休みが終わった月曜日、週の始まりってなんとなく憂鬱だけど今日は特にモヤモヤしてた。目を閉じればずっと同じことがぐるぐると頭の中を回って落ち着かない。机に顔を伏せて、やる気も出ない。
なんだ?なんだったんだあのドキドキは?どうしてあの瞬間いやにうるさかったんだ?
答えが出ない問題は好きじゃない、使える数式も、抜き取る文章もなくて…どうして天音のことを考えると、心臓が落ち着かなんだ?

「ゆき、何凹んでんの?」

前の席の橋田(はしだ)が話しかけて来た、メガネをかけた可もなく不可もなくな奴だ。

「凹んでないよ」
「マドンナに振られたのかと思った」
「振られてないし、マドンナって誰だよ」
「家庭科の諏訪(すわ)ちゃん」
「いい先生だけどな!もうすぐ定年だけど!」
「で、そんなことよりもさ」

まだ何かあるのかと思って顔をあげる、永遠と続きそうな中身のない会話に眉間にしわを寄せると廊下からひょこっと顔を出した天音と目が合って…

「呼んでる、ゆきのこと」
「それを早く言えよ!」

的確に突っ込んでしまった。今の間ドンピシャだったに違いない。

「凹んでるのかと思って声かけづらくってさ」
「気遣いありがとうな!でも全然凹んでないし、諏訪ちゃんの話どうでもよくない!?」
「一応、俺が想定した最悪の事態を踏まえて…」

可もなく不可もないが、少しめんどくさい橋田とはこの辺にして教室を出た。
毎度のごとく無表情な天音のもとへ、もう追試の勉強会は終わったけど他になんかあったのかなーって思いながら。

「天音!」
「ゆき先輩」
「ごめん、なんかあった?」
「あ、あの…ゆき先輩に言いたいことがありまして」

なぜか、ドキッと胸が鳴った。急にかしこまった様子の天音を前にして、ぎゅっと心臓が掴まれるみたいに。
言いたいことなんて前置きをされたら、わけもわからずドキドキ心臓が鳴り始める。息が苦しくなって、胸を押さえた。
いやこれは何か気になるからで、それ以外の深い意味なんかなくてこのドキドキは…っ

「追試合格しました」

え…?あ、その話?ていうか…

「合格!?」
「はい、ゆき先輩のおかげですありがとうございました」
「マジか~、よかった!おめでとう、これで進級出来るな!」
「はい、よかったです」

結果はいつ出るんだろうとは思ってたけど、無事追試パス出来たならよかった。教えた甲斐もあるし、本郷先生に言われたことも守れたし、天音が嬉しそうで…ちっとも笑ってはなかったけど、いつも通りだったけど、これはたぶん喜んでるからよかったと思う。

「早くゆき先輩に言いたいなって思いまして」
「わざわざ言いに来てくれてありがと、いい報告が聞けて俺も嬉しいよ」

そう、嬉しい。今、嬉しくて。
だからもう変なドキドキはしてなくて、なんなら肩の荷が下りてスッキリした気分だった。
あ、なるほどたぶんこれだ。
きっとあの日もそうだったんだ、気が張ってたんだ。俺も緊張してたんだよ、天音の追試が無事終わるといいなぁーって思ってたから。

「はい、それと…」
「それと?」

そんな時に急に手を掴まれてびっくりしたんだ。
それでドキドキ心臓がうるさくて、ただそれだけ。あの時のドキドキはきっとそんなドキドキで天音のことをどう思ってるとかそんなの決してなくて…

「僕、ゆき先輩のこと好きです」
「え?」
「付き合ってください」
「…………は?」

え?今なんて?なんて言った…???
俺のことが好きって…

「なっ、何言ってんだよ!?」

少し天音のことがわかってきたと思ってたのに、突拍子もないこの言葉には全く理解出来なくて一瞬頭がフリーズした。
待て待て待て、急になんだ?何がどうしてそんなことに…!?

「手繋いだ時ドキドキしたらって言ってたじゃないですか?」

それは言ったけど例え話だ。それが恋なんじゃないかって言う俺的例え話で、それを真にけるとか…

「ゆき先輩と手を繋いだ時ドキドキしました」
「そ、それは…っ」
「好きです、ゆき先輩のこと」

キラキラしてる、瞳が輝いてる。
なんで今日はそんな生き生きした瞳してるんだよ、なんて些細な変化に気付く自分もあれなんだけど。
そんなことより、なんていうかそれは…
違うんじゃないか?????


****


いやあれは違う、絶対に違う。
それこそ天音の勘違いだ。
天音は恋愛疎いし、俺だって経験ないんだ…
どっちも当てにならない、イレギュラーなことが起こってそれについていけてないだけ。
あれが恋なわけないんだよ、あんなドキドキ…自分で言ったことここで伏線回収してる場合じゃないんだよ!!!

「おはようございます、ゆき先輩」
「…おはよう」
にこっと笑いかけられた、朝学校に着たら開口一番俺のことを見て。その微笑みにキャーと女子の声が聞こえる。
ただあいさつしなのに、おはようって言っただけなのに、こんなキャーキャー言われることってある?こないだまではそんなことなかったのに。

「待ってましたゆき先輩のこと、今いいですか?」

キラキラ光ってる、ただでさえそんな奴だと思ってたけど表情がついたせいで5割増しにキラキラしてる。そのキラキラに反応した女子たちのキャー!!と叫ぶ声が廊下中に響いて…

「天音!ちょっと来て!!」

居たたまれなくなって天音の腕を掴んでその場から逃げ出した。ちょっとこっちにと、集まって来たギャラリーから離れて誰にも見付からないような廊下の隅っこにこそっと隠れて。

「天音どうした!?急にキャラ変わってるんだけど!」
「変わってる?って何がですか?」
「だから急に笑顔振りまいて何…!?」
「?」
「……。」

無、だった。いつもと変りなく、無で返された。
は?さっきのキラキラ笑顔は…??

「何かありました?」
「あ、いや、別に…」

もしかしてそれも無自覚?自分の表情の変化に気付いてないってこと…?

「それよりゆき先輩いいですか?」
「えっ、あ…俺になんか用だったわけ?」

昨日からなんだかおかしい、急にやわらかい表情を見せた天音もそれに動揺してる俺も。

「はい、今日一緒に帰りませんか?」

い、一緒に…!?
ってなんで、その流れも急すぎない…!?
また変にドキドキが…っ

「強教えてもらったお礼させてください」

…あ、それか。それね、わざわざそんなことよかったんだけど。
というかいちいち変に反応してる俺のがおかしいのか、そうか、そうだよな。先週まで散々一緒に勉強してたんだ、それくらいそうだよな。

「うん、それは…いいけど」

それにそんな深い意味なんかない、ここで断る方が変だ。だからうんって頷いたんだけど。

「よかった」

にっこりと笑った顔がやっぱりこないだまでの天音じゃなくて。ドキッと心臓が無駄に反応してしまうんだよ。
調子、狂うなぁ…。


****


そう言われた放課後、下駄箱に着いたらもう天音は待っていた。
天音と2人きりとか、考えたことなかったのに。2人でも全然よかったのに、なぜか今日は異常に右隣が緊張する…

「ゆき先輩危ないので歩道側歩いてください!」
「……。」
「ネットで調べました、スマートなデートです」
「いや、それは違うだろうよ」

そもそもこれはデートじゃない、ただ一緒に帰ってるだけ。友達同士でもよくあることなんだから先輩と後輩だとしてもそれが適用されるだろ。
というか何調べて来てんだ、変に意識させるようなこと言うっ

「ゆき先輩、手繋いでいいですか?」
「は?」

聞き返す前に眉間にしわを寄せて返してしまった。さすがにこの流れは意味わからな過ぎて。

「ダメだろ!!」

あたかも普通のように手を差し出されたから思わず避けた。歩道側も違うけど、手繋ごうはもっと違うと思う。

「なんでですか?」

しかもなんでって!それは聞くことじゃないだろ、わかれよ!そんなの…っ

「付き合ってないから…!」

無駄に声が大きく響いて、自分の声に驚いてしまった。
恥ずかしい、何叫んでんだよ。でも…

「付き合ってない…、返事してない…し」

急に自信がなくなって下を向いた。
わからない、なんだか天音の顔が見れなくて声もどんどん小さくなるから。

「…。」
「……。」
「…それはそうですね」
「…うん」

…それは納得するのか。
天音ってこうゆうとこは素直だよな、ちゃんと人の意見聞くし受け入れることも出来て。だからいい奴だとは思うんだけど…

「じゃあ返事もらえますか?」
「……。」

それは無表情で聞いてくるんだな。じゃあってなんだよ、この流れで返事求めるってそれはもなんかあれだろ。俺はどんな顔したらいいんだよ。

「あのさ、天音」

ふぅっと静かに息を吐く。少しだけドキドキする胸を、落ち着かせて。

「たぶんそれはそうゆう好きじゃないと思う、天音は俺のことなんか好きじゃないと思う」

天音の方を見て、目を合わせる。グッと力を入れるようにして。

「そんなことないです、好きです」
「違うよ」
「だってドキドキしました、ゆき先輩が言ったんですよ手繋いだ時ドキドキしたらって…!」
「だからそれが違うんだよ」

そろそろ春の風に変わるころ、それでもまだ肌寒くて風が吹けば頬が冷たい。
天音を諭すように、丁寧な口調で話を続けた。

「“インプリンティング”って知ってる?」
「何ですか?それ」
「よく言われるのが生まれたばかりの雛鳥が最初に見たものを親鳥と勝手に思い込んでしまうあれで、“刷り込み”とも言う現象だよ」
「…それが何ですか?」
「つまりは俺が余計なことを言ったから天音が勝手に思い込んでしまったってこと、ドキドキしたら好きなんだって勘違いしてるってことだよ」

あくまでそうゆうことだ、あれは俺が言った適当な例えだから。
それをこんなに真に受けて信じてるとは思わなくて、それが拗らせすことになったのはよくなかったっていうか…

「でもゆき先輩といるとドキドキします、今だってしてます」
「だからそれはっ」
「ドキドキすることが恋なんじゃないとしたら、じゃあこのドキドキは何なんですか?ゆき先輩と一緒いるとドキドキするこの気持ちは何になるんですか?」
「…っ」

天音は素直だから、時に素直過ぎて俺の方が受け止めきれなくなってしまって。

「確かめてもいいですか?」

トンッと壁に手を付いた。これから曲がろうとしていた角を塞ぐように俺の前に腕を伸ばして、上からじっと見つめられて固まったみたいに動けなくなる。
何をする気なんだ?
急に真剣な瞳して、そんな瞳見たことないんだけど。
そんな瞳も出来るようになったのか、目が離せなくて。

「これが恋なのかどうかー…」

すぅーっと近付いてくる、目の前が天音しか見えなくなる。ずっと目を合わせたまま、天音でいっぱいになって真っ暗になる。
息がかかる距離で、そっと唇に…

「って何してんだよっ!!!?」

カッと目を見開いて、天音の唇にをぐっと両手で抑えるように止めた。
あっぶない、何する気だ!?
もう少しで唇が触れるとこでー…

「これこそ付き合ってないのにダメだろ!!!」
「そうなんですか?」
「そうだよ!」

ぐーっと押し返す、最後までぐんっと手を伸ばして限界まで離れるように突き飛ばした。
何考えてるんだ本当…
こんなことしてどうする気なんだよ!?
これが恋なのかどうか確かめるってそんなの…!
はぁはぁと息をする、思いっきり天音を突き飛ばすのに力が必要だったからつい必死になっちゃっただけで息を切らしてるのはそのせいで…っ
心臓がドキドキどころか、バクバクしてるのはそのせいだ。バクバク飛び出そうなくらい、心臓が悲鳴を上げている。

「…付き合うって難しいですね」
「それ以前の問題だろ!」

マジで、何なんだ…なんでそこは無表情なんだよ。俺ばっか取り乱してるみたいだ。

「あ、それはさておきなんですが」
「どんな話の切り替えだよ」
「ゆき先輩に教えたいことがありまして…」
「教えたいこと?」

バックバクの心臓は鳴り止むことを知らなくて、今だ鳴り続けている。
スッ立てた右人差し指を唇にあてた天音にドキッて弾けるみたいに破裂音がしたから、今度は何が起きるんだろうってさらに鼓動は加速していくんだ。

「僕の秘密です」

僕の秘密?
もうこれ以上ドキドキなんてしたくないのに、秘密だなんて意味深なことまた心臓がキュッとなって…


****


「さぁどうぞ、思いっきりいっちゃってくだい」
「……。」
「豪快に我を忘れて」
「…これカレーパンだよね?」

連れられるがまま来たのは学校から結構離れたパン屋さん、はいっと渡された楕円型の焼き立てのカレーパンはふわふわしていい匂いがしている。見るからにおいしそうで食欲をそそるけど。

「はい、カレーパンです」
「いや、あの僕の秘密って…」
「ここのカレーパンとんでもなくおいしいんです、ずっと秘密にしてたんですけど今初めて教えます」
「……。」

さっきまでのドキドキを返してくれ。
ここに来るまで絶対寿命縮んだ、人間は死ぬまでの心拍数が決まってるって説もあるんだから。
すごい秘密抱えてると思ったじゃん、まさかおいしいカレーパンってなんだよそれ…

「ふっ」

普通にいい話過ぎる。

「え?ゆき先輩今笑いました?」
「ふふふっ」
「今笑うとこでした?」
「だってあんな無表情でおいしいカレーパン紹介されると思わないから」

本当わからない、天音って奴は。
少し理解出来たと思えば斜め上からやってくるんだから。

「笑うだろ、そりゃ」

考えて損した気分だよ。

「どんな秘密抱えてるんだよ、本当…」

くすくす笑いが止まらなくて、笑い過ぎて流れた涙を拭きながら見上げたらまたあの顔で笑ってた。やわらかく、愛しそうに見つめるような瞳で俺の方を見て。

「今日初めて笑ってくれました」

……。
別に笑わないようにしてたとかそんなんじゃないけど、いつも通りでいたつもりだったけど。よくわからない違和感が消えなかったから。
そんな表情をする天音に慣れなくて、…全然慣れない。もっと笑えばいいとか思ってたのに、いざこんな風に笑顔見せられるとなぜかざわついて。
こんな奴だったのかな、天音って。

「ちなみにこっちは辛口なんです、辛いの平気ですか?」
「マジで?辛いの好き!」
「じゃあ、どうぞ」

パン屋の前、天音が何気なく自分の持ったパンを差し出した。
きっと意味なんかなくて、ひとくちどうぞってことだったんだと思う。だからそんなの意識することなんてなくて、ちょっともらうくらいどうってことなくて、それなのに…

「おいしいですよね、これも」

パクッとかじった瞬間、またドキドキが止まらなくて天音の持ったカレーパンをひとくちかじったらカチッとスイッチが入ったみたいに心臓がドキドキ音を出すから。

「…うん、うまい」

味なんて全然わからない。おいしいのかもおいしくないのかも、味どころじゃない。
それよりもドキドキのが上回っちゃってカレーパンよりも天音の顔を見てしまった。また笑うのかなって、気になって。

「…っ」

ふいに見せるやわらかい顔が、狂わせる。
どうしてかドキドキして、少しだけ息が苦しくなる。
でもあんなの勘違いと思うんだよ。
誰かに手を握られたのだって初めてだったから、脳が勘違いしてもおかしくないんだよ。


****


あれからずっと異常をきたしてる脳は上手く動かなくて…

「やばっ」

小テストが返ってきてつい声が出た、半分以下しか取れてない。高校入って初めてだ、こんな点数は。

「うわっ、ゆきが珍しくないか?」
「…橋田、勝手に人のテスト覗くなよ」
「見えちゃったんだよ、前後の席だからな、振り返ったらゆきのテストが見えてしまっただけだよ」
「…。」

はぁっと息を吐いてテストを見直した。間違えたところを冷静に分析する、ケアレスミスも多くて集中出来てなかったなぁってめちゃくちゃなテスト回答だな。

「どうかした?ゆきがそんな点数取るなんてさ」
「あー…ちょっと考え事してて」

…って言えるほどのことかわからないけど。
考えてしまうから、勝手に浮かんでくるんだ…天音の笑った顔が。
あの顔が離れなくて、思い出すたびに胸の奥からこみ上げてくる何かに叫びたくなる。
それが恥ずかしくて、恥ずかしくて…集中出来ない…!

「…ゆきどうした?わさわさ頭掻き乱して」
「考え事だよ!」
「相当悩んでるな、それは」

思い出すたび恥ずかしくて、わーっとなるのに、心臓はドキドキしてるんだ。
何なんだよ、いい加減にしてほしい。勝手に勘違いしたままのドキドキは治まることを知らなくて嫌になる。

「あ、もしかしてホワイトデーの悩みか?」

キランッと何か思い付いた顔でこっちを見て来た、全然ピンと来なかったけど。

「…は?ホワイトデー??」
「今日ってホワイトデーだろ?お返しどうしよ~!?って悩んでるんだろ!」
「……。」
「ゆきは何返すんだ?あ、ちなみに俺はまだ返してないというか返さない!なぜならもらってないから!!」
「へぇ…」

…特にコメントすることがなかった、せめて何か言おうかとも思ったけど何も出てこなかった。
もういいかその話は、俺も返す予定ないし関係ないしこの間違いだらけの小テストをどうするかの方が先だ。
点数が悪かった場合は後日、再考査があるからそれまでに見直しして出来るようにしておかないと。

「橋田これ何点だった?」
「97点」
「…この問3って答えどうやって出した?」
「おっ、それはいい質問だな~!」

半分体を向けてる状態だった橋田がぐるんっと体全体をこっちに向けた。相当自信があったみたいで意気揚々と人の筆箱からシャーペンを取り出した。

「いい?この図を見て、BCとCAの長さが同じってことはここも同じで、だからこの角度は…」

普段は少しあれなところもある橋田だけど、勉強は出来る方で数式のことを話してる時は意外にもちゃんとしている。聞きやすいし、わかりやすい。

「学年トップのゆきがわからない問題を俺が解けるとはね…!」

普段はちょっとあれだけど、いや本当に。
ここ数日授業も上の空だったのが効いてるな、もっとちゃんと集中しないと成績にも影響するってどうなんだよ…よくないよ、このままじゃ。

「じゃ、ゆきやってみて」
「あぁ、うん」

少し手が触れたぐらいでドキドキして、恋愛初心者にもほどがある。
でも恋愛ってどうしたら学べるんだろう?
勉強みたく机に向かうたび身に付いていくものならいいのに、このままじゃ誰と手が触れてもドキドキして俺はどうなるんだろうー…

「はい、シャーペン持つ!」

ぎゅっと橋田が俺の手を握った、持っていたシャーペンを俺に持たせるため両手で覆うようにぎゅっと。
橋田の手が、触れた。
また数式が飛んでいく、それどころじゃなくてぎゅっと握られた手から感じる…

「え…?」

感じる?ドキドキが…

「ゆき?どした?」
「いや…」

なんだ?なんだこれ…

「ゆき?」

全くドキドキしてないんだけど。
何も響いてこない、心臓は静かで仕方ない。
胸を押さえてみても淡々と脈を打っていて訴えるようなドキドキはなくて…

「橋田!」
「うわ、なんだ!?」

ガランッとシャーペンが机の上に落ちる、シャーペンを握ってる場合じゃなくてバッと視線を前に向けたから。
そのまま手を伸ばして掴んだ。
橋田の手をぎゅっと、両手で橋田の手を包み込むように橋田の熱を感じたくて…

「ゆき!?」
「橋田の手って…」
「なんだ、どうした…っ」
「冷たいんだな」
「あ、俺末端冷え性なんだよな~!意外だろ?」
「うん、意外だった」

すぐにパッと手を離して転がったシャーペンを手に持った。
冷たかった、今日寒いから特に冷えてたのかな。その冷たさにびっくりした。うん、びっくり…
ふと我に返れば何が起きてるのかわからなくなって、もういっそのこと何事もなかったかのようにテストに向かった。
落ち着け俺、落ち着くんだ…いや、落ち着いてるか。
なんならものすごく落ち着いてる、心臓の音は。

なんのドキドキもしないなんてますますわからなくなる。
だってあれは脳の勘違いだ、インプリンティング効果だよ。
それ以外何もない、そうじゃなきゃ説明出来ない。

だって俺は…


****


特に約束もしていなかった今日は1人で帰ろうかと思っていた。
だけど下駄箱に向かう途中足が止まってしまう。

「!」

ちょっと離れたところからでもわかったから、天音がそこに立っているのが。
…何してるのかな?キョロキョロして何か気にしてるみたいな、何かを探してる?
あ、違うかあれは…誰かを待ってる?誰かを…

「……。」

手には可愛らしい紙袋を持って、無表情なのにソワソワしてるのがわかる。
…なんか合わないけど、そんなソワソワするならも少し顔に出したらどうなんだ?
本人は出してるつもりなのかな?というかその紙袋は…

“今日ってホワイトデーだろ?”

「天音くん!」

スッと隣を横切った人影が、スカートを揺らしながら軽やかな足取りで天音の元まで駆け寄った。
あの子が待ってた相手?
何を話してるのかはここからじゃ聞こえない、何を言ってるのかわからないけど…
女の子が可愛らしい紙袋を指さしたから。
指さして笑ってたから、それに…天音も笑ってたから。

なんだよ、そうだったのかよ。
モテないって言ってたくせにちゃかりもらってたんじゃん。
俺にあんなこと言っておきながら…

あ、なんだこれ。
なんか苦しい。
ドキドキじゃない、ガンガンと襲ってくる。
天音が笑ってるのに、天音が嬉しそうに笑ってるのに、全然ドキドキしない。

ほら、やっぱり…
そうだったんだろ、そうなんだよ。

これは恋なんかじゃない、だって全然…っ

「ゆき先輩?」

目が合った、天音がこっちを見たから。
ハッとして無条件に体が動く、ここにはいられないって感じた脳が走り出してた。天音から逃げ出したくて、あの場から逃げ出したくて。

やばい、見られた。思いっきり見られた。
あんな顔…!
天音に…っ、絶対天音に見せられない顔してた…っ

泣きそうな顔、見られたくなかった…!!!

胸の奥からぶわっとこみ上げてくる、ドキドキなんかじゃなくてえぐられるような衝動が強く揺さぶって胸が痛い。
こんなこと嫌なのに体のコントロールが利かなくて、熱くなった目の奥から溢れ出そうになる。
泣きたくなんかないのにー…

「ゆき先輩…っ!」

ぐいっと腕を掴まれた。追いかけて来た天音が、息を切らしながら俺の腕を掴んだ。
その瞬、やっぱり抑えきれなくなって。

「ゆき先輩どうしましたか?何かありました?」
「……。」

なんだよ、いつもの天音じゃん。淡々と聞いてくるんだ、一切表情を変えずに。
その声がその表情が、胸に刺さって何を言えばいいのかわからなくなる。

「ゆき先輩?」
「…普通に笑ってたよ」
「はい?」
「天音、笑ってた」

掴まれた腕が痛い、きっとそんなに強くは握られてないはずなのに痛くて仕方ない。

「笑えるんじゃん…」

もっと笑えばいいって言ったのは俺なのに、天音が笑ったらすぐ恋に落ちるよって自分で言ったくせに。
笑った天音の顔見たくなかった。
知らない女の子に微笑んでる天音なんて見たくなかった。

そんな天音を見て、なんで俺は泣いてるんだろう?

「天音…、早く戻りなよ」
「ゆき先輩泣いてますよね?どうしたんですか?」
「俺のことはいいから、早く…」
「よくないです、なんで泣いてるんですか?何かあっ」
「早く渡しに!」

戻ってほしい、頼むから。早く渡して来いよ、待ってるだろ…
なんで持ってきちゃってるの?その可愛らしい紙袋がチラついて仕方ないんだよ。
もうさ、わからないんだ。なんでこんな苦しいのかも、どうして泣いてるのかも、何もわからないのに…
天音に握られた手だけはドキドキして嫌なんだよ。
だからもう離してー…

「あ、これゆき先輩にです」
「……。」
「どうぞ」
「……は?」
「あ、甘いもの苦手ですか?」
「いや、好きだけど…」
「じゃあよかったです」

いや、よくない。全然よくない。
何がよかったのか、ちょっと説明を…
だってそれってあれじゃないの?それ以外に考えられない、だって今日は…

「ホワイトデーですから」
「俺あげてないけど!?」

あ、しまったすごい大きな声で突っ込んでしまった。俺の声に天音がびっくりして、キョトンとした顔してる。
そんな顔もするようになったんだなって、待ってそうじゃなくて。

「何の話ですか?」
「何のってそりゃ…ホワイトデーの話だよ」
「はい、だからゆき先輩に」
「いや、俺バレンタインに天音に何もあげてないよ」

何、その顔。
どうして天音がそんな顔してるの?なんで俺がおかしいみたいな目で見てくるの?
というか、どんどん表情が出て来てるのは気のせいなのか???
それとも俺が天音の変化に気付けるようになったのか、わからないけど…

「バレンタインって何ですか?」

バレンタインを知らない奴っているんだ…!!!

「いっぱい可愛いものが売ってたんで買ってみました」
「へぇー…」

ドッと疲れが、肩にのしかかる。気付いたら涙も吹っ飛んでた。
あ、そうだちょっと忘れてた。
でもそうだった、天音泉はこうゆう奴だったってこと。
俺の頭じゃ測れない、想像の斜め上遥か先をいく奴だったってことを。

「ゆき先輩が喜んでくれたらいいなぁって買いました」

それで笑うんだ、キラキラ輝くみたいな表情で。
俺の方が恥ずかしくなっちゃって、目を逸らしたくなる。

「…天音変わったね」
「え、何がですか?」
「表情豊かになったっていうか、よく笑うようになったっていうか…あ、元々笑ってるつもりではあったんだっけ?」

きっとそれはいいことで、表情が出ないことを悩んでた天音からしたらすごくいいことで。
なのにチクッと胸が痛むのは身勝手なだけなのに。

「じゃあそれはゆき先輩のおかげですね」

ふっと声を漏らすように微笑んだ。

「さっきも言われたんです」
「さっき?」
「はい、クラスの女子に好きな子待ってるんでしょーって即バレました」

かと思えば無表情で淡々と話し出して。そこは照れもしないんだって思いながら、なんでそこはそんな風に言えちゃうんだろうって。

「だから全部ゆき先輩のせいですよ」

俺の方を見て、ぷくっと頬を膨らませて不服そうにつんっとして見せる。また見たことのない表情をするんだ。

「せいってなんだよ!?」
「僕、キャラ崩壊してるんですよ」
「それキャラだったのかよっ!?」

やっぱり読めない、天音泉は。
俺には理解出来ない、たぶん一生。

「これってゆき先輩のことが好きってことじゃないんですか?」

目を、逸らしたくなるんだけど。そんなに真っ直ぐ見つめられたらやばいんだって。
ドキドキが加速して止まらなくなる、もうずっとドキドキが止まらないんだよ。

「これが恋ですよね?」

これが恋かなんて俺には…

「わからないよ、したことないし」

聞かれても答えられない。そんな経験ないんだ、確証を得られるものがなくて説明出来るものもない。
誰かを好きになるとか、そんなのわからない。
顔を上げて天音の方を見た。目を合わせて、ごくんっと息を飲んで。

「わからないからさ…」

恋愛に教科書なんてないしたぶん正解もない。
だったら従うしかないかなって、この気持ちに素直になるしかないのかなって。

「確かめてもいい?」

近付くから、少し見上げて天音に近付くから。
ずっとドキドキしてる、天音のことを思うとドキドキして少しだけ苦しい。
こんなの天音だけだよ、天音にしか感じないよ。
ほら今、唇が触れる。
触れては弾けて、ドキドキが止まらない。

きっとこれが恋なんだろ?