――翌日。
 体育の授業を終え、教室に戻ると、机の上にぐちゃぐちゃのマフラーが置かれていた。
 ロッカーに入れていたはずなのに――。
 誰がこんなことを。
 持ち上げると、事態は想像以上に深刻だった。

「う……そ……」

 マフラーは、ところどころハサミで切り裂かれ、もはや原型を留めない。
 切り裂かれた箇所から、指先が覗かせる。
 教室の喧騒が、一瞬で凍りついた。

 准平が私のために選んでくれたマフラー。
 きっと、喜ぶ顔を想像しながら選んでくれたはず。
 それがまさか、第三者の手によって切り裂かれてしまうなんて。

「ひどい……、誰がこんな真似を」

 真央の声で、現実に引き戻された。
 次第に息は荒れ、わなわなと拳が揺れる。

「里宇、大丈夫?」

 肩をさすってくれたけど、その感触がわからなくなるくらい胸が苦しい。

「……わかんない」

 どうして私だけがこんな目に。
 思い出す。水をかけられたり、影で笑われた日々を。
 でも、今回は次元が違う。
 一番大切にしているものを奪われるなんて、思いもしなかった。

 鼻頭が赤く染まり、心臓がドクンドクンと揺れた。

 犯人がわからない。
 だから、人を責めようがないし、この気持ちを追いやる場所もない。
 他のものならまだいい。
 だけど、このマフラーだけはどうしても許せなかった。

 マフラーを抱えたまま、体が震えた。

「里宇ー」

 敦生先輩が教室にやってきたが、振り向く余裕はない。
 気付いた真央は、私の肩をポンと叩いて、心配そうな目で席に戻っていった。

 敦生先輩は異変に気づいたのか、ゆっくりとこちらへ向かってくる。

「様子がおかしいけど、なんかあった?」

 その心配さえ、いまは耳に入れたくない。
 知らないとはいえども、彼に関する全てが憎い。

 指先が、裂け目に触れた瞬間――なにかが胸の奥でプツンと音を立てて切れた。
 教室のざわめきが、遠くの世界みたいにぼやけていく。

 敦生先輩の隣にいるようになってから、景色が変わった。
 噂話をされたり、指をさされて笑われたり、視線を感じることも。
 きっと、私が気に食わない。
 犯人はそのうちの一人だろう。

「……もう、これ以上は無理」

 自然と口から溢れた言葉。
 他のことなんて考えられないし、もうこの気持ちに歯止めが効かない。

「えっ?」
「やっぱりこんな関係、やめたい。私には――できない」

 ボソッと呟いてから、教室を飛び出た。
 彼は私のすぐ後ろへついて、声を浴びせた。

「どうして?」
「准平からもらったマフラーを、誰かに切り裂かれたんだよ。許せるわけがない」
「えっ、マジ? 誰がそんなことを」
「一生の宝物だったのに。どうして、私が被害に遭わなきゃいけないの?」

 足を止め、俯いたままマフラーごと拳が震えた。
 血が逆流しそうだった。涙が出ないほどに。
 彼をキッと睨む。その表情は驚きに包まれている。

「……全部、あんたのせい」

 体中に鼓動が鳴り響き、他の音がなにも聞こえなくなる。
 冷たい手でマフラーをぎゅっと握った。

「あんたには、私の気持ちなんてわかんない! 准平がどんな気持ちで私にマフラーを――」

 彼にマフラーを投げつけ、その場から走り去った。

「里宇っ!」

 声が届いたけど、聞き入れたくなかった。
 ざわつく廊下が、心にえぐみを出している。
 途中で誰かの視線を感じたけど、いまはそれどころじゃない。

 偽彼女の代償が、こんな事態を引き起こすなんて思いもしなかった。
 敦生先輩に関わらなければ、准平だけを大切にできたのに。
 偽彼女を引き受けた自分が、バカみたい……。

 どうして、よりによってこのマフラーだけが狙われたのか。
 誰かに強い恨みを買っていたことに、ようやく気づいた。

「はぁっ……、はぁっ……、はぁっ……」

 瞳から滴る雫を手の甲で拭ったけど、止まらなかった。
 マフラーは、手に渡るまで少し遠回りしたけど、もらった時は一瞬苦しみが和らいだ。
 冬の間は毎日身につけていたし、シーズン以外は准平の写真立ての前に飾っていた。
 幸せだったあの時間は、もう二度と戻ってこない。

「うあぁぁっ……ん。ごめん……准平。マフラー、守れなかったよ」

 静かな音楽室前で、顔に手を添えたまま嗚咽を漏らした。
 胸がひくひくと揺れ、息がうまくできない。
 秒針の音も、涙に溶けて消えていった。