〇天都・天室庭園(夜)
前話の続きから。
珠紀「……」
珠紀、縁の申し出に躊躇う。
口を開こうとして、遠くから人の話し声が聞こえる。
華瑠「真人様、ここは昼間の場所ですよね」
真人「ああ。まだ気配を感じるのだが……」
珠紀(華瑠お姉様の声!? それに貴宝院真人も一緒?)
縁「破鬼の宿主とその伴侶のようだな、今遭遇するのは避けるか」
珠紀「なっ、またっ」
縁、再び珠紀を抱えあげる。
縁「ふ、失礼。先ほどから君を抱えてばかりだな」
笑いながら近くの桜の木の枝に移動する縁。
縁「しかし君は妙に収まりが良い。このままでは妻を抱えるのも趣味に加わりそうだ」
珠紀「わ、私は、妻になるだなんて一言もっ……!」
反論しようとする珠紀。しかし池のほとりに華瑠と真人が到着したことで慌てて口を閉じる。
真人「変わりないようだ」
真人、周囲に目を配る。すでに"狭間のモノ"は縁によって綺麗に消滅している。
真人「俺の気のせいだった。付き合わせて悪かった、華瑠」
華瑠「とんでもございません。それであの、真人様。先ほどの話なのですが……珠紀さんのことをお聞きしたくて」
珠紀「!」
珠紀、動揺しながら耳を潜める。
真人「あの妹は東御所の客間に一晩泊まるそうだ」
華瑠「怪我の具合は大丈夫なのでしょうか」
真人「命に別状はないと聞いている」
華瑠「……会うことは、できませんか」
華瑠、きゅっと胸の前で両手を組む。珠紀を心配する顔。
真人「お前は、妹を恨んでいないのか。散々お前を虐げてきた人間だぞ」
理解しがたい表情の真人。
華瑠「……恨んでいないと言えば嘘になってしまうかもしれません。でも、心配なんです」
真人「心配?」
華瑠「……忘れられない思い出があるのです」
華瑠、幼い珠紀の笑顔を思い出す。※フラッシュバック
幼い珠紀、華瑠に向かって「おねえさま」と呼んでいる。
華瑠「まだ珠紀さんが母や私に懐いてくれていた頃のことです。妾子として腫れ物に扱われる私に、珠紀さんは屈託ない笑顔でお姉様と呼んでくれていました」
真人「そんな時があったのか」
華瑠「はい。しかしそれもほんの少しの間だけだったのですが」
華瑠、懐かしむように思いに浸る。
それから池のほとりに視線を移す。
華瑠「また、呼んでくれたんです。あのとき、お姉様と。そして、なぜか泣いていた。どうして泣いていたのか、どうしてまた私を姉と呼んでくれたのか、その理由が知りたい」
珠紀(……)
華瑠「それに天狐の宿主様の話では、珠紀さんは"狭間のモノ"から私や周りの人たちを守ってくれていたのですよね? それが事実なら、私は珠紀さんにお礼を伝えたい」
真人「……怖くはないのか? お前が屋敷に嫁いできた頃、妹から受けた傷に苦しみ、怯えていただろ」
華瑠「あなた様や、鬼の一族の皆さまのおかげで、強くあろうと思えるようになったのです。真人様がいるから私は逃げずにいられる。怯えて恨みを抱くよりも、私は珠紀さんと……妹の珠紀と向き合いたい」
真人「……お前の心は、本当に澄んでいるな」
その後、華瑠と真人は池のほとりから離れていく。
縁「行ったようだな」
珠紀「……」
縁「泣いているのか?」
縁、そっと珠紀を覗き込む。
珠紀「そんな資格、私にはありません」
珠紀、左右に首を振る。
珠紀M「お姉様は変わらない。目の前で死にそうな私をただ一人助けようと動き、今も恨み言のひとつこぼさない。私には、あまりにも眩しすぎる」
珠紀(そんな人の幸せを奪い、私は何度も危害を加え、殺めようとした)
瞬間、実弦とのやり取りを思い出す珠紀、ハッとする。
実弦『僕が本当にほしいのは、君じゃなく華瑠だよ』
珠紀M「ここは私が死ぬ三年前の世界。また華瑠お姉様が狙われてしまう」「私を駒にしなくても、おそらく違った形で」
珠紀「そんなこと、させない……」
珠紀M「私を唯一救おうとした優しいお姉様」「この死に戻りが意味あるものだったというなら」「二度目のすべてはお姉様にお譲りしたい」
珠紀(……そのためには)
珠紀、自分を抱える縁を見上げる。
珠紀「天狐の宿主様、私と伴侶の契りを交わしましょう」
縁「おや、どんな心境の変化だ?」
珠紀「私はお姉様の幸せを奪い続けてきました。けれど貴宝院真人に嫁ぎ、ようやく新しい幸せに巡り会えた。そんなお姉様の幸せをもう壊したくはないのです」
縁「そのために、俺の伴侶になると?」
縁、真顔でじっと珠紀を見つめる。
珠紀(利用するみたいな言い方で、気分を悪くさせた?)
縁「ふふ、分かった。では君の気が変わらぬうちに、今すぐ契りを交わそう」
珠紀「今すぐって――」
縁、機嫌よく頷く。珠紀の手を取り、鏡の破片で怪我した手の傷を舐める。
珠紀「……っ」
縁、さらに自分の手の怪我に唇をつける。自分の血を口に含み、珠紀へと口づけする。
珠紀「むっ……んん」
縁の血を体に含み、伴侶の契りを交わす珠紀。
唇が離され、真っ赤に顔を染める珠紀。
縁「珠紀、君を我が伴侶として誠心誠意尽くして愛そう」
珠紀(……愛)
珠紀、胸がざわりとする。
珠紀「旦那様となったあなたに、一つお願いがあります」
珠紀M「愛は私にとって呪いであり毒。愛を期待し求めたからこそ罪を重ねた。愛とは平等に得られるわけじゃない。愛によって狂うなら私は初めから得てはいけない」
珠紀、決心した目で縁を見つめる。
珠紀「どうか私に愛は求めないでください」