずにはいられない。
「嘘でも冗談でもない。尚斗くんが好きだよ。大好きだよ。――どうしたら信じてくれる?」
颯くんは、また俺の顔を大きな手で優しく包み込んで、その黒い瞳に俺を閉じ込めた。
――ずるい。わかってるくせに。
さっきとはちがう、嬉しそうな顔を俺は恨めし気に見つめた後、羞恥心をかなぐり捨てて懇願する。
「さっきのつづき、して――」
ぎゅっと目を瞑りきる前に、唇に優しい熱が重ねられた。
fin.



