9話 ねぇ、俺だけ見てよ

 今日は月一の一大イベントの日。
 そう、颯くんがレギュラーモデルを務める雑誌の発売日!
 運よく?撮影が入った颯くんは、今日は学校は休み。
 だから俺は、本屋で雑誌を三冊購入してからバイトへGO。
 いつもなら発売日にはバイトは入れないのだけど、今日はどうしてもと頼まれてしまったから、雑誌は帰るまでお預けだ。
 買った雑誌を大切に抱えながらバイト先へ向かう途中、有名チェーンのコーヒーショップから出てくる颯くんを発見。マスクに眼鏡、さらにキャップをかぶってるけど、着ている服が朝見たときと同じだったからすぐに気付けた。
 こんなところで会えるとは思わず、声をかけようと手を上げたところで口を噤む。
 すぐ後ろに女性がいたから。
 とても綺麗な、大人の女性だ。
 二人ともにこやかなムードで、コーヒー片手に連れ立って俺とは反対の方向に歩いていってしまう。
 もしかして、撮影の後のデートとか……?
 ――え……、なんだこれ……。
 美男美女のお似合いな二人を見て、俺の胸がきゅっと軋んで痛みを感じた。
 こんなのおかしい。
 俺は、颯くんが幸せなら、それでいいのに……。
 これじゃぁ、まるで……。
 ――ううん、違う。そんなこと、ない。
 浮かんできた気持ちに蓋をする。
 推しの幸せを素直に喜べないなんて、ファン失格だ。
「俺は、颯くんの、ファンで、颯くんは、俺の、推し」
 言い聞かせるように呟いて、俺は腕の中の雑誌をぎゅっと握りしめた。


 バイトから帰宅して、お風呂に入ってリビングにいくと、颯くんが台所で水を飲んでいた。
「あ、尚斗くん、お帰り。遅くまでお疲れさま」
「ただいま。颯くんも撮影お疲れさま」
 ――あ、だめだ。
 大丈夫だと思ったのに、うまく笑えないし、颯くんの顔を直視できないや……。
 バイト中もずっと胸がツキツキ痛いし、もやがかかったみたいにすっきりしなかった。
 俺は自惚れてたんだなぁ……。
 颯くんが俺に見せてくれる甘くて優しい顔に、自分が彼にとって特別かもしれないって。
 全然、そんなことあるはずないのに。
 勝手に絆されて、勝手に失恋して、馬鹿な俺。
「今日さ、雑誌の発売日だったんだ」
 ――もちろん知ってます。今日3冊買ってきました。
 読む用と、スクラップブック用と、保存用。
 なんて言ったらドン引きされるかな。
「尚斗くんに見てほしくて」
「み、見たい!」
 帰ってからお風呂に直行したから、雑誌はまだ見れていない。
 推しに見てほしいなんて言われたら、見るに決まってる。
 食い気味に返事をしたはいいが、なんと颯くんの部屋にお呼ばれしてしまった。
 入るのは初めてじゃないけど、毎回緊張してしまう。
 ベッドを背もたれ代わりにクッションに座ると、颯くんも隣に座った。
 ふわりと香るのは、いつも付けてるヘアオイルの匂い。
「じゃ、じゃぁ、拝見します」
「なんで敬語」
 ノーメイク、ノーセットで笑う推しが尊いな、なんて思いながら俺は雑誌のページをめくる。
「俺が載ってるのは、ここ」
 黒いネイルをまとった綺麗形の爪が、目次を指す。
 そのページ数にたどり着けば、どちゃくそにかっこいい俺の推しがいた。
 ――かっ……こいい……っ!
 『ビビットカラーを差し色にして差をつけろ』という見出しのページに、数パターンのファッションを着こなす颯くん。
 一人で見てたら床を転げまわって悶絶してるところだった。
 それくらいかっこいい。
「か、かっこいい……」
「ホント?」
「嘘なわけないじゃん! ホントのホントにかっこいい!」
 ――俺の推しは、世界で一番かっこいいんだから。
 見た目がいいだけじゃない、颯くんは、ファッションアイテムの魅せ方もちゃんと勉強してるって知ってる。もう一年以上ファンをやってる俺は、経験を重ねる度に成長する彼をひしひしと感じていた。
「はぁ……、直で言われるの、こんな嬉しいんだ……やば」
「なに言ってんの。直でなんて、言われ慣れてるでしょ」
「尚斗くんに、言われるのが嬉しいってこと」
「そんなの、いくらでも言うよ。うざいくらい、言っちゃうかも」
「うん、うざいくらい言って。そしたら俺もっと頑張れる」
 冗談っぽく、笑って言ったのに。
 真剣な眼差しを向けられて、どぎまぎしてしまう。
「う、うん、応援してるから」
 これからもずっと。
 だって颯くんは、俺の推しなんだから。
 面と向かって言葉にするのが恥ずかしくなって、俺は雑誌のページをめくる。
「あ、こういうコーデ憧れる。……このモデルさんも高校生なんだぁ……へぇ、かっこいいね」
 颯くん以外のモデルに興味はないんだけど、俺の頬に注がれている視線にいたたまれなくて口が勝手に動いた。
 パラパラとページをめくる俺の手が、止まる。――否、止められた。
 風呂上りで熱いはずの俺の手よりも、熱い颯くんの手。
「え、な、なに」
「ねぇ、俺だけ見てよ、尚斗くん」
 ――ドクンッ
 心臓が、大きく跳ねる。
 颯くんの手と目と、全身から放たれる熱が俺を襲う。
「ほかのモデルなんか、見ないで」
 どうして、そんな泣きそうな顔をしてるの?
 握られた手が、痛い。
 それが手の痛みなのか、胸の痛みなのか、はたまた颯くんの痛みなのか、わからない。
「なんで……そんな……」
 俺なんて、颯くんにとっては、戸籍上でつながっただけの他人なのに。
 どうしてそんなこと、言うんだよ。
 また勘違いしちゃうじゃん。
 手が引っ張られて傾いた体は、颯くんに抱き留められる。
 ――颯くんしか、見てないよ。
 そう言って、背中に腕を回したいけど出来なくて、颯くんの腕の中で俺は力なく項垂れるしかない。
 やっと解放されたと思ったのに、颯くんは俺の顔を両手で挟んで上を向かせる。
「尚斗くんは、俺だけ見てればいいんだ」
 泣きそうに揺れる瞳に映る俺も、情けない顔をしていた。
 どんどん近づく瞳から、目を離せない。
 これから起こり得るであろうことを、頭の片隅で理解していても、正常な判断ができないくらいには、頭の中がぐっちゃぐちゃだった。
 吐息と吐息が交わる距離で、こつんと額同士が触れる。
「ねぇ、避けないとホントにキスしちゃうよ?」
 そんなの、わかってる。
 俺はファンだから、避けなくちゃいけないのに。
 このまま、って思ってる自分がいるんだ。
「なんで抵抗しないの?」
 ――そんなの、決まってるじゃん……。
 俺が、颯くんの、
「――俺が、尚斗くんの推しだから?」