◯薄氷の別邸(以降、薄氷家と記載)・数日後の朝
花蓮は窓から差し込む朝日にガバッと飛び起きる。
花蓮モノ(早く起きて家事を始めなければ怒られてしまう!)
だが、部屋の天井が見慣れた物置小屋とは異なることに気づき、混乱してしまう。いつもはかたくて寝心地の悪い布団だったが、ふかふかのベッドの上にいる。
花蓮モノ(そうだった、ここは隊長様の別邸——)
ここ数日の出来事を思い返してみる。あれよあれよという間に薄氷の別邸に連れて来られ、自分には逆潮という妖力が流れていることを知り、それが一朔の強力な妖術の代償をやわらげることができる力だと教えてもらった。洋館の一室を与えられ、専属使用人がつき、高価な和服やドレスを自由に使っていいと言われた。食事の準備や掃除などを手伝おうとしたら、若様の婚約者様にそのようなことはさせられません! と断られてしまった。
花蓮モノ(本当に信じられないほどに、幸せだわ。私はまだ隊長様のお役に立てていないというのに……本当に私に、隊長様を助けることなんてできるのかしら?)
一朔のセリフが蘇る。
数日前の一朔『その代わり、私のそばで、私を助けてはくれないだろうか』
そのとき、ちょうど専属使用人が朝の身支度のために部屋に入ってきた。
花蓮モノ(専属の使用人に身支度を手伝ってもらうのも、何年振りだろう)
専属使用人「花蓮様、本日はどのお召し物にいたしますか?」
花蓮「ええと……」
花蓮モノ(これまでは寝巻きと仕事着しか持っていなかったから、どれにするか聞かれても、どうすればいいか困ってしまう。物をたくさん持っているというのは、こんなに大変なことなのね)
花蓮が首を傾げてしばらく突っ立っていると、使用人が二択まで絞ってくれる。大ぶりの花柄の着物と、七宝柄の着物が選ばれた。
専属使用人「では、こちらとこちらでは、どちらをお召しになりたいでしょうか?」
早く決めなくては、と2つを見比べる。大ぶりの花柄を見ると、途端に芙蓉の姿が脳裏に浮かんで、無意識のうちに七宝の方を選んでいた。
花蓮「こ、こちらでお願いしますっ」
専属使用人「かしこまりました」
花蓮モノ(今日は何をしようかしら……家事をやらなくていいとなると、やることがなくて困りものだわ)
装飾が施された高価そうなドレッサーに座らされ、専属使用人とそのほか複数の使用人たちにお化粧をされながら、考える花蓮。
◯妖魔討伐軍隊本部・昼・一朔視点
隊長室で一朔が書類に目を通している。軽い頭痛に両目の少し上を右手で押さえる。
一朔モノ(昨日はあまり眠れなかったからだろうか、薬を飲んでおいた方がよさそうだな)
慣れた手つきで薬包紙を1つ、軍服の内ポケットにしまっている革製の薬袋から取り出す。するとちょうどそのタイミングで隊長室に副隊長が入ってくる。
副隊長(以下、涼)「隊長! 北西の麻月という地にて、妖魔の発生を確認。出動要請っす!」
結局、薬を飲むことはできず、討伐に向かうことに。
一朔モノ(副隊長である五十嵐涼は、風の妖術を操る名家、五十嵐家の出。妖力の量も妖術の強さも申し分なく、副隊長にふさわしい——)
涼「一朔様の通る道をご用意いたします!」
一朔モノ(——こういうのがなければ、だが)
おちゃらけて踊るようにくるくる回りながら窓を開け、窓枠に飛び乗る涼。一朔はきもち呆れた顔をしてため息をつき、窓枠から手を伸ばす涼の腕を跡が残るほどきつく握りしめる。
涼「あ”あ”あ”あ”い”だい”い”だい”! 隊長が俺に厳しい〜」
一朔「とっとと現場行くぞ」
二人とも長身のため、窓から飛び出るのは若干窮屈だが、それでも持ち前の身体能力でうまいこと抜け、涼の風の妖術を使って高速で現場に向かう。移動にはほぼ瞬間移動並みの時間しかかからない。たどり着いたのは淀んだ森の中で、どうやら妖魔討伐地点のど真ん中のようだった。真っ先に一朔に飛びかかってくる妖魔。チッと舌打ちをして、即座に氷をまとう剣を使って薙ぎ払う。
一朔「おい、なんでお前は毎回毎回ど真ん中に移動するんだ」
涼「え〜、その方が手っ取り早いじゃないっすか。ほらほら、早く倒さないと怪我しちゃいますよ」
一朔「ったく、誰のせいだと思ってんだ」
二人はうまいこと連携しつつ、華麗に舞い踊るように次々に襲いかかってくる妖魔を倒していく。敵は群れを成して生活する犬と狼の間のような形をした妖魔。そこまで危険性の高くない妖魔であるため、一朔は氷眸をできるだけ使わず、剣に雑に氷を纏わせるだけで薙ぎ払うように戦っている。一方、涼は両手にそれぞれ短剣を持ち、持ち前の身軽さを生かしながら次々に四足歩行の妖魔の首を掻き切っていく。
涼「そろそろっすかね」
一朔「だろうな」
二人が警戒を強めた途端、案の定これまでの妖魔とは比べものにならないくらいの大きさの妖魔が近づいてきた。小さなため息をついて、一朔が氷眸を出す。涼は短剣を胸元でクロスさせ、構える。まずは試すように二人で攻撃をしかけてみる。不思議なことに、妖魔は攻撃し返してくることはない。
涼「あー、こいつ戦いづらい! 俺相性悪いっすわ」
涼がアホみたいな顔をして首を傾げて肩をすくめる。妖魔は体が密度の高い濃い霧で覆われているようで、涼が近づくほど風の妖術が使いづらいようだ。一方、霧の密度が高いせいで、一朔としても、本体の体の温度を極端に下げることができず、妖魔の大きな体をまとめて凍らせることができない。
一朔モノ(攻撃性が高くないのは、防御力が高くて積極的に攻撃を仕掛ける必要がないからか)
一朔「……お前が調子に乗りそうで非常に嫌だが、連携して戦うしかなさそうだ」
渋々という感じで一朔が言う。
涼「え、最初の一言いります?」
一朔「風で首あたりの一点の霧を集中的に避けてくれ。そこに私が極限冷却を叩き込もう」
涼のツッコミをスルーして、作戦を説明する一朔。
涼「あいあいー」
気だるげに返事をした涼がタイミングを見計らって、あたりの高い木の上に瞬間移動し、短剣を振り翳して妖力の進行方向を調整し、その方向に向かって上から風の妖術を発動。妖魔は身の危険を感じてか、素早く動き始めるが、見事一点だけ霧が晴れ、首元があらわになる。一朔の氷眸がきらりと光り、すばしこい妖魔の動きに合わせて、霧が再生される前に首元に剣を軽く突き刺す。あたりの空気が一気に冷え込み、妖魔の全身が急激に均一に凍った。
涼「うおお、さっむ」
一朔「さっさととどめを刺せ」
涼「え〜、俺がやるんす……ああ、了解っす」
一朔が妖魔から距離を取り、目を閉じて顔を少し歪ませているのを見て、涼は状況を察する。
涼「俺の短剣じゃあぶった斬るのは無理だからなー、凍ってると余計かたいし」
涼は妖魔の首に両方の短剣で交互に切れ目を深くしていき、現れた核を瞬時に八つ裂きにした。すると、妖魔の体はスゥッと消え、あたりの淀んでいた空気も綺麗になる。まだ一匹残っていた小型の妖魔をついでに倒し、一息つく。少し離れたところの木に寄りかかるようにしてしゃがみ込んでいる一朔のもとへ駆けつける。一朔はこめかみを抑えて目を閉じている。
涼「隊長、薬は?」
一朔「この中だ」
一朔が緩慢な動作で軍服の内ポケットから革製の袋を取り出す。涼は慣れた手つきで中から薬包紙を取り出し、薬を一朔の口に流し込む。すぐさま一朔の軍服のベルトにかかっている小さな水筒を開けて渡す。水で服薬する一朔。
一朔「……助かる」
◯薄氷家・夜・花蓮視点
車が屋敷に入ってくるのが窓から見え、一朔の帰りを迎えるために玄関に向かう花蓮。洋館の玄関扉が開き、一朔が入ってくる。
花蓮「お帰りなさいませ、隊長様」
使用人一同「お帰りなさいませ!」
一朔「ああ、ただいま帰った」
一朔の顔色はひどく、痛みを逃すようなため息を時折ついている。
花蓮「隊長様、顔色が……」
花蓮モノ(きっと頭痛がひどいのだわ)
花蓮が支えるように手を差し伸べるが、一朔は平静を装って手で制する。
一朔「大丈夫だ、心配するな」
花蓮「で、ですが……」
一朔は平気なふりをして部屋に行こうとするが、やはり頭痛がひどいのか、ふらりと倒れ込みかける。慌てて花蓮が一朔の体を支える。だが、花蓮の小さな体では一朔の細身ながらもぎっしり詰まった筋肉質な体を支え切ることはできず、使用人が駆けつけてくれる。使用人と抱えるようにして一朔を部屋まで運び、ベッドの上に寝かせる。花蓮は心配で一朔の額を触って熱を測ってみる。一朔は目を瞑り、苦しそうに顔を歪ませながら呻き声を上げる。
花蓮モノ(熱はないようだけれど……苦しそう。これがこの間言っていた「氷理創術」の代償——)
一朔が少し目を開け、隣に花蓮がいることを確認すると、掠れた声を出す。
一朔「手を握って、逆潮の妖力を流し込んでくれ」
花蓮「は、はい!」
花蓮は言われた通り、両手で包み込むようにして一朔の手を優しく握る。
花蓮モノ(流し込むってどうやればいいのかしら……)
だが、その懸念もすぐに薄れる。握った途端、ピリッとしびれるような感覚が走り、そこから何かが流れ出していくような感じがしたからだ。
花蓮モノ(本当にこれでいいの……?)
何か特別な術を使うわけでもなく、ただ握るだけで発動できてしまうため、少し物足りなくも感じるが、花蓮が手を握った瞬間、一朔の表情が少し緩んだ。少しして、使用人が氷水の入った桶と手拭いを持ってきてくれ、一朔の額に乗せる。
◯薄氷家・一朔の部屋・夜中・花蓮視点
しばらくして、一朔が眠りにつく。
花蓮モノ(とてもよくしてくださっているのだから、私にできることは少しでもしなくては)
花蓮はひたすら一朔の手を握り続けた。
花蓮モノ(それにしても、本当にお美しい……。容姿が優れていて、和國の中で誰もが一目置く薄氷家嫡男、さらには妖術まで千年に一人の逸材と呼ばれている雲の上のようなお方。それに比べて私は……)
一朔の整った寝顔を眺めて考え込んでいると、薄い唇がかすかに動き、びっくりして飛び上がる花蓮。思わず手を離してしまう。
一朔「離れないで、くれ……」
すがるように、花蓮の手を探すように空を掴む一朔の手。花蓮はドキドキする心臓を意識しながら、もう一度一朔の手を握る。
花蓮モノ(どう受け取ればいいのだろう。いや、何か意味を見出そうとすること自体、おこがましいのかもしれない——)
花蓮は窓から差し込む朝日にガバッと飛び起きる。
花蓮モノ(早く起きて家事を始めなければ怒られてしまう!)
だが、部屋の天井が見慣れた物置小屋とは異なることに気づき、混乱してしまう。いつもはかたくて寝心地の悪い布団だったが、ふかふかのベッドの上にいる。
花蓮モノ(そうだった、ここは隊長様の別邸——)
ここ数日の出来事を思い返してみる。あれよあれよという間に薄氷の別邸に連れて来られ、自分には逆潮という妖力が流れていることを知り、それが一朔の強力な妖術の代償をやわらげることができる力だと教えてもらった。洋館の一室を与えられ、専属使用人がつき、高価な和服やドレスを自由に使っていいと言われた。食事の準備や掃除などを手伝おうとしたら、若様の婚約者様にそのようなことはさせられません! と断られてしまった。
花蓮モノ(本当に信じられないほどに、幸せだわ。私はまだ隊長様のお役に立てていないというのに……本当に私に、隊長様を助けることなんてできるのかしら?)
一朔のセリフが蘇る。
数日前の一朔『その代わり、私のそばで、私を助けてはくれないだろうか』
そのとき、ちょうど専属使用人が朝の身支度のために部屋に入ってきた。
花蓮モノ(専属の使用人に身支度を手伝ってもらうのも、何年振りだろう)
専属使用人「花蓮様、本日はどのお召し物にいたしますか?」
花蓮「ええと……」
花蓮モノ(これまでは寝巻きと仕事着しか持っていなかったから、どれにするか聞かれても、どうすればいいか困ってしまう。物をたくさん持っているというのは、こんなに大変なことなのね)
花蓮が首を傾げてしばらく突っ立っていると、使用人が二択まで絞ってくれる。大ぶりの花柄の着物と、七宝柄の着物が選ばれた。
専属使用人「では、こちらとこちらでは、どちらをお召しになりたいでしょうか?」
早く決めなくては、と2つを見比べる。大ぶりの花柄を見ると、途端に芙蓉の姿が脳裏に浮かんで、無意識のうちに七宝の方を選んでいた。
花蓮「こ、こちらでお願いしますっ」
専属使用人「かしこまりました」
花蓮モノ(今日は何をしようかしら……家事をやらなくていいとなると、やることがなくて困りものだわ)
装飾が施された高価そうなドレッサーに座らされ、専属使用人とそのほか複数の使用人たちにお化粧をされながら、考える花蓮。
◯妖魔討伐軍隊本部・昼・一朔視点
隊長室で一朔が書類に目を通している。軽い頭痛に両目の少し上を右手で押さえる。
一朔モノ(昨日はあまり眠れなかったからだろうか、薬を飲んでおいた方がよさそうだな)
慣れた手つきで薬包紙を1つ、軍服の内ポケットにしまっている革製の薬袋から取り出す。するとちょうどそのタイミングで隊長室に副隊長が入ってくる。
副隊長(以下、涼)「隊長! 北西の麻月という地にて、妖魔の発生を確認。出動要請っす!」
結局、薬を飲むことはできず、討伐に向かうことに。
一朔モノ(副隊長である五十嵐涼は、風の妖術を操る名家、五十嵐家の出。妖力の量も妖術の強さも申し分なく、副隊長にふさわしい——)
涼「一朔様の通る道をご用意いたします!」
一朔モノ(——こういうのがなければ、だが)
おちゃらけて踊るようにくるくる回りながら窓を開け、窓枠に飛び乗る涼。一朔はきもち呆れた顔をしてため息をつき、窓枠から手を伸ばす涼の腕を跡が残るほどきつく握りしめる。
涼「あ”あ”あ”あ”い”だい”い”だい”! 隊長が俺に厳しい〜」
一朔「とっとと現場行くぞ」
二人とも長身のため、窓から飛び出るのは若干窮屈だが、それでも持ち前の身体能力でうまいこと抜け、涼の風の妖術を使って高速で現場に向かう。移動にはほぼ瞬間移動並みの時間しかかからない。たどり着いたのは淀んだ森の中で、どうやら妖魔討伐地点のど真ん中のようだった。真っ先に一朔に飛びかかってくる妖魔。チッと舌打ちをして、即座に氷をまとう剣を使って薙ぎ払う。
一朔「おい、なんでお前は毎回毎回ど真ん中に移動するんだ」
涼「え〜、その方が手っ取り早いじゃないっすか。ほらほら、早く倒さないと怪我しちゃいますよ」
一朔「ったく、誰のせいだと思ってんだ」
二人はうまいこと連携しつつ、華麗に舞い踊るように次々に襲いかかってくる妖魔を倒していく。敵は群れを成して生活する犬と狼の間のような形をした妖魔。そこまで危険性の高くない妖魔であるため、一朔は氷眸をできるだけ使わず、剣に雑に氷を纏わせるだけで薙ぎ払うように戦っている。一方、涼は両手にそれぞれ短剣を持ち、持ち前の身軽さを生かしながら次々に四足歩行の妖魔の首を掻き切っていく。
涼「そろそろっすかね」
一朔「だろうな」
二人が警戒を強めた途端、案の定これまでの妖魔とは比べものにならないくらいの大きさの妖魔が近づいてきた。小さなため息をついて、一朔が氷眸を出す。涼は短剣を胸元でクロスさせ、構える。まずは試すように二人で攻撃をしかけてみる。不思議なことに、妖魔は攻撃し返してくることはない。
涼「あー、こいつ戦いづらい! 俺相性悪いっすわ」
涼がアホみたいな顔をして首を傾げて肩をすくめる。妖魔は体が密度の高い濃い霧で覆われているようで、涼が近づくほど風の妖術が使いづらいようだ。一方、霧の密度が高いせいで、一朔としても、本体の体の温度を極端に下げることができず、妖魔の大きな体をまとめて凍らせることができない。
一朔モノ(攻撃性が高くないのは、防御力が高くて積極的に攻撃を仕掛ける必要がないからか)
一朔「……お前が調子に乗りそうで非常に嫌だが、連携して戦うしかなさそうだ」
渋々という感じで一朔が言う。
涼「え、最初の一言いります?」
一朔「風で首あたりの一点の霧を集中的に避けてくれ。そこに私が極限冷却を叩き込もう」
涼のツッコミをスルーして、作戦を説明する一朔。
涼「あいあいー」
気だるげに返事をした涼がタイミングを見計らって、あたりの高い木の上に瞬間移動し、短剣を振り翳して妖力の進行方向を調整し、その方向に向かって上から風の妖術を発動。妖魔は身の危険を感じてか、素早く動き始めるが、見事一点だけ霧が晴れ、首元があらわになる。一朔の氷眸がきらりと光り、すばしこい妖魔の動きに合わせて、霧が再生される前に首元に剣を軽く突き刺す。あたりの空気が一気に冷え込み、妖魔の全身が急激に均一に凍った。
涼「うおお、さっむ」
一朔「さっさととどめを刺せ」
涼「え〜、俺がやるんす……ああ、了解っす」
一朔が妖魔から距離を取り、目を閉じて顔を少し歪ませているのを見て、涼は状況を察する。
涼「俺の短剣じゃあぶった斬るのは無理だからなー、凍ってると余計かたいし」
涼は妖魔の首に両方の短剣で交互に切れ目を深くしていき、現れた核を瞬時に八つ裂きにした。すると、妖魔の体はスゥッと消え、あたりの淀んでいた空気も綺麗になる。まだ一匹残っていた小型の妖魔をついでに倒し、一息つく。少し離れたところの木に寄りかかるようにしてしゃがみ込んでいる一朔のもとへ駆けつける。一朔はこめかみを抑えて目を閉じている。
涼「隊長、薬は?」
一朔「この中だ」
一朔が緩慢な動作で軍服の内ポケットから革製の袋を取り出す。涼は慣れた手つきで中から薬包紙を取り出し、薬を一朔の口に流し込む。すぐさま一朔の軍服のベルトにかかっている小さな水筒を開けて渡す。水で服薬する一朔。
一朔「……助かる」
◯薄氷家・夜・花蓮視点
車が屋敷に入ってくるのが窓から見え、一朔の帰りを迎えるために玄関に向かう花蓮。洋館の玄関扉が開き、一朔が入ってくる。
花蓮「お帰りなさいませ、隊長様」
使用人一同「お帰りなさいませ!」
一朔「ああ、ただいま帰った」
一朔の顔色はひどく、痛みを逃すようなため息を時折ついている。
花蓮「隊長様、顔色が……」
花蓮モノ(きっと頭痛がひどいのだわ)
花蓮が支えるように手を差し伸べるが、一朔は平静を装って手で制する。
一朔「大丈夫だ、心配するな」
花蓮「で、ですが……」
一朔は平気なふりをして部屋に行こうとするが、やはり頭痛がひどいのか、ふらりと倒れ込みかける。慌てて花蓮が一朔の体を支える。だが、花蓮の小さな体では一朔の細身ながらもぎっしり詰まった筋肉質な体を支え切ることはできず、使用人が駆けつけてくれる。使用人と抱えるようにして一朔を部屋まで運び、ベッドの上に寝かせる。花蓮は心配で一朔の額を触って熱を測ってみる。一朔は目を瞑り、苦しそうに顔を歪ませながら呻き声を上げる。
花蓮モノ(熱はないようだけれど……苦しそう。これがこの間言っていた「氷理創術」の代償——)
一朔が少し目を開け、隣に花蓮がいることを確認すると、掠れた声を出す。
一朔「手を握って、逆潮の妖力を流し込んでくれ」
花蓮「は、はい!」
花蓮は言われた通り、両手で包み込むようにして一朔の手を優しく握る。
花蓮モノ(流し込むってどうやればいいのかしら……)
だが、その懸念もすぐに薄れる。握った途端、ピリッとしびれるような感覚が走り、そこから何かが流れ出していくような感じがしたからだ。
花蓮モノ(本当にこれでいいの……?)
何か特別な術を使うわけでもなく、ただ握るだけで発動できてしまうため、少し物足りなくも感じるが、花蓮が手を握った瞬間、一朔の表情が少し緩んだ。少しして、使用人が氷水の入った桶と手拭いを持ってきてくれ、一朔の額に乗せる。
◯薄氷家・一朔の部屋・夜中・花蓮視点
しばらくして、一朔が眠りにつく。
花蓮モノ(とてもよくしてくださっているのだから、私にできることは少しでもしなくては)
花蓮はひたすら一朔の手を握り続けた。
花蓮モノ(それにしても、本当にお美しい……。容姿が優れていて、和國の中で誰もが一目置く薄氷家嫡男、さらには妖術まで千年に一人の逸材と呼ばれている雲の上のようなお方。それに比べて私は……)
一朔の整った寝顔を眺めて考え込んでいると、薄い唇がかすかに動き、びっくりして飛び上がる花蓮。思わず手を離してしまう。
一朔「離れないで、くれ……」
すがるように、花蓮の手を探すように空を掴む一朔の手。花蓮はドキドキする心臓を意識しながら、もう一度一朔の手を握る。
花蓮モノ(どう受け取ればいいのだろう。いや、何か意味を見出そうとすること自体、おこがましいのかもしれない——)



