◯常盤家玄関・1話最後の続き
一朔「お前、妖力の流れが人と真逆だ。本当に人か——?」
花蓮「え?」
一朔が何を言っているのかわからず、それに、こんなに間近に美しい人が迫ってきていると思考もうまく回らない。一朔の手袋を外した指が花蓮の頬から離れる直前、ピリッと電流が流れるような不思議な感覚がしたような。それに一朔も反応したような気がした。
花蓮モノ(今のは、何……?)
一朔「まあ、いい。五十嵐(いがらし)、行くぞ」
一朔は花蓮から離れ、聞き取りの間に妖力の跡などを調べていた部下たちを引き連れて、常盤家から去っていった。
芙蓉「どうして? どうしてわたくしよりも花蓮が注目されていたというの? わたくしの能力が隊長様に知られれば、間違いなく討伐軍隊に入れたというのに!」
黙って玄関掃除を再開した花蓮は、憤慨する芙蓉に蹴りを入れられる。
芙蓉「目障りだから、今日は物置にこもってなさい。穢らわしいあんたが目に入るだけでイライラする」
花蓮「申し訳、ございません」

◯常盤家居間・数日後の昼
居間には両親と芙蓉が座っており、花蓮がお茶を運んできていた。新しい封首と封掌を身につけている。
当主(父)「芙蓉、お前にめでたい話が来ている。薄氷家からだ」
芙蓉「まあ!」
口に手を当てて上品に喜ぶ芙蓉。
当主「婚約の申し出だそうだ。明日早速、隊長殿がこちらにいらっしゃるらしい。そのつもりで準備しておけ」
芙蓉「やっぱり、この間のわたくしの活躍を見ていらしたのね! そこの忌み子のせいで、せっかくのチャンスを逃してしまったかと思ったわ」
母「芙蓉は本当に親孝行だわ! お嫁に行っちゃうのは寂しいけれど……お相手があの薄氷様なら幸せな生活ができそうね」
花蓮は怒られないよう気配を極限まで消して、そそくさと部屋を出る。
花蓮モノ(嫁入りだなんて、私には関係のない話。芙蓉がいなくなれば、少しは居心地がマシになるかしら)

◯常盤家芙蓉の部屋・翌日朝・芙蓉視点
化粧台の前に座り、芙蓉はぽーっと頬を染めつつ一朔のことを考えている。
芙蓉モノ(あんなに美しい方のお嫁に行けるだなんて、まあ、わたくしくらいの容姿と実力があれば当然ではあるけれど、それにしたって……あの薄氷隊長様から婚約の申し出なんて……!)
芙蓉専属侍女「芙蓉様、今日はより一層丁寧に、芙蓉様の魅力を最大限引き出すお化粧をさせていただきました。きっと、隊長様もハッと息を呑むことでしょう」
芙蓉「あら、ありがとう。ええ、ええ、そうでしょうね」

◯常盤家応接間・化粧シーンのすぐ後・花蓮視点
花蓮モノ(今日は隊長様がいらっしゃっているらしい。芙蓉の晴れの日ということで、屋敷も浮き足立っているのがわかるわ)
花蓮はいつもどおり雑巾で廊下を掃除する。すると、使用人頭がバタバタと慌ててこちらに向かってくる。
使用人頭「花蓮様! 今すぐ身なりを整えて応接間へ!」
花蓮「お、応接間? でも、今は隊長様が……」
使用人頭「いいから急いで! 決して汚い姿で行かないように!」
慌てて着替えて応接間へと向かう。何がなんだかわからないまま急いで来たから、手は震えているし、息も上がってしまっている。部屋の扉を前にして、胸に手を当てて深呼吸をして落ち着かせる。そのとき、中から声が聞こえてくる。
当主「だが、隊長殿、花蓮は忌み子であなたさまにはふさわしくない。むしろ芙蓉の方が容姿も妖術も……」
一朔「何度も申し上げているように、私はここにいる芙蓉嬢に婚約を申し込みに来たのではない」
花蓮モノ(何を言っているの……? なんだか気まずいけれど、早く入らなければ。洋室のノックは……3回だったはず)
3度ノックして扉を開けると、険悪なムードが漂っている。
花蓮「失礼いたします」
一朔「お前が花蓮嬢で間違いないな?」
花蓮「は、はい。常盤花蓮と申します」
カチコチになってぎこちない礼をし、自己紹介する花蓮。一朔は満足そうに頷いて、当主に向き直った。
一朔「私が婚約を考えているのは、やはり花蓮嬢の方だ。これは先日の討伐の際に決めたこと。確かに手紙には令嬢の名を書かなかったが、それは双子のどちらがどちらかわからなかったからだ」
芙蓉「どうしてなのですか? 花蓮はまったく妖術が使えないのです! このわたくしならば、あなたのおそばでお役に立てますのに!」
芙蓉が悔しそうにこぶしを握りしめ、顔を歪ませて言う。
一朔「婚約を認めていただけないということか?」
低い声で冷たく言い放つ一朔に、当主は顔を青くして頭を下げる。
当主「いや、まったくもってそんなつもりはない。むしろ、こんなに不出来な娘をあなたさまに嫁がせるのが申し訳ないだけだ」
芙蓉がギリリと奥歯を鳴らす。
一朔「常盤家の花蓮嬢への待遇は、見ていて気持ちのいいものではないな。——まあいい。花蓮嬢はいただくこととしよう」
当主が立ち上がって深々と礼をする。母は事の次第についていけていない様子だが、当主に倣って礼をした。芙蓉も悔しそうだが、一泊遅れてふわりと頭を下げる。一朔が無表情のまま、ぽかんとする花蓮の手をとる。
一朔「では、今後についてはまた連絡を入れよう。失礼する」
応接間を出る。
花蓮モノ(この後、私は必要な荷物だけをまとめて薄氷家の別邸に連れて行かれることになった。ただ、荷物と言っても私物は何もなかったため、寝巻きだけ取ってこようとしたけれど、薄氷家の侍女らしき人にその必要はないと言われたから、本当に手ぶらで向かうことになってしまった)

◯薄氷の別邸
2台の自家用車で一朔が住んでいる薄氷家の別邸に到着。気を遣ってか、一朔と花蓮は別々の車に乗っていた。常盤家の屋敷以上に立派で大きな洋館が立っており、花蓮は呆然とする。
花蓮モノ(こんなに大きな洋館に今日から住むというの?)
一朔にエスコートされる形で、洋館の玄関から中へ入ると、使用人がずらりと並んでいる。
花蓮モノ(使用人もこんなにたくさん……)
使用人一同「おかえりなさいませ!」
一朔「ああ。こちらは常盤家のご令嬢だ。今朝伝えたとおり、私の婚約者となる。くれぐれも失礼のないように」
使用人一同「承知いたしました!」
それから、居間に連れて行かれ、一朔が奥のソファに腰をかける。花蓮はどうすればいいかわからず、オロオロと立ち尽くしてしまう。
一朔「そっちのソファに座ってくれ」
花蓮「か、かしこまりました」
一朔「そんなにかたくなくていい。もっと楽にしてくれ」
花蓮「申し訳ございません」
花蓮の謝罪の言葉に、一朔は不思議そうに眉をひそめる。花蓮はとにかく粗相をしないように静かに動き、極力風を立てないようにゆっくりとソファに腰かける。
一朔「急に連れてくることになってすまない。本当はお前の意思も聞きたかったのだが、あの家での待遇を見るに、一刻も早く連れ出したほうがいいのではないかと思ってだな」
神妙な顔をして話し出す一朔。花蓮は慌てて応える。
花蓮「そ、そんな、めっそうもございません。むしろ、その……私なんかが隊長様の婚約者だなんて……」
花蓮モノ(こんなことを言っては失礼に当たるかしら?)
花蓮「あの、どうして私なのでしょう……?」
一朔はまた眉をひそめ、静かに問いを問いで返す。
一朔「どうして、とはどういう意味だ」
花蓮「その……私には魂脈がございませんし、常にこの封首と封掌を身につけていなくては、生命を枯らしてしまう『呪いの子』『忌み子』と言われているくらいで……」
花蓮は首のチョーカーと手袋に順番に触れ、何もかも諦めたような顔をして言う。
花蓮モノ(本当に、どうして妖術使いの中のトップとも言えるお方が、私なんかを——……)
一朔「お前、魂脈がないと言ったか?」
花蓮は一朔の言葉に萎縮し、顔を青くする。
花蓮モノ(やっぱり怒らせてしまった! 正直に言わないほうがよかったのかしら。でも、いずれバレてしまうでしょうし……)
花蓮「——ええ。見魂の儀では聖なる酒の色が変わらず、淡い期待から手をかざして妖力を込めても、蕾は花を咲かせることはなく……妹が妖術で生み出した花畑を一瞬で枯らしてしまったことはあるのですが」
一朔「それは、お前の妖力が普通の人とは逆向きに流れているからだ。ここ数日で調べ上げたが、まれに起こるらしく、逆潮(さかしお)と呼ばれているようだ」
花蓮「逆潮……?」
一朔「私は氷眸(ひょうぼう)という特殊な目を持っていてだな。発動すると、妖力の流れや質などが細かく見える。普通の妖術使いはこちらから見て右回りに妖力が流れているが、お前はそれが左回りだ。最初、私にはそれが信じられず、妖魔が化けて人のふりをしているのかと思ったくらいだ」
花蓮「そ、そうだったのですね」
一朔「先に私の妖術について説明しておこう。私は、氷の妖術を扱う薄氷家の中でたまに現れる『氷理創術(ひょうりそうじゅつ)』の使い手だ。妖術の細かい流れを捉える氷眸と高い精神力で、精密に氷をコントロールし、術式対象を凍らせたり消滅させたりすることができる。だが——」
一朔は自分の瞳を指差して、氷眸を発動する。瞳には雪の結晶の紋様が浮かび上がる。
花蓮モノ(氷理創術のことは常盤家でお茶出しをしていたときに少し聞いたことがある。何かを生成する基礎魂脈とは異なり、すでにある物質を変化させる氷の妖術は相手の存在自体を揺るがすとても強い力。中でも、氷理創術は特に強力で、隊長様は千年に一人の逸材と言われるほどの妖術使いらしい。——それにしても、とても美しい紋様……)
一朔「強い力には必ず代償が伴う。まず、氷眸を使うことで、目から入ってくる情報が多いせいで、視神経に過大な負荷がかかる。だから氷理創術の使い手は、ほぼ必ずと言っていいほど慢性的な頭痛に悩まされるのだ」
一朔は煩わしそうに目を伏せる。
一朔「それに加え、高い精神力が求められるがゆえ、成長とともに感情が薄れていく。氷の妖術になぞらえて、『心が凍る』なんて言うやつもいる」
花蓮「心が……凍る……」
花蓮モノ(感情が感じられないだなんて……。私の感情を代わりに分けて差し上げたいくらいだわ。そうすれば、私だって芙蓉からのいじめに苦しむことも減ったかもしれないのに……なんて、これこそ隊長様に失礼ね)
一朔「ああ。難儀極まりない。しかし——」
一朔の薄水色の瞳が花蓮をしっかりと捉える。
一朔「お前の逆潮があれば、お前の妖力を分けてもらえれば、私の妖術の代償も少しはやわらぐかもしれないのだ」
花蓮「え?」
花蓮は新しい情報が次々と出てきて軽く混乱してしまう。一朔は少し考え込むように目を閉じ、少しの間ののち、また目を開いて説明を始めた。
一朔「調べたところによると、逆潮は他の妖術と組み合わせた際、その力の方向と逆向きに働くらしい。お前は妹の妖術で生み出された花を枯らしたのだろう? それは逆潮が『生成』の方向に働く基礎魂脈と組み合わさったからだろう。おそらくだが、基礎魂脈と合わせると元の妖術をかき消してしまうのだ。だが、それが『状態変化』の応用魂脈、すなわち氷の妖術と組み合わさったとき、状態の変化を反転させることができる」
花蓮は難しい情報を頑張ってつなぎ合わせて理解しようと努める。考えすぎて眉間にシワが寄っている。
花蓮「つ、つまり、凍らせる、もしくは温度を下げる氷理創術に逆潮を合わせると、氷を解かしたり、温度を上げたりできる、ということでしょうか?」
花蓮モノ(きちんと理解できていないで質問してしまったわ……失望されるかしら)
だが、ぎゅっと目を瞑った花蓮の想像に反して、一朔は丁寧に説明を続けてくれる。
一朔「ほぼ合っている。とは言っても、実際に試したことはないからわからないがな。私の見解では、少なくとも、精密なコントロールが必要な氷理創術と合わせることで、そのコントロールを簡易化できるのではないかと思うのだ。実際、先日お前に触れた瞬間、頭痛がやわらいだ」
花蓮は、この間の妖魔討伐の際、一朔に頬を触れられて、少しピリッとしたことを思い出す。
花蓮(あれは、私の妖力が流れ出た感触だったのかしら)
花蓮「では、私の妖力を隊長様に流し込めば、氷理創術の代償が……」
一朔「そうだ、消えるのではないかと私は踏んでいる。だから——」
言い淀むように少し間を作る一朔。決心したように顔を上げ、まっすぐ花蓮の目を見つめて続けた。
一朔「先ほど言った通り、私には感情がない。ゆえに、婚約者としてはつまらないと思う。だが、悪いようにはしないし、何か困ったことがあったらすぐに対処しよう。その代わり、私のそばで、私を助けてはくれないだろうか」
一朔の目には、一点の曇りもない。
花蓮モノ(私は、この方のお役に立てるのかもしれない。私なんて、と思っていたけれど、いや、今だってまだ少し思っているけれど、でも、こうやって私を必要としてくださっているのだ。応えないことなんてできるだろうか、いや——)
花蓮「——私にできることならば、なんでもいたします。よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる。一朔がほんの少しだけ微笑んだような気がした。
一朔「ああ、そうだ。その封首と封掌だが……それは力を封じつつ、持ち主に痛みを与える粗悪品だ。預からせてくれ」
花蓮モノ(痛みを与える粗悪品……?)
花蓮「で、ですが、逆潮の妖力では、これをつけていないと妖術で作られたものを壊してしまう、のですよね?」
一朔「ああ。だから、代わりに逆潮の妖力を吸って保存しておけるよう、これを渡しておこう」
渡されたのは、透き通った小さな石だった。穴が開けてあり、そこに紐が通してある。
花蓮「これは?」
一朔「妖石(ようせき)だ。握ってみろ」
花蓮は石を右手でぎゅっと握る。すると、一朔に触れたとき同様、ピリッとして何かが体から飛び出していく感覚がした。
一朔「たまにそうやって握って妖力を保存しておけ。きっと役に立つときが来る」
花蓮にはよく意味がわからなかったが、一朔の瞳は力強く、信じてくれと言っているかのようだった。
花蓮モノ(ああ——怒られたり嫌味を言われたりせず、こんなに長く誰かと話したのは本当に久しぶりだわ)
花蓮はなんだか感慨深い気持ちになって、部屋を去っていく一朔の背中を眺めた。